2020年08月06日

Schnee Traum ~幕間弐~ 1月21日(木曜日)




幕間・弐





 とあるホテルの一室。

 一目見れば誰もがこの施設で最も高級な部屋だと理解できる部屋である。

 正確を期すために付け加えれば、この近郊で、最も上等で且つ高価な部屋である。

 そこに、一人の女性が座っていた。

 添え付けの机で、年代物のタロットを淀みない手付きで操っている。

 この場に赤々と燃え盛る暖炉が在れば、中世にいるような錯覚を引き起こしそうな程、その姿は調和していた。

 やがて、診断が出た。

 『塔』と逆位の『運命の輪』。

 『塔』は突然の不幸の暗示。『運命の輪』も同義。

 明快な凶兆である。

 女性は、めったにつかないため息をついた。

「芹香お嬢様」

 その時部屋の扉を開け、白髪の老紳士が入ってきた。

 その手には、この部屋に釣り合わないコピー紙の束がある。

「やはり、芹香お嬢様のおっしゃった通りでございました」

「……」

 ありがとうございました、とだけ言って、芹香は再びカードに目を落とした。

「……動きはないようですな」

 しばらく立ち尽くした老紳士は、部屋の片隅に置かれた物に目をやったあと、踵を返して部屋を出た。

 それを見送ると芹香は立ちあがり、部屋の電灯を消した。

 同時に、持っていた奇妙な色彩の蝋燭(ろうそく)を燭台に置き、灯す。

 途端に、窓枠の外で、二つの獣の目が浮かび上がった。

 芹香が気配を察し、立ち上がる。

 それを見止めると、金色の冬毛を残し、獣は雪降る闇へと溶けていった。 

「……」

 獣の逃げ去った向こうの雪を、しばらく芹香は眺めていたが、場を整え、再び占いに没頭しはじめた。

 手持ちの22枚に、脇に除けておいた56枚の小アルカナを加える。

 部屋の装飾を照らすのは蝋燭の灯火と、

 明滅を繰り返す点を映す、無言のラップトップパソコンが放つ光だけであった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まいったなぁ」

「……藤田さん、こんにちは。誰かを…お待ちなんですか?」

「いやそうじゃなくて、雨、早く止まね―かなって思って」

「…傘、お持ちじゃないんですか?」

「いきなりだったからな」

「…あの、わたし傘持ってますから、よかったらお家までお送りしましょうか?」

「まあ、歩いて通える距離だし近いっていや近いけど…それでも、片道15分くらいあるぜ」

「それぐらいでしたら」

 

 

 ワンワン!

「あっ、可愛い…いらっしゃい」

 

 

「………っ」

「琴音ちゃん!」

「ダメっ、来ないでっ!」

「早くッ!」

「くそっ」

 ワンワン!

「!?」

「ダメっ、離れてぇっ!」

「バカやろうっ」

 

 

 パア~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンッ

 キャイィィィン!

 

 

「ワンちゃん!」

 

 

「ごめんなさいっ!ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」

「琴音ちゃん…」

「せっかく練習したのに、うまく行ってると思ったのに…。やっと、みんなと同じになれると思ってたのに…」

「はじめから…無理だったんですよ、わたしはこうやって周りの人みんなを傷つけて、嫌われて、…やっぱりひとりぼっちなんです」

「…どうしてなんですか? わたしだけがこんなチカラを持って。わたしがいけないことしたんですか?」

 

 

「きっと、もう…手遅れなんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 雨の日の、夢だった。

 あれだけの練習にもかかわらず、チカラが、暴走した。

 動物好きの琴音に対し、罪のない子犬を巻きこんで。

 もしこの世に神がいるのだとしたら、その神はなんと残酷な事を行うのだろう。

 この事件のせいで、この傷を背負って、琴音がこの街に来ていたとしたら、オレの提案は、軽率としか言いようが無い。

 俺は、手の平でその色が判るほど、青くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だったら…」

「ボクの…お願いは…」

「今日だけ、一緒の学校に通いたい…」

「この場所を、ふたりだけの学校にして…」

「祐一君と一緒に学校に行って………一緒にお勉強して………給食を食べて………掃除をして…」

「そして、祐一君と一緒に帰りたい…」

「こんなお願い…ダメ…かな…?」

「…約束しただろ…俺にできることだったら何でも叶えるって」

 

 

「俺達の、学校だからな…」

 

 

「また、この学校で会おうな」

「ここで…?」

 

 

「だから、今度俺がこの街に来た時は…」

「待ち合わせ場所は、学校」

 

 

「うんっ…約束、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレは目を覚ました。

「午前3時…」

 ……。

 からだが妙に興奮している。鼓動が聞こえるほど強く、そして、早い。

 今見ていた夢のせいかもしれない…

 オレが見ていたのは、このところ立て続けの、二人の夢だった。

 

 

 

 夢の世界で『祐一』は、明日帰ってしまう。

 夜のとばりが降りた中、ふたりは指切りをして、明日も会う約束をしていた。

 『祐一』は、最後に、買ったカチューシャをプレゼントしようとしている。

 明日の午前中、『祐一』は『学校』へ行くだろう。

 物語は、『明日』最終話になるはずだ。

 でも。

 鼓動が、収まらない。

 そう、予感…。

 怪談話で、どんでん返しで驚かせる前のような…。

 ホラー映画で、哀れな被害者が襲われる一瞬前のような…。

 

 

 ドラマで、最終回間際、主人公やヒロインに不幸が起こる前のような…。

 

 

 そんなときに似ていた。

 オレは布団をかぶりなおした。

 寝たくはなかった。

 しかし、身体はそうすると逆に落ち着きを取り戻し、夢の世界へとオレを引きずっていった。

 

 

 

 

 

 あの話の結末……。

 ……見たくない。






ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 21:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする

Schnee Traum ~第6話~ 1月21日(木曜日)




 いつものように、道にいた男の子に頭を下げる。

 嬉しそうなその子の顔を、降りかえることもない。

 おばあさんにも、道行くおじさんにも頭を下げる。

 大騒ぎしたり、外で走り回ったりなんかしない。

 それで大人はみんなにこにこしてくれる。

 出来た子だ、って。

 わたしは『いいこ』でした…。






















 今日のは、嫌な夢でした。

 でも紛れもなく、自分でした。この夢は何度も見てますし、小学校のときはわたし、そんな子でしたから。

 どうして、小さい頃からそんな可愛げのない子だったんでしょうか。

『お母さんに心配をかけたくないから。悲しい顔を見たくないから』

 即座に返ってくる理由。さっきも言いましたが、今日がはじめてじゃありません。理由だって、知ってます。

 そう、それはわかってる。

 でも、なぜそんな気遣いをしていたのか、誰も教えてはくれませんでした…。



























「藤田さん、こっちです」

「うん」

「ここで、やってみます」



「今のが超能力?」

「風か何かのせいだと思いますか?」



「琴音ちゃん!」

「…すみません、少し、頑張り過ぎました…」






















『朝~、朝だよ~ 朝ご飯食べて学校行くよ~』

「……」

 カーテンの端から漏れる日光に目を細める。

 街が雪とあいまって、白く浮かび上がっていた。

 今日の目覚めも、夢だった。

 昨日の続き。

 ……超能力の練習風景だった、と思う。

 ピンポン玉を、膝に乗せたスケッチブックの上でくるくると回すこと。

 たったそれだけのことで、琴音は額に汗をにじませ顔を真っ赤にし、めまいまで起こして倒れてしまったのだ。

 家に来たときに見せた段階まで扱うのに、最初はこんな苦労をしていたのか。

 あの恐るべき破壊力を留めるために、必死だったんだな…。

 胸を詰まらせるものに身体が囚われ、しばしベットの上で、動けずにいた。



























「…三日目」

 今日もまた例の夢を見た。ここまで来ると先輩に夢診断を仰ぎたくなるぜ。

 まず、ちょっと夢を整理してみよう。





 登場人物は基本的に二人。景色を見ている『オレ』。どうやら男の子。

 もう一人は、白いリボンをした女の子。

 おとといの夢の出会いが発端だろう。そこから仲良くなったようで、一緒に遊んでいるようだ。

 真新しい駅ビルの前で、女の子がベンチに座って待ち合わせ、どこかに遊びに行くというパターン。

 ある時は森の一角。

 まわりを草むらと溶けない雪に囲まれたその場所は、赤い光を浴びて、神秘的な佇まいを見せていた。

 女の子は子供目にすごく高い(ガキの頃のオレでもためらうような)木に登る。

 ある時は夕焼けの商店街。

 『オレ』はクレーンゲームで人形を取ってやるとカッコつけて金を使い果たす。

 散々失敗したあげく、借金してようやく天使の人形を取って、プレゼントする。

 そして今日の夢。

 どうやら『オレ』はこの街の人間じゃなくて、外部から遊びに来ているようなのだ。

 クレーンゲームで取った天使の人形に誓って、また来年も遊びにくると約束する。

 もう一度あの樹の場所へ行き、絶対に来年もくると約束する。





「…う~む」

 なんか想い出のアルバムを見せられている気分だ。『わたしの初恋』ってサブタイトルでも付いてそうな。

 でもそうすると、月曜に見た夢だけ浮くんだよな。一つだけすげー視線も低かったし、琴音ちゃんの名前も出てるし。 

 もう少し詳しいと見てる方も分かりやすいんだが……ってオレは志保かよ。

 にしても、なんで立て続けにこんな夢を見るんだろうな。

 こんなに琴音ちゃんが心配なのに、琴音ちゃんが出てくる夢は全然見ないなんて…。

 いろんな想い出があったはずなのに…。











§












 わたしは、今日も外でスケッチブックに向かいます。

 一段低くなった中央に噴水が設置された、劇場を思わせるような公園。

 ベンチに座って、コンテ代わりの、鉛筆を走らせます。

 紙の擦れる音が響いてしまいそうなくらい、静かな公園。あの時と同じように、わたしは公園にたった一人。でも、全然嫌じゃありません。

 見上げると、空色の由来を思わせるような、綺麗な青。いい天気です。

 でもおかげでキャンバスに日が当たり、描きづらくなって来ました。雪の反射も手伝って、雪やけしてしまいそうです。


 太陽さん、少し雲に隠れてくれないでしょうか。


 すると望んだとおり、急に画面がかげって描き易くなりました。


 え!?

