2020年08月05日

Schnee Traum ~第5話~ 1月20日(水曜日)<前編>

 もっとあそんでいたかった。

 ゆうやけぞらになって、月が見えて、いちばんぼしが見えても、あそんでいたかった。


 「わたしもうかえるよ、じゃあね」

 そのことばがきらいだった。

 うんととおまわりして、でもやっぱりうちについてしまう。


 ドアをあけるのも、いや。

 だって。

「………よっ!」






















 目が覚めました。覚めたけれど、眠いです。


 不思議な夢を見ました。

 外で遊び続けたいと願う夢。

 そう思った時がわたしにもあったのでしょうか。一人で絵を書きたいと思ったことは何度もあるけれど。


 もしかするとあったのかもしれません。

 自分が知らない記憶に……。



























……。

………。

「…わたしはもう、ご存知ですよね」

「あぁ、1年B組、姫川琴音ちゃんであってるだろ? ごめんな勝手に調べちまって」


「いいえ、わたし普通じゃないですから、藤田さんの目にとまるのもしかたないことなんです…」


 

 

「琴音ちゃんさ、よかったらオレにもう一度超能力を見せてくれないか」


「ダメです、このチカラは危険なんですよ」


 

 

「わたしの思い通りには出来ないんです。勝手にチカラが外に出てしまうんです」


「それってつまり、制御不能ってこと?」

「それでも100%思い通りにできないわけじゃないんです、人のいないほうへチカラを向けるのがせいぜいですけど…」


 

 

「少しでもコントロールできるんだろ? じゃ頑張って全部コントロールしちまおうぜ」


「今までもコントロールしようとやってみたんですが、ダメでした…」


「それは今までの話だろ、これから成功させんだよ。オレは決めたからな、琴音ちゃんが超能力をコントロールできるようになるまで、オレが応援してやるよ、な!」


 

 

「…ダメなのか?」

「いえ…」

「じゃ、やってみようぜ」

「…それに、自分からこんなチカラを使うなんて…」


「そんなことねえって、超能力だってうまく使えば便利なもんだって」


「…わたし、イヤなんです。こんなチカラがあるだけでみんなから仲間外れにあって…」


「…ゴメン」

「………」

「でもな、今より良くなるとしたら、やるしかねえだろ? 言ったろ? 琴音ちゃんを応援するって。もう一人じゃねえんだよ、な?」


  ………。

  ……。





















『朝~、朝だよ~』

「…わかってるって」

 学校が始まって数週間、いつにのまにかこの時間に目が覚める習慣になっていた。


 そして琴音と出会った日から、夢で目を覚ますのもまた習慣になっていた。


「…我ながら規則正しいよな」

 少しは名雪にも見習って欲しいと思う。

「…絶対に無理だな」

 自問自答に2秒で結論を出し、着替えの服を取り出した。






 1階では、毎日微妙に違う俺の起床時間を察知した秋子さんと、焼き立てのトーストが出迎えてくれる。


 席に着くと、煎れたてのコーヒーがそれに加わる。


 琴音が来る前からの、いつも通りの食卓風景だった。


「このジャム、おいしいですね。自家製なんですか」


(適度に)ジャムが塗られたパンをかじりながら、琴音が秋子さんに話し掛けた。


「琴音ちゃんはジャム好きなの?」

「いつもは朝、ご飯ですから」

「そうなの? じゃ、明日は和食にしましょうか」


「え、いいんです。どれもすごくおいしいですから」


「そう……じゃあ、他のも試してみませんか?」


 秋子さんが冷蔵庫へと足を向けた。

(過度に)イチゴジャムを塗っていた名雪の動きがぴたりと止まる。


 ずっと平和が続いていたから、危険察知の感覚も鈍っていたのかもしれない。さっき秋子さんが質問した時点で気付ねばならなかったのだ。


 オレンジ色の死神。

 日が経った今でさえ、思い出せば口の中があの味になるほど強烈な記憶を擦り込んだ、あの魔物。

 それがまた現世に姿を現そうとしている。

 逃げなければ。この場にいては確実に犠牲者になる。


 けれども名雪を伺うと、身体を外に向けているものの、席に残っていた。

 やはりこの純情可憐な少女を見捨てることに良心の呵責を感じるらしい。

 無垢な琴音は俺達の様子に首をかしげている。


 絶体絶命だ。

 冷蔵庫の扉が閉められる。その音は、重く、希望という明かり窓が閉じられた音に感じられた。


 その時だった。

「あっ!」

 秋子さんの手から、例の大きなジャム瓶が転がり落ちた。


 歓呼しそうなのを懸命にこらえつつ、俺は拳を固く握り締めた。


 けれども。



 ごとん。



「……」

「……」

 特大ジャム瓶は鈍い音を立てたが、割れずに床に転がった。


「………」

「………」

 希望から絶望へ叩きつけられたときのダメージは計り知れない。


 全身の力が奪われていくのを感じた。

 名雪に至っては『もうわたし、世の中に疲れちゃったんだよ』とでも口走りそうな様子で、薄笑いさえ浮かべていた。


 ところが。



 ビキッ!



 唐突にヒビが入り、



 ………バリンッ!



 かなり遅かったが、瓶は原型を失うほどきれいに砕け散った!


「あ、秋子さん、残念でしたね、せっかくのジャム」


 そそくさと席を立ち、ガラス瓶の破片をオレンジ色に混ぜ込む。


「お、落ちちゃったものは食べられないよおかあさん、それに、ほらガラス混じっちゃってるし…」


 そそくさと名雪も立ちあがり、目にも止まらぬ速さでジャムを生ゴミ入れに捨てていく。


「でも、上の方はまだ大丈夫かも…」

 なおも抵抗する秋子さん。この家に来てから、ここまで諦めの悪い秋子さんを初めて見た気がする。


「ご、ごちそうさまでした」

 複雑な表情をして、琴音が食卓を立った。その流れに合わせ、魔物を葬った俺達も支度をする。


「じゃ、行ってきます」

「……」

 俺達が家を出るときも、秋子さんは本当に残念そうな顔をしていた。














§














「すみません、あの瓶を割ったの、わたしなんです」


 隠しきれずに、通学途中にわたしは切り出しました。


「わたしのチカラは、もう見せましたよね。…たまに、予知が出来ることがあるんです」


「予知?」

 相沢さんが聞き返しました。

「漠然としたイメージだけなんですけど。あの瓶を見たとたん、すごく、危険だと感じました…」


 これ以上ないというほど、怖いものがくるような感じでした。


「それに名雪さんも相沢さんも顔が引きつってましたし…そう思ったら、勝手にチカラが……」


 わたしは俯きました。許されることではありません。また制御できずに物を…。


 怒らないでください、許してくださいが出て来ません。


「琴音、本当に、本当によくやった」

「命の恩人だよ…」

 ふたりが思いきりわたしを抱きしめてきたからです。ものすごい喜び方です。息が出来ないくらいです。


「あの…」

「琴音、俺達は正義だ。後ろめたく思う事はない」


 あのジャム……きっと触れてはいけない過去があるんだと強引に納得しました。




























「もうすぐで見えてくるはずだ」

「…ほんと?」

「ああ、もうすぐだ」

「人けのない場所…?」

「なんか、引っかかる言い方だけど…まぁそうだな」


 

 

「でっかい木だろ?」

「この木だけは、街中からでも見えるんだぞ」


 

 

「ちょっとだけ、後ろを向いていてもらえるかな?」


「…それはいいけど…どうしてだ?」

「どうしても」

 

「………っ!」

「母さんとこれとは関係ないだろ!」

「じゃ言うわ、耐えられないっ」

 

「わぁ。街が真っ赤だよ」

「何やってんだ!」

「ボク、木登り得意なんだよ」

 

 

「風が気持ちいいよ」

「本当に、綺麗な街……ボクも、この街に住みたかった…」


 

「喧嘩してるのを見せると子供に悪影響を…」


「だったら私の言い分も聞いてよっ!」

 

「街の風景はどうだった?」

「秘密」

「どうして秘密なんだよ…」

「あの風景は、言葉では説明できないよ。実際に見てみないと」


「だから、俺は高いところが苦手なんだって…」


「でも、秘密」





















「……」

 また、訳の分からない夢で目を覚ました。


 途中、離婚騒動でもやってるように言い争う夢が混じって、まるで秩序がない。


「夢も混線ってするのかね」

 さて、今日こそ琴音ちゃんを見つけないとな。






§






 3…2…1……ゼロ。

「終わった…」

 最後の宿泊施設から、オレはがっくりと肩を落として出てきた。


 この街の全宿泊施設を当たってみたが、『姫川琴音』の名前はなかった。


 琴音ちゃんがこの街にいるとすれば可能性は二つ。


 偽名を使ったか、宿泊施設以外のところで寝泊りしているか。どっちにしろ健全な状況じゃない。


 最悪の可能性、誰かの車で街を出た…が頭を掠める。そうなったらオレには完全にお手上げだ。


 …そもそも元からこの街にいるかどうかだって疑わしいんだよな。


 琴音ちゃんがここにいるという支えになりそうなのは、今のところ駅員の証言だけだ。






 ――この木だけは、街中からでも見えるんだぞ






 ショックで疲れた頭に、朝の夢が映しだされた。


 街中からでも、見える木…?

 ついつい首を巡らしてしまうが、一見してそんなものはない。


 だよな、やっぱりあの夢は妄想だよな。













§














 青い色画用紙に包まれたように、どこまでも青い空が続きます。


 相沢さんから教えてもらった公園で、わたしは絵を書きます。


 平日なのでわたしの他は誰もいません。貸し切りです。


 るる…

 何かが、こつんと足首に当たりました。 


 …るる…

 ハトのくちばしでした。

 ハトは、いつもいっぱいいるので、あまり好きになれない鳥です。でも、今日は1羽きりでした。


 わたしに食べ物をもらいに来たのでしょうか。足取りがふらふらして、大分弱っているみたいです。


 ……本当に、出来るのでしょうか。

 ハトに、わたしは昨日のヒーリングをもう一度、試してみました。


 治したいと言う気持ちだけをいっぱいにして、手をかざして……。

 「……っ!」

 チカラを使った痛みが、走ります。

 くるる、くるる……。

 「……ぁ…」

 元気になりました。思わず自分の手を見つめてしまいます。










 ――超能力だって、うまく使えば便利なもんだって










 チカラを特訓していたときに言われた言葉。今なら笑って、そうですねと返せそう。


 でも、藤田さんはもういない。今、わたしの側にはいない。


 物思いを振りきるように、わたしは鉛筆を取りました。














§














「えっと。それで今日はどうするの?」

 授業が終わって、名雪がいつものように昼食の話題を振ってきた。


「あたしはいいわ…今日は食欲ないから」

 香里だけが、普段とは違った反応を見せた。


「ダイエットか?」

「…そうね」

 どうでもいいというように、気のない返事をする。


「…相沢君はどうするの…?」

「俺は行くところがあるから」

「祐一は、1年生の女の子と食べるんだよね」


「…なんで知ってるんだ」

「前に、祐一が言ったんだよ…風邪で休んでる1年生の女の子…って」


 そういえばそんなことを言ったような気もする。しかし、名雪にそんな事を言われるとは意外だった。


「あ…私学食だからそろそろ行くね」

「ああ、気をつけてAランチ食ってこい」

「私、いつもAランチじゃないよ」

「少なくとも俺が知ってる限り同じもん食ってるだろ」


「偶然だよ、偶然」

「…そういやオレが見たときもAランチばっかりだな」


「それも偶然だよ…」

「…あたしが見たときもそうね」

「偶然…」

「えらくたくさん目撃されている偶然だな」


「それじゃ私いってくるね」

 それ以上の追求を逃れるように、名雪が財布を持って慌ただしく離れていく。


「じゃ、オレも学食にするか」

 名雪に続き、北川も教室から消えた。

「……」

「……」

 ……。

 結果的に、俺と香里だけが取り残される形となった。


「じゃあ、俺も行ってくるから」

 俺も、中庭に行くべく支度する。

「相沢君…」

 香里が抑揚のない声で呼び止める。

「…ひとつだけ答えて…その子のこと…好きなの?」


「たぶん、好きなんだと思う」

 寂しげに雪の中で佇んでいた女の子。

 今、香里がそうしてるように、悲しげに窓の外を見つめていた白い肌の少女…。


 初めて出会ったときから不思議さも手伝って、心を揺すられた。


 たぶん、今は、好きなんだと思う。

 そうじゃなければ、昼間とはいえあんなに寒い場所に、今日も出ていったりはしない。




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Schnee Traum ~第4話~ 1月19日(火曜日)<後編>





「ほら一年生に超能力少女がいるって4月ごろ騒ぎになったじゃん、姫川さんって言うんだけど…知ってます、って? よかった、話がしやすい」

 なおも引き離そうとするじじいを、先輩が異例の説得をして、オレたちは喫茶店に入った。

「その子がさ、家出してこっちの方にきちゃったんだよ。それで、オレちょっと関わりがあったから責任感じて、捜しにきてるわけ」

 オレはとりあえず話した。

「そういえば、先輩はなんでこっちに来てるの?」

「………」

「旅行です、ふーん、大変だな旅先までこんなのがくっついてきて」

 嫌そうに、視線をじじいに向けてやる。

「私(わたくし)めは芹香お嬢さまのボディガードでございますから」

「あれ、でもさっきヒロくんに会いに来たって…」

「………」

「?????」

「気のせいです、ってさ」

 まだ先輩に慣れない(さっきの一喝が効いているせいもあるだろうけど)あゆにオレは通訳した。

「………」

「早く見つかるといいですね、そうだな」

「………」

「えっ、幸運がくるおまじないをしましょうかって? お願いする…」

 その時、オレの頭に雷光のように名案が閃いた。

「そうだ先輩、占ってくれよ! 今どこに琴音ちゃんがいるのか!」

 その方が手っ取り早いぜ。

 そんなのできるわけないと言いそうな顔のあゆに対し、わかりましたと先輩は答えて、模様の突いた小石を幾つか取り出した。

「最近ルーン占いをはじめたんです、て。ま、いっちょ頼むぜ」

「………」

 オレたちにはどう占ってるかさえわからないので、しばし先輩の手元を見ながら静かにしておく。





§





「………」

「確実にこの街にいます? ありがと、でももっと具体的になんないかな…」

「………」

「その人の体の一部でもあれば…それに昼間だと…、あ、そうか、ごめんな先輩、無理言って」

 頼んだコーヒーも、そろそろカップの底が見えてきた。

 じいさんもさっきからテーブルのふちをカタカタやってるし、これ以上引き伸ばすのも無理そーだな。

「あの…」

 その時、にわかにあゆがもじもじし出した。

「どうしたあゆ?」

「……ボクの探し物も占って欲しいんだけど」

「………」

「どんなものですか、って」

「……どんなものか、ボクにもわからないんだよ…」

 お、おい待て!?

「何かわからない物を捜して、お前は商店街をうろついてたのか?」

 無謀にも程があるぞ。

 …占いでも困るほど手がかりが少ない琴音ちゃんを探してるオレの言えたセリフじゃねーか。

「でも、すごく、すっごく大事なものだってことは覚えてるんだよ…」

「でもな、さすがに無理だろ…」

「見ればきっと思い出すもんっ、ほんとに大事な、大事な…」

「………」

「えっ?」

 あゆのあまりに悲しそうな顔に打たれたのか、一応やってみますと言って、先輩は今度は慣れたタロットで占いをはじめた。













§













「そう言えば、栞って趣味とかないのか?」

 腹もひとごこちついて、並木道をまた戻りながら俺は栞に聞いてみた。

「趣味…ですか」

「そう、薬コレクションとアイスクリームを食べること以外に」

「両方趣味じゃないですよ」

 栞に非難の視線を向けさせるのが、最近俺の中で目標になりつつある。

「そうですね…私、絵を描くことが好きです」

 そういうと栞は目を細めて、珍しくかなり照れたような表情を見せた。

「最近は描かなくなりましたけど、昔はスケッチブックを持ってよく絵を描きに行ってました」

 話によれば今日の公園も、その時偶然見つけたのだという。

「絵って、抽象画とかか?」

「風景画です、それと…似顔絵もよく描いてました。まだまだヘタですけど…でも、絵を描いてると楽しいんです」

(そういえば、琴音の趣味ってなんだろう)

「祐一さん?」

「……あ? なんだ?」

「また話聞いてくれないんですね。……嫌ですか、私といるの」

「ち、違うって」

 まただ。

(何でこうタイミング悪いんだ、俺は)

 というより、なんで琴音のことをすぐに考えるんだろう……。













§













「………」

「やっぱり、どんなものかわからないと難しいってさ」

 予想通りの結末だった。

「うぐぅ…」

 でもオレも半分は残念だった。あゆの探しものが見つかれば、琴音ちゃんだってきっと見つかると希望が持てたのに。

「………」

 だが、来栖川先輩の言葉は、まだ続いていた。

「でも、それを捜すときっと良くない結果を招きますって、先輩っ、ちょっと!」

「お嬢さま、そろそろお時間でございます」

 それ以上の追及は、じじいによってかき消された。

 くそ、先輩のお言葉だぞ。すげー気になるじゃねーか。







「すごくきれいなひとだったね…」

 二人がいなくなったあと、あゆがそう感想を述べた。

「当たり前だ。日本で五本の指に入る大富豪、来栖川グループのお嬢様なんだからな」

 オレも3月当初はそうと知らなくて、思いっきり志保にバカにされたっけな…。

「でも、なんでヒロくんはあの人がしゃべってるってわかるの?」

「バカ、ちゃんと喋ってるじゃないか」

「表情も変わらないよ」

「それは……理解するのに熟練の技術を要するな」

「ねぇ、ヒロくん」

 神妙な面持ちであゆが尋ねてくる。

「どうした」

「あの女の人、あのおじいさんの腹話術人形だって事はないよね……」

 な、なんつー暴言をっ!