 よく見ると、影は画面全体にかかってるのではなく、人の形をしていました。








「すごいです…」

 背後の人影から、声がしました。

 振りかえると、

「綺麗、です…」

 そこには短いストールを寒そうに巻いた、女の子がいました。

 彼女が日除けになっていたみたいです。

「あ、気にせず続けてください」

 彼女を見詰めたまま固まってしまったせいで、半分お約束な台詞を言われてしまいました。


「いいえ、ちょうど休憩しようと思ってたところですから」


 じっと見つめられながら描き続けられるほどの度胸はありません。わたしもお決まりな台詞を言って、手を止めました。







「すごいです、こんなにうまい絵、私はじめて見ました」


 隣に座った彼女は、スケッチブックを見せてくれと頼んできました。ページをめくるたび、描いた絵を誉めてくれます。


 見た所、わたしと同い年くらいでしょうか…。


「あの…失礼ですけど、たぶん学生さんですよね、学校はいいんですか?」


「あ、私病気でお休みしてるんです。でも、お昼は外に出て、太陽に当たる事にしてるんです」


「病気なのに、出歩いてもいいんですか?」

「ちょっとくらいならお医者さんも怒りませんよ」

 そういう問題じゃないと思いますが…。

 やや、言葉が途切れました。

 そして、

「あなたしかいません、私に、絵を教えてください!」


「えっ!?」

 あまりの唐突なお願いに、わたしはベンチから転げ落ちそうになりました。


「お願いです」

 両手を付かれて、わたしはお願いされています。


「あ、あの、絵っていうのは人が教えられるものじゃないし、それに、わたし、教えられるほどうまくありませんから…」


「本当に基本だけでいいんです」

「でも…」

「…私、好きな人がいるんです。でも昨日似顔絵を描いたら『向いてない』って言われて…悔しいんです、どうしてもうまくなって、祐一さんをあっと言わせたいんです」


「祐一さん…相沢祐一さんですか?」

「知って、るんですか…?」

 口から出てからしまったと思いました。女の子の顔が、さっと曇りました。

「べ、別にわたしはなんの関係もないんです」

 わたしは弁解をはじめました。何をやってるんでしょう。

「家出少女なんです、わたし。この街の商店街で倒れてしまって、それから家においてもらってるんですけど」

「そうなんですか。家の方、心配してますよ?」

「病気なのにベッドを抜け出してる女の子だって、家の方は心配してますよ?」

「……」

「……」

 顔を見合わせて、わたしたちはくすくすと、そして声を上げて笑い合いました。お互い、悪い子です。

「いいですよ。風景の方が得意なんですけど、出来る範囲なら…」


「ありがとうございます」

 彼女の大きな目が、本当にぱっと輝きました。


「では先生、お名前、教えていただけますか」


「姫川、琴音です、あ、そんなに仰々しくしないで下さい」


「わたしは美坂栞です。先生、よろしくお願いします」


 ちょうどその時、遠くで学校のチャイムが鳴りました。

「あ……、昼休みです」

「何かあるんですか?」

「祐一さんと会う約束をしてるんです。でも、今日はいいです。お願いします」

「いいんですか? …怒られたり、しませんか?」

「一日くらいならだいじょうぶですよ」

 この根拠のない自信はどこからくるのでしょうか。

 ほんとに病気ならば家に戻るよう勧めた方がいいんでしょうけど、わたしも強くは言えません。お付き合いしましょう。

 でも、頼られるのって……何かわくわくします。

 話をしている間に、本当に空も曇って、描きやすくなっていました。











§












 見た夢の量が多かったせいか、かなり寝過ごしちまった。そのせいで、今日はあゆにも会わなかった。

 街中を調べても無駄そうなので、とにかく行っていない場所をしらみつぶしに探す作戦を取ることにした。

 そんなオレの行く手に、

「……なっ、なんだぁありゃ?」

 メチャクチャ巨大な、謎の施設が姿を現した。

 琴音ちゃんはホテルにはいない。すると、まともな手段で寝泊りしてるわけじゃない。

「……」

 ドーム状の建造物も見える。

 体育館? にしては、付属設備がでかすぎる。

 ……。

 …例えばだ、例えばだぞ、もしこれが、なんかの宗教施設、あるいは実験施設だったら……

 

 

 

 

 

 何するんですか、や、やめてくださいっ

 心配しなくても、危害を加えたりはしないよ、ゲヘヘ…

 は、はなれてくださいっ、…えいっ!

 ぐはっ!

 ほ、ほぉ…こりゃ驚きだ、超能力が使えるのか。珍しい。よし、すぐに実験室へまわせっ!

 い、い、いやあぁぁぁっ! 藤田さんっ助けてっ、助けてくださいっ!!


 

 

 

 

「………!」

 どうする、どうする藤田浩之!

「行くか…」

 なんの考えもなしに中に入ったら、生命の危険があるかもしねーよな。

「アホらし…」

 だがもし琴音ちゃんがいたら、見捨てる事になるじゃねーか! 男として、人間として、んなこと許されると思うのか?

「……ぅう……えぇい、ままよ!!」

 こういうときは直感で行動したほうがいい。オレは塀を乗り越えると、謎の巨大施設への潜入を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっそく見せてくれよ」

「はいっ、あの…今動かしますから、見てください」

「こないだみたく無理すんなよ」

 

「やっぱしんどいのか?」

「はい…でも昨日よりはずっとチカラが強くなってます」



「進みぐあいはどーだ?」

「あっ、はい、いいと思いますよ。前に藤田さんに見てもらったときから、ふたつも増えたんです」

「すっげー進歩じゃんか」

「はいっ、あんなに嫌いだったチカラだったのに、今ではうまくなるとすごく嬉しいんです」

「ははっ、おーけーおーけー、いつでも見てやるよ。じゃ、さっそく成果を見せてもらおうか」

「あっ、はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「祐一、昼休みだよ~」

「…は?」

「昼休み」

「いつの間に…」

 名雪の時報に起こされた。

「祐一、4時間目ずっと寝てたんだよ」

 黒板を白く染めるかのような世界史の授業で寝てしまうとは…。

「名雪、あとでノートコピーな」

「わ、ずるいよ。……イチゴサンデー1杯でなら手を打つけど」

「く…」

 不覚だ。

 自分の不注意を死ぬほど呪って、俺は首を縦に振るしかなかった。

「だめだよ授業中寝たら。夜ちゃんと寝ないからだよ」

「あなたが言える台詞じゃないと思うけどね…」

「うー」

 香里の強ツッコミが入り、名雪はうなり声を上げて沈黙した。

「……」

 かなり深い眠りに落ちてしまっていたらしい。

 しかも朝の夢の続きと言うおまけ付きで。

 琴音の超能力の練習風景。時期は、去年の春だろうか?

 特訓の成果で、日に日に宙に浮かぶボールは増え、5つになった。そして、琴音の笑顔の数もつられるように増えていった。

 気になるのはそれに付き合う男、藤田だ。

 夢の視点は藤田だから、その顔を知る事はできない。だが、琴音の家出に間して、もしかしたら手がかりになるかもしれない。

 もっと、知りたい。

 

 

 ――今ではうまくなるとすごく嬉しいんです

 

 

 ……。

 夢の琴音の笑顔に、隠している秘密を覗こうとする自分の姿が、醜く感じられた。

「で、今日は昼どうするの?」

 名雪が言った通り、教室の空気も昼休みのに変わっていて、他愛もない話題についての声で溢れている。

 宿題の話、昨日のTV番組の話、

「おい、なんか学校に侵入して来た奴がいるらしいぞ」


 侵入者の情報…って、おい?

 耳珍しい情報に、クラスがにわかに色めきだつ。


「今外で生徒指導が尋問してるぜ」

 まさか、栞が見つかって侵入者と勘違いされたのか?


 制服登校のこの学校で、私服姿の栞は侵入者と見られても何ら不思議はない。


 一応ここの生徒だから警察沙汰にはならないだろうが、病欠してるのに外をうろついてることについては、こってりと油を絞られるに違いない。


「ちょっとそれ見てくる」

「あ、待って祐一」

 付いてこようとする名雪を待たず、俺は昇降口まで駆け出した。

 

 

§






「一体どこの学校だお前」

「……」

 予想に反して、生徒指導の教師に捕まっていたのは男だった。

 見た感じ俺達と同年代。人畜無害そうな奴だった。


「名前は」

「……矢島」

 校舎までの道程に敷かれたタイルに座らされたまま、そいつは答えた。


「矢島、一体何の目的でこの学校に侵入……」


 竹刀を持ったまま、生徒指導の体育教師が腕組みをする。

 その瞬間、

 だっ!!

 侵入者は、一瞬の隙を突いて走り出していた。


「な…こらっ、待て、待たんか!」

 だが侵入者は脱兎の勢いで駆けていき、

 ざっ。

 と踏み切ると校舎の壁を軽々飛び越え、向こう側に消えた。


「いっちゃった…」

「名雪、惜しかったな」

「え?」

「陸上部部長として、高跳び選手の逸材を逃がしたな」


「……」

「あきれた奴ね」

 香里がそう感想を述べた。

「にしても名雪、なんで昼寝の時間を犠牲にしてまで出てきてるんだ?」


「わたしがいつも寝てばっかりいるように誤解されるよ…」


 ちなみに、名雪の学校生活の半分は睡眠だ。

「私はね、琴音ちゃんが来たのかと思ったんだよ」


(……確かに、考えられない話じゃないな)


 もしこの街の思い出が、ここにあるのだとしたら。

「なぁ、その琴音ちゃんてのは誰だ」

 突然北川が俺達の会話に割り込んできた

「北川、なんでお前がいるんだ」

「こんな見せ物めったにないからな、当たり前だろ?」


「名雪、その子って、もしかしてこの前一緒にいた紫髪の女の子?」


「そうだよ」

「馬鹿がっ」

 名雪に秘密を守らせるのは、チンパンジーにジャズダンスを教えるより難しいと悟った。


「さ、教室に戻りましょうか、残りの昼休み、いい話題が出来たわ」


 香里の笑みに暗澹たる気持ちにされて、俺は教室へと歩き出した。


「名雪、お前…」

「そう言えば祐一、今日は中庭でお昼食べないの?」

 文句を言い掛けたところで、逆に突っ込みが返ってきた。

 そうだ、すっかり忘れてた。

 名雪への説教を止め、俺は中庭へ駆けて行った。

 

 

§






 だが、栞はいなかった。

 足跡のない中庭。

 いるべきストールを羽織った病気の少女の、いない場所。

 そこは、寂れた、凍土荒原だった。

「……」

 手に持ったアイスを、仕方なく自分で処分した。

 口に運ぶたび胃が痛くなり、口から冷気が立ち昇る。冷泉に入ってすぐのように、内臓が凍てついてきた。

 だが、アイスは二人分ある。

 俺が食べなければ、減ることはない。

 ――栞が、来なければ。

「栞、なんでお前は、こんなマネが出来るんだ?」

 俺にはその心理を一厘も理解できなかった。

 

 

 その後も中庭で待ったが、この昼休み、栞が姿を現すことはなかった。























 このスピードでジャンプしたら世界が狙えるんじゃねーか?

 という勢いで、オレは学校が見えなくなるまで走った。


「はぁっ……はっ……」

 朝、学校への遅刻ダッシュで鍛えた肺も、この冬の街ではオーバーワークだぜ。凍てつく大気が、肺を芯から冷やす。


「こ、ここまでくりゃだいじょーぶだろ」

 切りのいいところで足をとめ、近くの街路樹にもたれかかる。

 目がちかちかする。つ、疲れたぁ~。

「ヒロくんっ」

 そうして息を整えていると、声がした。

「今日ははかどってる?」

 見上げれば羽付きのダッフルコート。あゆだ。


「……最悪だ…」

「どうしたの?」

「学校に忍び込んで生徒指導に捕まった…」


「何でそんなことしたの?」

 『不思議だよ』を顔いっぱいに現わしてあゆが言う。


「オレだってしたくてしたんじゃねーぞ」

 あんなバカでかい施設、誰が学校だなんて思うんだよ。


 とっさに偽名を名乗ったのは正しい判断だった。すまん矢島、お前はもうここには来れない。


「そーいえばあゆ、お前の学校ってどこだ?」

「え?」

 ふと思いついたことを、オレは口にした。

「学校だよ学校。今日はそっちに行こうぜ。お互いの探し物のために」

「…ダ、ダメだよ。すっごく遠いんだよ」

「わけない、いい運動だ」

「それに…」

「なんだよ……あ、そーいや私立って言ってたな、全寮制か何かなのか?」

「あ、そうっ、そうなんだよ」

「じゃ学校名だけでも」

「うん、えっとね、……………あ、あれ? やだなぁ、ずっと行ってないから、名前、忘れちゃったよ」

 忘れた?

「ねぇ、それよりたいやき食べたくない?」

「またおごらせる気かよ?」

「いや、ただボクは食べたいかなって聞いただけで、それならまたたい焼き屋さん教えようかなって…」

 ゴマかすような作り笑いが、はっきり見て取れた。

 おかしい。

 どんなバカな奴だって、自分の通ってる高校名は忘れたりしないもんだ。あゆには、それが可能だってのか?

 …違う。何か、隠してる。

「ま、いーけどな。せっかくだ、今日も探しものに付き合ってやるぞ。行こうぜ」

「うんっ」

 中浪してるとか。意表をついて、実は停学の身の上とかな。











§












「なぁ、あゆ」 

「なぁに?」

「さっきから、みょーなのに付けられてないか?」

 午後の捜索を始めて商店街を歩き、早や2時間ほど。

 どうしても我慢できずに、オレは話題をあゆに振った。

「みょーなの?」

 オレは堂々と振りかえって、指をさして教える。

 キツネ。

 一匹のキツネがオレらの後を付かず離れずで、ついてきてるのだ。

 商店街を歩くほかの人間にも変に見えているようで、時々視線を浴びる。

「来栖川先輩の使い魔じゃねーよな…」 

 黒猫だよな、確か。

「うぐぅ、ボクあの時悪気があったんじゃないもん」

「大丈夫、違うってば」

 にしても、なんだろーな。

 キツネといえば、昨日丘であったっけな。謎の女の子と一緒に。

 でもあの時オレは好かれるような事も嫌われるようなこともしてない。

「なああゆ、あそこにいるの、間違いなく野生のキツネだよな」 

「うん」

 童話でもなければ、まずキツネを飼う人間なんかいない。

 ここまで人に物怖じしないのとなると、全国単位で数えたほうがいいような気がしてくる。

 そんなのが何故ついて来るんだか。う~ん、どうも引っかかるな。

 ……案外、あの無表情な女の子の正体だったりして。

 とその時、

「危ねぇ!」 

 前方不注意なチャリが、オレたちに向かって全速力で突っ込んでくる!