「…いいのか、来栖川先輩は本物の魔法使いだぞ」

 オレはわざと声を潜めた。

「え?」

「ウソだと思ってるだろ、でもオレは何回も見てる。雲一つない青空なのに雨を降らせたり、死んだ飼い犬の霊を呼んだり出来るんだぜ」

「だ、だから?」

「今の言葉を聞きつけて怒って、くくく、明日の朝起きたらカエルになってるかもしれねーぞ」

「うぐぅ、カエルになるなんていやだよっ」

「はっはっはっは、知らねーぞ」

「うぐぅ、ヒロくんひどいよぉ、先に教えてよっ」

「………」

「え。メチャクチャなこと教えないで下さいって? …せ、せんぱいっ!?」

 あゆのこと言えた口じゃなかった。オレは背後から近づく先輩の気配を全く感じていなかった。

「な、なんのよう?」

 二回くらい声を裏返して、オレは先輩に尋ねた。

「………」

「え、なにか困ったことがあったら、これで連絡を下さいって」

 オレの動揺にも構わず、先輩は服のポケットから携帯を取りだし、オレに持たせた。

 こりゃ助かったぜ。

「使っちゃっていーの?」

 こくこく。

「じゃ、ありがたく使わせてもらうよ、本当にありがとな、先輩」

 どういたしましてと頭を下げ、先輩は今度こそ去った。

「ヒロくん、それなに?」

「はい?」

 あゆの間の抜けた質問に、オレはズッこけそうになった。

「何って、携帯電話だろ」

「けいたい? それが?」

「まさか、初めて見たのか?」

「うん。今日はじめて見たよ」

 マジかよ。こりゃ現代人のシーラカンスだぜ。

「んじゃ好きなだけ見ろよ。ほら、ここでダイヤルして、顔に当てれば話が出来る」

「……親友というより子分だね…」

 呟いた言葉の意味は分からなかったが、携帯をとっかえひっかえ眺め回してあゆは驚いていた。

 それにしても携帯電話を知らねー奴がいるとは、

「…いまどき、幼稚園児だって知って」

「…ひ・ろ・く・ん・い・ま・な・ん・て・い・お・う・と・し・た・の・?(にっこり)」

 マズい。

 この笑みは『あなたを殺します』スマイルだ。

「それなら、もしかしてメイドロボも知らないだろ」

 あわててオレはあゆの興味を逸らした。

「めいど…ロボ?」

「ロボットのお手伝いさんだよ。家事とか接客とかするんだ」

「二頭身でねこ型?」

「もっと人間に近い形をしてる」

 いつもは真面目に働いてるメイドロボも、今のセリフを聞いたらさすがにただじゃ置かねーだろ。

 メイドロボの底辺理解のため、オレはしばらくあゆに、メイドロボのことを話しつづけた。

「そんなすごいロボットがいるんだ。一度見てみたいよ」

 あゆは目を輝かせて、しきりにうなずいていた。

 ……。

 確かに、この街に入ってからメイドロボを全然見てねーな。

「オレの住んでるところが特殊なだけか」

 来栖川研究所のお膝元だからやたらと見かけるだけで、普通は見かけねーのか。

 世界に冠たる一大産業と言われているけど、現実はこんなもんかも知れないな。













§













「猫アレルギーだったんですか…」

「そうなんです、だから名雪に猫を勧めるのはやめてくださいね」

「生き地獄ですね……目の前でひどいことして、ごめんなさい」

 『ごめんなさい』より『かわいそう』の目の色で、琴音が名雪を見た。

「ううん。悪いのは祐一と香里だから」

「まだ恨んでたのか」

「あと十年は覚えておくよ」

「名雪、ごはん食べてるときに、怒った顔しないの」

 朝のねこ騒動がおかずになって、食卓は非常に賑やかだ。

「だって、ねこさんだもん」

「本当にかわいかったですよね」

「うんっ」

 名雪の立場を生き地獄と評したあたり、琴音のねこ好きは、名雪に匹敵するかも知れない。

「でもねこさん、私が手を伸ばしてもぜんぜん近づいてくれないんだよ…」

「それは名雪さんが猫の目を見つめてるからですよ。目を見られると、わたしたちにその気がなくても、向こうはケンカの合図だと思いますから」

「そうなんだ。ありがとう琴音ちゃん」

 どうでもいいが、このままだと猫色で一日が終わりかねない。

「そうだ……琴音って、普段はどんなことするのが好きなんだ。なにか趣味とかは?」

 俺は栞にした質問を琴音にもしてみた。

 ややためらったのち、琴音は、

「趣味というほどではないですけど、絵を描くのが好きです」

 俺はデジャ・ブを覚えた。

「絵? 似顔絵なの、それとも風景画?」

「風景画のほうです」

「ふぅん。この街の絵を書いてみたら、昔のこと、思い出すかもしれないね」


 ぱかっ。

 名雪がたわけたことをぬかしたので、一発殴っておく。

「祐一、痛い」

「真に受けて、また風邪引かせたたらどうするんだ」


 ずっとここに住んでいる(仮に住んでいなくても)名雪にはわからないだろうが、この街は出歩くのに寒過ぎる。

 だが、

「そうですね、どうせ暇ですから、そうしてみます」


 あっさりと琴音は承ってしまった。

「ほら見ろ、お前の戯言を本気にしちまったじゃないか」


「ざれごととはひどいよ…」

「日中だったらきっと大丈夫じゃないかしら」


「秋子さんまで…」

「お弁当作っておきますから」

「ありがとうございます」

「できた絵、見せてちょうだいね」

「あまり期待しないで下さいね…」

 女性陣の意見に、とうとう俺も折れた。

「描くんだったら絶好の場所があるぞ」

 今日栞とのデートで行った公園を、俺は琴音に紹介した。





§





「……」

 目を瞑っても、全く寝つけなかった。

 閉じた瞼に、2階の教室で、外の風景を眺める栞の姿が映る。





 ――この空は、祐一さんと同じですから





 3階なら、俺の座っている席で、

 本当に、本当にそこが、遠い昔の思い出の場所であるかのように栞は呟いた…。









 ――新しい学校で、新しい生活が始まる、その日に……私は倒れたんです





 ――本当は、その日もお医者さんに止められていたんです。でも、どうしても叶えたかった夢があったんです





 ――お姉ちゃんと同じ学校に通うこと…お姉ちゃんと同じ制服を着て、そして学校に行くこと…





 ――お昼ご飯を一緒に食べて、学校帰りに偶然会って、商店街で遊んで帰る…





 ――そのことを言ったら、お姉ちゃん笑ってました。安上がりな夢だって…









 どこか諦めにも似た栞の笑顔の向こう側にあるもの……。

 それが頭の中で、徐々に形作られていくのが感じられた。



























「今日もダメだったか…」

 今日の収穫は来栖川先輩の占いの結果と、同じく先輩からもらった携帯だけだ。

 部屋に着いて寝っころがると、宿の電話機が目に入った。

 …そういや16日に掛けてからずっと向こうに連絡してねーな。

 オレは志保に一本入れる事にした。

「はいもしもし」

 掛けると、ワンコールもしない内に志保が出た。

「よお志保」

「よお、じゃないわよアンタ! こっちは心配してるんだから連絡くらいよこしなさいよ」

 たちまちケンカ腰の声が受話器から聞こえてくる。

「悪かった、今日まで何一つ進展しねーもんだからさ」

 オレは、今日までの行動をかいつまんで説明し、未だに、この街にいるという情報以外は何もないと報告した。

「それよりどうだ、学校の方は」

「ぜんぜん、なんにも変わっちゃいないわよ。アンタがいなくても世界は回るってね、ちょっと自意識過剰なんじゃない?」

「おめーが余計なガセネタを流さなければ平和なんだな」

「なんですってぇっ~~~~! 何がガセネタよ、志保ちゃんネットワークをバカにして、何度アンタを助けたと思ったのよ!」

「くっ…」

 確かに琴音ちゃんに関しては、世話になってるから、分が悪すぎるぜ。

「ほらほら、何か言ってみなさいよ~~~」

 ところが向こうの電話口が唐突に騒がしくなった。

「…ちょ、ちょっと、あかり!?」

「お、おい志保、あかりがいるのか、そこに!?」

 まもなく、わかったわよと諦めた声がして、話し手が変わった。

「もしもし、浩之ちゃん?」

「え~、おかけになった番号は現在使われておりません」

「浩之ちゃんだね…」

 数日ぶりのあかりの声は、妙に感傷的に聞こえた気がした。

「うぅぅ…ひろゆきちゃん………ひろゆきちゃぁぁぁん……」

「お、おいあかり、泣くなってっ」

 あかりの声はみるみるうちに涙声になってしまった。

「ひろゆきちゃんはやく、はやく…」

「わかったわかった、早く見つけて帰るから、だからもう泣くな」

 電話口の向こうで、早く代わってよと数言交わされ、扉が閉まった音と共に話し手が志保に戻った。

「訂正。約1名を除き、平和、ね」

「……」

「一応、家に帰るまではずっとあたしがついてるわ」

 向こうはむこうで、苦労が絶えないみたいだ。

「家ではあかりの母さんに頼んでる。あぁ事情話したけどそれは勘弁してよ。あの人ならあかりを抜け出させたりはしないだろうから」

「雅史は?」

「ちょっと雅史にはこれ任せられないわね。あかりに涙ながらに頼まれたら逃走を手助けしそうだからね」

 確かにそーだ。ただでさえ雅史は女のお願いに弱いからな。

「いまんとこはこれで大丈夫だと思うけど…、でもいつ強硬手段に打って出るか…」

「……」

「思い込んだら絶対に考えを曲げないからね…あかりは」

「…あぁ」

「だから、早く探し出して、戻ってきてちょうだい。それが一番の解決策だから」

 こんなに素直な声が、志保の真剣さを裏付けている。

「わかった。迷惑かけて、すまねぇ」

「アンタにそう言わせられれば報酬は十分よ、じゃね、お休み」

 電話は切れた。

 改めてオレは志保に感謝した。ガキ大将と同じで、普段はイヤな奴だがいざって時はほんとに頼りになる。

 明日こそ、絶対に見つけて一緒に帰らねぇと…。

 決意も新たにオレは布団にもぐり込んだ。

 











§













 ――この子たちはいるべき場所にいるのが一番いいんです











 ふとんの中にもぐり込んで目の前を真っ暗にすると、昼の言葉が何度も何度も聞こえてきます。

 わたしのいるべき場所…

 いる場所がなくて逃げて来たあの街? いたような記憶がある、全く知らないこの街?

 どちらも違う。どっちにも、わたしの場所はない。

 わたしの居場所って、どこなんでしょう…

 でも、今日はすごくうれしいことがありました。

 わたしのチカラは傷つけるだけじゃないって、わかったこと。

 すこしだけ、自分のチカラが、好きになれそうです…

 あのきつねは、今ごろどうしてるでしょうか。ちょっと心配になりました。

 また明日会えますように。

 おやすみなさい。


ラベル:Schnee Traum
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2020年08月04日

Schnee Traum ~第4話~ 1月19日(火曜日)<前編>



人…



自分を囲むように人が立って…



廊下で、自分の前方から歩いてくる人はいない



目に映る人全てに避けられつづけて



学校を足早に抜けて、誰もいない公園へ…



ずっとひとりで座って…



日が落ちるまで…





















 カチッ!

 目覚し時計が『あ』を発しかけたところでスイッチを切った。

 眩しい光がカーテンの向こう側から差し込んで来る。今日もいい天気になりそうだった。



























 ……。

 わたしは目を覚ましました。

 いつもの朝なら寝ている間に溜まったチカラで身体が重いのに、今朝はまたそれが軽くなった気がします。

 今日も、夢。

 今日は、イルカが麦わら帽子を取ってくれたときの夢を見ました。

 本当に楽しい思い出。そのおかげで、わたしは今もイルカが好きなんです。

 そう、あのころは楽しかった。いつもママもパパも笑っていて。

 だから、悲しい。いつからあんな風になってしまったのだろう。

 思い出と今の両親とが上手く結びつかず、わたしはため息をつきました。













§













 朝食のテーブルには、今日も彼女、オレ、名雪の順でついた。

「なあ、ちょっといいか」

 俺はその席で早速、昨日から考えていたことを提案した。

「これから家で暮らすとき、呼び方を決めないと不便だろ……なんて呼べばいい? 俺は好きに呼んでもらって構わないけど」

「あ、年下ですから呼び捨てで『琴音』で構いませんよ。相沢さん」

「じゃ、いつまでか分からないけど、よろしくな琴音」

「それで今日は、どうするの琴音ちゃん」

「もう少し、この街を歩いてみます……不思議なんです。わたし、この街を知っているみたいなんです」







 3人で並んで通学する。

 歳は琴音が一つ下、しかも4日前に会ったばかりなのに、ずっと前からこれが普通であったように思える。


「今日は健康にいい登校が出来そうだ」

「どうして?」

「朝からマラソンをせずにすんでるからな」

「うー」

 実際琴音のおかげで今朝は早かった。おかげで、今日は午前授業で体操服を着込まなくていいのだと思い出した。

 それだけの理由でも、ずっといて欲しいと思ってしまう。

 だが早々簡単に神は、慈悲を与えてはくれなかった。


「あ、ねこさん…」

 この前の猫が、また塀の上に怠惰に乗っかっていた。


「うなぁ~~~」

 相変わらずの可愛げのない様子に、即座にあの日の悪夢が蘇る。

「あ、かわいい……、おいで」

「にゃ~ん」

「は?」

 驚愕して声の出所を見ると、琴音が嬉しそうに猫に呼びかけていた。

「ふにゃ~」

 言葉がわかったかのように自分から歩み寄ってくる茶猫。手を伸ばした琴音に嬉しそうに抱き上げられる。


「まさか琴音も…猫好きなのか?」

 俺は迫り来る頭痛を押し殺して聞いた。

「はいっ!」

 今までで一番元気のいい返事が返ってきた。


「かわいいですよね、ねこって」

「ねこーねこー」

 当然、名雪の猫モードに灯が入る。

「……琴音、落ちついて聞いてくれ。その猫を持って、ここから全速力で逃げるんだ」


「はい?」

「ねこ~ねこ~」

 徐々ににじり寄る名雪。

「理由は聞くな。頼む」

「え? でも、かわいいですよ? ほら」

 琴音は野良猫に頬ずりまではじめた。

「ねこさんだよ~~」

 名雪はもはや壊れ加減だ。

 頼む、それ以上は勘弁してくれ。

「名雪さんも抱きませんか?」

 だが無慈悲にも琴音は、止めの一言を放った。


「ねこねこねこ~~」

 名雪の理性が吹き飛んだ。琴音ごとつかみそうな勢いで動き出す。


「待て名雪!」

 間一髪のところで俺は名雪の襟首をつかんだ。


「離して祐一っ、私は猫さんに頬擦りしたいのっ!」


「お前を連れて登校する俺の立場を考えろっ。学校中の笑い者にする気かっ!」

 俺は必死になって名雪を羽交い締めにした。にもかかわらず名雪と猫との距離はじりじりと縮まって行く。


 男一人が全力で抑えているのにもかかわらず、だ。


「……何やってんの?」

 気がつかなかったが、さっきから香里が一部始終を見学していた。


「見れば分かるだろ、助けろ!」

 猫を抱えた少女に泣き叫んで近づこうとする少女と、羽交い締めにして止める男。


 一見して、何が起こっているのか見当も付くまい。


「しょうがないわね…名雪、行くわよ、ほら!」


 だが、付き合いの長い香里はさすがわきまえたと言ったところか。


「あ、あの…?」

「理由は帰ったらじっくり話す。何も見るな」


「うー、ねこーねこーねこー」

 完全に正気を失っている名雪を引きずって、俺達は学校に向かった。





§





「祐一、香里、大嫌い」

 学校に着いてからの名雪の機嫌は最悪だった。

「帰ってから好きなだけ抱けばいいだろ」

「……」

 机にうつぶせたまま、返事すらない。

「帰りに百花屋でイチゴサンデーおごるから、ね」

「……」

 香里の言葉にも、微動だになし。

「手がつけられないわ……」

「長い付き合いなんだろ、対処法はないのか?」

「今日のグレかたが今までで最悪だわ…」

 確かにイチゴサンデーで機嫌が直らないとなると、相当頭にきてるのは間違いない。

「それより、あの子、誰?」

「いや、ちょっと訳ありでな」

「あなた達の隠し子?」

「……冗談でも無理があり過ぎると思わないか?」

 最終的に名雪とは、俺がイチゴサンデー2杯、香里がAランチ二回おごりの条件で和平が成立した。



























 …どんっ!



「えぐっ…うっ…」





「と、とにかく場所を変えるぞ」





「…お母さん…うぐっ」 

「一体何があったんだ?」





 く~

「なんだ、もしかして腹減ってるのか?」

 く~

「ほら、そういうときは素直に頷く」





「…あったかい…」

「たい焼きは、焼きたてが一番だからな」





「…しょっぱい」

「それは、涙の味だ」

「…でも…おいしい」





「……まって…」

「…やくそく」

「…ゆびきり」





「…うそつき」





















 ……。

「なんだったんだ…」

 完全に目覚めているはずだが、幻覚の中にいるような感覚でオレは目を覚ました。

 全く記憶にない夢だった。

 オレは子供のころの記憶に関しては、少しは自信があるつもりだ。だけど、あんな女の子にすがられた記憶はどう思い出しても見当たらない。

 第一、

「あの商店街は、この街の商店街じゃねーか?」

 …妄想、かな。

 だとしたら、今までで1、2を争う相当リアルな妄想だったな。





§





 今日も登校時間を避け、外へ出る。

 商店街に入ったところでダッフルコートを着た小柄な女の子の姿が映る。あゆだ。

「お~い、あゆあゆ」

「あゆあゆじゃないもん」

 膨れっ面をしてあゆがこっちを振り向く。

 えっ?

 最近どこかで聞いたような、何か引っかかったようなもどかしさを、オレは感じた。

「ヒロくん?」

 今交わされた会話……『あゆあゆ』というフレーズか?

 あの夢のどこかに、出てきていたのかもしれない。

「ねぇ、ヒロくんてば」

「あ…あぁ、悪ぃ、ちょっと考え事してた」

 しかし、あゆに話題として振ろうにも、夢はあまりに断片的過ぎて説明しようがなかった。

 白いリボンをした女の子が泣きながらぶつかってきて、どこかでたい焼きを食べて、指切りをして、青い髪の女の子に文句言われる…

 登場人物が誰なのか、オレにはさっぱりわからない。













§













 わたしは、今日も当てもなく歩きます。

 今日は、昨日と反対方向に進む事にしました。

 さすがにこちらでは、何か思い出すような感覚に襲われる事はありませんでした。

 …………琴音、か。

 相沢さんにはそう呼んでくれるよう頼んだけれど、そう呼ぶのはパパとママしかいません。

 でも、相沢さんに『琴音ちゃん』と呼ばれるのは、怖い。

 そして、辛い。

 わたしはやっぱり、臆病なままです…。

 そうして歩いてくわたしの前方に、

「? ……!?」

 街中だというのに、きつねが、怪我したきつねがうずくまっていました。







 わたしは駆けより、膝の上に寝かせました。

 左足が何かに引かれたみたいです。

 声もあげず、ただ苦しみに耐えている顔でした。

 どうしよう。

 病院に連れていかないと。でも、どこに?