「ま、マジか!」

 避けるも避けないも、あゆを構ってる暇もない、ぶつかる!

 ところが、



 ズダンッ!



 途端にチャリは転倒し、なぜか通りを横滑りしてゆく。

 一方背後のキツネは、それを分かっていたかのように、身じろぎ一つしなかった。

「あゆ、だいじょうぶか」

「うぐぅ。こわかったけど、無事?」

「ああ、直前で向こうがコケてくれたらしい」

 …コケる?

 自分で言った言葉に違和感を感じて、俺はスっ転んだチャリを見た。

 アレだけ勢いつけておいて、どうしてあのチャリは、真横に滑っていったんだ? 普通は慣性でチャリそのものがオレたちに飛んできておかしくないのに。

 不審な動き……。

 ……まさか、『チカラ』か! だとすると、このすぐ近くに琴音ちゃんが!

「あゆ、走るぞっ!」

「え、ええ、あ、待ってよぉ~」

 

 

§






「すっかり暗くなっちまったな…」

 さっきは結局、走ったぶんだけ無駄だった。

 広い商店街を歩き回り続けて、お互い目的を果たせないまま、いつのまにか昨日の時間さえオーバーしてしまっていた。

「うぐぅ、夜だよぅ」

 怯えたように腕にしがみついてるあゆ。

「もしかして、怖いのか?」

「うぐぅ、暗いよぉ」

 図星かよ。

 暗いとはいえまだ時計では早い時間なので、たくさん人が歩いてる。当然、視線も集まる。

 …マジ恥ずかしいぜ。

 万が一琴音ちゃんが見てたら、あらぬ誤解を招きそうだ。

 でも泣きそうな顔をしているあゆを見ていると、引っぺがす気も失せてしまう。とても同じ高2だとは思えない。

 …周りにもそう思われてるよな、うん。カップルじゃなく、歳の離れた妹をあやしてるだけって。

「家までついてってやろうか?」

「いいよ、ひとりで帰れるもんっ」

「別に下心なんてないぞ」

「うぐぅ、そんなこと考えてないもんっ!」

「オレのいう下心の意味分かってんのか」

「ボクそんなに子供じゃないもんっ」

「悪ぃ悪ぃ。いや、ただホントにいっつも付き合わせてばっかりで、少しはなんかしねーと、って思ったから…」

「…じゃ、駅までなら」

 ときおりする物音に「うぐぅ~」と悲鳴が上がったりしたが、特に会話も弾むことなく、駅が近づいた。

「じゃ、ボクこっちだから」

 駅前で、しがみついてた腕がすっとほどける。

「じゃあな」

「うんっ、また明日」

 雑踏、とは呼べないくらい少なくなった人通りの中に消えていくあゆ。

 なぜだろうか。オレは急に切なくなった。











§












「栞…」

 机の前で、頭を抱えてオレはうめいていた。

 原因は、今日の昼休みだ。

 やはり、昨日言い過ぎたのが原因だったのか。

 好きだと意識し始めていた。だから気の緩みがあったのかもしれない。

 いや、栞は病気持ちだった。日中とはいえ外に出すぎて、悪化させたのかもしれない。

 たった一日姿が見えないだけ。なのに、自分を安心させる事は出来そうもなかった。

 栞がいつも来てるから、何も考えなかった。

 急に連絡を絶たれたら、俺には追う手段が何も無いのだ、という現実を。

「相沢さん」

 あの声、もしかしてもう聞けないのか? いや、香里の口を無理やりこじ開ければ…。

「あの…相沢、さん?」

「…ぁ」

 声の主は琴音だった。

 琴音が、俺の部屋を訪ねていたのだった。

「今日ですね、公園で絵を描いていたら、美坂栞さんって女の子に会ったんです」

「なんだってっ」

「お、お知り合い……ですか?」

「あぁ、知りあいだ。かなりのな。どうしたんだ」

「…絵を教えてくださいって、頼まれました」

 絵を? やっぱり、昨日の事を根に持って…。

「2、3日なら祐一さんも怒らないだろうから秘密にして下さいって頼まれたんですけど……昼会う約束をしていたと言っていたので、もしかしたらと思って」

 なんだ、今日はそれで来なかったのか。

「なんか余計な気遣いさせたみたいだな、悪かった」

 栞はとても人騒がせな奴だった。

「明日も、10時に教える約束をしました」

「どうだ、見込みは」

「……先は、長いです」

「そうか。大変だろうが、向こうが満足するまで頼む」

「はい…」

 ぎこちない笑いを浮かべたまま、琴音は部屋を出ていった。

 栞のあの絵が、一流画家の手ほどきを受けてどこまで改善されるか、非常に楽しみだ。

 さっきとは一転、ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて俺は笑いまくった。

 

 

§


 

 

「琴音ちゃん」

 夕食のテーブルで申し訳なさそうに秋子さんが切り出した。


「わたし明日早いから、お弁当作れそうにないの。お金渡すから、お昼はそれでお願いね」


「はい、わかりました」

「なら琴音、俺達の学食に来ないか?」

 すかさず俺は提案した。

 夢の通りなら、琴音は集団からはずっと離れたままだ。休暇でもないのに集団、そして学校から長く離れていては、本当に戻れなくなってしまう。

 今日栞に会ったとはいえ、俺達以外の人間と触れ合う時間も必要なはずだ。

 そして今日『侵入』を見て思いついた。リハビリに、俺達の学校に来てもらおうと。

 琴音なら、カレーライス8杯や、てりやきバーガー(ないけど)20個などという無茶な要求はしないだろう。

 そして、たとえ失敗しても家に帰る気にはなるだろう。一種のショック療法だ。

「昼休みだけ。それなら約束も問題ないだろ」

 さすがに授業にまで参加させられるほどの策も度胸も無いので、昼休み限定だが。

「でも…」

 名雪が俺の顔を窺った。

 言いたいことはわかる。今日無謀にも侵入して来たバカがいるのだ、学校だって私服人間の取り締まりは強化するだろう。


「名雪、代えの制服あるだろ、それを貸せ」


 だが逆に、制服を着てれば問題なしと言うことだ。ただでさえ人数が多いあの学校、教師が生徒一人一人の顔なんか覚えてるわけがない。


「制服は普通一張羅だよ…」

「ぐぁ」

 しかしながら、野望は反論により秒速で潰えた。


「お前が原因の一端なんだぞ。何とかしろ」

 香里の話術もあるが、うっかり喋った名雪も悪い。

 教室に帰ってから、香里は言葉巧みに琴音ちゃんの情報を引き出した。

 意地悪くあの二人は、挙句超能力を見たいから学校に連れてこいと俺達に約束させたのだ。

「そう言えば、名雪が1年のとき着ていたのがありますよ、小さめだけどちょうどいいんじゃないかしら」


 思わぬ助け舟が出た。どうやら、秋子さんも乗り気らしい。


「どうする、ちょっと無謀な計画だけど、やってみないか?」

「はいっ!見つかっても、どうせもう会うことのない人ですし」


 あっという間に賛成してくれた。

 出会ったときとは打って変わった大胆さだ。

 やっぱり、この少女も儚さとは無縁だったんだ。

 夢のラベンダー色の少女と係わり合いがあるのかどうか、そんなのは、俺の中でもうどうでも良くなってしまっていた。

「じゃあ早速、私の部屋で着替えてみようよ」

「はいっ!」

「祐一、覗いちゃ駄目だよ」

「琴音相手なら死ぬほど覗きたいが、我慢するよ」

「……祐一、台詞に裏がみえみえだよ」

「全然そんなことないぞ」

「う~、本当にひどい」





§






「それでも、大きいですね…」

 鏡の前でくるりと一回転する琴音。袖が長くて、手はちょこっと出てるくらいだ。


 ちなみに胸囲も足りないので、必要以上に裾が長く見える。

「うーん、やはり身長と胸とが足りなかったか…」


 俺が雑感を述べた刹那、

 びしっ!

 俺の後方にある机のノートが音を立ててはじけ飛んだ。


「なにか言いました、相沢さん?」

 目の前の琴音は笑顔だ。声も明るい。

 …不自然なくらいに。

「え、えぇ、いや」

 ガランッ!

 今度は棚の目覚し時計が揺らいで、床に落ちた。


「さっきのよく聞こえなかったんで、もう一度お願いします」


 落ちた目覚し時計はふわふわと浮いて、俺の頭の高さでピタリと止まった。

「……すまん、俺が悪かった、勘弁してくれ」


「…女の子の敵」

「全くです。失礼ですよ」

 名雪、加えて秋子さんにまで怒られてしまった。

 土下座して詫びる。次は我が身が消し飛びかねない。


 でも、チカラを嫌悪していた琴音が、冗談でチカラを使える事は、いい傾向だ。

 今までの苦労を『知って』いる分、余計にそう思われた。























「ふぅ…」

 今日で5日を経過した。が、発見の手がかりは一つもない。

 そろそろ残金が心配になってきた。学校だって、1週間も欠席すれば騒ぎ出すだろーしな。

 許された時間は、そう多くない。

 ピリリリリ、ピリリリリ…。

 出し抜けに電話音が鳴りはじめた。部屋に添え付けられた電話のとは音が違う。

「携帯か!」

 さっと取って通話ボタンをぴっ!

『………』

「先輩か。どうしたんだよこんな時間に、えっ、この街を離れてくださいって? なに言ってるんだよ、オレは琴音ちゃんを探しに…」

『……大きな、災いの予感がします』

「なんだって!?」

 これまた不意打ち気味な、先輩の言葉だった。

『……このままだと、浩之さんに、災いが降りかかります』

 いつものような声で、けれどはっきりと先輩は告げた。

 真剣さが聞き取れた。そりゃそーだ、大した不幸じゃなければそもそも電話なんか掛けてこない。

「でも、命に関わる事じゃねえんだろ?」

『………』

「先輩、電話口じゃ首振られてもわかんないって、イエス? ノー? どっち?」

『………イエス、です』

「…そっか。ごめん、せっかく教えてもらって悪いんだけど、琴音ちゃんを見つけるまで、オレ、離れないから」

『………』

 それで電話は切れた。

 最後に先輩は、

『気を、しっかり保っててくださいね』

 と言い残した。

 普通なら『気を付けて下さいね』だろうに。

「すっかり脅されちまったな…」

 オレは布団にもぐり込んだ。

 明日、本当に何もありませんように。



ラベル:Schnee Traum
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2020年08月05日

Schnee Traum ~第5話~ 1月20日(水曜日)<後編>



 覚えの無い記憶。秩序の無い断片的な夢。絶対に、妄想だ。


 なのに。

「なんでこんな山道に入ってるんだオレはよ……」

 さっきからオレは急勾配の獣道をひたすら登っていた。足がとりあえず見晴らしのいいとこを求めていた。


 にしても、わざわざ登山する必要があったのか?

 あの木を探そうなんて思ったから、こうなったんだよな。


 自分のバカさかげんに後悔するが、乗りかかった船だと泣く泣く納得させる。


 ここまで登って、見晴らしが悪かったらグレるぞ。


 そう思った頃、山の中腹ぐらいだろうか、わざわざ作ったんじゃないかと思うような大野原の丘にオレは辿りついた。


 

 

 

「おぉ…」

 天と地の狭間なんて言葉がしっくりきそうだ。春だったらきっと楽園みたいな光景なんだろう。


 ひとつ深呼吸し、今いる白い都市を見下ろす。


 広い。

 改めて見た雪の街は広大で、一人の人間なんか音もなく飲み込んでしまいそうだった。


 徒労感が身体中に行き渡る。 オレはばったりと丘に転がりかけた。


「お…」

 あの丘の向こうにおわすは、キツネじゃねーか。この時期には普通冬眠してるはず、だよな。


「ちょっとツラ貸せ、な~んてな」

 くいくいと右手を動かし、珍しいキツネを手招きする。


「止めてください」

 すると途端に、オレは背後から静止の声を受けた。








 後ろにいたのは、えんじ色の、緑色のリボンを正面にまとめたやや古風な制服を来た女の子。


 高校生…かな?