 初めて来たこの街。せっかく見つけることができて助けたくても、わたしには何も出来ない…。

「ごめんなさい……」

 泣きそう、胸が潰れそうです。

 そのとき、

 身体が、

 続いて手が、かっと熱くなり、

 最後に、チカラを使ったときのような痛みが頭に走りました。

「……っ」

 頭を押さえて、わたしは辺りを見回しました。



 ………彼の傷が、治っていました。









 ――超能力ってのは、上達すると傷が治せるんだってな、ヒーリングって









 昔の藤田さんの台詞が、わたしの中で蘇りました。

 わたしに……、わたしにこんなことが出来るなんて。

 すると、きつねは膝からぴょんっと降り、ついてこいと言うように振り向いた後、歩き始めました。

 猫についていって素敵なアンティークショップを見つけた女の子のお話が、ふと頭をよぎりました。

 彼は、わたしをどこに連れてってくれるんでしょう。





§





 時々振り向く以外は、わたしのペースなんかお構いなしに彼は歩いていきます。樹や草の生い茂ったところを難なく抜けていきます。

 彼は街を離れると、山の方へと進んでいきました。

 帰ろうとしていただけで、ついて来いと見えたのは勘違いだったのかも、と自分の行動に少し後悔しています。

「はぁっ………はぁ」

 息が上がってかなり苦しいです。体育の長距離走って役に立つんだな、とつくづく思いました。

 次第に道はなくなり、山を登るような格好になりました。

 そして、彼がぴょんと跳ねて、見えなくなりました。

 幹に捕まり最後の一歩を登りきって、わたしが目にしたものは…







 一面の草原。

 この雪の街で、そこだけ雪が遠慮したように、ずっと広がる野原でした。

 視線を動かすと、なだらかに続く斜面の向こうに隣の街が、反対側を向くと、わたしが今いる街が一望できます。

 山の中腹くらいでしょうか、丘の上には立ち木一本ありません。

 さっきの彼は、歩いていたときと同じぐらいの距離で、わたしを見守るようにちょこんと立っていました。

 おいで。

 わたしは手を伸ばしました。

「止めてください」

 すると不意に、背後で人の声がしました。







 わたしを止めたのは、胸にリボンをあしらった制服を着た、わたしよりも年上そうな女の人でした。

 まだ学校の時間のはずなのに、どうして制服を着た人がいるんでしょうか。

「人が関わると、あの子たちにとって不幸な事になります」

 静かだけど、かなり強い調子で女の人は言いました。

「でもわたしを案内してくれたのは、あの子なんです」

「彼はただ自分の住処に戻って来ただけです。これ以上は余計な事をしないで下さい」

 余計な事!?

 あまりな物言いに、わたしは『チカラ』で治した事も忘れて、言い返そうとしました。

 すると、彼女は、野原のずっと向こうを見るようにして、

「この子たちはいるべき場所にいるのが一番いいんです」

 言い放ちました。





 胸が、どんと突かれました。

 いるべき場所。

 その単語が、わたしの怒りを全て抜き取って、代わりに、淋しさを運んできました。







 わたしのいるべき場所って、どこなんでしょう…













§













 街の人ごみを避け、オレは少し遠出することにした。警察に見つかりたくないという理由もあるが、

「琴音ちゃんは人が多いところが嫌いなんだ……」

「そうなんだ」

 こんなことさえ忘れていた自分が腹立たしい。

 ずっと琴音ちゃんを分かっていたつもりが、これだ。

 商店街から離れると、整然とした並木道の遊歩道が目に入った。

 雪を乗せて、どこまでも続く木々。

 葉を通りぬけた光が、地面をきらきらさせていた。

 散歩コースには絶好だな。もっと暖かければ、だけど。

 通りの正面に視線を戻す…。

 そこで、オレは動作停止した。まさに、信じられないものを目にしたのだ。







 艶やかな黒い髪、この極寒の中でも相変わらずぼ~っとした様子、そしてそばの執事のじじい。

「来栖川先輩!」

 オレはあゆをほったらかしにして駆け寄った。

「先輩、先輩だよな? びっくりしたぜ」

「………」

「えっ、私もびっくりしましたって、間違いないな」

「………」

「えっ、なんでこんなところにいるのですか、学校はいいのですかって? それも大事だけど、今人一人の命がかかってんだよ」

「ヒロくん、待ってよ~」

 息せきりながら遅れること十数秒、あゆがやってきた。

「誰、この人?」

「かあぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 あちゃ~…。

 オレが静止するよりも速く、じじいの一喝が飛んでいた。

「お嬢様をこの人呼ばわりとは、何たる無礼者か!」

 説教相手の当のあゆは、じじいの一喝で耳を破壊されていた。

「お嬢様、このような下賎の者からはとく離れましょう」

「………」

「なんと! この者に会いに来た、ですと!? バカなっ!」

「黙ってください」

 一瞬、誰が喋ったのかわからなかった。

 息を吸って、吐き、ようやくオレは、それが来栖川先輩から発せられたセリフだったことを理解した。

 先輩、こんな言葉もいえるんだ…

「む…」

 さすがのじじいも(セバスチャンというらしいが)予想外のこのリアクションに口をつぐむ。

「………」

「え、人の命がかかっているってどういう事ですかって?」

 こくん。

「う~ん、話してもいいかな、先輩なら。それにしてもこんな寒いとこもなんだから、その辺の喫茶店にでも入ろーぜ」

「かあぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 オレが話をじじいに振ろうとした瞬間、二回目の一喝が飛んできた。

「お嬢さまをかどかわしてそのまま営利誘拐する気であろう! 貴様らげ…」

「そう誤解されたくないから、あんたも来いって言おうとしたところだよ!」



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Schnee Traum ~幕間~ 1月18日(月曜日)




幕間




 時は少々遡る。

 浩之が旅立った街の一角を占める、壮麗な豪邸。

 日本で五本の指に入る大富豪、来栖川家の邸宅である。

 その屋上に、一つの影があった。









 その日の天気は悪かった。

 蒼鉛色の空からは、雪が間断なく降ってきている。

 彼女は太陽があるはずの方向に、背を向けて立っていた。

 手には魔術の道具らしき、印(ルーン)のついたフーチがある。

 その目は、遠い空を見つめている様であった。

「芹香お嬢様、ここに居られたのですか」

 背後の入り口から、白髪の、体格のいい執事が現れた。

「こんなところにいては風邪を召されてしまいます、ささ、御戻り下さいませ」

 薄く積もり出した雪に足跡をつけつつ執事は近づく。

 しかし。

 芹香は、動かなかった。

 ただ黙って、重い空を見続けている。

「お嬢様が風邪を召されては、私どもが大旦那様に叱られてしまいます、お戻り下さいませ」

「………」

「お嬢様?」

「北が、荒れています…」

 ぽつりと、芹香は漏らした。

「は?」

「セバスチャン」

「はっ!?」

 執事セバスチャンは驚愕した。

 芹香が、誰にでも聞こえる声で、喋ったのだ。

 彼の長い記憶の中でも、それはいかほどぶりのことであっただろうか。

「今から、飛行機をチャーターできますか」

 唐突な願いに、彼は2度目の衝撃を受けた。

 しかし驚いてばかりはいられない。彼は執事なのだ。主人の要求は、いかなるものでも叶えるよう働かねばならない。

「は……ははっ、直ちに!」

「お願いします……」

 言葉を残すと、セバスチャンは場から走り去る。

「姉さん…?」

 入れ違いにやってきた綾香も、予想外の事態にあからさまに驚いていた。

 姉の真意が、全く掴めていないようだった。

「一体、どうしたの…?」

 そう言い出すのがやっとだった。









 屋上を、凍てついた風が駆けた。

 風は降り注ぐ雪の方向を、垂直から水平へと変える。

 地に積もった湿り気の多い雪さえ、巻き上げた。

 芹香の艶やかな黒髪が、舞う。





「……浩之さん…」






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Schnee Traum ~第3話~ 1月18日(月曜日)



……。

………。

待っていた。

一緒に帰る友達と別れて、僕はいつも通り、待っていた。

もうそろそろ、あのこが来る。

何日か前に、ようやくわかったんだ。

ここで待っていれば、あのこに会えるって。

来た。

「……」

無言で礼だけして、あのこは通りすぎた。

それだけで僕はどきどきした。

そう、あのこは本当に大人びていて、

お嬢様か何かみたいにだって見えた……。


………。

……。

















 いつもの様に眠気を誘う目覚まし時計で目を覚まし、ベッドから這い出る。

 今日も俺には過酷な日課が待っている。

「名雪―っ、起きろ―っ」

『なゆきの部屋』のドアをがんがんと叩く。家中に音と振動が伝わる。

「……起きたよぅ」

 目覚し時計地獄に入れるわけにもいかないので、家出の彼女は別室に移ってもらったが、それでも朝っぱらからこの騒ぎは驚くだろう。

 しかしこれがこの家の日常だ。受忍してもらう。

「本当に起きてるんだったら、今から言う質問に答えろ」

「…うにゅ」

「25+7は?」

「…さんじゅう…に…」

「今日は何月何日だ?」

「いちがつ…じゅうはちにち…」

「スリーサイズは?」

「上から80……ってわっ!」

 ばたんっ、とベットから落下した音がした。

「祐一、なんてこと聞くんだよっ!」

「どうやら本当に起きたみたいだな」

「うー」

 名雪の起床を確認すると俺は手早く階下に身を移した。


 彼女は、秋子さんが起こしてくれるだろう。







「あ…おはようございます」

 予想に反して、テーブルにはもう彼女がついていた。


「いつも…朝早いのか?」

「普段通り起きてしまって」

 はにかんで彼女が答えた。

「どうせだからと、準備を手伝ってもらったんですよ」


 その言葉を裏付ける様に、テーブルの上にはサラダや殻を向いたゆで卵などがきれいに並べられていた。

 何という良癖だ。

 5分後、でこを赤くした名雪が姿を現した。


「もうあんな起こし方はやめてね」

「彼女くらい早く起きたらな」

「うー」

「少しは俺の身になれよ…」

 名雪に、全く反省の色はないようだった。







§







「……」

 授業が自習になった。

 背後の北川の寝息を聞きながら、俺は今朝の夢を反芻していた。

 ここ2日の夢に出てきた、ラベンダー色の髪の女の子。

 今日夢に出てきた他の連中がランドセル姿だったから、子供の頃の夢なのだろう。

 彼女は、俺が家に連れてきたあの少女なのだろうか?

 夢の女の子と連れてきた少女を結ぶものは紫色の髪だ。

 だが、夢の中の女の子が2歳も3歳も大人びて見えるのに比べ、あの少女はひどく頼りなげで、儚げな印象を受ける。

 俺の中の引っ掛かりを取り除きたかったし、行くあてもないのに出すのは不安だった。もっと彼女と話したかった。







 ――それでは、どうも、有難うございました…



 ――じゃあね







 が、彼女は朝に感謝と別れの言葉を残して行った。

 学校のある俺には、気を付けてな、と言ってやるくらいが関の山だった。

「……」

 何かの予知か。

 それとも、俺の空想が生み出した幻か…

「祐一、課題終わった?」

 名雪の問いに、俺は過酷な現実に引き戻された。

「終わってるわけない」

 考え事に時間を費やしていたおかげで、俺のプリントは新雪の様に白かった。

(……少しは真面目にやらないとな。)

 視線をプリントに戻そうとした俺の視界の隅に、香里の姿があった。

(ここは香里に頼んで、挽回するか。)

 俺は身体をそっちへ向けた。

「………」

 香里は頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「……」

 非常に話し掛け辛い雰囲気だった。

 その視線の先にあるのは、雪に閉ざされた、人のいない中庭。

 その淋しい場所で、同じように幻に見えた少女と会ったのは、ほんの10日前のことだった。



























「さ、そろそろいきましょうね」

「うん、まま」





「おはようございます、秋子さん」 

「く~」

「あらあら、まだ眠そうですね」

「起こしてあげてちょうだい」

「な~おねえちゃん、あさだよ~」

 ぱちっ

「…ふあ」

「起きたようですね」

「あ…」





「おはよう、ことねちゃん」





















 ……。

「…ど、どこだここはっ!」

 目を覚ますと、部屋が和風に様変わりしていた。机も家財道具も一式どこかに消えている。

 とりあえず手元の時計で時間を確認する。

「……マジかよ…遅刻だっ」

 そして布団を跳ねのけたところで理解する。

 そうだ、オレは琴音ちゃんを捜しに来ているんだった。

 どっと疲れて、オレは再び寝床に倒れ込んだ。

 ……今の一人バカ、誰にも聞かれてませんように。

「ぷくくくく……」

 ドアの向こうから、部屋清掃のおばちゃんとおぼしき複数の笑い声がした。

 ダメだった。







§







 一通り通学者がいなくなったところで宿から出て、商店街へ。

 入りかけたところで、

「あ、ヒロくんっ」

 小学生か中学生か分からないのが、オレに突っ込んで来た。

 ・・・ずざぁっ。

 志半ばで空しくしかばねが地に伏す。

「うぐぅ…」

 とりあえずミトンの手をとり、立ちあがらせる。

「おはよ」

 昨日オレに突っ込んできた自称高校生、月宮あゆだった。

「うぐぅ、冷たいし痛いよ~」

 受け身というものを知らないのか、顔面から突っ込んでいた。鼻が真っ赤に染まって、涙目になっている。

「大丈夫か? 足元にも気をつけろよ」

「にも?」

「前方もだ」

「うぐぅ…」

 まぁ元の生活でも、とても高校生とは思えないヤツが多いから気になんねー、と言えばそうなんだけどな。

「早いんだなあゆ」

「そんなことないよ」

 でも、たやすく見つかってよかったぜ。会って早々に、オレは言うべきことがあった。

「なぁあゆ、琴音ちゃんのこと、あれから誰かに言ったか?」

「ううん、まだ誰にも言ってないよ」

「頼むから、他の人には言わないでくれ」

 昨日あゆと別れてから気付いた。

 すっかり失念していたが、探してるオレも三学期中なのだ。

 現役高校生が日中街をうろうろしあちこち嗅ぎまわったら、街の人間はさぞ不審がるに違いない。

 警察に通報され、尋問された上強制送還されたら目も当てられない。それだけは避けたかった。

 って、そーいや、

「お前、学校はいーのか?」

「ボクは私立だからまだ冬休みだよ」

 1月いっぱい冬休みの私立もあんのか。まぁ東京以南は8月いっぱい夏休みだしな、この辺ならそういう学校もあるんだろう。

 実にうらやましい。

 じゃねーって。

 それなら歩いてることに問題はないか…。

 ただどちらにしろ、街をあげての大騒ぎにしてしまったら、たとえ見つかっても琴音ちゃんの心を深く傷つけてしまうに違いない。

 琴音ちゃんの真意がわからない以上、それも避けたい。あくまで、あゆとオレの力だけで探そう。

「そっか。これからも琴音ちゃんの事は誰にも言わねーでくれよな。面倒起こしたくないから」

「うん」

「口止め料は当然払うけどな。何がいい?」

「たい焼きっ!」

 ――間髪いれず、かよ。

「鯛焼きか…」

 オレも甘党だけど、『あんこ』はちょっと苦手なんだよな。

 しかし言い出した以上後には引けない。しぶしぶ行きつけという屋台に着いていくことにする。







§







 ぽつんと一軒だけ立つ屋台で、要求のたい焼きを5つほど買う。

「お、きょうはまた買いにきたのか?」

 屋台の親父の一言に、オレはア然となった。

「またって、お前、朝メシにもたい焼き食ってるのか?」

「うんっ、すきだからね」

 ……ダメだこりゃ。てんぷらにソースのレミィに匹敵する悪食だぜ。

 やっぱり、あゆはおかしいヤツだ。確認。

「お待ちぃ」

 オレの考えには御構い無く、間もなく、焼き立てのたい焼きが紙袋に入れられ渡される。

「はい、お裾分け」

 受け取った袋の中から、こしあんが尻尾まで詰まったたいやきを、あゆが差し出してきた。

「もとはオレの金だぞ」

「気にしない気にしない」

「んじゃ、一個だけ」

 オレも白く湯気の立つそれを口に運ぶ。

 ……。

 ……う、うまいぞぉっ!

 凍てつく寒さの中、屋外で食べるたいやきの味は最高だった。

「やっぱりたい焼きは、焼きたてに限るねっ」

 あゆも心底うれしそうだった。

「もう一匹な」

 オレはまだ湯気の立ち昇る袋に手を突っ込み、もう一匹勝手に取り出した。

「うぐ? ふぁ、ふぁめだよっ(ダ、ダメだよっ!)」

「おいやめろ、あち、あんこが飛ぶっ、口を塞げっ!」

「ひゃひゃよっ!(やだよっ!)」

「…!」

「どうした?」

 急にあゆの攻撃がピタリと止まった。そして、

「あ、栞ちゃんこんにちは!」

 あゆがぶんぶんと手を振った。

 その方角、反対側の通りでは、ストールを羽織った女の子が控えめに手を振り返していた。

 幼げな顔立ちと雪のように白い肌色。

「……」

 否応無しに、琴音ちゃんを思い出させる女の子だった。

「よし、スキあり」

「……あぁ! ひ、ひどいよっ!」

 バカな言い争いと取り合いをしつつオレ達は屋台を離れた。









 

§











 お礼を言ってわたしは水瀬さんの家を離れました。でも、行く場所があったわけではありません。

 商店街をあてもなくぶらぶらと。

 なんだか、いつもよりからだが軽い気がします。この街の空気が澄んでるせいでしょうか。

 でも、いい気分にはなれません。

 ショーウインドに、自分の横顔が映りました。

 他の人には、今のわたしは悪い子に見えるんでしょうか。

 北風が強く吹きつけ、自分が飛ばされそうになります。

 …やっぱり、悪い子に見えるみたいです。

 日が高くなって人が増えてきたので、商店街を離れます。

 途中コンビニで買ったパンをかじって、さらに歩きます。

 人のいないほうへ、

 人のいないほうへと…











§











 北風の吹き抜ける中庭で、オレは今日も栞と対面していた。

「ちょっとだけ走ってきました」

「元気そうだな…」

 と言う俺も息が上がっている。

 結局時間内に課題は終わらず、結果、休み時間が全て犠牲になり、ようやく今終わって駆けつけたのだった。

「元気だけが取り柄ですから」

「病欠してる生徒の台詞じゃないな」

「冗談です」

 その言葉が終わるか終わらないかの間に、中庭雪原を思いきり風が駆け抜けた。

「わっ、飛ばされそうですー」

 栞がスカートとストールを両手で必死に押さえる。

「今なら無防備だから攻撃すれば倒せるかも知れないな」

「わっ、何ですか攻撃って!」

「試しに雪玉でもぶつけてみるか」

「わーっ、そんなコトしたら祐一さんのこと嫌いになりますよっ!」

 だが、この幻の少女こと栞も、話してみると第一印象とは違うおかしな奴だとわかった。

 彼女も、もっと話してみれば違う一面が見れたのかもしれない。

「今日はちょっと大変ですね…」

 風に持っていかれそうになるストールの裾を、懸命に押さえて栞は続けた。

 彼女はこの強風の中を一人歩いているのだろうか。

 何も知らない異郷の地を……。

「祐一さん、明日の約束覚えてますか?」

 はっと気がつくと、栞が俺に問いかけていた。

「明日…」

 咄嗟のことで頭が働かない。

「まさか忘れたりしてませんよね」

「覚えてるけど…でも、ヒント」

 適当な言葉を接いで時間稼ぎをする。

「何ですか、ヒントって」

「だったら、第2ヒント」

「…もしかして、覚えてないんですか?」

 そうじゃない。

「…えっと」

 だが、焦れば焦るほど、意地悪く記憶というのは蘇らないものだ。

「…覚えてないのなら、それで構わないです」

 栞からすっと笑みが消え、寂しげな色が浮かんだ。

 神は本当に意地が悪い。ようやっとそこで、記憶が戻った。

「変なこと言って、申し訳ありませんでした…」

 そのときにはもう栞はすっかり俺に幻滅している様子だった。

「…午後から遊びに行く約束だろ?」

「…祐一さん」

「…えっと」

 思いきり泥沼だった。

「…覚えていたんですか…?」

 いつもの笑顔は、今の栞にはなかった。

「悪かった…ちょっと、からかっただけなんだけど…」

「祐一さん…本当に嫌いになります」

「ごめん…悪気はなかったんだ…」

 とにかく、俺は謝るしかなかった。

「私、ずっと楽しみにしてたんです…明日のこと…」

 真剣な眼差しで、俺を見据える。

「ひどいです」

「…ごめん」

 栞が俺との約束をどれだけ大切に考えていたか、何も分かってなかった。

「…でも、いいです…私もわがまま多いですから、これでおあいこです」

「ごめんな、本当に」

 栞の真剣な表情を見ていると、本当に軽率だったと思う。

「それに祐一さん、ちょっと間違ってます。午後からデートする、です」

 ようやっといつもの笑顔を戻して、楽しげな足取りで栞は去っていった。

 ……。

 はぁ、もう彼女のことを考えるのはやめよう。もう彼女は去ったんだ。









 

§











 人を避け、人目を避けるうちに、わたしは見なれない住宅街に立っていました。

 見慣れない?

 なのにわたしは、迷ったという心細さを少しも感じませんでした。

 屋根に残る白い塊。

 庭の木々はそれを乗せて重そうにたわんで、

 真っ直ぐな道に沿って、家が整然と並んで。

「あの夢…」

 夢と全く同じ光景ではないけれど、何か、知っているような、戻ってきたような感覚。

 はっきりとは思い出せないけれど、今自分が立っている場所に幼いころの自分も立っていたような、そんな感慨にとらわれます。

 試しにそっと膝をかがめて、背丈を子供のころまで戻してみます。

 胸が埋まるような感覚がして、通りが、見なれた光景に変わりました。

 …歩ける。

 なぜ?

 こんな狭い路地も。

 こんな近道も。

 わたしは、知っている。

 時折見せる記憶にない道もあるけれど、わたしの足はとどまることを知りませんでした。

 歩いて、歩いて、歩いて。







§







 かなり早い時間に日が沈むのは、北の街だからでしょう。

 気付くと、辺りは早くもオレンジ色に染まっていました。

 焦げたような赤い光の中、辺りを見回し、ようやくわたしは見慣れない場所にいるんだと思い出しました。

 戻らなきゃ。…でも、どこへ?

 ふとその時、あの家に大事な生徒手帳が起きっぱなしだということに気付きました。



























 ――いえ、クラスメートです



 ――美坂さん…1学期の始業式に一度来ただけなんです…



 ――その後、美坂さんがどうして学校にこないのか…先生も教えてくれませんでした…









 栞とのデートの約束、校舎に戻ったとき出会った、見知らぬ一年生が残した言葉。

 そして、

「今ごろ、どうしているんだか…」

 彼女の心配で脳を過剰回転させながら俺は家路に付いていた。

 この街を離れただろうか。

 まだ、彷徨(さまよ)ってるのか。

 おとついみたいな事態はないとは思うが…。

(やっぱり、気になっているんだな、あの子が。)

 考えている間も脚は進む。長い今日の行程ももうすぐ終わりだ。あと少しで水瀬家の玄関が見えるはず……。

「?」

 家の前に、見なれない人影があるのを発見した。

「あ…」

 微かな声をあげて人影が反応した。

 なんとそれは、今朝出ていった家出少女、姫川琴音嬢だった。

 おそらく用があるのだが、いったん別れた赤の他人の家には声をかけづらく、家の前で逡巡していたに違いない。

 訳もなく、嬉しくなった。

「遠慮するなって、入ろうぜ」

 多少強引に、俺は彼女を招き入れた。







§







「すみません…」

 昨日にも増して、彼女は申し訳なさそうに頭を下げていた。

 まあ一般的な人間なら当然の反応ではあるが。

「大丈夫だ、秋子さんも名雪も、そういうこと気にする人じゃないから」

「食事は、ひとりでも多いほうが楽しいですから」

「ほら」

「で、この家を出て、どこに行こうとしたの?」

「………」

 予想はしていたが、彼女は沈黙した。

 昨日自分で行ってたように、もともと行くあてなどないのだ。おそらく今日一日、当ても無くこの街彷徨っていたに違いない。

「また風邪引いちまうぞ」

「それより、今日泊まる所は見つかったのですか?」

 はっと声を上げて、わたしは顔を伏せました。恥ずかしさで、顔に一気に血が上ったのがわかります。

 これじゃまるでわざと忘れ物をして、こうなるのを狙ってたみたいじゃないですか。

「その様子じゃ、駄目だったんだな」

「じゃあ今日も泊まっていけばいいよ」

 名雪さんが、予想していたように提案しました。

「今日もと言わず、連絡がつくまでいたらいいんじゃないか?」

 相沢さんが、さらに過激なことを言い出しました。

「構いませんよね、秋子さん」

「了承」

「ここに泊まれば宿泊費が浮くぞ」

 いけないこと。迷惑になってしまう。

「気兼ねしなくていい、俺も居候の身だ」

 でも、わたしは、

「………はい…」

 三人の優しい言葉に、最後まで、断りの言葉を言い出すことが出来ませんでした……。



























 今日の収穫は、ゼロだった。

 わかったのはこの街一つでも相当な広さで、一人の人間を見つけるのは相当骨が折れるということだ。

「いっそどえらい占い師あたりが、こうぱーっと見つけてくんねーかな……」

 アホか、オレ。

 さて、明日も真面目にも頑張るとしますか。



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2020年08月03日

雪の夢 ~第2話~ 1月17日(日曜日)