 近くに学校があるのかもしれない。時間的には昼休みだからな、だとしたら外に出てきたんだろう。


「人が関わると、この子たちにとって不幸な事になります。この子たちは、自分のいるべき場所にいるのが一番いいんです」


「あぁ、ゴメン」

 やたらと野生動物にちょっかいを出して欲しくねーんだろう。エサとかやったりすると野生が鈍るからな。


 それだけ言うと女の子はオレを通りすぎ、丘の端の方まで歩み出した。


 体側(たいそく)が見え、それが後ろ姿に変わっていき、


「ねぇキミ、ちょっといーかな?」

 その後ろ髪を見たとたん、無意識の内にオレは彼女を呼びとめてしまっていた。


「なんでしょうか」

 うっ。

 一瞬引いちまうような無表情アンド声。先輩と違って冷たさがばりばり伝わってくるぜ。

 まぁ見ず知らずの男にいきなり呼びとめられたんだ、当たり前か。


「紫色の髪をした女の子、最近見なかったかな?」


 出会ったついで。

 もしかしたらさらにオレの絶望が深まるかもしれないが、ダメもとでオレは聞いてみた。


「…お探しの方かは分かりませんが、そのような女性を昨日この丘で見ましたよ」


「本当か!」

「はい。小柄で、癖のある長い髪をした方でした」


「本当に、見たんだな?」

「はい」

 彼女はあくまで淡々と言葉を紡ぐ。だが間違いない。

 この街も4日目で、紫色の髪は本当に珍しいのが分かってる。彼女が見たのは琴音ちゃんだ。

 ヒョウタンからコマとはまさにこのことだ。琴音ちゃんは、間違いなくこの街にいる。

「悪いな、いきなり質問浴びせちまって、じゃあ」


 自分の行動が急にこっぱずかしくなったので、オレはそれだけ言って、去ることにした。


「……」

 期待はしなかったけど、やっぱり向こうからは何もリアクションが無かった。

 と思ったら、

「お気を付けて、旅の方」

 オレに向けてるのか空に向けてるのか分からないような話し方で、女の子が呟いた。


「この街は………妖狐たちの街ですから」

 ……そうか、この子も似てるんだ。

 心を氷のように閉ざしていた、初めのころの琴音ちゃんに。


 

 

 

 

 

 

「今日はスケッチブックを持ってきました」


 今日も冷える中庭で昼食を取っていると、栞の口からこんな台詞が出てきた。

 どこからともなく空色のスケッチブックが取り出されている。


「唐突になんだ?」

「昨日祐一さんが頼んだんじゃないですか『だったら、似顔絵を見たい』って」


 ……。

 確かに昨日、そう約束させた覚えがあるような気がする。


「ホントに、あんまり上手くないですけど…」


「そうなのか」

「私、まだ修行中ですから、あ、祐一さんそのまま動かないでくださいっ」


「いきなり止まれって…似顔絵だろ?だったら多少動いたって…」


「ダメですっ」

 いつに無く厳しい声で命令された。よって、しばらく動かないでおく。


 ……。

 ……。

 ………。

 表紙をめくって、栞が真剣な表情でコンテを走らせる。


 休み時間の喧騒も届かない校舎裏に、紙の擦れる音だけが響いている。


 でも、不思議とその時間が退屈ではなかった。


「…もう少しで出来ますよ」

「そういえば、普段は誰を書いてるんだ?」


「そうですね……家族、です…」

 声が少し沈んだ気がしたが、スケッチブックに隠れて表情は分からない。


「でも、私がスケッチブック持っていくと、みんな逃げるんですよ」


「どうして逃げるんだ?」

「モデルになるのが嫌みたいです…」

「確かに、長時間じっとしていないとダメだからなぁ」


 ややあって、

「…出来ました」

 栞はパタンとスケッチブックを『閉じ』た。


「…見ます?」

「もちろん見るぞ」

「…見ても、怒らないでくださいね」

「大丈夫だって」

 ここまでやってくれたんだ、絵の素人の俺よりずっと上手いに違いない。とにかく誉めてやろう。


 俺はスケッチブックを受け取ると、画面に目を落とした。


「……」

「どうですか…?」

 緊張の面もちで、俺の反応をじっと窺う栞。


「…栞」

「はい…」

 俺は迷うことなく言い切った。

「…正直、向いてないと思う」

「…やっぱり、そうなんですか?」

 本人にも自覚くらいはあったらしく、驚いた素振りは見せなかった。


「ほとんど子供の落書きだ」

「…普通、本当にそう思っても、そこまではっきりとは言いませんよ」

 本当に寂しげな目で、自分のつま先を見つめ出されてしまったが。


 中庭に吹く風が、マンガのように『ひゅぉぉぉ…』と効果音を立てる。


 さっきまで綺麗な青空だったのに、太陽までが流されてきた雲に隠れてしまった。

 校舎裏が、ぐんと暗くなる。

「いや、正直に言った方が本人のためかな、と…」


「それでもひどいですー。もう少し言い方があるじゃないですか」


 さすがに今の発言は腹に据えかねたらしく、逆に怒り出してしまった。


「そうだな…だったら、味があるとか」

「…あんまり嬉しくないです」

 俯いた顔が悲しそうだった。

 ……もしかすると、家族がモデルになるのを嫌がった理由って、


「祐一さん、もしかして失礼なこと考えてませんか?」


「い、いや、全然」

 栞はとっても鋭かった。

「でも、折角だからこの似顔絵貰ってもいいか?」


「いいんですか、こんな絵で?」

「栞が俺のために描いてくれたものだからな、どんなのでも嬉しいよ」


「どんなのでも?」

「あ、いや…。そう、それに好きなんだったら、いつか上手くなるって」


「じゃあ祐一さん、毎日モデルになってくれますか?」


「絶対に嫌だ」

 きっぱりと俺は断った。

「ひどいです、練習しないと上手くならないじゃないですか」


 あの絵が、練習したってどこまで上手くなるものか。


「そういえばもぐらたたきも練習してるんだよな。どうなった?」


「もうっ、祐一さん、だいっ嫌いですっ」

 ちょうど鳴り渡った予鈴の音と共に、怒った栞は帰ってしまった。


「……ちょっと言い過ぎたか」

 今度商店街のアイスクリームショップでアイスを買うってことで、許してもらおう。














§














 下山し、コンビニで昼メシを安く上げて、商店街へ。


「あっ、ヒロくんっ」

 顔見知りのいないはずの街通りで、一人の人間がぱっとオレに近づく。

 今日も寒いこの街を、元気よく駆けるあゆだった。


「えへへ、うれしいよぉ」

「いつでも元気だな」

 背中の羽が、子犬の尻尾のように元気よく揺れている。毎日、なんでそんなに楽しーんだか。


「ヒロくんは元気じゃないの?」

「…まぁな」

 実際ここんとこ、琴音ちゃんを探す以外の事はしてないから、気が滅入ってきてんだよな。


「そうだ、あゆも探し物してるんだっけな」


「そうだ…よ」

 とたんに、さっきまでの元気が風船のようにしぼんでしまう。


 昨日先輩に聞いたときもそうだった。落ち込むことを知らなそうな表情が、この話題になると気の毒なくらい曇っちまう。


「んじゃ、今日はそれに付き合うぜ」

 オレは言った。

「えっ?」

「最初に約束したろ、一緒に探してやるからって。迷惑か?」


「ううん、全然っ、うれしいよっ」

 満面の笑顔で首をぶんぶん振る。

「いこっ、ヒロくんっ」

「お、おい、手を引っ張んなよっ」

「気にしたらダメだよっ」

 昼下がりの商店街を、最近知り合ったばかりの女の子に引きずられながら、オレの午後の捜索は始まった。

 

 

§





「クレープ屋にケーキ屋。行くところは甘味処ばっかじゃねーか」

「うぐぅ…」

 もっとも何を落としたのかすら分からないのに、オレ一人が加わったところで見つかるわけがなかった。

 そうやってうろつくオレの視界に、

「おっ」

 ゲーセンのネオンサインが入ってきた。

「ゲームセンターに、行くの?」

「ほんのちょっとだけ、息抜きな」







 中に入り、ざっと人口密度と筐体を確認。

 ……なんかやたら古いゲームしか置いてねーな。どれもこれもやり飽きたもんばっかりだぜ。


 おかげさまで中はほぼ閑古鳥だ。

「あれ? おいあゆ?」

 ふと気付くと、隣にあゆの姿が無い。

 慌ててとってかえすと、クレーンゲームのケースの板にべったりと顔をくっつけているあゆを発見した。


「欲しい人形でもあんのか?」

「ちがうよ」

「言っとくが、オレはそれ苦手だからな」

 ここだけの話、2000円3000円じゃすまねー『買い物』をしたことがある。


 まだくっついてるあゆを放って、オレは再び台の間を回った。


 すこしでもマシなのは…と、

「おっ…懐かしいもんがあるじゃねーか」

 オレらのところではもうとっくに廃盤になった台。中学のころは雅史や志保とこいつで熱く戦ったもんだった。


「久しぶりに100円だけやってみっか」

 Newとかいうシールが気になったが、オレはコインをいれゲームをスタートさせた。


 

 

 

 

 

 

§


 

 

 

 

 

 

 おいしいお弁当を食べて、続きを描きます。


 秋子さんのいった通り、日中は結構あったかいです。


 画面が眩しい… 

 画用紙の白、雪の白で、目がいっぱいに…

 

 

 

 

 

 

  

「祐一君…ひとつだけ、聞いていい…?」

「ひとつと言わず、いくらでも構わないぞ」


「…うん。でも、今日はひとつだけ…」

「…祐一君、お母さんのこと、好き?」

「好きだよ」

「ボクも、好きだよ」

「…それが、どうしたんだ?」

「…それだけ…」

 

 

「…あのね」

「…お母さんが、いなくなっちゃったんだ」


「…」

「…ボクひとり置いて、いなくなっちゃったんだ」


「…」

「…それだけ…」

 

 

 

 

 

 

 かくんっ。

 スケッチブックから腕がずれて、わたしは我に返りました。


 昼の陽気でうとうとしてしまったみたいです。いつもいる街よりもずっと寒いのに。結構のんきなのかもしれません。


「…お母さんのこと、好き?」

 そっと口に出して、自分に聞いてみました。


 …嫌いじゃありません。ママがある日突然いなくなってしまったらわたしは悲しむし、きっと恨むでしょう。


「けど…」

 うん、と強く首を振れるほど、今、わたしはママが好きじゃありません…。


 この雪も、空もきれいなのに、

 どうして心はきれいにならないのでしょう…。

「…!」 

 瞬き一つの間だけ、ママの姿が、公園の雪の上に立ったのが見えました。












§












「あ、あっ、あぁ~っ!」

「だ~~~~~~~~~~~~~~~ぁ、あと、あとすこしでっ!」


 裏面(と言うか2周目)の本当にラストのところで、オレが操るキャラは力尽きてしまった。


 くそ、もう100円…

 取り出そうと財布を捜すため、筐体から目を離してふと気付く。


「!」

「ヒロくん?」

 ばっ!