 ………。

 ……。

「…朝だな」

 陽光の差し込む室内を眺めながら思わず呟いてしまう。

「何事もなく朝を迎えた…」

 いつも真琴に悩まされていたため、平和裡に朝の光を浴びれることが信じられなかった。

 あいつも人としての常識はあるらしい。

 不意の来訪者が来ているときに騒ぎを起こしたら、どんな先入観を持たれるか。

 着替えて廊下に出る。

 そこでふと、あの少女の状態が気になった。

 結局少女は夕食にも夜中にも目覚めることはなかった。

「……」

 『なゆきの部屋』のプレートが下がった扉からは、物音一つしない。

 この時間なら、名雪はまだ寝ているだろう。もっとも彼女の方は分からないが…。

 ……。

 たとえ起きたとしても、まずびっくりして、出て行きづらいだろう。

 俺は黙って素通りすることにした。







 洗面台で顔を洗い食卓へ。

 いつもと同じペースで朝食を取り…

「うぐぅ…祐一君、いじわる…」

 金曜に引き続き、何故か食卓についていたあゆに突っ込まれる。

 秋子さん曰く、

「また、わたしが誘ったんですよ」

「食事はひとりでも多いほうが楽しいですから」

 らしい。

 だが、見知らぬ他人を朝っぱらから食卓に招いてしまう秋子さんの度量は、ただ人のそれではないと思う。

「ねぇ、祐一君今日はなにか予定ある?」

 あゆが聞いてきた。

 正直に予定がないと答えると、

「一緒に遊ぼうと思ったんだけど」

 遊びに誘ってきた。

 考えてみれば、あゆとは出会うということはあっても遊ぶということはなかった。

「日曜日だもん、遊ばないと」

「俺は構わないけど……」

 いったん承諾しかけたが、すぐまたそれを飲み込む。

「やっぱやめとく」

 あやうく2階に寝ている少女を忘れるところだった。

 あゆにはすまないと思ったが、彼女が目を覚ましたとき、拾ってきた俺は居る義務がある。

「そっか、都合が悪いんなら仕方ないね」

 理由も聞かずにあゆは納得していた。

「ボクもまだ探し物が見つかってないから、今日もそっちを頑張るよ、ばいばい、祐一君」

 それだけ言うとあゆはあわただしく席を立っていってしまった。

(……何しに来たんだ、あいつは。)

 入れ代わりに名雪が入ってくる。

「名雪、あの子、様子どうだ?」

「だ? ……だおー」

 名雪は、まだ完全に寝ぼけていた。

「……とりあえず俺は部屋に戻ってますんで」

 ここにいても仕方ないので、俺も食卓を後にする。

「ええ」

 応えた秋子さんの目には何故か咎めるような光が浮かんでいたが、それを問いただす気にはなれなかった。

 

 

§


 

 

「祐一~、お昼だよ~」

 読書(雑誌)に没頭し、気がつくと時間は昼になっていた。

 下り際に真琴の部屋のドアをノックする。

「おい、いつまで寝てるんだ?」

 一応ノックし、ドアを開けてみる。

「……」

 中はもぬけの殻だった

「……秋子さん、真琴見ました?」

「いいえ?」

 その答えを聞いて俺は確信した。

 記憶が戻ったのだ、あいつは。そして、夜中こっそりと出ていったに違いない。

 朝だったら、早起きする秋子さんが間違いなく気づくはずだ。

 出て行くなら礼の一つくらい言っていって欲しかったが、アレだけ問題を起こした手前、照れくさかったんだろう。

 まぁ、これで迷惑をかけるものはいなくなったわけだ。



 バタン!



 しかしその時、二階でドアの閉まる音がした。

「真琴?」

「違う、名雪」

 答えは俺の思った通りだった。

 間もなく不安げな顔で、紫色の髪の少女がリビングに姿を現した。





 名雪が後で着替えさせたのだろう。彼女はパジャマ姿だった。

「おはよう、姫川さん」

 とりあえず挨拶する。

 いきなり名前を呼ばれたせいだろうか、少女はびくりと肩を震わせた。

「心配しなくていい。とって食ったりはしない」

「……祐一、ひどい」

「あ、あの…」

 ジョークのつもりだったが、かえって彼女の不安を増大させてしまった様だ。

「あぁ、名前か? 悪いとは思ったけど、勝手に調べさせてもらったから」

「そうですか…」

 うつむき加減に少女は応えた。無理もない。

「倒れて、気づいたら知らない家の中じゃ、びっくりするよな」

「やはりわたし、倒れたんですか…」

「すごかったんだぜ、突然商店街のウインドーが粉々に砕けて、そしたら急にあんたが倒れて」

 俺は彼女が意識を失った時の様子を話して聞かせた。

 すると、

「…わたし、また…っ」

 途端に彼女は激しく涙を溢れさせ、パジャマ姿のまま外に飛び出そうとし始めた。

「ちょっと待って、そんな格好でどこに出ていくの?」

 慌てて名雪が肩を掴んだが、あまりの取り乱し方に、言い出した俺の方が固まってしまった。

「わたしのせいなんです、わたしのっ…謝らないとっ!!」

「祐一、泣かせた」

 名雪が非難の視線を向けてくる。

「お、俺は何もしてないぞ、今度こそ!」

 何が彼女のせいかは分からなかったが、その言葉には納得させられる響きがあった。

 彼女が苦しみ出して耳鳴りが始まり、絶叫したらガラスが割れた。何らかの因果関係を疑ってもおかしくない。

 けど。

「まずご飯を食べて少し落ちつきなさい。あなた、昨日から何もお腹に入っていないのよ?」

「ん、ぁあ……」

「謝りに行くのはそれからでもいいでしょう?」

 全く、秋子さんの言うとおりだった。

 

 

 

 

 

§



  

 

 

 

「そういえばこっちはまだ自己紹介してなかったな。俺は相沢祐一。この家の居候だ」

「あちらが水瀬秋子さん、この水瀬家の家主だ」

「で、こいつが秋子さんの娘さんの名雪。俺と幼なじみのいとこだ」

 わたしがテーブルについたところで相沢さんは家の人間の紹介をはじめました。

 さっき取り乱してしまった恥ずかしさで、わたしは身を硬くしていました。

 なんとか落ちつこうとしたけれど、名雪さんの紹介をされたとき、自分でもわかるくらい強く反応してしまいました。

「…姫川、琴音です」

 わたしも自己紹介をします。とはいっても、向こうはすでに知っていることですけど。

「姫川さん、お歳は?」

「高校、1年です」

「ということは俺らの一つ下か」

「どこの高校?」

 名雪さんがわたしに聞きました。

 遠い地で、見ず知らずのわたしを助けてくれた方々に、黙っていることはできません。

 わたしは答えました。同時に持ってきた生徒手帳をテーブルに置きます。

 とたんに、相沢さんがいぶかしそうな目をしました。

「内地の学校ですから」

 慌ててフォローしましたが、その視線はわたしに向けられたものではありませんでした。

 すぐに、ぺしっという音がして、名雪さんが頭を抑えました。

「痛いよ祐一…」

「真面目に持ち物調べたのか、お前は」

「文句があるなら祐一が自分でやってよ…」

「できるかぁっ!」

 ふと、その姿が嫌な光景に重なりました。 

 あぁ、顔が、目の前の光景を嫌がって歪んでる…

 けれど運良く、わたしの表情の変化に気づいた人はいませんでした

「――って、関東近郊の学校じゃないか。なんでまた今ごろこんなところへ?」

 物思いから還ると、相沢さんがわたしに尋ねていました。

 真っ先に浮かぶ疑問でしょう。関東の学校が北国より冬休みが長いなんて、普通ありえないことですから。

「……」

 わたしは答えませんでした。答えられませんでした。

「家出か?」

 いいえ。違うんです。

「祐一さん」

 でも、ある意味そうかもしれませんね…

「どなたか知り合いの方でもいらっしゃるんですか、幼なじみとか」

「いいえ、そうじゃないんです…」

 また…。

 たった一つの単語なのに。

 自分の嫉妬深さが、こわくなりました。

「訳あり、みたいだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間もなく、3人前のラーメンが運ばれてきた。

「なると、なると」

「じっと見てると、吸い込まれるぞ」

 なるとを回して遊ぶ名雪と戯れながらも、彼女からは目を離さない。

「……」

 彼女のラーメンは、置かれてからほとんど減っていなかった。

「多すぎましたか?」

「いえ…」

「おかあさん、熱あるみたい」

 自分と彼女の額に手を当て名雪が言う。

「疲れているのね。…どこか行く当てはあるんですか?」

「いいえ…」

「その体調で出歩くのは無理ね。今日1日、うちでゆっくり休んでください」

 優しい声で秋子さんが提案した。

「すみません…」

「いいのよ、気にしなくて」

 さっきまであれほど焦っていた彼女も、安心したのか素直に申し出を受けた。

 この辺が、年季とか歳の功とかと云うのだろうか…

 

 

 

 



§



 

 

 

 