「うぐぅ、待ってよぉ」

 オレは外に飛び出した。

 

 かぁ~~~、かぁ~~~~~。



「……」

 辺りは街灯が付き、紅色の世界。要するに、もう夕方だった。


 だぁっ、なんてバカなことを。

 情けなすぎて、本気で自分を殴りたくなった。

 この大バカ野郎が、ひとでなしッ、アホッ、なんのためにここまで来て…


「……ねぇ、ヒロくん」

「?」

「ヒロくんは夕焼け、好き?」

 唐突にあゆが聞いてきた。

「…正直、この街に来てから嫌いになった」


「どうして?」

「今日も1日、琴音ちゃんを見つけれなくて無駄にしたって気分になるからな」


「そうだね…」

 夕日が、あゆの横顔を赤く染め抜いていく。


「それに…」

「それに…?」

 あゆに聞き返され、オレは慌てて緩んだ口を閉めなおした。


「なんでもねーよ」

 さっきのセリフは嘘じゃない。だがそれ以上に、あの夕日は人をそう思わせるような姿をしていた。


 赤い、赤い、不気味なくらい赤い色。

 その色がまるで…

「うぐぅ、無視しないで~」

「悪ぃ悪ぃ、小さいから目に入らなかった」


「ひどいよっ、すっごく気にしてるんだよっ」


「あゆは、どうなんだ?」

 返事代わりに、オレはそっくりあゆに返してみた。


「ボクも…あんまり好きじゃないよ」

 オレから眼をそらすように、前方に伸びた影法師を見つめて、続ける。


「夕日を見てるとね、淋しくなるんだ…今日も、終わっちゃうって」


 煌煌とした夕焼けは、オレたちを、らしくない姿に変えて沈んでいった。













§












 帰って、部屋で時間を潰し、いつも通りの時間に夕食を取る。


 そのまま習慣づいたソファへ直行し…

「…何か忘れてる気がする」

 そうだ。

 琴音も今日絵を描くという話だった…。

 本当ならすぐ見せてくれと言い出すところだが、昼に栞の絵を見ているため、怖くて口が開かない。


 幸いにしての誰一人話題にするものはない。このまま何事もなく終わらせて…。


「あ、そうだ琴音ちゃん。絵描いたんでしょ、見せてよ」


 名雪が、あっさりと俺の望みを打ち砕いた。


「あ、はい…いま持ってきます」

 琴音がとことこ2階に上がっていく。

 あの清楚なイメージが破壊される恐怖がじわじわと俺に襲いかかる。


 (なんだって今日はこんなに心臓に悪いことばかりなんだ。)


 ほどなくして、スケッチブックを抱えた琴音が戻って来る。


「あまり、うまくないですよ…」

 何故か差し出されたスケッチブックを、俺は不安一杯に順々に開いていった。


「……」

「あ、あの、あまりじろじろ見ないで下さい…」


「……」

「下手ですよね、やっぱり」

「…上手い」

 素人目にも分かる技法で、しかも上手い。上手いなどというレベルを超えている。


 写真のようでいて、絵にしかない温かみがある。これぞ風景画。


「あら上手………本当に、美しいですね…」


「すごい…………琴音ちゃん、絵の才能あるんだね」


 多少の出来事では反応しないこの二人ですら、息を呑んで驚いている。

 その辺の展覧会に出しても、まず賞を逃すことはないであろう腕前だ。


「どこぞの病弱画家に、爪の垢でも煎じてやりたい」


 確かに努力は大切だし、それで上手くはなると思う。だがここまで圧倒的な差を見せつけられると、能力とか才能の存在を感じずにはいられなかった。


「そんなことありませんよ」

 だがいたって本人は謙虚だった。















 何度も絵を書いてるけれど、パパにもママにもこんなに誉められた事はありません。


 もともと、ひとりぼっちを紛らわすために始めた絵。何度、見てくれたことでしょうか。


 それなのに見ず知らずのわたしの描いた絵を、こんなにも見てくれる。気にかけてくれる。誉めてくれる。


 わたしが絵を書きにいったことを、覚えていてくれていた。


 嬉しい。

 ふんわりと暖かい空気。

 わたしが欲しい空気が、その時はわからなかったけど、それがありました。


 他人のうちのジャム瓶を割り、学校をさぼって絵を描く。


 悪いことをしていたはずの時間は、とても幸せな時間でした…。
ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 22:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする

Schnee Traum ~第5話~ 1月20日(水曜日)<前編>

 もっとあそんでいたかった。

 ゆうやけぞらになって、月が見えて、いちばんぼしが見えても、あそんでいたかった。


 「わたしもうかえるよ、じゃあね」

 そのことばがきらいだった。

 うんととおまわりして、でもやっぱりうちについてしまう。


 ドアをあけるのも、いや。

 だって。

「………よっ!」






















 目が覚めました。覚めたけれど、眠いです。


 不思議な夢を見ました。

 外で遊び続けたいと願う夢。

 そう思った時がわたしにもあったのでしょうか。一人で絵を書きたいと思ったことは何度もあるけれど。


 もしかするとあったのかもしれません。

 自分が知らない記憶に……。



























……。

………。

「…わたしはもう、ご存知ですよね」

「あぁ、1年B組、姫川琴音ちゃんであってるだろ? ごめんな勝手に調べちまって」


「いいえ、わたし普通じゃないですから、藤田さんの目にとまるのもしかたないことなんです…」


 

 

「琴音ちゃんさ、よかったらオレにもう一度超能力を見せてくれないか」


「ダメです、このチカラは危険なんですよ」


 

 

「わたしの思い通りには出来ないんです。勝手にチカラが外に出てしまうんです」


「それってつまり、制御不能ってこと?」

「それでも100%思い通りにできないわけじゃないんです、人のいないほうへチカラを向けるのがせいぜいですけど…」


 

 

「少しでもコントロールできるんだろ? じゃ頑張って全部コントロールしちまおうぜ」


「今までもコントロールしようとやってみたんですが、ダメでした…」


「それは今までの話だろ、これから成功させんだよ。オレは決めたからな、琴音ちゃんが超能力をコントロールできるようになるまで、オレが応援してやるよ、な!」


 

 

「…ダメなのか?」

「いえ…」

「じゃ、やってみようぜ」

「…それに、自分からこんなチカラを使うなんて…」


「そんなことねえって、超能力だってうまく使えば便利なもんだって」


「…わたし、イヤなんです。こんなチカラがあるだけでみんなから仲間外れにあって…」


「…ゴメン」

「………」

「でもな、今より良くなるとしたら、やるしかねえだろ? 言ったろ? 琴音ちゃんを応援するって。もう一人じゃねえんだよ、な?」


  ………。

  ……。





















『朝~、朝だよ~』

「…わかってるって」

 学校が始まって数週間、いつにのまにかこの時間に目が覚める習慣になっていた。


 そして琴音と出会った日から、夢で目を覚ますのもまた習慣になっていた。


「…我ながら規則正しいよな」

 少しは名雪にも見習って欲しいと思う。

「…絶対に無理だな」

 自問自答に2秒で結論を出し、着替えの服を取り出した。






 1階では、毎日微妙に違う俺の起床時間を察知した秋子さんと、焼き立てのトーストが出迎えてくれる。


 席に着くと、煎れたてのコーヒーがそれに加わる。


 琴音が来る前からの、いつも通りの食卓風景だった。


「このジャム、おいしいですね。自家製なんですか」


(適度に)ジャムが塗られたパンをかじりながら、琴音が秋子さんに話し掛けた。


「琴音ちゃんはジャム好きなの?」

「いつもは朝、ご飯ですから」

「そうなの? じゃ、明日は和食にしましょうか」


「え、いいんです。どれもすごくおいしいですから」


「そう……じゃあ、他のも試してみませんか?」


 秋子さんが冷蔵庫へと足を向けた。

(過度に)イチゴジャムを塗っていた名雪の動きがぴたりと止まる。


 ずっと平和が続いていたから、危険察知の感覚も鈍っていたのかもしれない。さっき秋子さんが質問した時点で気付ねばならなかったのだ。


 オレンジ色の死神。

 日が経った今でさえ、思い出せば口の中があの味になるほど強烈な記憶を擦り込んだ、あの魔物。

 それがまた現世に姿を現そうとしている。

 逃げなければ。この場にいては確実に犠牲者になる。


 けれども名雪を伺うと、身体を外に向けているものの、席に残っていた。

 やはりこの純情可憐な少女を見捨てることに良心の呵責を感じるらしい。

 無垢な琴音は俺達の様子に首をかしげている。


 絶体絶命だ。

 冷蔵庫の扉が閉められる。その音は、重く、希望という明かり窓が閉じられた音に感じられた。


 その時だった。

「あっ!」

 秋子さんの手から、例の大きなジャム瓶が転がり落ちた。


 歓呼しそうなのを懸命にこらえつつ、俺は拳を固く握り締めた。


 けれども。



 ごとん。



「……」

「……」

 特大ジャム瓶は鈍い音を立てたが、割れずに床に転がった。


「………」

「………」

 希望から絶望へ叩きつけられたときのダメージは計り知れない。


 全身の力が奪われていくのを感じた。

 名雪に至っては『もうわたし、世の中に疲れちゃったんだよ』とでも口走りそうな様子で、薄笑いさえ浮かべていた。


 ところが。



 ビキッ!



 唐突にヒビが入り、



 ………バリンッ!



 かなり遅かったが、瓶は原型を失うほどきれいに砕け散った!


「あ、秋子さん、残念でしたね、せっかくのジャム」


 そそくさと席を立ち、ガラス瓶の破片をオレンジ色に混ぜ込む。


「お、落ちちゃったものは食べられないよおかあさん、それに、ほらガラス混じっちゃってるし…」


 そそくさと名雪も立ちあがり、目にも止まらぬ速さでジャムを生ゴミ入れに捨てていく。


「でも、上の方はまだ大丈夫かも…」

 なおも抵抗する秋子さん。この家に来てから、ここまで諦めの悪い秋子さんを初めて見た気がする。


「ご、ごちそうさまでした」

 複雑な表情をして、琴音が食卓を立った。その流れに合わせ、魔物を葬った俺達も支度をする。


「じゃ、行ってきます」

「……」

 俺達が家を出るときも、秋子さんは本当に残念そうな顔をしていた。














§














「すみません、あの瓶を割ったの、わたしなんです」


 隠しきれずに、通学途中にわたしは切り出しました。


「わたしのチカラは、もう見せましたよね。…たまに、予知が出来ることがあるんです」


「予知?」

 相沢さんが聞き返しました。

「漠然としたイメージだけなんですけど。あの瓶を見たとたん、すごく、危険だと感じました…」


 これ以上ないというほど、怖いものがくるような感じでした。


「それに名雪さんも相沢さんも顔が引きつってましたし…そう思ったら、勝手にチカラが……」


 わたしは俯きました。許されることではありません。また制御できずに物を…。


 怒らないでください、許してくださいが出て来ません。


「琴音、本当に、本当によくやった」

「命の恩人だよ…」

 ふたりが思いきりわたしを抱きしめてきたからです。ものすごい喜び方です。息が出来ないくらいです。


「あの…」

「琴音、俺達は正義だ。後ろめたく思う事はない」


 あのジャム……きっと触れてはいけない過去があるんだと強引に納得しました。




























「もうすぐで見えてくるはずだ」

「…ほんと?」

「ああ、もうすぐだ」

「人けのない場所…?」

「なんか、引っかかる言い方だけど…まぁそうだな」


 

 

「でっかい木だろ?」

「この木だけは、街中からでも見えるんだぞ」


 

 

「ちょっとだけ、後ろを向いていてもらえるかな?」


「…それはいいけど…どうしてだ?」

「どうしても」

 

「………っ!」

「母さんとこれとは関係ないだろ!」

「じゃ言うわ、耐えられないっ」

 

「わぁ。街が真っ赤だよ」

「何やってんだ!」

「ボク、木登り得意なんだよ」

 

 

「風が気持ちいいよ」

「本当に、綺麗な街……ボクも、この街に住みたかった…」


 

「喧嘩してるのを見せると子供に悪影響を…」


「だったら私の言い分も聞いてよっ!」

 

「街の風景はどうだった?」

「秘密」

「どうして秘密なんだよ…」

「あの風景は、言葉では説明できないよ。実際に見てみないと」


「だから、俺は高いところが苦手なんだって…」


「でも、秘密」





















「……」

 また、訳の分からない夢で目を覚ました。


 途中、離婚騒動でもやってるように言い争う夢が混じって、まるで秩序がない。


「夢も混線ってするのかね」

 さて、今日こそ琴音ちゃんを見つけないとな。






§






 3…2…1……ゼロ。

「終わった…」

 最後の宿泊施設から、オレはがっくりと肩を落として出てきた。


 この街の全宿泊施設を当たってみたが、『姫川琴音』の名前はなかった。


 琴音ちゃんがこの街にいるとすれば可能性は二つ。


 偽名を使ったか、宿泊施設以外のところで寝泊りしているか。どっちにしろ健全な状況じゃない。


 最悪の可能性、誰かの車で街を出た…が頭を掠める。そうなったらオレには完全にお手上げだ。


 …そもそも元からこの街にいるかどうかだって疑わしいんだよな。


 琴音ちゃんがここにいるという支えになりそうなのは、今のところ駅員の証言だけだ。






 ――この木だけは、街中からでも見えるんだぞ






 ショックで疲れた頭に、朝の夢が映しだされた。


 街中からでも、見える木…?

 ついつい首を巡らしてしまうが、一見してそんなものはない。


 だよな、やっぱりあの夢は妄想だよな。













§














 青い色画用紙に包まれたように、どこまでも青い空が続きます。


 相沢さんから教えてもらった公園で、わたしは絵を書きます。


 平日なのでわたしの他は誰もいません。貸し切りです。


 るる…

 何かが、こつんと足首に当たりました。 


 …るる…

 ハトのくちばしでした。

 ハトは、いつもいっぱいいるので、あまり好きになれない鳥です。でも、今日は1羽きりでした。


 わたしに食べ物をもらいに来たのでしょうか。足取りがふらふらして、大分弱っているみたいです。


 ……本当に、出来るのでしょうか。

 ハトに、わたしは昨日のヒーリングをもう一度、試してみました。


 治したいと言う気持ちだけをいっぱいにして、手をかざして……。

 「……っ!」

 チカラを使った痛みが、走ります。

 くるる、くるる……。

 「……ぁ…」

 元気になりました。思わず自分の手を見つめてしまいます。










 ――超能力だって、うまく使えば便利なもんだって










 チカラを特訓していたときに言われた言葉。今なら笑って、そうですねと返せそう。


 でも、藤田さんはもういない。今、わたしの側にはいない。


 物思いを振りきるように、わたしは鉛筆を取りました。














§














「えっと。それで今日はどうするの?」

 授業が終わって、名雪がいつものように昼食の話題を振ってきた。


「あたしはいいわ…今日は食欲ないから」

 香里だけが、普段とは違った反応を見せた。


「ダイエットか?」

「…そうね」

 どうでもいいというように、気のない返事をする。


「…相沢君はどうするの…?」

「俺は行くところがあるから」

「祐一は、1年生の女の子と食べるんだよね」


「…なんで知ってるんだ」

「前に、祐一が言ったんだよ…風邪で休んでる1年生の女の子…って」


 そういえばそんなことを言ったような気もする。しかし、名雪にそんな事を言われるとは意外だった。


「あ…私学食だからそろそろ行くね」

「ああ、気をつけてAランチ食ってこい」

「私、いつもAランチじゃないよ」

「少なくとも俺が知ってる限り同じもん食ってるだろ」


「偶然だよ、偶然」

「…そういやオレが見たときもAランチばっかりだな」


「それも偶然だよ…」

「…あたしが見たときもそうね」

「偶然…」

「えらくたくさん目撃されている偶然だな」


「それじゃ私いってくるね」

 それ以上の追求を逃れるように、名雪が財布を持って慌ただしく離れていく。


「じゃ、オレも学食にするか」

 名雪に続き、北川も教室から消えた。

「……」

「……」

 ……。

 結果的に、俺と香里だけが取り残される形となった。


「じゃあ、俺も行ってくるから」

 俺も、中庭に行くべく支度する。

「相沢君…」

 香里が抑揚のない声で呼び止める。

「…ひとつだけ答えて…その子のこと…好きなの?」


「たぶん、好きなんだと思う」

 寂しげに雪の中で佇んでいた女の子。

 今、香里がそうしてるように、悲しげに窓の外を見つめていた白い肌の少女…。


 初めて出会ったときから不思議さも手伝って、心を揺すられた。


 たぶん、今は、好きなんだと思う。

 そうじゃなければ、昼間とはいえあんなに寒い場所に、今日も出ていったりはしない。


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Schnee Traum ~第4話~ 1月19日(火曜日)<後編>





「ほら一年生に超能力少女がいるって4月ごろ騒ぎになったじゃん、姫川さんって言うんだけど…知ってます、って? よかった、話がしやすい」

 なおも引き離そうとするじじいを、先輩が異例の説得をして、オレたちは喫茶店に入った。

「その子がさ、家出してこっちの方にきちゃったんだよ。それで、オレちょっと関わりがあったから責任感じて、捜しにきてるわけ」

 オレはとりあえず話した。

「そういえば、先輩はなんでこっちに来てるの?」

「………」

「旅行です、ふーん、大変だな旅先までこんなのがくっついてきて」

 嫌そうに、視線をじじいに向けてやる。

「私(わたくし)めは芹香お嬢さまのボディガードでございますから」

「あれ、でもさっきヒロくんに会いに来たって…」

「………」

「?????」

「気のせいです、ってさ」

 まだ先輩に慣れない(さっきの一喝が効いているせいもあるだろうけど)あゆにオレは通訳した。

「………」

「早く見つかるといいですね、そうだな」

「………」

「えっ、幸運がくるおまじないをしましょうかって? お願いする…」

 その時、オレの頭に雷光のように名案が閃いた。

「そうだ先輩、占ってくれよ! 今どこに琴音ちゃんがいるのか!」

 その方が手っ取り早いぜ。

 そんなのできるわけないと言いそうな顔のあゆに対し、わかりましたと先輩は答えて、模様の突いた小石を幾つか取り出した。

「最近ルーン占いをはじめたんです、て。ま、いっちょ頼むぜ」

「………」

 オレたちにはどう占ってるかさえわからないので、しばし先輩の手元を見ながら静かにしておく。





§





「………」

「確実にこの街にいます? ありがと、でももっと具体的になんないかな…」

「………」

「その人の体の一部でもあれば…それに昼間だと…、あ、そうか、ごめんな先輩、無理言って」

 頼んだコーヒーも、そろそろカップの底が見えてきた。

 じいさんもさっきからテーブルのふちをカタカタやってるし、これ以上引き伸ばすのも無理そーだな。

「あの…」

 その時、にわかにあゆがもじもじし出した。

「どうしたあゆ?」

「……ボクの探し物も占って欲しいんだけど」

「………」

「どんなものですか、って」

「……どんなものか、ボクにもわからないんだよ…」

 お、おい待て!?

「何かわからない物を捜して、お前は商店街をうろついてたのか?」

 無謀にも程があるぞ。

 …占いでも困るほど手がかりが少ない琴音ちゃんを探してるオレの言えたセリフじゃねーか。

「でも、すごく、すっごく大事なものだってことは覚えてるんだよ…」

「でもな、さすがに無理だろ…」

「見ればきっと思い出すもんっ、ほんとに大事な、大事な…」

「………」

「えっ?」

 あゆのあまりに悲しそうな顔に打たれたのか、一応やってみますと言って、先輩は今度は慣れたタロットで占いをはじめた。













§













「そう言えば、栞って趣味とかないのか?」

 腹もひとごこちついて、並木道をまた戻りながら俺は栞に聞いてみた。

「趣味…ですか」

「そう、薬コレクションとアイスクリームを食べること以外に」

「両方趣味じゃないですよ」

 栞に非難の視線を向けさせるのが、最近俺の中で目標になりつつある。

「そうですね…私、絵を描くことが好きです」

 そういうと栞は目を細めて、珍しくかなり照れたような表情を見せた。

「最近は描かなくなりましたけど、昔はスケッチブックを持ってよく絵を描きに行ってました」

 話によれば今日の公園も、その時偶然見つけたのだという。

「絵って、抽象画とかか?」

「風景画です、それと…似顔絵もよく描いてました。まだまだヘタですけど…でも、絵を描いてると楽しいんです」

(そういえば、琴音の趣味ってなんだろう)

「祐一さん?」

「……あ? なんだ?」

「また話聞いてくれないんですね。……嫌ですか、私といるの」

「ち、違うって」

 まただ。

(何でこうタイミング悪いんだ、俺は)

 というより、なんで琴音のことをすぐに考えるんだろう……。













§













「………」

「やっぱり、どんなものかわからないと難しいってさ」

 予想通りの結末だった。

「うぐぅ…」

 でもオレも半分は残念だった。あゆの探しものが見つかれば、琴音ちゃんだってきっと見つかると希望が持てたのに。

「………」

 だが、来栖川先輩の言葉は、まだ続いていた。

「でも、それを捜すときっと良くない結果を招きますって、先輩っ、ちょっと!」

「お嬢さま、そろそろお時間でございます」

 それ以上の追及は、じじいによってかき消された。

 くそ、先輩のお言葉だぞ。すげー気になるじゃねーか。







「すごくきれいなひとだったね…」

 二人がいなくなったあと、あゆがそう感想を述べた。

「当たり前だ。日本で五本の指に入る大富豪、来栖川グループのお嬢様なんだからな」

 オレも3月当初はそうと知らなくて、思いっきり志保にバカにされたっけな…。

「でも、なんでヒロくんはあの人がしゃべってるってわかるの?」

「バカ、ちゃんと喋ってるじゃないか」

「表情も変わらないよ」

「それは……理解するのに熟練の技術を要するな」

「ねぇ、ヒロくん」

 神妙な面持ちであゆが尋ねてくる。

「どうした」

「あの女の人、あのおじいさんの腹話術人形だって事はないよね……」

 な、なんつー暴言をっ!

「…いいのか、来栖川先輩は本物の魔法使いだぞ」

 オレはわざと声を潜めた。

「え?」

「ウソだと思ってるだろ、でもオレは何回も見てる。雲一つない青空なのに雨を降らせたり、死んだ飼い犬の霊を呼んだり出来るんだぜ」

「だ、だから?」

「今の言葉を聞きつけて怒って、くくく、明日の朝起きたらカエルになってるかもしれねーぞ」

「うぐぅ、カエルになるなんていやだよっ」

「はっはっはっは、知らねーぞ」

「うぐぅ、ヒロくんひどいよぉ、先に教えてよっ」

「………」

「え。メチャクチャなこと教えないで下さいって? …せ、せんぱいっ!?」

 あゆのこと言えた口じゃなかった。オレは背後から近づく先輩の気配を全く感じていなかった。

「な、なんのよう?」

 二回くらい声を裏返して、オレは先輩に尋ねた。

「………」

「え、なにか困ったことがあったら、これで連絡を下さいって」

 オレの動揺にも構わず、先輩は服のポケットから携帯を取りだし、オレに持たせた。

 こりゃ助かったぜ。

「使っちゃっていーの?」

 こくこく。

「じゃ、ありがたく使わせてもらうよ、本当にありがとな、先輩」

 どういたしましてと頭を下げ、先輩は今度こそ去った。

「ヒロくん、それなに?」

「はい?」

 あゆの間の抜けた質問に、オレはズッこけそうになった。

「何って、携帯電話だろ」

「けいたい? それが?」

「まさか、初めて見たのか?」

「うん。今日はじめて見たよ」

 マジかよ。こりゃ現代人のシーラカンスだぜ。

「んじゃ好きなだけ見ろよ。ほら、ここでダイヤルして、顔に当てれば話が出来る」

「……親友というより子分だね…」

 呟いた言葉の意味は分からなかったが、携帯をとっかえひっかえ眺め回してあゆは驚いていた。

 それにしても携帯電話を知らねー奴がいるとは、

「…いまどき、幼稚園児だって知って」

「…ひ・ろ・く・ん・い・ま・な・ん・て・い・お・う・と・し・た・の・?(にっこり)」

 マズい。

 この笑みは『あなたを殺します』スマイルだ。

「それなら、もしかしてメイドロボも知らないだろ」

 あわててオレはあゆの興味を逸らした。

「めいど…ロボ?」

「ロボットのお手伝いさんだよ。家事とか接客とかするんだ」

「二頭身でねこ型?」

「もっと人間に近い形をしてる」

 いつもは真面目に働いてるメイドロボも、今のセリフを聞いたらさすがにただじゃ置かねーだろ。

 メイドロボの底辺理解のため、オレはしばらくあゆに、メイドロボのことを話しつづけた。

「そんなすごいロボットがいるんだ。一度見てみたいよ」

 あゆは目を輝かせて、しきりにうなずいていた。

 ……。

 確かに、この街に入ってからメイドロボを全然見てねーな。

「オレの住んでるところが特殊なだけか」

 来栖川研究所のお膝元だからやたらと見かけるだけで、普通は見かけねーのか。

 世界に冠たる一大産業と言われているけど、現実はこんなもんかも知れないな。













§













「猫アレルギーだったんですか…」

「そうなんです、だから名雪に猫を勧めるのはやめてくださいね」

「生き地獄ですね……目の前でひどいことして、ごめんなさい」

 『ごめんなさい』より『かわいそう』の目の色で、琴音が名雪を見た。

「ううん。悪いのは祐一と香里だから」

「まだ恨んでたのか」

「あと十年は覚えておくよ」

「名雪、ごはん食べてるときに、怒った顔しないの」

 朝のねこ騒動がおかずになって、食卓は非常に賑やかだ。

「だって、ねこさんだもん」

「本当にかわいかったですよね」

「うんっ」

 名雪の立場を生き地獄と評したあたり、琴音のねこ好きは、名雪に匹敵するかも知れない。

「でもねこさん、私が手を伸ばしてもぜんぜん近づいてくれないんだよ…」

「それは名雪さんが猫の目を見つめてるからですよ。目を見られると、わたしたちにその気がなくても、向こうはケンカの合図だと思いますから」

「そうなんだ。ありがとう琴音ちゃん」

 どうでもいいが、このままだと猫色で一日が終わりかねない。

「そうだ……琴音って、普段はどんなことするのが好きなんだ。なにか趣味とかは?」

 俺は栞にした質問を琴音にもしてみた。

 ややためらったのち、琴音は、

「趣味というほどではないですけど、絵を描くのが好きです」

 俺はデジャ・ブを覚えた。

「絵? 似顔絵なの、それとも風景画?」

「風景画のほうです」

「ふぅん。この街の絵を書いてみたら、昔のこと、思い出すかもしれないね」


 ぱかっ。

 名雪がたわけたことをぬかしたので、一発殴っておく。

「祐一、痛い」

「真に受けて、また風邪引かせたたらどうするんだ」


 ずっとここに住んでいる(仮に住んでいなくても)名雪にはわからないだろうが、この街は出歩くのに寒過ぎる。

 だが、

「そうですね、どうせ暇ですから、そうしてみます」


 あっさりと琴音は承ってしまった。

「ほら見ろ、お前の戯言を本気にしちまったじゃないか」


「ざれごととはひどいよ…」

「日中だったらきっと大丈夫じゃないかしら」


「秋子さんまで…」

「お弁当作っておきますから」

「ありがとうございます」

「できた絵、見せてちょうだいね」

「あまり期待しないで下さいね…」

 女性陣の意見に、とうとう俺も折れた。

「描くんだったら絶好の場所があるぞ」

 今日栞とのデートで行った公園を、俺は琴音に紹介した。





§





「……」

 目を瞑っても、全く寝つけなかった。

 閉じた瞼に、2階の教室で、外の風景を眺める栞の姿が映る。





 ――この空は、祐一さんと同じですから





 3階なら、俺の座っている席で、

 本当に、本当にそこが、遠い昔の思い出の場所であるかのように栞は呟いた…。









 ――新しい学校で、新しい生活が始まる、その日に……私は倒れたんです





 ――本当は、その日もお医者さんに止められていたんです。でも、どうしても叶えたかった夢があったんです





 ――お姉ちゃんと同じ学校に通うこと…お姉ちゃんと同じ制服を着て、そして学校に行くこと…





 ――お昼ご飯を一緒に食べて、学校帰りに偶然会って、商店街で遊んで帰る…





 ――そのことを言ったら、お姉ちゃん笑ってました。安上がりな夢だって…









 どこか諦めにも似た栞の笑顔の向こう側にあるもの……。

 それが頭の中で、徐々に形作られていくのが感じられた。



























「今日もダメだったか…」

 今日の収穫は来栖川先輩の占いの結果と、同じく先輩からもらった携帯だけだ。

 部屋に着いて寝っころがると、宿の電話機が目に入った。

 …そういや16日に掛けてからずっと向こうに連絡してねーな。

 オレは志保に一本入れる事にした。

「はいもしもし」

 掛けると、ワンコールもしない内に志保が出た。

「よお志保」

「よお、じゃないわよアンタ! こっちは心配してるんだから連絡くらいよこしなさいよ」

 たちまちケンカ腰の声が受話器から聞こえてくる。

「悪かった、今日まで何一つ進展しねーもんだからさ」

 オレは、今日までの行動をかいつまんで説明し、未だに、この街にいるという情報以外は何もないと報告した。

「それよりどうだ、学校の方は」

「ぜんぜん、なんにも変わっちゃいないわよ。アンタがいなくても世界は回るってね、ちょっと自意識過剰なんじゃない?」

「おめーが余計なガセネタを流さなければ平和なんだな」

「なんですってぇっ~~~~! 何がガセネタよ、志保ちゃんネットワークをバカにして、何度アンタを助けたと思ったのよ!」

「くっ…」

 確かに琴音ちゃんに関しては、世話になってるから、分が悪すぎるぜ。

「ほらほら、何か言ってみなさいよ~~~」

 ところが向こうの電話口が唐突に騒がしくなった。

「…ちょ、ちょっと、あかり!?」

「お、おい志保、あかりがいるのか、そこに!?」

 まもなく、わかったわよと諦めた声がして、話し手が変わった。

「もしもし、浩之ちゃん?」

「え~、おかけになった番号は現在使われておりません」

「浩之ちゃんだね…」

 数日ぶりのあかりの声は、妙に感傷的に聞こえた気がした。

「うぅぅ…ひろゆきちゃん………ひろゆきちゃぁぁぁん……」

「お、おいあかり、泣くなってっ」

 あかりの声はみるみるうちに涙声になってしまった。

「ひろゆきちゃんはやく、はやく…」

「わかったわかった、早く見つけて帰るから、だからもう泣くな」

 電話口の向こうで、早く代わってよと数言交わされ、扉が閉まった音と共に話し手が志保に戻った。

「訂正。約1名を除き、平和、ね」

「……」

「一応、家に帰るまではずっとあたしがついてるわ」

 向こうはむこうで、苦労が絶えないみたいだ。

「家ではあかりの母さんに頼んでる。あぁ事情話したけどそれは勘弁してよ。あの人ならあかりを抜け出させたりはしないだろうから」

「雅史は?」

「ちょっと雅史にはこれ任せられないわね。あかりに涙ながらに頼まれたら逃走を手助けしそうだからね」

 確かにそーだ。ただでさえ雅史は女のお願いに弱いからな。

「いまんとこはこれで大丈夫だと思うけど…、でもいつ強硬手段に打って出るか…」

「……」

「思い込んだら絶対に考えを曲げないからね…あかりは」

「…あぁ」

「だから、早く探し出して、戻ってきてちょうだい。それが一番の解決策だから」

 こんなに素直な声が、志保の真剣さを裏付けている。

「わかった。迷惑かけて、すまねぇ」

「アンタにそう言わせられれば報酬は十分よ、じゃね、お休み」

 電話は切れた。

 改めてオレは志保に感謝した。ガキ大将と同じで、普段はイヤな奴だがいざって時はほんとに頼りになる。

 明日こそ、絶対に見つけて一緒に帰らねぇと…。

 決意も新たにオレは布団にもぐり込んだ。

 











§













 ――この子たちはいるべき場所にいるのが一番いいんです











 ふとんの中にもぐり込んで目の前を真っ暗にすると、昼の言葉が何度も何度も聞こえてきます。

 わたしのいるべき場所…

 いる場所がなくて逃げて来たあの街? いたような記憶がある、全く知らないこの街?

 どちらも違う。どっちにも、わたしの場所はない。

 わたしの居場所って、どこなんでしょう…

 でも、今日はすごくうれしいことがありました。

 わたしのチカラは傷つけるだけじゃないって、わかったこと。

 すこしだけ、自分のチカラが、好きになれそうです…

 あのきつねは、今ごろどうしてるでしょうか。ちょっと心配になりました。

 また明日会えますように。

 おやすみなさい。


ラベル:Schnee Traum
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2020年08月04日

Schnee Traum ~第4話~ 1月19日(火曜日)<前編>



人…



自分を囲むように人が立って…



廊下で、自分の前方から歩いてくる人はいない



目に映る人全てに避けられつづけて



学校を足早に抜けて、誰もいない公園へ…



ずっとひとりで座って…



日が落ちるまで…





















 カチッ!

 目覚し時計が『あ』を発しかけたところでスイッチを切った。

 眩しい光がカーテンの向こう側から差し込んで来る。今日もいい天気になりそうだった。



























 ……。

 わたしは目を覚ましました。

 いつもの朝なら寝ている間に溜まったチカラで身体が重いのに、今朝はまたそれが軽くなった気がします。

 今日も、夢。

 今日は、イルカが麦わら帽子を取ってくれたときの夢を見ました。

 本当に楽しい思い出。そのおかげで、わたしは今もイルカが好きなんです。

 そう、あのころは楽しかった。いつもママもパパも笑っていて。

 だから、悲しい。いつからあんな風になってしまったのだろう。

 思い出と今の両親とが上手く結びつかず、わたしはため息をつきました。













§













 朝食のテーブルには、今日も彼女、オレ、名雪の順でついた。

「なあ、ちょっといいか」

 俺はその席で早速、昨日から考えていたことを提案した。

「これから家で暮らすとき、呼び方を決めないと不便だろ……なんて呼べばいい? 俺は好きに呼んでもらって構わないけど」

「あ、年下ですから呼び捨てで『琴音』で構いませんよ。相沢さん」

「じゃ、いつまでか分からないけど、よろしくな琴音」

「それで今日は、どうするの琴音ちゃん」

「もう少し、この街を歩いてみます……不思議なんです。わたし、この街を知っているみたいなんです」







 3人で並んで通学する。

 歳は琴音が一つ下、しかも4日前に会ったばかりなのに、ずっと前からこれが普通であったように思える。


「今日は健康にいい登校が出来そうだ」

「どうして?」

「朝からマラソンをせずにすんでるからな」

「うー」

 実際琴音のおかげで今朝は早かった。おかげで、今日は午前授業で体操服を着込まなくていいのだと思い出した。

 それだけの理由でも、ずっといて欲しいと思ってしまう。

 だが早々簡単に神は、慈悲を与えてはくれなかった。


「あ、ねこさん…」

 この前の猫が、また塀の上に怠惰に乗っかっていた。


「うなぁ~~~」

 相変わらずの可愛げのない様子に、即座にあの日の悪夢が蘇る。

「あ、かわいい……、おいで」

「にゃ~ん」

「は?」

 驚愕して声の出所を見ると、琴音が嬉しそうに猫に呼びかけていた。

「ふにゃ~」

 言葉がわかったかのように自分から歩み寄ってくる茶猫。手を伸ばした琴音に嬉しそうに抱き上げられる。


「まさか琴音も…猫好きなのか?」

 俺は迫り来る頭痛を押し殺して聞いた。

「はいっ!」

 今までで一番元気のいい返事が返ってきた。


「かわいいですよね、ねこって」

「ねこーねこー」

 当然、名雪の猫モードに灯が入る。

「……琴音、落ちついて聞いてくれ。その猫を持って、ここから全速力で逃げるんだ」


「はい?」

「ねこ~ねこ~」

 徐々ににじり寄る名雪。

「理由は聞くな。頼む」

「え? でも、かわいいですよ? ほら」

 琴音は野良猫に頬ずりまではじめた。

「ねこさんだよ~~」

 名雪はもはや壊れ加減だ。

 頼む、それ以上は勘弁してくれ。

「名雪さんも抱きませんか?」

 だが無慈悲にも琴音は、止めの一言を放った。


「ねこねこねこ~~」

 名雪の理性が吹き飛んだ。琴音ごとつかみそうな勢いで動き出す。


「待て名雪!」

 間一髪のところで俺は名雪の襟首をつかんだ。


「離して祐一っ、私は猫さんに頬擦りしたいのっ!」


「お前を連れて登校する俺の立場を考えろっ。学校中の笑い者にする気かっ!」

 俺は必死になって名雪を羽交い締めにした。にもかかわらず名雪と猫との距離はじりじりと縮まって行く。


 男一人が全力で抑えているのにもかかわらず、だ。


「……何やってんの?」

 気がつかなかったが、さっきから香里が一部始終を見学していた。


「見れば分かるだろ、助けろ!」

 猫を抱えた少女に泣き叫んで近づこうとする少女と、羽交い締めにして止める男。


 一見して、何が起こっているのか見当も付くまい。


「しょうがないわね…名雪、行くわよ、ほら!」


 だが、付き合いの長い香里はさすがわきまえたと言ったところか。


「あ、あの…?」

「理由は帰ったらじっくり話す。何も見るな」


「うー、ねこーねこーねこー」

 完全に正気を失っている名雪を引きずって、俺達は学校に向かった。





§





「祐一、香里、大嫌い」

 学校に着いてからの名雪の機嫌は最悪だった。

「帰ってから好きなだけ抱けばいいだろ」

「……」

 机にうつぶせたまま、返事すらない。

「帰りに百花屋でイチゴサンデーおごるから、ね」

「……」

 香里の言葉にも、微動だになし。

「手がつけられないわ……」

「長い付き合いなんだろ、対処法はないのか?」

「今日のグレかたが今までで最悪だわ…」

 確かにイチゴサンデーで機嫌が直らないとなると、相当頭にきてるのは間違いない。

「それより、あの子、誰?」

「いや、ちょっと訳ありでな」

「あなた達の隠し子?」

「……冗談でも無理があり過ぎると思わないか?」

 最終的に名雪とは、俺がイチゴサンデー2杯、香里がAランチ二回おごりの条件で和平が成立した。



























 …どんっ!



「えぐっ…うっ…」





「と、とにかく場所を変えるぞ」





「…お母さん…うぐっ」 

「一体何があったんだ?」





 く~

「なんだ、もしかして腹減ってるのか?」

 く~

「ほら、そういうときは素直に頷く」





「…あったかい…」

「たい焼きは、焼きたてが一番だからな」





「…しょっぱい」

「それは、涙の味だ」

「…でも…おいしい」





「……まって…」

「…やくそく」

「…ゆびきり」





「…うそつき」





















 ……。

「なんだったんだ…」

 完全に目覚めているはずだが、幻覚の中にいるような感覚でオレは目を覚ました。

 全く記憶にない夢だった。

 オレは子供のころの記憶に関しては、少しは自信があるつもりだ。だけど、あんな女の子にすがられた記憶はどう思い出しても見当たらない。

 第一、

「あの商店街は、この街の商店街じゃねーか?」

 …妄想、かな。

 だとしたら、今までで1、2を争う相当リアルな妄想だったな。





§





 今日も登校時間を避け、外へ出る。

 商店街に入ったところでダッフルコートを着た小柄な女の子の姿が映る。あゆだ。

「お~い、あゆあゆ」

「あゆあゆじゃないもん」

 膨れっ面をしてあゆがこっちを振り向く。

 えっ?

 最近どこかで聞いたような、何か引っかかったようなもどかしさを、オレは感じた。

「ヒロくん?」

 今交わされた会話……『あゆあゆ』というフレーズか?

 あの夢のどこかに、出てきていたのかもしれない。

「ねぇ、ヒロくんてば」

「あ…あぁ、悪ぃ、ちょっと考え事してた」

 しかし、あゆに話題として振ろうにも、夢はあまりに断片的過ぎて説明しようがなかった。

 白いリボンをした女の子が泣きながらぶつかってきて、どこかでたい焼きを食べて、指切りをして、青い髪の女の子に文句言われる…

 登場人物が誰なのか、オレにはさっぱりわからない。













§













 わたしは、今日も当てもなく歩きます。

 今日は、昨日と反対方向に進む事にしました。

 さすがにこちらでは、何か思い出すような感覚に襲われる事はありませんでした。

 …………琴音、か。

 相沢さんにはそう呼んでくれるよう頼んだけれど、そう呼ぶのはパパとママしかいません。

 でも、相沢さんに『琴音ちゃん』と呼ばれるのは、怖い。

 そして、辛い。

 わたしはやっぱり、臆病なままです…。

 そうして歩いてくわたしの前方に、

「? ……!?」

 街中だというのに、きつねが、怪我したきつねがうずくまっていました。







 わたしは駆けより、膝の上に寝かせました。

 左足が何かに引かれたみたいです。

 声もあげず、ただ苦しみに耐えている顔でした。

 どうしよう。

 病院に連れていかないと。でも、どこに?

 初めて来たこの街。せっかく見つけることができて助けたくても、わたしには何も出来ない…。

「ごめんなさい……」

 泣きそう、胸が潰れそうです。

 そのとき、

 身体が、

 続いて手が、かっと熱くなり、

 最後に、チカラを使ったときのような痛みが頭に走りました。

「……っ」

 頭を押さえて、わたしは辺りを見回しました。



 ………彼の傷が、治っていました。









 ――超能力ってのは、上達すると傷が治せるんだってな、ヒーリングって









 昔の藤田さんの台詞が、わたしの中で蘇りました。

 わたしに……、わたしにこんなことが出来るなんて。

 すると、きつねは膝からぴょんっと降り、ついてこいと言うように振り向いた後、歩き始めました。

 猫についていって素敵なアンティークショップを見つけた女の子のお話が、ふと頭をよぎりました。

 彼は、わたしをどこに連れてってくれるんでしょう。





§





 時々振り向く以外は、わたしのペースなんかお構いなしに彼は歩いていきます。樹や草の生い茂ったところを難なく抜けていきます。

 彼は街を離れると、山の方へと進んでいきました。

 帰ろうとしていただけで、ついて来いと見えたのは勘違いだったのかも、と自分の行動に少し後悔しています。

「はぁっ………はぁ」

 息が上がってかなり苦しいです。体育の長距離走って役に立つんだな、とつくづく思いました。

 次第に道はなくなり、山を登るような格好になりました。

 そして、彼がぴょんと跳ねて、見えなくなりました。

 幹に捕まり最後の一歩を登りきって、わたしが目にしたものは…







 一面の草原。

 この雪の街で、そこだけ雪が遠慮したように、ずっと広がる野原でした。

 視線を動かすと、なだらかに続く斜面の向こうに隣の街が、反対側を向くと、わたしが今いる街が一望できます。

 山の中腹くらいでしょうか、丘の上には立ち木一本ありません。

 さっきの彼は、歩いていたときと同じぐらいの距離で、わたしを見守るようにちょこんと立っていました。

 おいで。

 わたしは手を伸ばしました。

「止めてください」

 すると不意に、背後で人の声がしました。







 わたしを止めたのは、胸にリボンをあしらった制服を着た、わたしよりも年上そうな女の人でした。

 まだ学校の時間のはずなのに、どうして制服を着た人がいるんでしょうか。

「人が関わると、あの子たちにとって不幸な事になります」

 静かだけど、かなり強い調子で女の人は言いました。

「でもわたしを案内してくれたのは、あの子なんです」

「彼はただ自分の住処に戻って来ただけです。これ以上は余計な事をしないで下さい」

 余計な事!?

 あまりな物言いに、わたしは『チカラ』で治した事も忘れて、言い返そうとしました。

 すると、彼女は、野原のずっと向こうを見るようにして、

「この子たちはいるべき場所にいるのが一番いいんです」

 言い放ちました。





 胸が、どんと突かれました。

 いるべき場所。

 その単語が、わたしの怒りを全て抜き取って、代わりに、淋しさを運んできました。







 わたしのいるべき場所って、どこなんでしょう…













§













 街の人ごみを避け、オレは少し遠出することにした。警察に見つかりたくないという理由もあるが、

「琴音ちゃんは人が多いところが嫌いなんだ……」

「そうなんだ」

 こんなことさえ忘れていた自分が腹立たしい。

 ずっと琴音ちゃんを分かっていたつもりが、これだ。

 商店街から離れると、整然とした並木道の遊歩道が目に入った。

 雪を乗せて、どこまでも続く木々。

 葉を通りぬけた光が、地面をきらきらさせていた。

 散歩コースには絶好だな。もっと暖かければ、だけど。

 通りの正面に視線を戻す…。

 そこで、オレは動作停止した。まさに、信じられないものを目にしたのだ。







 艶やかな黒い髪、この極寒の中でも相変わらずぼ~っとした様子、そしてそばの執事のじじい。

「来栖川先輩!」

 オレはあゆをほったらかしにして駆け寄った。

「先輩、先輩だよな? びっくりしたぜ」

「………」

「えっ、私もびっくりしましたって、間違いないな」

「………」

「えっ、なんでこんなところにいるのですか、学校はいいのですかって? それも大事だけど、今人一人の命がかかってんだよ」

「ヒロくん、待ってよ~」

 息せきりながら遅れること十数秒、あゆがやってきた。

「誰、この人?」

「かあぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 あちゃ~…。

 オレが静止するよりも速く、じじいの一喝が飛んでいた。

「お嬢様をこの人呼ばわりとは、何たる無礼者か!」

 説教相手の当のあゆは、じじいの一喝で耳を破壊されていた。

「お嬢様、このような下賎の者からはとく離れましょう」

「………」

「なんと! この者に会いに来た、ですと!? バカなっ!」

「黙ってください」

 一瞬、誰が喋ったのかわからなかった。

 息を吸って、吐き、ようやくオレは、それが来栖川先輩から発せられたセリフだったことを理解した。

 先輩、こんな言葉もいえるんだ…

「む…」

 さすがのじじいも(セバスチャンというらしいが)予想外のこのリアクションに口をつぐむ。

「………」

「え、人の命がかかっているってどういう事ですかって?」

 こくん。

「う~ん、話してもいいかな、先輩なら。それにしてもこんな寒いとこもなんだから、その辺の喫茶店にでも入ろーぜ」

「かあぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 オレが話をじじいに振ろうとした瞬間、二回目の一喝が飛んできた。

「お嬢さまをかどかわしてそのまま営利誘拐する気であろう! 貴様らげ…」

「そう誤解されたくないから、あんたも来いって言おうとしたところだよ!」



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Schnee Traum ~幕間~ 1月18日(月曜日)




幕間




 時は少々遡る。

 浩之が旅立った街の一角を占める、壮麗な豪邸。

 日本で五本の指に入る大富豪、来栖川家の邸宅である。

 その屋上に、一つの影があった。









 その日の天気は悪かった。

 蒼鉛色の空からは、雪が間断なく降ってきている。

 彼女は太陽があるはずの方向に、背を向けて立っていた。

 手には魔術の道具らしき、印(ルーン)のついたフーチがある。

 その目は、遠い空を見つめている様であった。

「芹香お嬢様、ここに居られたのですか」

 背後の入り口から、白髪の、体格のいい執事が現れた。

「こんなところにいては風邪を召されてしまいます、ささ、御戻り下さいませ」

 薄く積もり出した雪に足跡をつけつつ執事は近づく。

 しかし。

 芹香は、動かなかった。

 ただ黙って、重い空を見続けている。

「お嬢様が風邪を召されては、私どもが大旦那様に叱られてしまいます、お戻り下さいませ」

「………」

「お嬢様?」

「北が、荒れています…」

 ぽつりと、芹香は漏らした。

「は?」

「セバスチャン」

「はっ!?」

 執事セバスチャンは驚愕した。

 芹香が、誰にでも聞こえる声で、喋ったのだ。

 彼の長い記憶の中でも、それはいかほどぶりのことであっただろうか。

「今から、飛行機をチャーターできますか」

 唐突な願いに、彼は2度目の衝撃を受けた。

 しかし驚いてばかりはいられない。彼は執事なのだ。主人の要求は、いかなるものでも叶えるよう働かねばならない。

「は……ははっ、直ちに!」

「お願いします……」

 言葉を残すと、セバスチャンは場から走り去る。

「姉さん…?」

 入れ違いにやってきた綾香も、予想外の事態にあからさまに驚いていた。

 姉の真意が、全く掴めていないようだった。

「一体、どうしたの…?」

 そう言い出すのがやっとだった。









 屋上を、凍てついた風が駆けた。

 風は降り注ぐ雪の方向を、垂直から水平へと変える。

 地に積もった湿り気の多い雪さえ、巻き上げた。

 芹香の艶やかな黒髪が、舞う。





「……浩之さん…」






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