 昼過ぎにオレは街の駅に到着した。

 すぐさま駅員に紫色の髪の少女が通らなかったかどうか確かめる。

「この街の人間はみんな紫色の髪なのか!」

 なんてアホなことも考えていたが、幸いなことにここでも琴音ちゃんの紫色は珍しく、昨日見かけたという情報を入手した。

「彼女家出して……オレは兄なんです」

 あぁ、はズかし。

 もうベッタベタの言いわけを使い、オレはなんとか駅員に、琴音ちゃんを見かけたら駅に止めてくれるよう約束を取りつけた。

 見た感じ、この街から電車を使う以外に遠くに行く方法はなさそうだ。

 琴音ちゃんが車やバイクをかっぱらって街を出るとは考えづらいから、駅を押さえてしまえばこっちのものだ。捜索範囲をこの街のみに限定することができる。

 他人の車に乗せられていくという可能性はあえて考えないことにした。そこまで自暴自棄になっていないことを祈りたい。

 ついでにこの街で一番安い宿泊施設も教えてもらう。

 ……そこ、笑うな。生活の知恵だ。手持ちの実弾が尽きたら、そこでオレの捜索はアウトなのだ。

「宿に行く前にひと探しすっか」

 オレは地図を入手しに、商店街に足を向けた。









 商店街はかなり賑わっていた。

 温かみのある路材の色と固まって残る雪とが、異郷へ来たことをしみじみと感じさせる。

 ざっと商店街の案内板を見たが、さすが北の街。商店街も規模がでけーぜ。

「探してる内にすれ違ってもおかしくねーぞ、これじゃ…」

 まず、どっから手をつけるかな…。

 立ち止まって考え込んだ矢先、

「祐一君っ!」

 どかっ。

 ごき。

「うおおおわぁぁっ?!」

 背後から突然攻撃を食らい、オレは景気よく雪の上に倒れた。





「あ、あれ?」

 跳びかかってきた奴が、不思議そうな声をあげる。

 ややあって、

「うぐぅ…間違えた…」

 オレの上に乗っかったまま、呑気なセリフをそいつは続けた。

「うぐぅ、体中雪だらけ…」

 どうでもいいけど、いい加減どけよ。

 濁った雪に擦られ、押し付けられている顔が冷たさでひりひりしてきた。

「いつまでのっかってるんだ?」

「………あっ!」

 およそ3秒の間ののち、マルチばりの動きでそいつは飛びのいた。





「ごめんなさいっ、後ろ姿が似てたから……」

 犯人はダッフルコートを着てブーツを履き、赤いカチューシャをつけた羽付きの奇妙な生き物だった。

「てっきり祐一君がボクを手伝いに来てくれたかと思って…」

 訂正。

 よく観察すると、背中に生えている羽はリュックについてるだけだ。

 …見た感じ、琴音ちゃんよりも年下、だな。

「要は知り合いに似てたんだな、オレが」

「うん…」

「ま、いいぜ。これからはちゃんと確認してとびつけよ」

 変な音を立てた首が心配だが、相手が相手だけに怒ってみても仕方ない。ここは寛大に接しておこう。

 もっとも、相手が本命だったとしてもさぞ迷惑だろーな。

 同情するぞ、祐一。

「うぐぅ」

「変な返事だな」

「うぐぅ…ほっといて」

「うぐぅ」

「まねしないで~」

 やはり外見通りあまり年はいっていないようだ。とりあえず、面白い。

「しっかしいつもこんな挨拶してんのかお前は…」

「たまたまだよっ」

 恨むぞ、祐一。

「ということは、この街のあいさつじゃないんだな」

「当たり前だよっ」

「よかった…」

「うぐぅ、祐一君と同じでいじわる…」

 事情はともかく、これはラッキーだ。向こうから突っ込んできてくれたおかげで、話しかける手間が省けたぜ。

「なぁおまえ、最近紫色の髪をした女の子、見なかったか?」

 オレは聞いてみた。

「う~ん、そんな子、見ないよ」

「そうか…」

「探してるの?」

「あぁ」

 ヤバい。

 話の流れからこの次に続くのは、『オレと琴音ちゃんの関係』だろう。

 さっきみたいな嘘じゃ、この子の雰囲気的にまともに信じこんじまいそうだ。もし見つけたときに、話がややこしくなる。

 なにかいいウソを…考えろ、考えるんだオレ。

 ところが、

「そっか。最近ボクもこの商店街で探し物をしてるんだ、見つけたら教えるよっ」

 オレにとって非常にありがたい答えが返ってきた。

「いや、オレもお前の探し物に協力するから、一緒に探してくれ」

 嬉しさのあまり、オレの方から協力を申し出た。

 闇雲に探し回るより、土地勘のある人間がいたほうが断然有利なはずだ。

 偶然とはいえ、せっかくの機会を利用しない手はない。

「うん、いいよっ」

 よしっ。のっけからついてるなオレ。







「それならお互い名前を知らないと不便だよね。ボクはあゆ。月宮あゆだよ」

「オレは藤田浩之だ、よろしくなあゆ」

「ねぇ、探してる女の子って、どんな子なのかな」

 さっそくあゆが聞いてきた。

「あぁ、名前は姫川琴音、オレの一つ下で高校一年、身長は…」

「ふぅん、ボクの一つ下なんだ」

 オレの耳が、ただならぬ情報をキャッチした。

「はあぁぁぁ!? 嘘だろ、お前、高校2年か!?」

 オレの目にはどう高く見積もっても中学生、正直なところ小学せ…

「そうだよっ」

「嘘つくな!」

「嘘じゃないよっ!」

「いいや、その外見からして絶対絶対絶対に…」

「絶対に、何なのかな?」

 あゆは、笑っていた。

 だが眼と声は、不機嫌な時のいいんちょとタメを張れるくらい、冷たい。

「いや、なんでもない」

 怖い。続きを話すのはやめよう。

「じゃあ、早速探すか」

「うんっ、よろしくねヒロくんっ」

 ヒロくん…

 まだ大いに疑いは残るが、さっきの形相からすると本当っぽいので無理矢理信じておこう、うん。

 しかし、初めて呼ばれたが『ヒロくん』ねぇ。

 なかなかいいかもしんねーな。あかりの『浩之ちゃん』に比べれば大分マシだ。

「はやくいこっ」

 さっそくオレたちは捜索を開始した。

 だが、歩き出して早々、オレは凄まじいものを目にすることになった。

 ガス爆発でもあったように、ショーウインドーが粉々に壊れた店舗たち。

 間違いない。これは琴音ちゃんの仕業だ。

 琴音ちゃん、まさか『チカラ』が制御できなくなってるのか?

 予想以上にやべえぞ。早く見つけないと大変なことになる……。

 

 

 

 





§





 

 

 

 

 辺りの日の光が消え去り、夕食の時間になって、彼女は再び姿を見せた。

「気分はどう?」

 下りてきた彼女に、名雪が真っ先に声をかける。

「…はい、おかげさまで、すっかりよくなりました。ご迷惑をおかけしました」

「…そろそろ聞かせてくれるか、この街に来た理由」

 山のように聞きたい事はあったが、無難そうなところから俺は切り出した。





 ……。

「夢、か…」

 彼女の話によると、理由はやはり家出。この街を選んだ理由は、数日前に夢で出てきたということだけらしい。

 もっとも、真琴という前例があるだけに、本当であるかは未知数だ。

「おかしいですよね、そんなことで出てきてしまうんですから」

 信憑性は段違いだが。

「全然知らないのこの街? 昔いたとか」

「いえ、全く記憶にはありません…」

「とりあえず両親に連絡した方がいいんじゃないですか」

 秋子さんに視線を移し、促してみる。

 しかし秋子さんはかぶりを振った。

「たぶん、繋がらないと思います。二人とも仕事が忙しいから……」

 はっきりしたことは言えない。が、今の声の調子では、彼女は両親にあまりいい感情を持ってなさそうだった。

「昼間、『わたしのせい』とおっしゃってましたね、あれはどういうことなのですか?」

 珍しく秋子さんが質問した。

 聞いてる内容は非常にきついのだが、例によってその言葉尻には人を安心させる響きがある。

 ややためらったあと、彼女が重い口を開いた。

「……わたしの、『チカラ』のせいなんです」

「『チカラ』?」

「一般に超能力と呼ばれているのと、同じものです」

 あまりにも唐突過ぎて俺は言葉を失った。

 非科学的なことは好きだし、あったらいいとも思う。が、あくまで空想上での話。実在などするわけがない。

 嘘をつくにしたって、もっとマシなのをつけばいいものを。

「超能力なんて……」

 俺の気持ちを代弁し名雪が失言した。

 その答えを予想していたのか、彼女は悲しそうに目を伏せた。

「皆さん、言っても信じないんですよね、目には、見えませんから……」

 その言葉が終わったとたん、また耳鳴り――昨日のよりはずっと弱い――が始まった。

 彼女は両こぶしを握り締め、少し眉間をよせている。

 瞬転。

 テーブルの上の皿が2枚、宙に浮いた。

「……!」

 30センチは上がっただろうか。次に2枚の皿は、空中で回転を始めた。

 浮かされたような心地で皿の下に手を入れてみるが、そこにはなんの手応えも無い。

 やがて空中で静止すると、皿は音も立てずにゆっくりと元の位置に降りたった。







「――これが、『チカラ』です」

 彼女の言葉で、俺はようやく我に還った。

「……」

 ほんの数十秒前まで、俺は超常現象の存在を一切信じていなかった。

 だがこれだけ明確な証拠を突きつけられて、疑う余地がどこにあろう。

 間違いなく、超能力は実在する。そして彼女は、それを行使できるのだ。

 なんて、ことだ。

「あらあら」

「ふしぎ~」

 しかし、この二人にかかればそんな大事件もその程度で済まされるらしい。

「いつもは制御できていたんですけど、あの時、疲れていたせいで、だから…」

 つまり、あの惨事は、この力の暴走が原因だと言いたいらしい。

 そこで言葉が嗚咽に変わった。

「…わたし、また…っ」

「疲れてたから、上手く行かなかったんですよ」

「はい…」

「誰だって、失敗の一つや二つあるよ」

「一晩たてばよくなりますよ」

 秋子さんがすかさず言葉をかける。

 どうやらいつもの様に、彼女を泊める気らしい。

「あ……」

「その体調で今から宿を探すのは無理よ」

 彼女の口から出てきそうだったものを、秋子さんは先回りしてとどめた。

「……すみません」

「ぜんぜんおっけーだよ」

 名雪の言葉で、その場はお開きとなった。

 

 



§







「超能力ってほんとにあるんだね」

 寝る間際、名雪が話しかけてきた。

「あぁ、俺も心底驚いた」

「私もほしいなぁ。祐一が嘘ついたら、タライを頭にぶつけてね」

 楽しそうに話し続ける名雪を、俺はいつになく厳しく睨みつけた。

 名雪も秋子さんも、あの瞬間を目撃していないからこんなに気楽なんだ。

 あれが身体が光る程度だったら、俺も軽口の一つも叩いたかもしれない。

 だがあの力は、一歩間違えれば人の命さえ奪いかねない、危険な代物だ。

 羨ましいなんてとんでもない。あんなのを持って生きるのは、いつ炸裂するかわからない爆弾と共に過ごすようなものだ。

 ……。

 ――それは俺以外の他人も同じように思う……。





 彼女が飛び出してきた理由には、どうもあの超能力が関係しているようだ。

 たとえ、今まであそこまで大きな破壊や傷害がなかったとしても、だ。

 何の縁か、俺達は彼女に関わりを持った。

 本当に行く当てがないのなら、真琴のように当てが見つかるまで家におくことになるだろう。

 その時俺達は彼女をケアしなければならないし、間違っても追い詰めてはならない。

 冷え切ったベッドに入る。

 眠りに落ちようとする俺の中で、ずっと何かが引っかかっていた。

(あの子、どうしてこの街へ来たんだ…)

 そんな言葉では、とても表せないようなものが……

 

 

 

 

 結局、真琴は戻ってこなかった。

 

 

 
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Schnee Traum ~第1話~ 1月16日(土曜日)




 き~んこ~んか~んこ~ん。

 …よーやっと1時間目終了か。あと2時間で、うれしい休日がオレを待ってるぜ。

 休み明けテストもぎりぎりでクリアしたしな。

 もう少しすれば学年末テストがやってくるから、遊んでられるのは今のうちだけだ。

 来年の今ごろ、オレはどーしてんだろうな。

 先輩の予言通りなら、俺は大学まで進むらしいからセンター真っ最中か。いや、先輩みたいに私大推薦ってのもいいかも。

 ……オレの柄じゃねーな。

 まだ300日以上先の話を考えたって仕方ない。やめやめ、寝よ。

「大変大変! ちょっとヒロいる?」

 眠りの世界に向かったオレを連れ戻しに、やかましい悪党がやってきた。

「ヒロッ! ちょっときなさい!」

 たっく、うるせえなぁ。

「オレの眠りを邪魔すんな。歩く東スポは冬はネタ切れなんだろ、無理すんじゃねーよ」

「お、長岡、今日はどんなネタを仕入れてきたんだ?」

 声を聞きつけ、あっという間にガセネタの購読者が志保に群がり出す。もはや教祖だ。

「ちょっと今日は悪いけどおやすみ、ヒロ、ちょっとこっちへきなさいっ!」

 ずかずかとオレのところまで来るなり、志保はオレを廊下に引きずり出した。なんだってんだ全く。









 冬の廊下は、教室とはうってかわって極寒地獄だ。じっとしてると骨まで凍る。

「こんなとこに呼び出して、なんの用だ?」

「し~っ……あんた、姫川琴音ちゃん、家にかくまってない?」

「は?」

 開口一番、なんてことを言い出しやがるんだこいつは。

「いいかげん見境なく手を出す癖はやめなさい。それも年下に」

「ちょっと待て、ガセネタにもほどがあるぞ。いーかげんにしろってんだ!」

 確認に来たのがせめて不幸中の幸いというやつだ。

 ……待て?

 なんで、確認に来たんだ?

 いつもならばら撒いてから確認、いやこいつに限ってはそんなこと絶対にしやしない。

「ほんとのほんとに、知らないのね」

「ああ。どうした、琴音ちゃんに何があったんだ?」

「彼女、失踪したのよ」

「なにいっ!?」

 ま、マジか!?

 あの超能力の一件が終わったあと、だいぶ琴音ちゃんとは関係が薄くなったけど……一体何があったんだ!?

「3日前から、無断欠席してるらしいの。今日もいなかったわ」

「なんだそーいうことかよ、風邪だろ、カゼ」

 ビビらせやがって。

 ――内心、かなり胸をなでおろしたけどな。

 たっくコイツにかかると、どんな話も3倍になって出力されるからタチが悪い。

「驚かせんなよ、またあの時みたいなことになったかと…」

 だが、志保の目つきは和らぐところか、厳しさを増していた。

「あのおとなしそうな優等生タイプの姫川さんが、何の連絡もなしに病欠すると思う?」

 ――確かに、琴音ちゃんが無断欠席するなんてちょっと考えにくいな。

 友達、もしくはオレに何か告げてるんじゃないかとこいつが考えてもおかしくない。

「しかも親も何も言ってないのよ、どゆこと」

「……おい、今なんつった」

「だ~からっ、風邪で休むなら風邪、お葬式ならお葬式って本人か親が連絡するでしょ。なのに今日まで担任はおろか学校にも電話一本入ってないらしいのよ。完全な無断欠席」

「……!」

 ようやっと、オレにも事態の深刻さが飲み込めてきた。

「病欠でも忌引でもないんだったら、んじゃなんなわけ? 例の超能力もおさまって友達も出来て、前みたいな無断欠席する理由なんてないじゃない。そしたら最後はアンタをあたりたくなるのは当然でしょ?」

「琴音ちゃんの両親は共働きだ。おまけに帰ってこない日も多いって言ってた。知らない可能性が高い」

「……マジ?」

「琴音ちゃんが一週間欠席してたときも、全く事情はつかんでなかった…」

 志保が、ゴクリと息を呑む。

「……わりぃ、今日は早退だ。探しに行く」

「待ってヒロ。あたしも協力するわ」

 軽くうなずくと、オレは教室へ鞄を取りに走った。







 真っ先にオレは、あのときと同じように公園を探した。

 商店街、駅、オレ達は考えうる場所を探し回った。

 放課後になって出てきた雅史、あかりも加わって日暮れまで探し回った。

 だが、琴音ちゃんの姿はどこにもなかった…。







§







「何か連絡が来たら即知らせる…今日は解散だ」

 3人が疲れきった顔でうなずき、無言でめいめいの家へ向かっていった。

 オレも暮れ行く陽の中を帰る。

 …どうしたんだよ、琴音ちゃん。

 もう、超能力(ちから)は克服したんだろ?

 友達だって出来たんだよな?

 もう大丈夫じゃ、なかったのかよ?

「どうして、一言オレに相談してくれなかったんだよ……」

 そうこう考えてるうちに家に帰りついた。

 惰性で郵便受けを開ける。



 どさどさどさ…



 1日ぶりに開けた箱からは、ダイレクトメールの山が吐き出された。

「…?」

 雪に散らばったチラシの中に、白い封筒がはいってるのを見つけた。慌てて拾い上げる。

 差出人は書いていない。しかし裏の封を見た瞬間、オレにはわかった。

「イルカのシール……琴音ちゃん!」

 オレはかじかんだ手で、しくじりながらその場で封を切った。





















 少しの間、北に行こうと思います。心配しないで下さい。

 きっとまた、戻ってきますから。






















 手紙の文はたったそれだけだった。

「……ということだ、志保、オレは琴音ちゃんを追っかける」

 約束通り、オレはまず志保に電話をいれた。

「ちょっと待ちなさいヒロ! あんたそれしか手がかり無いのに、当ても無く探し回ろうってわけ?」

 その言葉も一理ある。修学旅行のときにもあの広さは実感した。ましてや今度は全範囲だ。だが、

「無謀なのはわかってる。だけどじっとしてろってのか? 琴音ちゃんは暗にオレに追ってきてもらうことを願って…」

「わかってるわよ! でもものには段取りってもんがあんのよ。あんたまず琴音ちゃんの両親には連絡したの?」

「う……」

「もしかしたら行きそうなところをピックアップしてくれるかもしんないし、それを匂わせるような言動をしたかもしれないでしょ。も少し落ちついて考えなさいよ。…分かった? 連絡して何か仕入れたらまた電話して」











「おとといの朝、そういえばあの街の話をしてました…」

 オレは琴音ちゃんの家に急ぎ事情を説明した。

 両親があまりにも冷静だったことに、オレは苛立ちすら覚えた。

 遠くには行ってないだろうと思っているのか。

 それとも、怪現象を起こす疫病神を厄介払が出来たとでも思っているのだろうか?

 家族の話をしたときに見せた琴音ちゃんの作り笑顔が、ちらついて離れない。

 それでも手紙を見せると、琴音ちゃんの母さんはうろたえて、そんなことを呟いた。

「あの街?」

「この街に来る前、ある時期だけ函館以外の町にもいたんです。あの子は小さかったから、覚えていないと思っていたんですが…」

「どこなんです、教えてくださいっ!」





§







「……らしい、志保、ありがとな」

 帰ってからオレはもう一度志保に電話をかけた。今日だけは、素直に礼が口から出て来る。

「で、どうするの?」

「決まってる」

 琴音ちゃんの母さんは、オレに、ある北の街の名前を教えてくれた。

 生まれてから一度も聞いたことが無い場所。それほど大きな町ではないらしい。

 けれど聞いた瞬間、オレには、何か不思議な確信が生まれていた。

「今日中にここを発ってその街に行く」

 琴音ちゃんは、きっとその街に向かった。そして絶対そこにいる。

 間違いなくそうだと思った。

「一人で行く気? あたしも付れてってくれない?」

「ダメだ、頼むからここに残っといてくれ」

 オレは即座に断った。

 邪険にしたわけじゃない。むしろ今の状態なら志保ほど頼れる奴はいねーだろう。

 だけど、

「いざというとき、お前にはここでいろいろと調べてもらうかも知れないから。それに…」

「ぁ……分かったわ」

 何か反論しようとしたのを飲み込むのが聞こえる。

 そう、旅の障害を除くため、こいつにしかできないことがある。

「あかりはあたしが押さえておくわ。行ってらっしゃいヒロ」

「あぁ」

「必ず琴音ちゃんを見つけ出して、そして必ず戻ってくるのよ」

「何だよ、その戦場に人を送り出すようなセリフは。相変わらず大げさ過ぎなんだよおめーは」

 ようやっと志保らしい台詞が聞けたぜ。あんまり真面目モードが続くと、こっちの調子が狂っちまうからな。

「カンよ、カン。あんたは信じないでしょうけど、このヤマなんか嫌な予感がするのよ。さっきからしきりにやばそうだって訴えてる」

「……」

 いつもなら突っ込み返してやる場面だが、今日だけは志保に頭があがりそうもない。

「じゃぁ、な」

 オレは静かに受話器を置いた。

 最小限の荷物をトランクにつみこみ、考えうる限りの防寒をし、ためていたへそくりを全部引っつかんで、オレは空港へ足を向けた。

 時計は午後5時を指していた。

 一刻も早く、その街に行かなきゃな…。













§















「ばいばい、祐一さん」

 そう言って、少し恥ずかしそうに手を振った栞を見送り、歩き出した。

 ただ商店街を歩いただけだったのに、栞は終始楽しそうだった。

 それにしても……

「あのもぐらたたきには笑わせてもらったな」

 もはや芸術の域に達してると思う。

 次行くときは上手くなっていると言っていたが…

(――絶対ないな)

 思い出していると口元から緩んでくるので、意識的に顔を引き締め家路を急ぐことにする。



























 寒いです。

 歩きなれない冬の街をさまよってしまったせいで、身体がふらふらします。

 そういえば、今日どこに泊まろうか、全く考えていませんでした。

 一人でいると、本当に自分が子供なんだと実感します。

 けど、こんな子供にも、不幸は容赦してくれませんでした…。



























「ぐっ!?」

 突如、頭が鉛の様に重くなった。激しい耳鳴りがする。

 風邪や何かじゃない。頭の中から突き上げてくるような、体験したことのない異質な感覚だった。

 立っているのも辛くなり、膝をつく。

 その場にうずくまりつつ、周りに助けを求める視線を送る。

 ところが。

 症状は周囲の人間全てに現れているようだった。みな同じように頭を抱えて座り込んでいる。

 夕暮れ迫る街。

 賑わう商店街。

 平和に暮れようとする一日の最後に、原因不明の病気が人々を襲っていた。

「………やめて…て……もう…」

 そんな中、俺の耳がかすれた懇願の声を拾った。目で必死にその声の出所を追う。







「おねがい…こんなところで…」

 頭を押さえ、何かを押さえつける様に、一人の少女が雪の上にしゃがみこんでいた。

「おい、大丈夫か!」

 頭痛を抑え駆け寄る。

 他の人間も辛そうだが、彼女は全く別格の痛みを有してるように見えた。

「ダメです、はなれて……わたしから…」

 辛そうな表情とは正反対に、少女は俺を必死に拒絶する。

 耳鳴りがさらに勢いを増した。

「ぐ……」

「はやく…はなれてくださいっ……」

「何がダメなんだ、おいっ」

 彼女に触れようとしたそのとき、

「ぁあ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」

 耳鳴りが最高潮に達し、

 パリン。

 ばりんばりんばりんばりんばりんっ!!

 彼女の叫びと共に、周りの店のショーウインドが雪崩をうって木っ端微塵になった。

 そのままこときれて、少女は雪の上に横たわった。







 路面に崩れたまま、彼女はぴくりとも動かない。

 ……っておいっ!
「おいっ!」

「……」

 顔の前に手を当ててみる。とりあえず息はしているようだ。掌が温かい。

「おい、しっかりしろ!」

「……」

 俺が振るのに合わせて、首から上ががくがく揺れるけれど、自力で反応する気配はない。

「おい、おいっ!」

 俺は少女を抱き起こした。

 そこではじめて、気づいた。





 少女の髪の色は、紫色だった……。





 人々は自分の身に起こった異常と、ショーウインドーが前触れなしに砕け散るという常識外れの惨事だけ気を取られているようだ。

 本来ならば、警察に届け出なければいけない事態なのだろう。

 けれども俺は、なぜか彼女を背負って家に向かっていた。






§







「ただいま」

 とりあえず玄関からリビングに入ると、名雪が開口一番言った。

「わ、また大きいおでん種…」

「またお前はそれかっ!」

 俺が帰ったのを知り、秋子さんも入ってきた。

「またずいぶんと…」

「秋子さん、同じネタは三度までにしてください」

「……」

 ものすごく悲しそうだった。

「事情は後でゆっくり話します。とにかく彼女を二階で寝かせてあげてください」

 今回は、俺が音頭を取った。

 何故なら彼女は旅行鞄を持っていたからだ。よもや、記憶喪失の身元不明人ではないだろう。

 そして、口にはしなかったけど。

 おとついのあの夢が、どうしても片隅に引っかかっていた……。

「名雪、部屋借りるぞ」

 当たり前だが、この清純そうな少女を、傍若無人で危険な真琴の檻においておく道理はない。

「……これって、誘拐に近いんじゃないか」

 寒くないように布団をかぶせると、俺は部屋を後にした。













§

















 人生2度目の飛行機は、遅すぎて気が狂いそうな乗り物だった。

 さっきまで見ていたくだらない映画も、もう目に入らない。

 窓の外に視線を移してみる。

 地面まで距離があるうえに夜のせいで、どこにいるかは全く分からなかった。

 琴音ちゃん、大丈夫だろうか。

 あまり子供扱いしたくないけど、今日泊まる場所は確保できたんだろうか。

 よもや良からぬ輩に引っ掛けられてることはないと思うけど……。



 ぞっ!



 そのとき、いきなりオレは背筋に寒気を覚えた。

 いや、この表現は正しくない。今のは『風邪を引いた』とか『虫の知らせ』系統の感覚じゃなかった。

『違和感を感じた』

 これが適当だろう。

 その理由は空港のロビーを出た刹那に分かった。

「さみ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いっ!!!! 寒い寒い寒い寒い寒い、寒いっっ!!」

 これじゃ学校の廊下だってパラダイスだぜ。予想していた寒さが全く相手になんねーぞ。

 寒気が厚手の防寒着を悠々と貫通してくる。サギみてーな寒さだ。

「これが、北の大地の真の姿か…」

 この中を捜すのはまともな人間のすることじゃない。琴音ちゃんもこんな中をさまよってるってことはないだろう。

 そう結論付けて、オレは凍死しないうちに宿を探すことにした。

 運良く旅館に滑り込むことができ、志保に連絡を取る。

 目的の街は、まだだ。

 明日一番に列車に乗ることを決意すると、オレは疲れですぐ眠りに落ちた。
ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 21:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする