2020年08月08日

Schnee Traum ~第10話~ 1月24日(日曜日)



 少女が手に持ったそれは、口の大きな、少し変わった形の瓶だった。


「…そうだ」

 少女が何かを思いついたように、頷く。

「祐一君、タイムカプセルって知ってる?」

「…瓶はいいとして、何を入れるんだ?」

「これだよ」

 それは、天使の人形だった。

「でも、まだ願いがひとつ残ってるだろ?」

「ボクは、ふたつ叶えてもらったから、十分だよ。残りのひとつは、未来の自分…、

 もしかしたら他の誰かのために…送ってあげたいんだよ」










 大丈夫。きっと、見つかるよ。

 この人形を必要とするひとがいれば、かならず…。

















 ……目が、覚めた。

 そこは、来栖川先輩が用意してくれたホテルのベッドの上。

 時間は、午前12時を指していた。

 夢。

 夢を見ていた。

 昨日までは他人だった、ある男の子の夢。

 埋められた天使の人形。

 それは彼女が残した、忘れ物。見つからなかった、探し物だった。

 オレは着替えてコートを引っつかみ、部屋をあとにした。

 帰る前に、オレはもうひとつだけ、やらなきゃいけないことがあった。







§








 唇が、寒さでぱつんと切れた。じきに肌もどっか切れるだろう。

 夢の軌跡を辿り、あの遊歩道へと向かう。

 街灯も暗い遊歩道は、わずかな雪明りさえ木陰で隠し、闇を作り出していた。

 夢の位置に立ち、必死で掘り返す。

 ざっざっ…。

「お前ら……大切なものなんだろ」

 埋めた場所くらいおぼえておけよ、な。

 凍土を書き分け、瞬時に感覚がなくなった手を赤く染めながら…


 ほどなくして、砕けた瓶が姿を現した。

 7年前の空気を吐き出した人形は、羽が片方もげていて、頭に乗っていたわっかもなくなっていた。


 時の重さを、改めて感じる。

 それを抱え込むようにして、オレは駆け出した。









 ――ヒロ。例の子の名前…聞く、でしょ?



 ――……聞く前に一つ約束して。何があっても、絶対に明日、戻ってくるって



 ――行く前にも言ったでしょ、なんかヤバそうなヤマだって。これ話したら何か起きそうな、やな予感がするのよ…



 ――だから約束して、ヒロ……









 真夜中の森は、遊歩道に輪を掛けて漆黒の中だった。

 自らの眠りを覚ます小さき者を、追い払うかのように。

 オレはめちゃくちゃに掻き分けて進んだ。

 確かなものは、2日前の記憶と、7年前の夢だけ。

 時間の感覚も曖昧なまま、藪と根の垣が終わり、オレの目の前に、あの場所が広がった。









 そこは、二日前とは全く装いを異ならせていた。

 雪明りに浮かぶ、一本の大木。

 大人が数人かかっても、抱えきれない太い幹。

 森の統率を取るかのように天を覆い隠して、聖樹が立っていた。

 そして、

「ヒロくん?」

 頭上から声がした。

 首を垂直にしなければ見えないほど高い枝の上に、一人の女の子が腰掛けていた。

 応えずに、オレは雪を踏みしめた。

「待ってて、あっ!」

 視線を向けたその刹那、女の子が短い叫びを上げた。

 まるで木の葉が落ちるよう。

 ストップモーションで時が動く。

 オレは何かをわめきつつ、疾走していた。

 跳びこむ。

 アイスバーンになった雪で手がこすれ、コートが氷を吸い付ける。

 その身が氷雪に叩きつけられる瞬間、オレの腕は少女の重さを受けとめていた。

「へへ、ナイスキャッチだね」

 落ちた少女は何事もなかったように微笑む。

 …ばかやろ。

 口からは何も出てこなかった。たちまち視界がぼやけ、熱い液体が頬を伝う。

「どうしたの? ボク、何もしてないよ」

「ごめんな、だけど、だけどオレにはどうしようもないんだよ」

「ヒロ、くん?」

「オレは7年前に戻って、お前の身体を受けとめてやることは出来ないんだ…」

 隠していた。ずっと隠していた。

 おとといから気づいていた。いや、もっと前から、感づいてはいたんだ。

 オレに高校を教えなかった理由(わけ)。

 家まで、決して送らせなかった理由。

 この森の守り主が、切られた理由。

 花を捧げていた人の話、志保の情報。

 そして、今目の前に、切られたはずの大樹が、復活している理由。

 それらが導き出す答えは、









 ――じゃ言うわ、その子の名前は









「知ってるんだよ、あゆ。お前は、本当はもうこの世にはいないんだって…」

「……」

 そう。

 オレの見続けた夢のヒロイン。

 オレの記憶と交換された、相沢祐一の記憶の中の少女。

 オレの隣を歩き続けてくれた女の子――。

 ――月宮あゆは、もうこの世には存在しない。

 誰の目にもそうは見えないけど、目の前にいるあゆは、幻なのだ。

 木々を渡る風が、泣く。

「忘れないうちに渡しておくぜ、探してたのはこれだろ?」


「っ! それ…」

「あの並木道にあったんだ。これ、だろ」

「うん……」

 オレは泥と赤いものがこびりついてしまった人形を、あゆの手に乗せた。


 複雑そうな顔色になった。

 まぁ、この人形にまつわるいきさつを考えれば、無理もないけどな。

「確か、もういっこ願い事が叶えられるんだったよな」


「え…?」

 何故知ってるんだという顔で、あゆが固まる。


「わはは、オレは何だって知ってるんだ。さあ言えはよ言え」


「……」

 あゆは受け取った姿勢で、固まったままだ。


「早く言わねーと、スリーサイズを世間に大々的に公表するぜ」


「うぐぅ、いじわる…」

「3、2、1、ほら言え」

「そんなに早く言えないよっ、待ってよっ」

「わかった」

 二人とも、黙り込む。

 しばらく目をつぶって考えたあと、あゆはぴょんと一度飛びのいた。


「お待たせしましたっ。それでは、ボクの最後のお願いです!」


 オレはただ、続く言葉を待った。

「ボクのこと、忘れてください」

 風も、星の瞬きも、鼓動も、全てがいちどきに止まった。

「ボクと会ったことのある人みんな、ボクのこと忘れてくれますように」

 あゆは願いを、もう一度繰り返した。

 無理矢理作った笑顔に、月光の木洩れ日がかかる。


「……本当に、そんな願い事でいいのか?」


「ボクの今一番の願い事だよ」

「でも叶えるのは祐一だぞ」

「あはは、そうだったね」

 屈託なく、あゆが笑った。









 オレはあゆを引き寄せた。

 それこそ、人さらいのような乱暴さだった。


「このバカ、そんなの誰が許すってんだよ、他の誰が許してもこのオレが許さねぇ」


「痛いよ、ヒロくん」

「七年間だぞ、七年間も待ったんだぞ。せっかく待っていた相手が来たのに、お前はそれでいいのかよ?」


「……」

「こんなオレと遊んでる場合じゃなかっただろうが」

「……っ」

「ぜんぜん思い出してもらえないままで、お前はいいのかよ?」

「……っ…」

「どうなんだよ、月宮あゆっ!」

 耳元で怒鳴りつけた声が森に木霊する。

 オレの言葉は、この少女の心にどんな風に跳ね返っているんだろう。

 そして、あゆの答えが返る。

「いいんだよ」

「……」

「ボクのこと思い出したら、祐一君はきっと苦しむから…」

「……」

「栞ちゃんが、かわいそうだから…」

「……」

「ボク、みんなの苦しむ顔なんか、見たくないよ…」

「ばかやろう…」

「それにね、もう十分楽しんだよ…本当は、もう二度と食べられないはずのたい焼き、いっぱい食べれたもん」

「……」

「祐一君に会って、いっぱいお話できたもん」

「………」

「それにヒロくんに会えて、たい焼きもおごってもらって、祐一君以外の男の子と友達になれたもん」

「……っ」

「まんぞくだよ」

「嘘つきはうぐぅの始まりだぞ」

「そんな言葉ないよっ」

「この大嘘つきが…っ」

 オレはさらに腕に力をこめた。

 分厚いダッフルコートで体温が伝わってこないことが、なおさらオレを焦らせた。

「苦しいよ…」

「じゃあなんで待ってたんだよ。なんでオレに跳びついてきたんだよ、祐一くんって呼んで」

 思い出は、誰にとっても安心できる場所だと誰かが言った。

 楽しい思い出ならそこに逃げ込み、悲しい思い出なら封じてしまえばいい。

 どんなことでも、そして、いつしか心は痛まなくなるから。そうしてしまえばいつだって楽しい。だから。

 だけれど。

 思い出は、消せない。

 忘れててもいつか必ず、思い出す。

 その時に、

「過去形で語られて、お前は嬉しいのかよ?」

「でもっ、でもっ、このままじゃ栞ちゃんが…」

「栞ちゃんて誰だよ…」

「ヒロくんがボクにたい焼きをおごってくれた時、手を振った女の子だよ」









 ――藤田さん。わたし、3日だけですけど絵の先生になったんですよ。美坂栞っていう同い年の人と。



 ――あまりうまくはなりませんでしたけど、頼られるって嬉しいことなんだって、知りました。









 ――あゆのお守、ありがとな。



 ――それと琴音が、栞の相手してくれたらしくて。



 ――栞?……オレの、彼女だ。









「…栞ちゃんは、病気なんだよ…」

「……」

「…すっごく重い、病気なんだよ……」

「……」

「ボクが代わってあげなきゃ……神さまにお願いしなくちゃ、助からないんだよ。…知ってるんだよ。だから」

「だからどうしたんだよっ、大事なのはお前だろっ!!」

 あまりにも苦しい選択を薦める台詞に、自分の体までが引き裂かれるように痛んだ。

「うぐぅ……ヒロくん、ボクのこと忘れて。姫川琴音ちゃんを探しに来た街に、こんな女の子はいなかったんだって」

「んなこと、んなこと出来るもんかよっ!」

 積もった雪で声はかき消されるはずなのに、オレの叫びは森にわんわんと響いた。

「7年前ここであったことを、オレはみんな知っちまってんだっ。あんな夢見せられて、はい忘れますなんて言えるかよっ!」

「……そう、だから祐一君のためにも、ボクは忘れられた方がいいんだよ…」

 呟く様に、あゆが返す。

「本当にか? 誰にも知られず、ただ黙って一人淋しく消えていくのかよ!?」

「……」

「あんまりじゃねぇか、部外者のオレだって納得できねえよ、あんまり過ぎるじゃねぇか」

「……うぐ…」

「本当はずっと相沢といたいんだろ? そうなんだろ。だったら、なんでそう願わねえんだよっ!!」

 答えの代わりに、

「…うぐっ……ひっく」

 大粒の涙がオレのコートに落ちる。

「……………ごめん、オレのせいなんだよ、オレの…」

 悲しい運命を背負って…

 自分の運命を真正面から見据えて、待ちつづけたあゆ。

 その時間を壊したのは、オレだ。

 そう、藤田浩之という男が姫川琴音という少女を、捕まえておけなかったせいで。

 彼女が、相沢祐一と会ってしまったせいで。

 そして慌てて追っかけてきたオレが目の前の、月宮あゆと会ったせいで。

 二人の接する機会は薄れ、限りなく遠のいてしまったのだ。

 そして何一つ満たされないまま、あゆは世界から姿を消そうとしている。

「嘘でもいい、オレを、安心させる願いを言ってくれよ…」

 あゆが顔を上げた。

 頬に、幾筋もの輝きを乗せている。泣いているのに、にこにこ笑っている。

 唇が、開く。

「ボクの…」















 ボクの、お願いは… 















 抱いたからだから、白光が広がっていく。

 ふっと、感触が消えた。

 光が止んだとき、そこには何もなかった。

 あゆの姿も。

 コートも、リュックも、天使の人形も。

 そびえていた森の王も消えて、ぽっかりと空いた空間から月光が差し込んでいた。









 時間切れ。

 それは、あまりにも凄鎗な現実。

 奇跡に起こった、時間切れ。

 夢は、終わりだった。

 最後の願いだけが、滑り込むように、オレの耳に残る。











祐一君と栞ちゃんが、ずっと一緒に幸せでいられますように













 そんな、最後の願いだった。

 空には夜半の月が青い光を放っている。

 オレは、今日ほど『運命』という言葉を呪ったことはなかった。

「……こんな、こんな結末ありかよ」

 悲しかった。

 本当に悲しかった。

 どうしようもなくやるせなかった。

「おい神っ、聞こえてるか! お前は琴音ちゃんといいあゆといい、どうしてここまでひどいマネをするんだっ!!!」

 ずっと信じ待ってゆく少女に奇跡が与えた物語は、偶然が幾つも重なり合って、メチャクチャになって幕を閉じてしまった。





















 耳の奥でかすかな子供の泣き声が聞こえる。


 そうだ。

 オレにも、こんなことがあった。





















 オレは、犬を買っていたことがあった。

 ボス。

 オレよりでっかくて強い奴だった。

 お手をさせると、こっちが潰されそうになった。いつまでも絶対敵わないと思っていた、のに。


 ある日、ボスは病気であっけなく死んでしまった。


 それからしばらくのあいだ、オレはあかりにも雅史にも会わず、泣き暮らした。


 この世がなくなってしまえとさえ思った…。






 大好きな者との、別れ。





















 小さい頃、オレは迷子になった。

 全く知らないところに出てうろたえていたオレを、ある人が助けてくれた。


 オレはそこのうちの女の子と仲良くなって、毎日のようにその子の家まで遊びに出かけた。


 いつでも一緒にいたくて、ふたりでお願いもしたのに…


 ある日、その子は忽然と姿を消してしまった…。






 理不尽で、唐突な、別れ。





















「……くそ…」 

 その二つの別れが、同時に、目の前で起こった祐一と、あゆの気持ち。


 部外者のオレが、抱えられるものじゃなかったんだ。


 オレは切り株に座った。

 後から後から、涙が溢れてきた。

 知らなかったとはいえ、運命に介入して、壊してしまったのはオレだ。

 半端な覚悟で、取り返しのつかない事にうかうかと手を貸してしまったことにようやっと気付く。





 オレが、あゆをもう一度、死なせた…。





「畜生ォッ!!」

 『運命』という言葉と同じくらい、自分が嫌になった。

 動く気力は既に無かった。きっとこのままここにいて、凍え切り、ジ・エンドだろう。

 …志保。

 …先輩。

 言ってたのは、このことだったんだな。

 みんな。

 悪ぃな、オレは帰れない。あかりたちと一緒に、後で石でも投げてくれ…











































































 浅い眠りが覚めました。

 藤田さんの声が、頭に響いた気がしました。

 胸を諦めつける不安。

 後悔への恐怖。

 わたしは、ベッドを出ました。

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Schnee Traum ~第9話~ 1月23日(土曜日)<後編>

 琴音ちゃんはオレに向けて、一歩踏み出した。

「ことねちゃ…」

「わたし、帰ります。今日までどうもお世話になりました」

 そして水瀬家の3人へ、ぺこりと一礼する。

「藤田さんが追って来てくださったのに、これ以上迷惑はかけれませんから…」

 くるりとターンし、オレに近づく。

「戻りましょう。1週間ご迷惑をかけて、申し訳ありませんでしたっ」

 ……。

 悲しくなった。

 琴音ちゃんの目の色は、自分を殺している色だ。

 運命を半分信じつつも、オレを悲しませまいと犠牲になろうとしている目。

 きっと自分は今まで通りみんなに気にかけられない日々になるだろうけど、水瀬家の人達を困らせまいと無理している眼。

 たった数日間の夢の日々を胸にしまって、辛い現実へ帰ろうとしている。

 分かってはいた。

 このままただ連れ戻すだけじゃ、原因を解消しなければ、琴音ちゃんに苦痛を味わわせるだけだと。

 オレ一人が気にして追っかけてきても、心からは信じてくれないだろうことを。

 でも、それでもよ、オレは琴音ちゃんを帰したいんだ……。

 苦しい。

 琴音ちゃんを、怒ることも、喜ぶ事も出来なくて、苦しい。

「琴音!」

 だが、オレが動き出すのを出し抜き、ひときわ大きな声が後ろから届いた。

「おかあ…さん!?」

「ことねっ!」

 猛然と走り寄ってきたのは、なんと、琴音ちゃんの母さんだった。

「ことねっ、ごめんなさい…ごめんなさい………ごめんなさいっ…」

 あの雨の日、琴音ちゃんが子犬を抱いてしたように、

 琴音ちゃんの母さんが、人目はばからず、琴音ちゃんにすがり付いて涙を流しはじめた。



























 その嗚咽とともに、俺達は真実を知った。

 琴音の母親は、この街で生まれた男と結婚。琴音を産んで、彼の親と同居して住み始めた。

 だが彼女の方はこの北の街に住む気はなかったらしい。いずれ独立して、家族だけで暮らすつもりだった。









 それが『冬の悲劇』の引き金を引いたのだろうか。

 その後二人の仲は急速に悪化。ついに離婚をむかえることとなる。

 オレが見た夢の口論は、この時のやり取りだったのだろう。

 幼い琴音ちゃんを連れ、琴音ちゃんの母さんは街を後にした。実家にも戻れず、女手一つで育てようとして、函館に住むことにする。

 両親の離婚という衝撃を受け傷ついた琴音ちゃんの心に、函館の美しい風景は大きな慰めになったようだ。

 当時、函館の街のどこへ連れていっても琴音ちゃんは大喜びしたらしい。









 そして、やはり生活費が切迫し、許されて実家に戻る。

 実家が在ったのが、俺の住んでいた街。そこで琴音の母親は、再び相手を見つける。

 男が『二人目の父親』になりそうだと察した琴音は、自分が原因で別れられないよう、必要以上に行儀よく振る舞う術を身につけた。

 事情も知らず、演技し続ける彼女に心引かれたのが、俺。









 二人の仲はうまく進展し、3年生の時には『家族』旅行にも連れていってもらった。

 オレに話した、イルカの思い出ができた旅行だ。

 そして再婚。

 転勤族である今の父さんに付いて、一家は函館に向かった。

 そしてその時、あの想い出を琴音ちゃんから消すためなのか、それとも自分の中から消したかったのか。

 琴音ちゃんは母さんから、ここがあなたの生まれた街よと教え込まれたのだ。

 思い出せる記憶は函館からだったし、今でも気に入っていたから、琴音ちゃんもその言葉を疑う事などなかった。









 こうして幸せの日々によって、琴音から一人目の父親と雪の街の記憶は薄れていった。

 ずっと、それが続くと思われていた。

 だが中学生になる頃、琴音の身の回りで奇妙な現象が起こりはじめた。

 それが琴音自身の引き起こしているものだと判明するまで、そう時間はかからなかった。

 しだいに回数は増え、一家は逃げるような転勤で余所へ移り住んだ。

 だが、余所でもそれは一向におさまる気配を見せず、いつしか周りには誰も居なくなり、琴音の心はまたも深く傷つけられた。

 加えて、両親の共働きが、さらにその傷口を広げた。

 外で働くことが習慣になっていた琴音の母親は、転勤を繰り返しても惰性でそれを続けていた。チカラの発動後も、それは変わることはなかった。
 むしろ収入を得て、どうにもできない不幸を抱えた苦しみを、金銭でなんとかなる幸せで消そうとしたのだろう。


 自分の不在を、もう琴音は慣れているだろうと思い込んで。

 だが、今まで孤独を癒してくれていた学校や友達は、もうその役目を果たしてくれてはいなかった。


 日常化した孤独。琴音は、学校でも家でも、独りぼっちで痛みを抱え続けていたのだった。










 そこからはもういいだろう。

 琴音ちゃんはオレと出会い、オレの言葉を信じて特訓して、自殺まで口にするほど苦しみ続けた末にチカラをコントロールできるようになり、









 そして、藤田が自分の傍を離れ、居場所を失い、三度心を傷つけられ遂に――いや、やっとなのだろうか、ここに戻って来たというわけだ。













§














「そんな馬鹿なことがあるわけがない、絶対あなたを離さない、だから私は、不自由な思いだけはさせまいと思って働き続けた。あの人が一緒になってくれて、パパがいないって悲しむこともなくなったし、きっと幸せだろうって思ってた」


 寒空から、雪が振りだしていました。

「でも、あの力があなたに起こって……結局アレが言った通りになった、そして、まさか家出するなんて、思わなかったから。…一度諦めたのよ。もうあなたはアレのところへ行ってしまうんだって、それで、それで幸せになるんだったらいいってっ」


「ママ…っ」

 粒の小さい、粉のような、本当の北の土地に降る雪でした。

「でも、納得できなかった。あなたがいなくなるなんて…耐えられなかったっ! なのに、あなたがこんなにも思いつめるまで、なんにもわかってなかったのね…」

 ずっとママはわたしが帰ってくるよう、祈り続けたといいました。

「そうしてて、やっと気付いたの、待ってるだけじゃダメだって、あなたに会って、直接謝らなきゃ、許してくれないだろうって……そしてあの家の前であなたを見かけたのに…走り去って…」

 今日、わたしは、もう一つの家に辿りつきました。

 パニックになって、なにも考えれず走り出したあの瞬間、ママがあそこに…。

 なんて酷い。

 酷い。

 ママはどんなに傷ついたのでしょうか。

「ごめんなさい。わたしも寂しいっていわなかったから、ママもパパも分からなかったんだと思う…わたしこそ、心配かけて、ごめんなさい…」

 みんな、もう少しだけ素直だったら、こんなことにはならなかったかもしれないよね。



























「………」

「え、信じてあげてくださいって、ずっとここに立っていたのですから、って、ママ?」

「必死で追ってあなたがここまで来たのは分かったけど、怖くて、いまさらどんな顔あなたに会えばいいのかって思ってくよくよ迷ってただ立ち続けて…」

 オレが来た時から…オレが早く気付いていれば…。

 昼間とはいえ、この街が凍えるように寒いことに変わりはない。ましてや今、先輩が来るまでの夜は。

「バカみたいですよね…」

 それを…

「きっと報いでしょう、ずっと、安っぽい物語のように翻弄されていたんですから」

 親子だよ、やっぱり。

 こんな時に、ひどく場違いな事を考えた。

「姫川さん、自分を責めても始まりませんよ」

「……はい」

「昔は立場が逆でしたね」

 顔に手を当てて、秋子さんが微笑んだ。

 そうか。

 一個だけ浮いてたあの夢は『この街にいた時の琴音ちゃん』の夢だったんだ。

 寝ていたところを起こされて、「おはよう、ことねちゃん」と言ったのが、水瀬。

 それを連れていた人が、秋子さん。

「ママ……パパは?」

「函館であなたを探してる。さっき連絡したわ、心配しなくて大丈夫」

 そう言うと、ぱっとオレに向き直る。

「一週間前、大層冷たい夫婦と思われたでしょうね、お許し下さい」

「いえ…男として、姫川さんのお父さんの気持ちは分からんでもないです」

 直接血の繋がりのない娘が、突如原因不明の超常現象に苦しめられたとき、なんて言葉をかけてやればいいんだろう。

 オレだって自分が父親だったら、そっとしておくというお題目で、距離を取ってしまわないとは言い切れない。

 お互いを傷つけ、傷つくことを恐れるあまり、いつのまにか大きなすれ違いが産まれていたのだ。

「よかったな…」

 その一言だけ、ようやく呟いた。

 もしこの光景を見てもクサイお涙ちょうだいだという奴がいたら、オレはそいつを何日でもぶん殴ってやるだろう。

「な~んだ、私たちの出る幕は無くなっちゃったみたいね」

 直後、さらに別方向から声が飛び込んで来た。

 それに聞き覚えのある先輩とオレ、セバスチャンが周りの倍驚く。

「……っ!?」

「綾香っ!? ってねぇ、叫んでやりたいのは私の方よ姉さん。妹の誕生日ほったらかして優雅に旅行なんて、ちょっとひどいんじゃない?」

 確か先輩の妹で寺女に通ってる、綾香。今日が誕生日だったとは知らなかった。

 つーか、重要なのはそんな事じゃない。なんでその綾香が、ここに来ているかということだ。

「綾香お嬢様、私達、というのはどうことですかな?」

「こういうことよ。ほらあなたたち、出てきていいわよ」

「姫川さんっ」

「森本さん…!?」

 直接関係のない水瀬家の人たちでさえ、驚いていた。

 それも当然。いつのまにか止まっていたもう一台の車の影から、男女混合5、6人の高校生が、姿を現せばな。

「姉さんが出てってから、姉さんの高校で連続失踪事件って噂が流れてきてさぁ、こりゃなんかあるなと思って話を伝ってったら、長岡志保って子紹介されたの。で、会いに行ったらこの子たちがいるじゃない。事情を聞いて、私がこっち来るついでに一把げにして連れてきたのよ。」

「綾香お嬢様、それでも何故ここだと分かったのです」

「セリオのGPS使えばウチの特殊リムジンの位置なんてチョロイわよ。まぁ黒服数人に、ちょっと痛い思いしてもらったけどね」

「どうして……?」

 綾香たちと正反対に、琴音ちゃんの方はあ然呆然、まともに反応できてなかった。

「そ~んなの決まってるじゃない。ねぇ?」

「そうそ」

「絶対分かるとおもうけど?」

 森本さん、の言葉に残りの連中が口々に同意する。

「え…?」

 森本さん、は元気よく言った。

「姫川さんが、クラスメートだからに決まってるじゃない!」

「綾香、お前まさか…?」

 オレは近づき、小声で浮かんだ懸念を口にする。

「………はぁ? ばっかねぇ、いくら私でもサクラを連れてくるほどお人よしじゃないわよ」

 綾香はくだらないオレの疑念を笑い飛ばすと、大声で琴音ちゃんに呼びかけた。

「姫川さんだっけか、大丈夫、ここにいるやつらの言葉はいくらクサくても信用していいからっ!」

「ううん、私たちだけじゃないよ、今来られる人だけしか来なかったけど、みんな、姫川さんが帰ってくるの、待ってるんだからっ!」



























 わたしのために、こんなに多くの人が、動いてくれていたんだ。

 みんな、冷たくなんかなかった。

 わたしがかたくななままで、疑って、受け入れてなかっただけなんだ…。

 もう、ひとりじゃ、なかったんだ…。







 わたしは、今日までお世話になった水瀬さん達に、もう一度向き直りました。

「今日まで、本当に、ほんとうにどうもありがとうございました!」

 秋子さんが、わたしに近づいて、手に小さく固い物を、握らせました。

 それは、合い鍵でした…。

「また、何時でもいらして下さいね」

 言葉が耳から体の中へ、心臓も頭もぐらぐら揺さぶって、もう自分がどうなっているのか分かりません。

「よかったな、琴音ちゃん…」

 藤田さんが、崩れそうなわたしを、後ろからそっと包んでくれました。

  迷惑をかけていた事への恥ずかしさ。

 逃げていた情けなさ。身勝手な自分への嫌悪。

 無知への怒り。今日今までの時間を捨てていた悔しさ。

 みんなへのありがとうの気持ちと、もう安心なんだといううれしさで、

 藤田さん、いえ、浩之さんの胸に顔を押し付け、

 みんなの前で、子供のように、わたしは7回分いっぺんに泣きつづけました……。









































「行っちゃったね」

 家の前の大人数が去り、名雪が一言発して、俺から安堵の息が漏れた。

「よかったな、琴音」

 戻る場所があってな。

 そして、羨ましく思う。

 琴音は霞んでいた記憶を、はっきりと自分の物にしたから。

 俺の7年前も、琴音のように戻る日が来るのだろうか。

 その時はぜひとも伝説や運命は抜きにしてもらいたい。

「今度は忘れ物はないよな」

「大丈夫みたいだよ」

「名雪と違ってしっかりしてるもんな」

「祐一には言われたくないよ」

「何だと? んなこと言うのはこの口かっ!」

「わ、ひたいひょ~ゆふいひ~」

「一つくらいあったほうがいいんじゃない?」

 名雪の口に突っ込んだ指を慌てて離し、突き飛ばす。

 部屋に戻ったはずの秋子さんが、忍のように背後に立っていた。

 実に心臓に悪い人である。

「どういうことです?」

「祐一、痛い」

「だって、何か忘れていったら、それを理由にまた来てくれるじゃない」

 秋子さんの横顔は、心なしか寂しそうだった。

「そうだね」

 たった1週間だけだったけれど、見なれた顔がいなくなるのは寂しい。

 ……。

 その感情につられるように、ゆるりと、疑問が鎌首をもたげた。


 一週間、俺は夢で琴音の過去を見続けた

『今までずっと一緒に過ごしてきたんだ』と他人に吹聴しても困らないくらい、詳しく知った。

 何者かわからないが、そいつは、なぜ俺にそんな夢を見させたんだ?

 琴音と離れていた時間を埋めさせて、俺に一体何をさせたかったんだ?

 先ほどの話からすると、妖狐が俺の初恋を実らせて、琴音をこの街に引きとめさせようとしていたのか? 馬鹿馬鹿しい。

 俺には栞がいるっていうのに。







 ――美坂さん…1学期の始業式に一度来ただけなんです…







 栞が好きという気持ちは変わらないのに。







 ――本当はその日もお医者さんに止められていたんです。でも、どうしても叶えたかった夢があったんです







 ……。







 ――暖かくなったら、この場所で一緒にお弁当を食べるって約束したこと…そして、そんな些細な約束をあの子が楽しみにしていたこと…



 ――全部、悲しい思い出







 栞がいなくなって、琴音を好きになるという選択肢は、ありえないはずなのに。

 その時、居間の子機に受信を知らせる赤ランプがともった。

「えっと、水瀬でいいんだよな」

 名雪に確認し、電話を取る。

「はい、水瀬です」

 聞こえてきたのは雑踏。と、

「………相沢、君……?」





















「先輩、悪いな、ホテルまで取ってくれて。実はもう財布がピーピーでさぁ」

「少しは後先考えなさいよね」

 来栖川さんの方で、ホテルを取っていたそうで、今はみんなでそこに向かっている最中です。

 森本さんたちクラスのみんなは、修学旅行みたいにはしゃいでいます。

 そして、もうお金がなかったらしい浩之さんは、さらにはしゃいでいました。

 わたしは、さっきまで泣いていたことが恥ずかしくて、浩之さんのそばにいました。

「……」

 そんな中、来栖川――芹香さんだけが、ずっと押し黙ったままでした。

「先輩、もしかして怒ってる?」

「……」

「さっきは琴音ちゃんのことで、頭いっぱいでさ、ついカッとなっちまって」

「……」

「せんぱ~~~い」

 芹香さんはまったく答えませんでした。

 いや、浩之さんの話し掛けが、耳まで届いていないようでした。

「姉さん?」

「せんぱ~いってば~」

 そう言いながら笑って覗き込んだ浩之さんの顔が、笑みから動かなくなりました。

 続いて、綾香さんの顔が。

 最後に、横顔しか見えませんでしたが、わたしが。

 戦慄と言うのは、この顔を見たときの言葉なのかもしれません。

 理由のわからない不安で、温かい車の中にいるというのに、体の奥底から震えるような感触がしました。

 そして。

 誰に言ったのかわからないですけど。

 降り注ぐ雪の結晶に吸い込まれそうな声量でしたけれど。

 一言だけ、漏らしたのが聞こえました。







「………まだ、何も、終わっていません……」







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2020年08月07日

Schnee Traum ~第9話~ 1月23日(土曜日)<前編>




「ただいま」

 リビングのテーブルにぼーっと座っていたわたしは、がたんと対面の椅子を倒してしまいました。

 一瞬上の階へ逃げ出そうとしましたが、ふたりの声があまりにも明るかったので、居座ってしまいます。

 気まずい気配を、二人とも忘れてしまったのかと錯覚して。

 足音が近づいてきます。相沢さん、名雪さん、と……友達でしょうか? 足音が少し多いです。

 秋子さんが友達かしらと呟くのが耳に止まりました。

 ドアが、開きました。

「ただいま」

「ただいま~」

「おじゃまします…」

 そして、

 

 

「よぉ、琴音ちゃん。久しぶりだな」

 

 

 わたしが引きとめるのも間に合わず、意識が別世界へ逃げてしまいました。

 息も止まりました。

 自分だけが時から取り残されたふうにも見えました。

「ヒロくん、ねえ、あの子が琴音ちゃん?」

「あぁそうだ」 

 わたしを確認する会話だということはわかります。でも、一体何が起きているのでしょう。

 後ろから肩に手がぽんと置かれ、電気ショックを受けたように身体が震えました。

「琴音、たぶんだけど…知ってるよな、男の方は」

 ショックを受けてから1分後、ようやく第一声がでました。

「ふじた…さん…?」



























 よぉと言ったまではいいものの、次に何を言おうかオレは困った。

 声を荒げて、また逃げ出した事を怒ろうか。

 親戚? と軽いジョークから入ってみるか。

 ストレートに、探したぜ、と言ってしまおうか。

「あの…その子は?」

 間を持たせようと、戸惑った声で琴音ちゃんが先に話しかけてきた。

 その子と言った視線をトレースする。

 ……オレの隣。とゆーことは、琴音ちゃんも…

「やっぱり琴音もそう思うよな」

「うぐぅ………ひどすぎるよぉ…」

 あゆの膨れっ面が半泣きになっていた。

「月宮あゆって言うんだ。この街で知り合って、一応オレと同い年なんだけど…」

「えっ、あ、あ、つ、月宮さんすみませんでしたっ」

 自分のしていた(まぁ無理もない)誤解に、琴音ちゃんは火が付いたように真っ赤になった。

「わはははは」

「うぐぅ…」 

 あゆには悪いが、おかげで無駄な緊張をせずに話が出来そうだぜ。

「あら、お友達?」

 台所の方から大人の女性の声がした。

 偶然とは恐ろしい。

「どうもはじめまして。水瀬秋子です」

 その人は、昨日森で花を供えていたあの女性だった。

「あ、あの」

「はい?」

 …うっ。

 笑顔と優しい言葉尻と対照的に、強い制止の篭もった視線にオレは気圧された。

 間違いなく昨日の件が関係しているのだろうが、どうしてもオレとの関係を「はじめまして」にしたいらしい。

「あ、どうも、オレ、藤田浩之っていーます」

「藤田さんはわたしの学校の先輩なんですよ」

「そうなんですか」

 後で聞こう。あの人と二人きりになれれば、だけどな。











§











「んで、オレまで犯罪者の汚名を着ることになったわけだ」


「あの足の速さでよく捕まらなかったよな」


「だって、お金がなかったんだよぉ」

 本件はとりあえず置いておいて、あゆを話の種に、まずは琴音と藤田を話させることにした。


「話せば話すほどぼろが出てくるな」

「うぐぅ…後でちゃんとお金払ったもん…」

「でも、本当においしかったですよね、たい焼き。その気持ちわからなくもないですよ」


「えっ、琴音ちゃんが食い逃げするなんて、オレは考えたくねーぞ」

「あ…」

「うん、おいしかったよ。イチゴが入ってるともっといいんだけどね」

「それはちょっと合わないと思いますよ…」


「…名雪さん、ボクもそれはあわないと思うよ」


(……水瀬って、なんて言うか普通の感性とすこしずれてるよな)

(一応、俺の従兄妹だけどな……別にフォローは期待してない)

 うまくいっている。

 口にこそ出さないが、あゆの存在はありがたかった。

 あゆがいなかったら、まず藤田に気付けたかどうかも怪しいところだった。

「あら、大分時間がたっちゃってるわね」

 洗濯物を抱えた秋子さんが、俺達の前で足を止めた。


「今晩は人数も多いし、お鍋にしましょうか。えっと、6人分かしら」

 どうやら秋子さんは朝飯だけでなく、夕飯も赤の他人に振る舞う気のようだ。とことんまで賑やかな食卓を求める性(たち)らしい。

「あ、ボク、夕ご飯までには帰るから…」

 ところが、予想に反してあゆは、そうぽつりと漏らしたきり、だった。


「朝メシは平気で食いに来るくせに」

「あんまり遅くなると、お母さん、心配するから」 

「暗い中帰るのが怖いだけだろ」

「……違うよ」

 からかうセリフにも、まともに取り合おうとはしなかった。

「残念……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあね、ヒロくん」

 玄関まで見送ると言うオレたちを制して、あゆはここでオレとお別れを始めた。

「いつかは藤田に借金返せよ」

「うぐぅ、あれはおごってもらったんだもん」

 最後までうぐぅだな。これだけ繰り返されると、何年間も忘れそうにないぜ。


 そうだ、帰ってからあかりに使ってみっか。ぽかんとして、慌てふてめくさまが目に浮かぶな。

「一週間手伝ってくれてありがとな。楽しかったぜ」

 それでも、あゆ本人とは、ここでお別れ、か。


 ……。 

  心がざわつく。落ちつかねえ。

 ……。

 あゆ。

 琴音ちゃんを追ってこの街に来なきゃ、一生会うことなんかなかっただろうな。

 これから生涯、再会する確率なんかきっとゼロに等しい。


 偶然にも程がある知り合いなんだ。 

 ……寂しいな。

 そっか、オレは寂しがってるんだ。

 今の知り合いはずっと同じ場所で顔をつき合わせてるから、久しぶりに『別れ』ってのを感じてるんだ。

「……ボクといて、楽しかった、の?」

 ふと見ると、あゆは、出会ってから3度目のシリアスモードへと変わっていた。

 オレの『楽しかった』というセリフで戸惑ってるみたいだった。


 ……。

 迷惑かけてた、と思っていたのだろうか? 


 何にも手伝えなかったと気に病んでるんだろうか?


「あぁ」

 ヤバイ。 1語しゃべるだけでジンとくるぜ。


 じわじわ痛んでくる気持ちを隠したくて、でも、今の言葉は本心だと念を押すため、オレは続けた。


「辛い毎日になるはずだったのに、あゆにあえてすげー楽しかった。お前の探し物は見つけれなかったのが残念だけどな」


 するとあゆは、

「ううん、気にしないで。それより…」

 不自然に言葉を区切り、大げさに息をごくっと飲んで、


「ボクも、楽しかったよ、それじゃね!」

 ぱっと笑顔で、元気のいい言葉を残して、ドアの向こうへ消えた。 


「じゃあな!」

 その見えない背に、オレも景気のいい声をかける。


 そうしてまもなく、



 どがっ!



 廊下から転倒音と、うぐぅ痛いよぉ~と聞こえてきたが、感動を損ねるので、気付かないふりをしておく。


「慌てて帰る用事でもあったのかしら?」

 夕食に誘えなかったのがそんなに残念だったのか、怪訝な面持ちで水瀬秋子さんが誰にとなく問う。

「いえ、あいつは年中暇人です」

「そうかしら……ね」

 ……この声だ。

 昨日もそうだが、全てを知り尽くしてるような声。


 ……不思議だ。

「それじゃあ、5人分、作りましょうか」

 だがオレの探る視線に気付いたのか、ものすごく自然に、水瀬家の家主秋子さんは気配を変えてしまった。


「お母さん、手伝うよ」

「あ、わたしも手伝います」

 

 

§






「こんな時男は暇だよな」

「その言葉、なんか使用場所を間違っている気がするけど、いっか」

 相沢の言葉を軽く流しながら、オレは全然暇じゃなかった。

 台所に立ってる琴音ちゃんの後ろ姿に見とれてるような状態になっていた。

 楽しそうだな。

 完全に家族の一員になってるよ。まるでオレが琴音ちゃんにお呼ばれしたみたいだ。

 と、待てよ。

 今の状況って赤の他人の家で琴音ちゃんと一緒に晩ご飯……

 これって、実はメチャクチャレアな体験なんじゃないか? 発生率にして、交通事故に一日に2度遭うようなもんじゃないか?

 ぱっぱぱ~ん! おめでと~~~~~。

 ……なんてファンファーレならしてる場合じゃねーな。

 本来の目的を忘れちゃいけねえよ。さてはて、今からどう切り出そうか。

 ……。 

 台所に立ってる琴音ちゃんの後ろ姿。

 本当に楽しそうだ。

 ……。 

 オレの行動、本当に正しいのかよ…。

 

 

 

 

 

§












 なんのトラブルもなく準備は出来て、女性陣の作ったおいしい食事はつつがなく進んだ。

 いや…でもない。

 琴音も藤田も、お互い直接は話さず、必ず俺を通して会話している。

 二人とも、自分達の出会いが何を意味しているのか、十分分かっているのだろう。

 その関係を崩しにかかったのは、琴音のほうだった。

 食事を終え、食器を片付けながら、顔も見せずに藤田に呼びかけた。

「藤田さん。……少し、お話しませんか?」

 来るべき時が来た……。

 こうなるのは、もう分かりきっていた。

 藤田からか、琴音からか、問題などただそれだけだった。





 そして、二人が部屋を出てから、間もなく15分がたつ。





「名雪…どうだろうな」

 内容もあいまいな質問を俺は振った。

「…複雑だよ」

 背向けのまま、ついてないテレビに向かって、オウム返しに曖昧な答えが返ってきた。

「もう少しだけ、忘れてたかったな……」

 ソファに座りなおす音さえ耳に付く部屋で可能な時間つぶしは、こんな会話が手一杯だった。

「理屈じゃ片付かないことばっかりだね」

「……あぁ」

 針が文字盤を半分まわった頃、リビングに藤田が戻ってきた。

「……どうだった」

「今日までの話をもう一回して、聞かせてもらって、家出理由を問いただしたさ…」

 

 

 

 

 ――チカラが暴れないと、誰もわたしを見てくれないんですね。

 

 ――ただ、かまって欲しかっただけなのかもしれません…

 

 

 

 

「オレにも、原因の一端があったんだ…」

 それだけですべてを理解したらしい。

 琴音の本音。

 自分の居場所を見つけられなくて。それがあることを確かめたくて。それで、家出をしてみせて……。

「そして?」

「一つだけ質問されたよ」

 

 

 

 

 ――藤田さん。藤田さんはなぜこの街に来たんです?

 

 

 

 

 酷(ひど)いな、琴音も。

 こうなることを、こんな奇跡を、自分が一番望んでいただろうに。

 決して容易には答えられない問いだった。

 琴音が好きだから、などと言ったとしよう。

 すると藤田は春から今まで距離を取ってきた事について説明せざるを得ない。

 だが、好きでもなんでもない人間のために、学校を1週間もサボってこんな遠くまで来るということがあるだろうか。

 反対に、ただ連れ戻しにきたといえば、おそらく……。

 いや、藤田だってそんな言葉で戻したいとはさらさら思ってないだろう。

 どちらに答えても、追い詰められる非情な問いだった。

(いや……酷いのは藤田のほうか。)

 琴音だけじゃない、あゆにも。そして、きっと幼なじみにも。

 誰にもかれにも優しいことが、今は災いしている。

「どうしたんだ」 

「答えたさ」

 (藤田、お前は受け止めきれたのか?)

 (お前しか頼れない俺達が、言えた口じゃないけれど、)

 (今、すべてがかかったこの状況で、お前は琴音にどうしてあげたんだ?)

「……」

「……」

 重く粘り出した部屋の空気。 

 秋子さんからも名雪からも、それは再び言葉を奪っていた。

「……」

「……」

「……」

「……」  

 頂点に達した沈黙に耐えきれなくなったのか、玄関の呼び鈴が鳴った。

 一度。ニ度。

 ややあって、秋子さんが玄関側の扉を開けた。

「藤田さん、お呼びです…来栖川さんという方から」

「先輩?」

「来栖川?」

「来栖川芹香。オレの先輩だ」

「クルスガワエレクトロニクスとかの、あの来栖川か?」

「そう」

「…冗談だろ?」

「マジだ」



























「先輩?」 

 玄関でオレを待ってたのは、やはり正真証明、来栖川先輩だった。

「……」

「すみません、寒いでしょうが、外でお話しませんか……ちょっと待ってくれよ」

 一旦玄関に戻りかけてあったコートを引っ掴んで、ボタンも留めずに外に出た。

「なんでオレがここにいることがわかったんだよ?」

 オレは、まずその疑問をぶつけてみた。

 先輩は答える代わりに、両手に乗せたノートパソコンを開いた。

 ディスプレイに、カーナビのように地図が映っている。その上でピコピコと点滅する光の点。

「発信機かよ、いつの間に………携帯電話か!」

 いつか借りた、先輩の携帯電話。あれを逆探知してたんだ。

「来栖川エレトロニクスのサテライトサービスの一環、GPSだ小僧」

 執事のセバスじじいもちゃっかりいた。

 オレへの言葉使いが気に触ったのか、先輩は不満げな目でセバスチャンを(恐らく)睨んだ。

 視線に押されセバスチャンは一歩後退。ざまみろってんだ。

「んにしても先輩、なんでオレを追跡調査してたんだよ~。オレ、先輩になんか悪いことした?」 

「どうしても、言わなければならないことがありましたから…」

 先輩がオレを見据えた。

 瞬間、背中に鉄の棒を入れられたような気がした。

 先輩の目は、怖いくらい真剣だった。

「この前電話してきた時の、不幸の話?」

「それとも、関係があります…」



























 まるで間合いを計ったように、藤田と入れ代わりで琴音が階下に下りてきた。

 何か告げようと意を決して来たのだろうか、リビングを見渡したとたん、気抜けしたような雰囲気を漂わせた。

「相沢さん、藤田さんは…?」

「たった今、来栖川とかいう人に呼ばれて、外へ出ていったよ」

 名雪が眠そうな声でテレビ前の位置から教える。

 漏れた、え、という短い音。

 次に俺が耳にした音は、玄関へ向かう駆け足だった。

「琴音ちゃん、コートも着ないで外に行ったの?」

「祐一さん、何か防寒着をもっていってあげてください」

「分かってます」



























 身体が麻痺するような夜の空気が、思い出したようにオレを襲った。

 風が、吹く。

「浩之さん」

「藤田さ…」 

「姫川さんを置いて、帰ってください」











 雪に似つかわしくない黒塗りのリムジンの前に、先輩がいる。

 その対面に、オレがいる。

 そして、水瀬家の入り口に、琴音ちゃんが現れた。

「浩之さん、妖狐伝説というものを、知っていらっしゃいますか…?」

 先輩がここまでちゃんと声を出せる事を、オレははじめて知った。

「いや、知らない…」

「そうですか…では…」

 雪の静寂を増すような、先輩の声が語り出した。











 ………日本各地に――この街では、ものみの丘と呼ばれる場所――には、不思議な獣が住んでいるのだそうです。



 ………古くからそれは妖狐と呼ばれ、姿は狐のそれと同じ。多くの歳をえた狐が、そのような物の怪になるのだそうです。



 ………それが姿を現した村は尽く災禍に見舞われることになり、厄災の象徴として厭われてきた……











「そう伝えられてきました。しかし、この街では違ったのです」

「違った…?」

「この地に生きる人達は、妖狐達と共存する道を選んだのです。彼らを畏れ敬う代わりに、彼らの不思議な力を利用する道を。そのため、この街が大きな飢饉や天災に見舞われる事はなかったのです」











 ………しかし他の土地はそれを知らない。災害が起こるたび、それを妖狐の仕業とし、恨んで排除しようとしました。

 

 ………そのような迫害から彼らを守るため、この地の人々は余所からやってくる人間に極度に辛く当たるようになりました。

 

 ………この街を外と切り離し、妖狐と自分達との蜜月を壊さないように……











「そして、現代でもその魂は生き続けています。…浩之さん、この街に来たとき、何か違和感を覚えませんでしたか?」

 違和感。

 一週間前、寒さのせいにしてしまった、あの奇妙な感覚…。

「古い魂達は、いつしか余所からもたらされる変化をも拒み、妖狐たちと力を合わせ、街を閉じたのです」

 1週間の奇妙な出来事が、気にも止まらなかった小さな事が、パズルのように組みあげられていく。

 携帯電話が見当たらない雑踏。

 メイドロボがいない街角。

 不思議なキツネに付けられたこと。

 極端に古いままのゲーセン。

 そして、誰かの悲劇をオレに与えた夢…

「人の流れを極力止め、人々を束縛する力です。それにより、秘密を共有する…ここで産まれた人は、たとえ街を離れても、幾歳月を超えて、必ず戻ってくるのです」

 …いいや、そんなバカなことってあるかよ。

 オカルトもオカルト、いまどき妖怪が、人間の世界を束縛するなんて。

「先輩、世の中には確かに不思議な事はあるけどいくらなんでも……だいいち琴音ちゃんはこの街と縁もゆかりもないじゃないか」

「お嬢様は、嘘など言われません」

 セバスチャンが口を挟んできた。無理して敬語を使ってるせいか、唇が小刻みに震えている。

「これを……多少の越法行為ですが」

 片手で紙をもち、セバスチャンが指す。

 固い指の先にあったもの…

「姫川、琴音……そんな…」

 そこには、函館で生まれたはずの琴音ちゃんの名が載っていた。

 疑えっこなかった。その紙は出生届出と過去の住民票だった。

 その誕生日は、ピタリ、10月9日。

「嘘だろ、デタラメだ、同月同日生まれの同姓同名に決まってる!」

 それでもオレはとにかく否定したくて、ムチャクチャな叫びをあげた。

「いいえ藤田さん」

 その時、ずっと押し黙っていた琴音ちゃんが、言葉を割り込ませてきた。

「嘘じゃありません。わたしは…確かに、この街で生まれました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは…確かに、この街で生まれました」 

 突っ立ったままの身体が、衝撃でたじろぐのが感じられた。

「この1週間、毎日夢を見ました、自分が子供の頃の夢を。そのうち何度も、雪の積もった街並みを見ました」

 夢。

 (琴音も俺と同じように、夢を…。)

「今日、気付いたんです。夢で見た雪の景色はこの街の道だって」

 ただの偶然じゃなかったのか。

「どうして離れてしまったのか、なぜ忘れてしまっていたのかはまだ分かりません。けど、この街で暮らしていたのは嘘じゃありません」

 琴音は、この街で生まれたのか? 

(じゃあ、俺が会ったのは、あの夢の女の子は誰だったんだ。)

 それより、

「生まれなかった人間は……他から入ってきた人間は?」

 タイミングも立場もわきまえず、夢中で聞いた。

 霞んで見えない7年前の記憶にそれは…。



























「相沢!?」

「無断で立ち聞きしたのは謝る」

「この街も、完全に滅びてしまわないよう、ある程度は人を引きつけます。しかし…」

 セバスチャンが、一枚の紙を投げてよこした。

「妖狐と人との関係を乱す者として、その殆どが冬が訪れた時、離れさせられるのです」

「……!…」

 渡されたのは、人口動向だった。

 …異常だ。

 その一言ですべて説明出来た。

 街の人口と動向の割合がどう考えても少な過ぎた。転入者も少なすぎるが、普段の年間転出者合計が1桁なんて、絶対ありえない。

 そして数年おきに、しかも冬に、ため込んだのを吐き出すように、急激に転出していくのだ。

「詳細を」

 セバスチャンは束を半分ほどめくった。

 その続きは、

「…私(わたくし)も、我が目で確かめた時には、戦慄いたしました」

 ………転出、死亡。 転入、転出。 転入、転出…

 ………転入、死亡。 転入、転出。 転入、転出…

 来た時期がバラバラの人間が、申し合わせたように、ある年に集中して街を去っていた。 

「身体にも、心にも、消えないくらいの深い傷を負わされ……たとえそれが、他の人間を傷つけても…」









 ――ボクも、この街に住みたかった…







 ――…そうね。



 ――この街は、悲しいことが多かったから…









「そして『冬の悲劇』を繰り返す……幾星霜にもわたって、永遠に…」

「先輩、もういいよ」

 もう言葉は要らなかった。これ以上は琴音ちゃんを返す障害にしかならない。

 だが、先輩は、言いきった。

「この街は、悲劇の街、なのです」



























 妖狐、魂、運命、冬の悲劇。

 どれもこれも、琴音の超能力を見ていなければ、鼻で笑ってしまうことの連発だった。

 だが信じる以外、俺には方法がなかった。

 些細な関係すら持たなかった少女の過去を夢で見た経験に、他になんと理屈をつければいいのか。

 琴音に渡すコートを握ったまま、身体の感覚を奪う風に吹かれて、時は経っていった。

「姫川さん、この街に来たとき超能力が一度大きく働き、」

 もう一度琴音がびくりと震えた。

「そして、日に日に勢いを落として、安定したのではないですか」

「はい……向こうにいたときよりチカラの動きが穏やかになって、弱った動物を元気にできるようになりました…」

「ヒーリングかよ?」

 藤田の声に小さく、琴音が頷いた。

「それが、何よりの証拠です」

 琴音が喋り終わったのを見計らって、芹香さんが続けた。

「大きな暴走は、外で溜まった余分なエネルギーの放出、本当はもっと穏やかに行われるはずでしたが…」

「ってことは、オレが見た商店街のあれは」

「あぁそれは俺が証言する。琴音の『チカラ』だよ。慣れない土地で、しかも風邪気味だっていう不可抗力の状態でだったけどな」

「……」

 俺の言葉は、藤田を完全に沈黙させた。

 ほぼ真正面にいる琴音の顔。

 今は、覗き込む気にもならなかった。

「そして力の安定は、街があなたを受け入れようとしているからです」

 琴音に向けた口を開いたまま、芹香さんは藤田に向き直った。

「もしこの街を離れれば、力の安定は崩れ、前のように暴走が頻発するでしょう。今は押さえ込めるようになったと聞いてますが、」

 そして、琴音を見ずに、痛いほどの間を開け、途切れ途切れに、

「おそらく、これから、ずっとあなたは…」

 あの喜びの顔。

 (あれが、逆に枷となるのか)



























 自覚していた事と合っているから理解は出来たけど、あまりにも非現実的過ぎで突拍子過ぎる。 

 とにかく、要約すると先輩はこう言いたいのか。

 琴音ちゃんは普通じゃねえから、オレたちの住む街ではなく、この街にいるべきなのだと…。

「先輩、一つだけ答えてくれ。なんで今ごろ伝えに来たんだ」

 先輩。悪いけど今だけはオレ、先輩に笑顔が向けられねえよ。

 感情を剥き出しにした面で、オレは聞いた。

「姫川さん自身の口から『帰らない』と聞かなければ、きっと浩之さんは納得されなかったでしょうから…」

 オレは琴音ちゃんを振りかえった。びくりと肩が震えるのが見えた。

「琴音ちゃん…」

「琴音さん」

「秋子さん、名雪」

「祐一が戻ってくるのが遅いから、心配になって」

 水瀬家の人たちも、外に出てきていた。

「………」

 琴音ちゃんは今、何を考えているんだろうか。

 この話に、やっぱり物思うところがあるんだろうか。

 ここまでの証拠を突きつけられ、うさん臭さはとうに消えている。

 ゲームや小説なら中盤戦。ここから街を支配する運命の謎を解き、解放するための新たな冒険が始まるんだろう。

 だが、オレたちには時間がない。

「なぁ琴音ちゃん、もう一度言うぜ」

 ギャラリーが集まってしまったが、オレはもう一度、あの問いの答えを言った。











 ………なんも関係ない女の子だったら、当然オレは追いかけないぜ。



 ………もし志保だったら、たぶん追いかけない。たとえ虹の根元を探しに行っても、あいつなら大丈夫だと思ってるから。

 

 ………あかりだったら……正直どうかわからない。まだなったことがないから、保証はできないけど、たぶん、追うと思う。 

 

 ………でも、琴音ちゃんがいなくなったと聞いたときは、オレ、すぐにいてもたってもいられなくなったんだ。

 

 ………オレってやっぱり頭わりぃからよ、とにかくすぐ追っかけようとしか思わなかったんだ。

 

 ………琴音ちゃんが、心配だったから。

 

 ………子供扱いして怒るかもしれないけど、それでもオレは、琴音ちゃんが心配だったから。











「だから、追って来たんだぜ」

「藤田さん…」

 結ばれていた琴音ちゃんの唇が、開いた。







 そして、琴音は。



 オレたちの、見ている前で。



 一歩、踏み出した。


ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 21:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする

Schnee Traum ~第8話~ 1月23日(土曜日)



 夢…





雪のない初夏の街の風景





友達とふざけ会うその視線の先に





僕はいつも一人の女の子を見ていた





そのこは自分とは違う存在に見えた





あまりにもその子はきれいだったから







僕は、その子が………























 ……。

 琴音と出会った日の夢を、再び見た。

 1週間前には、気にかかる程度だった夢。中身は全く思い出せなかった夢。

 今なら、分かる。

 それは、幼い日の些細な思い出。

 俺は、その子――姫川琴音という女の子――が、好きだった。

 学校帰りに偶然見かけて、大人の雰囲気に、心を奪われた。

 同学年の女の子など、彼女の不思議な雰囲気に比べたら、まるで相手にならなかった。

 でも、あまりに綺麗すぎたから。

 きっかけを持とうにも、どう話しかけたらいいのか当時の俺には分からなかった。

 だから毎日急いで帰って、毎日通る道に居座って、顔を覚えてもらって、

 向こうから話しかけてくるのを待っていたんだ。

 でも、そのうち琴音は俺の街から姿を消してしまって、俺の一方的な片思いは終わりを告げた。

 ずっと過去の海に沈めていたが、傷は癒えていなかったのだろう。

 家に連れてきてしまったことも、

 ことさらに優しく接したのも、

 きっと心のどこかで、あの日の失恋が澱んでいたから。

 だが、留まることなく時は流れていく。

 今の俺には、栞がいる。

 そして琴音には、俺ではなく…。

 ……。

 そうだ、あとで名雪に話したら散々バカにされたんだった。









 ――ダメだよ祐一、そんなことじゃ



 ――女の子と仲良くしたかったらね、はずかしがらずに毎日遊ぼうって誘って、お菓子をおごって、いっぱいプレゼントあげなくちゃ









「……」

 それが、7年前の冬頃。

 俺はそれを聞いて、誰かにそうしたはず。

 ……。

 やはり、そこだけアルバムのページが破られたように、思い出せなかった…。



























 どこでしょう?

 目の前に広がっているのは雪景色。

 雪、雪、雪。

 白い家々。見たこともない造り。見たことのない人々。


 見たこともない、街……





 いいえ、この街を、わたしは知っている……





















 もう遠い昔のような、家を出た日の夢でした。

 静かに開けたカーテンの向こう。

 晴れ上がった空。

 広がった雪の街の光景。

 霞が晴れるように、記憶が蘇ってきました。

 あの道は……ここを離れたときの、道。

 わけも分からず、ママに手を引かれて歩いた、あの日の光景。

 覚えてる道は、住んでいたときの道。

 そう、わたしは、

 この街に住んでいた…。



























「ちょっと待てよ、そんな格好でどこに出ていく気だ!?」


「わたしのせいなんです、わたしのっ…謝りに行かないと…」



「まさか琴音も…猫好きなのか?」

「はいっ!」

「ねこ~~ねこ~」



「でもわたしを案内してくれたのは、あの子なんです」


「彼はただ自分の住処に戻って来ただけです。これ以上は余計な事をしないで下さい」



「そうなんですか。……家の方、心配してますよ?」


「病気なのにベッドを抜け出してる女の子だって、家の方は心配してますよ?」

「あ…あの、わたしいつもあまり食べませんから、イチゴムースどうぞ」


「わ、ありがとう~~~」

「……屈したか」

「5分前からずっとそれだけ見つめてたもんね…」


「しあわせだよ~」

「ふふ、本当にイチゴが好きなんですね」

「いまのはちょっと科学的で、格好よかったですよね」


「もうっ…からかうと、教えてあげませんよ」






















 昨日とはちがい、普通の時間帯に目が覚めた。

 奇妙な夢だったが、もう驚かなかった。

 今日の夢は、ずっと見たいと思ってた琴音ちゃんの夢だった。

 泣いて暗く落ち込んでいたところから、幸せそうになっていく姿の連続写真。

 夢の終わり頃の琴音ちゃんの顔は、本当に幸せそうだった。

 …なんかオレ、悪役なのかなぁ…。

 この街にいたほうが、琴音ちゃんは幸せなのかもしれない…。

 だが脳の片方で、それを断固拒否するオレがいた。

 理屈じゃなく、肌で感じる感覚。

 一週間過ごしても、馴染むことがないこの街の空気。毎日見る、誰かの記憶らしき奇妙な夢もそうだ。

 何かを巧妙に隠しているような、肝心なところを隠されているような気分がする。

「なんかおかしいんだよな、この街…」

 自分で思いついたこの二つの考えは、頭が完全に覚めても、朝メシを食ったあとも、一向に消えようとはしなかった。











§












「大丈夫ですか」

 美坂さんが手を止め、額に手をやったので、たまらず声を掛けました。

 さっきから、何度も何度も少し描いては胸におでこに、手を置きます。

「はい、たぶん」

「病気を治すほうが優先ですよ」

 雲が動いて、昼の日差しがまた降ってきました。

 昨日までは、全く意識しませんでしたが、光に照らされた美坂さんの顔色は冴えていなくて、病人だということを嫌でも思い出させてきます。

「早くうまくなって、祐一さんに見せたいですから……まだ、全然うまくなった気がしないです」

「それはそうですよ、2日3日で急に上達しませんから。大丈夫です、ずっと続ければ、上達はしますよ」

「ずっと…」

 自分が外に出した言葉に、自分で傷ついてしまいました。

 そう、わたしは知っている。

 自分が『ずっと』美坂さんに絵を教える事なんてできないことを。

「ずっと、ですか…」

 わたしが暗い顔をしたせいでしょうか、美坂さんの表情も重くなりました。

「好きなら、絶対うまくなりますよ。わたしだって、最初から誉められるような絵が描けたわけじゃないんですから」

「そう、ですか」

「ぼーっとしている代わりにずっと手を動かし続けてたら、少しづつ周りの景色に似るようになったんですよ」

「わたしも、ベッドで結構描いてました。でもモデルさんがみんな逃げてしまって…」

 遠くから、相沢さん達の学校のベルが届きました。

 また、手が止まりました。

「本当に、大丈夫ですか?」

「ちょっと、まずそうですね。すみません、今日はこれで帰ります…」

「明日は日曜ですから、お休みにしましょう。病気を治すほうが先決ですよ」

「はい。では月曜日にまた、お願いします」

 顔色は悪いけど足取りは不思議にしっかりしたままで、美坂さんは並木道の方に消えていきました。

 少しだけ、祈りました。

 美坂さんの病気が治ってくれる事と、

 もうすぐ来るだろう現実が、消えてなくなればいいのに、と…。











§












「祐一、放課後だよ~」

「あ…あぁ」

 まともな意識を取り戻したのと、周りが起立しだした音が聞こえたのはほぼ同時だった。

 寝ていたわけでもなく、ただ意識だけが現実世界から欠落していた。

「祐一はまっすぐ帰るの?」

「……」

 帰りづらい。

 今日、琴音は朝食の時間を俺達と外した。

 正直言って、顔を合わせても何を話したらいいものか分からない。

「ねえ祐一?」

 しかしこれ以上、問題を先送りすることはできない。

 元から、早く終わらせなければいけなかったんだ。

 こんなに、別れたくなくなる前に。

 俺が、歯車を回してしまった。

 何らかの覚悟を決めねばならない時が来たのだ。

「名雪、今日一緒に帰るぞ」

「ごめん祐一、今日も私部活…」

「終わるまで、待ってるから」

「え?」

「昼飯は勝手に食うから気にしなくていいぞ。秋子さんに電話してくる」

「え、祐一、ちょっと待って」

 名雪の慌てた声を無視して、俺は公衆電話へ向かった。
























 ……帰りづらい。

 あの家も、わたしの居場所じゃないのだから。

 美坂さんと分かれたわたしは、ふわふわとこの街に来た時のようにさまよっていました。

「……また、この道…」

 おなかの減り具合も忘れて歩いていたのは、生徒手帳を忘れた時歩いていた道でした。

 雪の道。

 この街を離れるように離れるように進む夢。

 …じゃあ、あの夢の道を逆に辿ったら、そこには何があるんでしょう。

 決まってます。住んでいたのなら、その家があるはず。

「今までどうして思いつかなかったのかな」

 そう口に出した瞬間、周囲の風景が二重にぶれました。

 不吉な予感が血に混じって身体を巡りはじめました。

 ……わたしは、前もこの言葉を口にした。その時の思いつきは、自分の頭を打ちつけたくなるようなバカなこと。

 今度もまた、いけないことをしようとしているのでしょうか。

 でも、知りたい。

 夢が本当に夢でないのかどうか。そして、何がわたしを、

「ぁ…」

 膝が笑い出すほど恐れさせているのか…。





§






 歩いては振り返り、歩いては振り返り、日光で輝く雪の道を見て。

 だんだん、振りかえる回数が少なくなります。

 薄れていく夢の部分。

 反対に、強くなる記憶と、心臓の鼓動。

 鼓動だけが、二歩も三歩も先に進んで行きます。

 そのふたつがピークに達する余裕も与えられず、わたしは決定的な場所に着いていたのでした。





『姫川』





 目に飛び込んだのはそう書かれた、表札。

 押さえきれない震え。

 ママ「だけ」に手を引かれた夢と、眼前の事実を結びつけるのに、そう時間はかかりませんでした。

 ここに、もうひとつの家がある。

 わたしが帰ってもいい場所が…。









 願いさえすれば、わたしはこの街に居続けることが出来る…。









 視界が一瞬で黒赤青黄、白と目まぐるしく変わって、

 次にまともな意識を取り戻した時、わたしの目の前は自分の吐く荒い息で真っ白になっていて、表札は『水瀬』に変わっていました。

 身体中が湿って、手も足も赤くなっています。服にはところどころ、雪と泥が。

 弾んだ息はまだ収まらなくて、白く、白く、白く。

 湿って色が変わったところから、身体がひりひりと冷たくなってきます。

 わたしの、いる場所…。

 寒さに耐えられなくなったわたしは、黙ってその玄関をくぐりました。

























「くそっ」

 もう2時半を回ったのかよ。

 だるさ充満の身体にムチ打って、この町に来てから行ったところ全てにもう一度足を伸ばしたが、ぜんぜん収穫はなかった。

 そして今、オレは荷物を抱えて商店街を一周してため息をついたところだった。

 駅員も結局見てないって言うし、1週間無駄にして、結局ダメかよ。

 この広い街が恨めしい。

 温かみのある壁や路面の色も、現実まではあっためてくれないか。

 おいそこの掲示板、でかいだけじゃなくもっと役に立てよ。

 もう1週間経ったのか、お前を見てからよ。

 ほんとにあっという間だったよな、この1週間。これ見て歩きだしたとたん、後ろから――

「……ヒロ、くん?」

 ためらいがちな声が、オレを呼びとめた。

「あゆ、か」

 そう、オレはあゆと出会ったんだ。

「元気ないね」

「あぁ。探せるのも今日まで。あゆと会えるのも今日限りだからな」

「そうなんだ…」

 変に悲しげだった。

 ダッフルコートの後ろの羽だけが、オレたちと違って元気よく揺れていた。

「でも、あきらめちゃダメだよ」

「つったって、諦めるななんて言われたってなぁ」

 何だよ、見つからないからって他人に当たんのかよ。完全なダメ野郎だな、オレは。

「ヒロくんからあきらめちゃったら、それでおしまいだよ」

「!」

「ボクの探し物なんて、どこで落としたのかも、何を落としたのかも分からない。でも、落としたってことはわかってるから、きっといつか見つけられると思ってるんだよ」

「……」

「ボクはこんな変な応援しかできないけど……でも、あきらめちゃったら本当にダメになっちゃうと思うんだよ」

 …オレってほんと、バカだな。

 今のあゆの言葉は、超能力の特訓中、オレが琴音ちゃんに言い続けたそのまんまじゃねえか。

 オレから諦めたら、今日までやって来た時間、あゆに付き合ってもらった時間まで無駄になっちまう。

 琴音ちゃんは見つかってないけど、まだこの街から出たって確証だってねえんだ。

「そうだ、オレはまだ諦めないぜ。今日しかいられないんだったら、今日中に見つけてやるぜ」

「うん、その意気だよっ」

「おぉ、オレは燃えたぜ。勝負はツーアウトフルカウントからだからな。ついでに、あゆの探し物も見つけてやるぜっ」



























「……」

「……」

 会話がない。

 名雪といてここまで息苦しい思いをするのは、この街に来てすぐ、あゆに引き摺りまわされたあとの帰り道以来だ。

「百花屋に行こう」

 会話といえるのは学校を出るときのその一言と、いいよと言う返事だけだった。

「話ってのは、琴音のことなんだけどな」

「うん、きっとそうだと思ったよ」

 部活疲れだろうか、あまり顔の筋肉を使わないで名雪が答える。

「やっぱり帰さなきゃいけないんだよ、俺達は」

「私もそうしなきゃいけないってのは、わかってるよ…」















 そして、俺達4人は、交差した。















「おっあゆ、と……あぁっ! お、お前は、学校に侵入してきた…」

「矢島…」

「そうだ、やじまぁっ!」

「オレは藤田だっ!」

「まさかあゆ、たい焼き代欲しさにこんなやつに身体を売ったのか…」

「ボクはそんなに安くないもんっ」

「待てっ、誤解されるような言い方をするな!」

「誤解じゃなくて真実だろっ!」

「オレにだって買う女くらい選ばせろってんだ!」

「祐一、声が大きいよ…」

 名雪の声ではたと見まわすと、ギャラリーの視線をものの見事に集中させていた。

 俺達のいる場所が、賑わう週末の商店街ということをすっかりと忘れていた。

「……」

 向こうも状況を理解したのか、一旦口を閉じる。

「えっと…」

 そうか、名雪はあゆの事知らないんだよな。

 だが、とりあえず奴を問いただすほうが優先だ。

 ボリュームを落として再び俺は切り出した。

「んじゃ藤田とやら、人の学校にまで侵入して、お前はこの街で一体何をしてるんだ?」

「人を、探してるんだ…」

 打って変わって真剣な顔で、(自称)藤田はそう言った。

「人を?」

「心配するな、見つかるにしろ見つからないにしろ、今日帰る…」

 浮かんだ色が、沈み切っていた。

「たしか、むらさき色の髪をした女の子なんだよね」

 あゆの声に、俺と名雪の動きが止まる。

 紫色の髪の女の子?

 そういえばこいつの名前、『藤田』?

「……なぁ、もしかしてその子、超能力少女なんかじゃないよな?」

 藤田が目を開ききって、そのまま止まる。









「「姫川琴音」」









 声がピタリと重なった。

「なんでお前が、琴音ちゃんを知ってるんだ…」

「詳しく話します。長くなるので、とりあえずあそこへ」

 名雪が、百花屋を指差した。





§






 それぞれの自己紹介に加え、オレが名雪を、あゆが藤田を紹介した。

「えっと、よろしくねあゆちゃん」

「…あ…名雪さん、よろしくお願いします」

「そんな堅苦しくならないで。私もなゆちゃんでいいよ」

「ううん、やっぱり名雪さんって呼ぶよ」

「残念」

 名雪はそう呼んでほしかったらしい。

「なんならオレがそう呼んでもいーけど?」

「さすがに遠慮しておくよ…」

「残念」

 どうやら藤田には、お調子者の気があるらしい。

「お前に言われたくないな」

「俺がなにか言ったか?」

「いや、何かバカにしたよーな気がしたから」

 そして、栞並に鋭かった。

「それにしても、あゆは相沢の幼なじみだったのか、灯台下暗しってヤツだな」

「一向にその自覚はないんだけどな」

「ひどいよぉ祐一くん…一緒に何度も遊んだのに」

「そこだけは俺も悪いと思ってる。だが犯罪者の知り合いは欲しくない」

「犯罪者?」

「でも藤田くんって祐一に似てるよね」

 食い逃げの話をしようとしたのを遮って、名雪があさっての方向の話題を持ち出した。

「うんうん」

 なぜかあゆも同調する。

「は?」

「オレと? 具体的にどこらへんが?」

「雰囲気って言うか、性格って言うか。あ、髪形も少し似てるよ」

「たっく、そのせいでオレはえれー目にあったんだぜ」

「うぐぅ」

「まぁこいつのことだから、間違えて攻撃してきてだな…」

「鋭いな相沢。不意打ち食らって首をちょっとやられたぜ」

「…」

「…」

 二人同時に、あゆを見てため息をつく…。

「うぐぅ、二人ともいじわるだよっ!」

「ほら、初対面て思えないほど、祐一と息が合ってるよ」

「あゆに関わればな…」

「誰でもそうなるぜ」

「うぐぅ…」

「それにしても、うれしくても悲しくてもいっつもうぐぅだな、オレが聞いた限りでは」

「確かに、俺が聞いた限りでもそうだな」

「うぐぅ、もう、二人とも知らないもんっ」

「ほらやっぱり」

 何がおかしいのか、名雪は弾けんばかりににこにこしていた。

「ん、じゃ、オレがあゆとあった辺りから話そうか」













§














「…ということは、あの並木道で会ってた可能性もあったわけだな」

 相沢がコーヒーをせわしなくかきまわしていた。

 真冬だというのに、花盛りの植物の山。

 対して北国らしい、厚い壁とシックな内装。

 そして、予想してたけれど女子でほぼ満席。

 今日までのこの街の印象、奇妙さ、寒さ、普通っぽさを袋詰めにした場所。百花屋は、そんなトコだった。

 ちんたらとコーヒーを口にしながら、今日までの琴音ちゃんとオレの行動の報告会が続いていた。

 言ってみれば情報交換なんだが、ほとんどオレが聞き役だった。向こうがしてくる質問は本当にわずかだった。

 聞くまでもねー、といったら言い過ぎか? それほど少なかった。

 琴音ちゃんは、自分のことをそんなにぺらぺらと喋るタイプじゃなかったと思うけど……。

「あそこで会ってりゃこっちも1週間学校サボって、人の学校にも侵入しなくてすんだんだぜ」

「ヒロくんが捕まってたら、きっとおおごとになってたね」

 オレの方はボチボチといった感じだった。

 この街での琴音ちゃんの行動はつかめたけれど、肝心の原因は当然把握していない。

 相沢が話した範囲での、数少ない手がかりからオレが出した答えは、

(……家内不和、か)

 それじゃオレにも相談できねぇよな。あの様子じゃさもありなん、って感じだ。

 でもよ。本当にそれだけなのかよ琴音ちゃん。

 何でじゃあ、オレに手紙を…

「お前と違って足には自信があるからな。でも捕まってりゃ、逆に琴音ちゃんの耳にオレの名が入りやすかったかもしれないけど」

「うぐぅ。今日はなんだか知らないけど、ヒロくんがすごくいじわるだよ…」

 でも、今朝見た夢の通りなら、逆に早く見つけなくてよかったな。

 琴音ちゃん、あんなに楽しい思いをしたんだから。

「で、これからだけど……オレ、琴音ちゃんに会ってもいいか?」

「止める理由はないな。直接家に来いよ」

「ねえ祐一、もう一杯いい?」

 大きいイチゴサンデーのグラスを通路側に押し出して、水瀬が祐一を揺すった。

 さっきからなんだが……このノリにだけはついて行けねーな。あかりの天然ボケもかなわねーだろう。その時。



 ブブブブ、ブブブブ、ブブブブ!



「うぉっ!」

「わ」

「へ」

「ぶっ」

 オレが叫んだため3人までビビらせてしまった。

 原因はバイブレーションにしていた胸の携帯だ。たっくビビらせやがって。

「ったくどっちだよ…はいもしもし」

『ヒロ、私よ』

「志保か」

『頼まれたの見つかったわよ、ほんと苦労したんだから』

「あぁ今いーわ、後にしてくれ」

『なんですって? 人が苦労して苦労して得た情報教えようという時に、ずいぶんな物言いじゃないの!』

「わりーわりぃ、でも今な、琴音ちゃんを保護してくれてた家の人と偶然会って喫茶店にいるんだ」

『そうなの? と言うことは見つけたのね!?』

「どこからだ?」

 相沢が聞いてきた。

「向こうの悪友から」

「タメか?」

「中学時代からの腐れ縁。いちおー染色体上では女だ」

『ちょっとアンタ、人が場にいないと思って適当なこと吹き込んでんじゃないわよ!』

「…本当に悪いんだが、その電話ちょっと代わってくれないか?」

 相沢は妙なことを言い出した。

「少し、確かめたいことがあるんだ」

「こんなバカでよければ……、おい、向こうがお前になんか話があるそうだ。オレたちとタメだけど、無礼な話し方すんなよ」

 オレは志保のバカ騒ぎの続く携帯を手渡した。

「名雪、ちょっと席を外すからどいてくれ」

























 適当な位置がなかったので一旦外に出て、応答する。

「もしもし」

『あ、どうもはじめまして、長岡志保と申します』

「あぁ、長岡さんはじめまして、俺は相沢祐一といいますが」

『ダメな友人に代わって礼を言わせて下さい、今日まで姫川さんを保護して頂いてありがとうございました』

「いやいや別に。……それより、同い年だからタメ口にしてくれないか、なんか調子がでない」

『では、お言葉に甘えて。そうさせてもらうわ』

「一つだけ、聞きたいことがあるんだ。琴音…いや姫川さん、『幼馴染み』という言葉にやけに過敏に反応してたんだ。なにか心当たりは?」

『あるわ』

 きっぱりと長岡は言い切った。

『今あなた達と一緒にいる藤田浩之、あいつには幼なじみがいるのよ、親どうしも仲がいいから、生まれる前からっていうくらいの長さの』

「仲は…いいんだろうな」

『名前は神岸あかり。仲は、本人たち以外はみな恋人同士って断言するくらい。でも本人達はまったく自覚がないから困るのよ、ね』

「そうだったのか…。超能力のトレーニングの事もあったから、辛かったんだろうな、姫川さん」

『……ちょっと、なんでそれをあなたが…』

「おかしな夢を見たって言うしかないな」

『夢ぇ?』

 向こうの声が露骨に動揺していた。

 何の気なしに口にしてしまったが、冷静に考えればオレがそれを、しかも夢で知っているというのは異常極まりない。

「信じなくても構わない…やっぱり、本当にあったんだな」

『そう…。確かにあったわ、春頃。中庭で何度かやってるの私も見かけて…制御できるようになったような話してたんだけど…』

 この1週間続いていたのは、常識では絶対ありえないはずの現象だった。

 他人の口からの裏づけは、その異常さをさらに強く思い知らしめた。

『あいつ、女心わからないからね…』

「わかった、ありがとう」

『じゃ、これ他人の携帯らしいし、とりあえず切るから。ヒロ、いや藤田に、後で掛け直すって言って』

「あぁ」

『あ、そうだ、ちょっと聞いてもいい』

 向こう側、長岡は俺を呼びとめた。

『あなたにもいるの、幼なじみ?』

「あぁ、水瀬名雪って言うんだが。従兄弟でかつ同居人だ」

『…水瀬さん、大切にしてあげなさいよ』

 その言葉で、電話は切れた。





§






「ねえ祐一、ここにも寄っていい?」

 返事も聞かず、名雪はあゆを引っ張って小さな駄菓子屋に向かって行った。

 何が嬉しいのか、名雪はさっきからあゆを引っ張ってはそこかしこに寄っていっていた。

「よく食うな…水瀬」

「……」

 藤田浩之。

 現時点では、北川並のお調子のりな奴。普通の奴よりずっと付き合いやすい。

 だが。

(やっぱりお前には叶わないな)

 一人の女の子を捜すため、一度も来たことのない街を1週間も駆けずり回るなんて、とんでもない奴だよお前は。

 お前相手にだったら、あの異常な事も話せるかもしれない。

 お前の記憶を、俺に流し続けた夢を……。

「それとも、女子高生ってのはあんなもんなのか」

 店先のゴムボールを一つ手にとる。

「藤田」

 下手(したて)で、それを放物線を描くように投げる。

「? お、おい」

 藤田は軽く手でキャッチし、ぽいと店頭のかごに戻した。

「いきなり何すんだ」

「さすがにお前は無理か」

「何がだよ」

「空中に止めるかと思ったんだけどな」

「……!」

 藤田の顔に、隠し切れないほどの動揺が走った。

 だが、俺は続ける。

「……藤田、全くの他人の過去を夢で見るなんてこと、信じられるか?」

「信じるさ。今のは、オレと琴音ちゃんしか知らない特訓法だ」

「出会いから、ピンポン玉回すのを野球ボールまで動かせるまでにトレーニングさせて、絶望した琴音を殴って説得するまでみんな見た夢でもか?」



























「信じるさ。オレも、似たような経験してたからな…」

 自分の行動をみな見られたっていう恥ずかしさより、同士がいたっていう安心が上回った。

 異常な夢。

 異常さだけならオレと大差ねーぜ。

「説明の必要がなくて逆に助かったぜ。いきなりじゃ言いづらい事も、結構あったからな」

 どのくらい動揺を押さえられたのかはわからないが、笑い顔を作ってオレは返した。

「まぁ、琴音に関しては嘘はつかないほうがいい」

「まいったな」

「お前の夢の方は、どうなんだ」

「オレのは誰なのか、さっぱりわかんねえ…この街が舞台だってことだけはわかるんだが」

 そこまで話したとたん、まだ生々しい赤い空気がオレの目の前を包み込んだ。

 ほの赤く染まった空気が、路面に残る雪を血のように赤く、いやどす黒く変えていく。

 …ダメだ。

 これ以上口にしたら、この場で地獄に舞い戻されて、倒れる……。

「とても一言じゃ表せない…おまけに、結末は、最悪だ…」

「そうか」

 オレは、場を濁すしかなかった。

「あ、たい焼き屋さん」

 オレのコートがぐっと引っ張られた。

 力点には、ものほしそうな目でオレと屋台を交互に見比べるあゆがいた。

 ラッキー。

「そうだな、琴音ちゃんへのおみあげにでも買っていくか」

「こいつを甘やかすと癖になるぞ」

「うぐぅ…だって、お金ないんだもん…」

「いつもの食い逃げがあるだろ」

「だから、あれは違うんだよっ」

「「食い逃げ?」」

 オレと水瀬が声を会わせて聞いた。

「な、なんでもないよっ」

「まいっか。たっく、しょうがねえなぁ」

「よぉ、早くしろよ。こっちは準備出来てるぞ」

 会話を聞きつけ、すっかり上機嫌になっている屋台の親父に、オレはたっぷりと仕事してもらった。

ラベル:Schnee Traum
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Schnee Traum ~第7話~ 1月22日(金曜日)<後編>

「……」

 オレは体を持ちあげた。けれど上半身が起きたところで、再び沈み込む。

 もう一度、無理やり体を起こす。鉛の塊が入っているように重い頭が、さらに痛んだ。

 目を開けたくない…。

 だけど、目を閉じれば地獄だった。

 胃が重い…。食べ物を見ると、それだけで具合悪くなりそうだ…。

 頭の鉛が、流れ込んだのかもな。







「あ、あんた、大丈夫なのかい?」

 6日目に入り、すっかり俺の顔を覚えたおばさん従業員があんぐりとこちらを見た。

 言われなくても、顔色が悪いのは承知済みだ。

「病院、連れてこうか」

「いや、いいです」

「朝食…いらないね、どちみちもう終わっちゃってるけどさ」

 1階受けつけの時計を見ると、

「もう午後かよ…」

 見事に午前を過ぎんじゃねえか。

 夢遊病者のような足取りでオレは外へ踏み出した。今なら、誰にぶつかっても転がされる自信がある。







 ……原因は、悪夢だ。

 今まで見た中で、最悪の悪夢だった。

 男の子の前で、少女が決して果たせない約束をして、二度とさめない眠りに落ちていく。

 いや、美しすぎる、

 木から落ちた女の子が、非情な運命に殺されてゆくさまを見せつけられる悪夢。

 昔の映画の様に、音はない。

 時々視点が女の子に移るのか、少年が映り、なにかを必死に叫んでいるが、届かなくて…

 指きりしようとする指の片側は動かなくて…

 雪が流れる赤いもので溶かされる中、女の子はついに目を閉じ、

 ようやく戻った音は、少年のすすり泣く声を奏でるだけだった…。

 何も出来ず、声も出せず、喉をかきむしりたくような悲しみ、無力感が起きたはずの身体にまで付きまとう。

 そんな、夢だった。

 先輩の警告がこれだったとしたら、オレはなんてバカなマネをしたんだろうな。

 もう一生、あの光景が頭から離れる事はないだろう。

「うえっ」

 喉に吹きつける風が強くて、まるで首を締められてるように気持ちが悪い。食べ物の匂いが通るたび、胃にくる。

 本当はおとなしく宿で寝てるほうがいいんだろう。だけど、あえてオレは外へ出た。

「今日は、あゆと会いたくねーな」

 ただ、それだけは願った。この身体の調子で、お前の相手はムリそうだ。

 商店街を急ぎ足で通過する。

 さらに進む。

 先輩に会った並木道。そこから、鬱蒼とした森の方へと足を踏み入れた。

 そう、オレは、今からあの夢の舞台へ立とうとしているのだ。





§






 子供がようやっと通りぬけられるくらいの草のトンネルを、這って進む。

 ひざが汚れるが、そんなの構いやしない。

 藪を踏み分ける。落葉を足で押し付け、枝を踏みちぎって音をたてて、とにかく進む。

 ガキのあいつらにも遠かっただろうけど、今のオレの足でも遠いな、秘密の『学校』は。

 そして、道程は終わった。





 晴天なのに、曇天のように林床は暗い。

 だが、そこにぽっかりと穴が見えた、木々の天井に。





 あの日のまま、周りの時から切り取られたように、その場所は白く佇んでいた。

 けれど、オレの目の前にあったのは、大樹ではなく切り株だった。

 この森のいかなる木よりも、太い。

 空に開いた穴は、時の流れと、失われた時を埋める術がないことを、訴えてるように見えた。

 そして、その根元で、

「……」

 ひとりの女の人が、花束と共に手を合わせていた。

「どなたが亡くなられたのですか」

 失礼もいいとこだよな。

 赤の他人がするには失礼な質問だと、十分承知の上でオレは聞いた。もし怒鳴られたら、黙って立ち去ればいい。

「違います。私は、この樹を悼んで花を供えていたんですよ」

 え…?

「この木、を?」

「はい。あの時は感情に任せて切ってしまったけど、今考えればこの樹にも罪はありませんものね」

「あの時?」

 どうも話が見えてこない。

「…旅の、方ですか」

「そうです」

「7年前、事故があったんですよ。この樹に登っていた子が、落ちて怪我をしたんです」

「……」

 オレを向こうともせず、話だけが続く。

「そのあと、また子供が登って事故が起こらないようと、この樹は切られたんです」

 半分は嘘だな。

 オレは思った。

 切り株から推定した木の高さは、数階建てのビル。中ほどからでも、落ちたらただのケガでは済みそうにない高さだった。

 それに、

「…女の子ですね」

 オレの言葉に一瞬身体を震わせたが、その人は、

「そうです」

 と淀みなく、短く答えた。

 喉から、吐き気ではない何かがこみ上げる。

 オレと女性が立つ雪を、真っ赤に染めたあの悲劇。

 あれは、決して夢の中だけの出来事じゃなかったのだ。

「……その子の名前、覚えていらっしゃいますか」

 丁寧に首が横に振られた。

「何しろ、7年も前のことですから」





§






 オレは森を駆け下りた。

 あの夢は実在する。

 それがなんなのか、ただ、確かめたかった。

 だが、ない。

 記事を書いたであろう新聞社はここからは遠すぎるし、7年前の新聞など、図書館では取っては置かないそうだ。

「こうなったら、あいつに賭けてみるしかねぇな」

 手に持った携帯に番号を入力する。

『はいもしもし』

「志保か。いきなりで悪いんだが、お前を情報屋と見込んで頼みがある。今から言う新聞の7年前1月の記事に、木からの落下事故がないか調べてくれ」

『はぁ!? ちょっと、7年前って…ムチャ言わないでよ!』

「国会図書館でもインターネットでも方法は任せる。とにかく調べてくれ」

『あのねぇ、国会図書館ってのは18禁なのよ。しかも新聞のバックナンバーなんて』

「頼む、こっちにはもう残ってないんだ」

『頼むって言われても限界が…第一、何のために調べんのよ』

「その事故にあった人の名前を。子供だから。帰ってから3日お前のいうことなんでも聞くって条件をつける」

『……分かったわ。あんたがそこまで言うんだから、特別にタダで調べてあげる。でも、期待はしないでね』

「すまない」

 無理難題に等しい頼みを、志保は引きうけてくれた。

 再びオレは街に繰り出した。無駄でも、動かなきゃ気がおかしくなりそうだった。

 制服姿の何人かがオレを指差したような気がしたが、構ってる暇なんかない。

 もう時間がない。

 琴音ちゃん、どこにいるんだ。























 今日の夕飯は俺の提案でじゃがバターだった。

 もっとも、これも昼見た夢のおかげだ。ここまでプライバシーを覗いてもいいのだろうかという疑問は、この際隅にのけておく。

 そして、ものの見事に琴音は好反応した。

「好きなんだな」

「ええ…小さい頃、よく食べてましたから」

 その後、みかんをついばむ。

「わぁ、甘い…」

 冬の家には竹籠に入ったみかん。

 炬燵はなくとも、これは動かしようのない日本の定説だと思う。

 夕飯のあとだが、俺も2個目に手を伸ばした。

「祐一、種出さないの?」

 3個目をせっせと口に運んでいる名雪が聞いてきた。

 名雪の前には、几帳面に出された種と薄皮が、黄色い外皮に乗せられて集められていた。

「面倒だからな」

「…おなかから芽が出てくるよ」

 ぺしっ。

「お前本当は何歳だ?」

「祐一と同い年だよ…」

「薬品かけたみかんの種が、芽を出すわけないだろ」

「きっと出るよ…」

「出ない」

「出るよ」

「出ない」

「出るよ」

「出ない」

「出るよ」

「でな…」

「こうしたらどうです?」

 琴音が、口から出していた種を植木鉢の土に押し込んだ。

「実際にやってみたらいいんじゃないですか?」

「そうだね」

「負けた方が、一週間全教科ノート取りな」

「祐一こそ、芽が出たらイチゴサンデー3杯おごってもらうよ」

「もし芽が出てたら、引っこ抜いてやる」

「わ、祐一ずるいよ…」

「だいじょうぶですよ。そうならないよう、わたしが見張っててあげますから」

 笑みをこぼしながら提案する琴音の声。









 ふと、空気が灰色に変わった感触がした。

 その言葉に、呼び出されるある感覚。

 冷静な、理性の支配。時に無慈悲な、現実の真言。









「…琴音」

「?」

「この種が芽を出すまでなんて、一緒にはいられないだろ…」

「………」

 琴音がいる、四人の生活。

 いつのまにか慣れてしまって、忘れていた。

 それは、永遠じゃない。

 琴音は、あくまで家出をしてきた来訪者なのだ。

「……そうですね…」

 俯いた顔は、古傷をえぐられた辛さを写し取っていた。

 場は白けてしまった。

 誰も、お互いに口を利こうとはしない。やがて、誰からとなく、おのおのの部屋へと散っていった。











§












「どうして先生はこの街を家出先にしたんです?」

 昨日より構図の取れた絵を前に、美坂さんはそう聞いてきました。

「美坂さんは、夢ってよく見ます?」

 わたしは逆に聞き返してみました。

「夢ですか? 私はあまり見ないです」

 さらっと、画面に視線を移されました。

「だって、起きている時に叶って欲しいことがいっぱいありますから」

「絵が上手になりたいとか?」

 意地悪そうに笑ってみました。

「先生ひどいですっ。…そんなこという人、嫌いです」

「そうですか。わたしは…最近毎日のように見るんですよ」

「どんな物ですか?」

「自分が子供の頃みたいで…」

 わたしは、あの夢の話をしました。

 そしてそれが、家出した原因だとも。

「雪の夢……ファンタジーぽくて、なんかかっこいいですね」

「そうなんですか?」

「いつもベッドで暇なので、いっぱい本を読んでますから」

「そういう話だと、どうなるんです?」

「そうですね…」

 美坂さんは口に人差し指を当てて、少し考え込む仕草をしました。

「案外、昔のことを思い出しているのかも知れませんよ」

「え?」

「夢って、記憶を整理する時に見るらしいんです。何かのきっかけで、昔の記憶が蘇ってるのかもしれませんよ」

「わたしの…記憶…?」

「いまのはちょっと科学的で、格好よかったですよね」

「もうっ…からかうと、教えてあげませんよ」

「わ、先生すみませんっ」

 それにしても不思議…。

 会って二日目なのに、こんなに気軽におしゃべりできる…。友達って、こんなに簡単につくれるものだったのでしょうか。

 なんてきれいな場所。

 なんていい人たち。

 ずっと、こうしていたい…。

 画面を走る鉛筆の黒さえ、わたしの目には幸せな空色に見えました。











 そう、空色に、見えていたのに…。

 結局、わたしはどこにもいられないの?

 わたしが悪いことをしているのはわかってる。でも、でも。

 楽しい日々が、みんな幻なんて…。

 外は雪明かりで白く輝いてるはずなのに、真っ暗なこの部屋が、現実の壁を形にしているように見えました。

 もう、頭を働かせるのは止めよう。

 布ずれの音をひどく立てて、自分をすっぽりと布団の中に隠しました。

 また明日、美坂さんにあって、絵を教えていれば、きっとそんな事は忘れてしまえる。

 きっと、忘れて…しまえる。



























 いずれ、琴音は帰らなければいけない。

 だが、出てきたときから何も変わらない向こうへ、無理やり戻すことが果たして正しいのだろうか?

 誰かが、琴音を迎えに来てくれれば。

 ……。

 俺の脳裏を掠めたのは、藤田という名前だった。





 藤田。

 琴音の超能力に恐れず向き合い、制御できるまでにした男。

 二人が、その後どうなったのかは知らない。

 しかし、琴音の心に、今でも藤田は大きなウエイトを占めているはずだ。

 琴音をどう思っているかは関係ない。

 とにかく一度会って話をしてほしかった。

 可能性がほぼゼロである願いだと分かりつつも…。

 その考えが、眠りに落ちるまで離れることはなかった。







 藤田。

 きっとお前なんだ。

 琴音を帰せるのは、きっとお前なんだ。

ラベル:Schnee Traum
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2020年08月06日

Schnee Traum ~第7話~ 1月22日(金曜日)<前編>

「お待たせしました」

「あ、姫川さ…いえ先生、おはようございます。……どうしたんですかその制服?」

「あ、これですか…。今日お昼、学食で食べないかと誘われて、そのために相沢さん達がおもしろがって用意してくれたんです」

「ということは、ニセ学生として忍び込むんですね」

「そういう…ことになりますね」

「なんかドラマみたいでかっこいいですね」

「どうでしょう……普通の生徒に見えますか?」

「すっごく似合ってますよ。大丈夫ですね」 

「そうですか…来る時に人目を引いて、はずかしかったです…」

「本当はみんな学校があるんだからしょうがないですよ」

「それに、ちょっとわたしには大きすぎて…」

「そんなことないですよ。私よりよっぽど着こなしてますよ。…実は私もそこの生徒なんです」

「そうなんですか? じゃ、一緒に行きませんか? 一人だと、やっぱり不安で…」

「ダメです。祐一さんをあっと言わせる腕前になるまでは」

「そうですか。じゃ、せっかくこれを着てきましたし、今日は服の描きかたを練習しましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「琴音、こっちだ」

「あ、はい」

 授業終了直後、俺はダッシュで裏門へ向かった。

 裏門とはいえ昼には校外に出ていく連中もいるため、表門と変わらない利用者数がある。おかげで目立ちはしない。

「やっぱり緊張します…」

「そうだろうな」

 あくまで普通の生徒二人を装って、俺達のクラスの下駄箱へ向かう。

 1月22日、昼。

 予定通り、俺は琴音を学食に呼んだ。

 あの痛ましい『想い出』の続きは、こうだった。

 

 

 

 

 

「あっ…!」

「こ、琴音ちゃん!」

 

 日付は五月となり、12日、琴音は学校から姿を消した。

 藤田は、早退して琴音の家まで向かう。だが収穫はまったくなし。

 失意の帰り道、とある公園で二人は、ぱったり出会った。

 

「……嫌になってしまいました」

 

 自信を失い壊れかけた琴音。唇にのぼったのは、敗北宣言だった。

 

「わたしのチカラは、もう止められないんです」

 

 逃げようと思ったが、どこにも行けなかったと、自分を嘲って言う琴音。

 

「…せめて、学校に行かないで、ここで時間がたつのを待つことしかできませんでした…」

「…逃げんのかよ? なんで逃げんだよ琴音ちゃん」

「もうたえられません! わたしなんかのために、誰かが傷つくのは…」

「違うだろ! 傷つけないよう頑張るのが琴音ちゃんのやることじゃねえか!」

「もう…一生懸命頑張りました。わたしもう、頑張れません…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は北川達だな…」

 これで席がとれなかったら最悪だ。

「琴音、万が一学食で食えなかったら、北川をふっ飛ばしていいぞ」

「そんなことしませんよ。わたし、暴力嫌いですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世の全てに裏切られたと言いたげに、哀しく自分を嘲笑し続ける琴音。  

 

「本当はもう藤田さんとお会いすることもないだろうって思っていたんです…だけど、こうなってしまったのは、何かの縁ですね」

「冗談だろ?」

「本気…です」

 

 琴音の瞳は、生気を失っていた。

 

「なんでだよ、そんなことして誰か喜ぶのかよ?」

「今までわたしを迷惑に思ってきた人たちは、安心できますよ」

「そんなことのために死んだりするのかよ」

「一番いい方法だと思いますから…」

「いいわけないだろ」

 

 目に映る意志は、一つ。

 

「…どうしてですか、わたし爆弾と同じなんですよ? …いなくなったほうがいいじゃないですか」

 

 自殺。

 

「なに言ってんだよっ」

「さよなら…」

「馬鹿野郎ッ!」

 

 その瞬間、鳴り響く、と形容されるような音で、琴音の片頬が鳴った。

 

「誰にも迷惑かからないだって? ふざけんなよ。…家族はどうするんだよ? そんな目にあわせるために父さんや母さんは琴音ちゃんを生んだのかよ? オレはどうするんだよ!? …琴音ちゃんを目の前で死なせたオレが、傷つかねえと思ってんのかよ!?」

「藤田…さん……」

「自分のことしか考えてねえだろっ!?」

 

 必死の説き伏せが、功を奏した。いまだ問題は残ったままだが、藤田は琴音に自殺を思いとどまらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達を見つけて、名雪が手を振った。

 用意された、わりあい端の方の席。周りには同じクラスの奴がいて、俺達が全く知らない生徒には見られにくい、いい位置取りだった。

「はじめまして、姫川琴音です」

「いらっしゃい琴音ちゃん。えっと、こっちが香里でね」

「この辺が北川だ」

「俺は空気かっ!」

「冗談だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんな、痛かったろ?」

 

 そして藤田は琴音を家に送る。だが、神はなんと非道なのか。

 

「…げて…さい」

「え?」

「逃げて、逃げてくださいっ!」

 

 その道で、また暴走が起こった。

 俺が商店街で受けたのとは、規模がまるで違う。

 夢の中なのに、弾ける大気やエネルギーの散らす火花さえ感じられた、凄まじい暴走だった。

 

「藤田さん!?」

「言ったろ。オレに使えばいいって」

「そんなっ…わたし、できませんっ」

 

 だが、藤田は暴発寸前の琴音に近づき、しっかりと抱きしめた。

 頂点に達しようとする震え。

 そして、炸裂音。

 

「藤田…さん…?」

「オレはなんともないぞ、琴音ちゃん、何かしたのか?」

「いいえ、わたし、藤田さんに使いたくなかったから、我慢して…あっ…!」

「できたんだな…コントロール」

「…藤田さんっ!わたし、藤田さんを守りたくて、できましたっ」

 

 半泣きで飛び込んでくる琴音。

 そして、夢は終わった。

 

 

 

 

 

 もし俺が藤田だったら、作り話ではないあの場面で、命をかけられただろうか。

 こいつには敵わない。

 目を覚まし、いの一番に思ったのは、そんな事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「席が取れてよかったね」

「命拾いしたな、北川」

「どういう意味だっ!」

「あれに巻き込まれずにすんだものね」

 香里が指差したパン売り場は、いつもながらの混雑ぶりだった。

「…平和ですね、パン売り場」

「はぁ!?」

 テーブルについていた全員が、素っ頓狂な声を上げる。

「あの混み様が平和だって?」

 再び北川が叫ぶ。

「はい、列になってるだけいいですよ。わたしの学校はもっとひどいですよ…みんな、並びませんから。ほとんど奪い合いです」

 

 

 

 

「琴音、オレがいく、どけぇっ!」

「は、はいっ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ、邪魔だっ、消えろっ!」

「させるかっ!」

「ぐおっ」

「大丈夫ですか!」

「うう…」

「ひどい…。わたしが代わりに行きます」

「無理だ、琴音ちゃんっ」

「わたしだって足手まといなんかじゃありませんっ、行きますっ」

 

 

 

 

「あっ、わたしは学食でしたから。食券売り場は、きちんと並んでましたよ」

 あらぬ妄想に気付いたように、琴音があわてて付け加えた。

「ここも食券制をやればいいのにね…」

 この人数が、できた順に取り合いをしているので、すこぶる効率が悪い。

「琴音ちゃんは何にする? Aランチでいいかな?」

「はい、それでお願いします」

「じゃ私がとってきてあげるね」

 軽やかな足取りで、名雪はAランチに向かっていった。

「…考えたわね」

「おととい散々俺達に責められたからな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…というわけで、香里にあらぬ誤解を掛けられそうになったというわけだ」

「猫好きも節度を持たないとね」

「うー」

 今日までの出来事を話し、スケッチブックを見せたりして昼食は続きます。

 自分がニセ学生として無断で侵入しているということを、忘れてしまいそうです。 

「ここのほうがおいしい…」

 Aランチを食べて、わたしは自然にそう漏らしていました。お世辞じゃなく、学食にしてはおいしいです。

「だよな。俺も前の学校よりうまいと思った」

 それにしても、ここの学食はびっくりすることだらけでした。

 講堂のように広く、パイプ椅子ではなく、しっかりとした椅子にテーブルが備えられていました。

 メニューも、購買の品数も豊富でした。

 手巻き寿司があるのもびっくりしましたが、冬なのにアイスクリームまで売っていたんですから。

「俺と名雪は他にもいろいろ聞かせてもらったけどな。そんなに動物好きになったきっかけって、何かあるのか?」

「それかどうかはわからないですけど、わたしが勝手に思い込んでいるのならありますよ」

「聞かせてくれよ」

 北川さんも促したので わたしは、あのイルカとの思い出を話しました。

 家族で旅行し、水族館へ行った時の話。

 風で飛んでしまったお気に入りの麦わら帽子を、濡らさずにイルカが拾ってくれた思い出。

 今でもうれしくて、そして今は胸がちくりと痛むその話を。

「だから猫だけでなく、イルカも好きです。グッズもたくさんあるんですよ」

「ここだと寒いから水族館の水槽で見るだけだもんな」

「わたしが好きなラッセルさんも、イルカをよく描くんです。元から好きな方でしたけど、それを知ってからもっと好きになりました」

ラッセルって?

海の絵で、青が綺麗な絵を描く奴…有名だろ

新入生かな…

水瀬に匹敵する猫好きって…

あのスケッチブックの絵、メチャクチャうまいんだけど

 後ろの方で、わたしを話題にした会話が聞こえました。

「…やっぱり、わたしが珍しいからでしょうか…」

 後ろを気にする素振りをしながら、続けます。

「珍しいだけじゃ、趣味にまで聞き耳をたてたりしないと思うけどな」

 マンガのように咳ばらいはなかったですけど、椅子を引く音が急に増えました。

「…同席させてやってもいいか? そうしたがってるみたいだし」

「構いませんよ」

 北川さんの一言を合図にしたように、どっと周りの人達が集まってきました。

「趣味が悪いわね、あんた達」

 香里さんが口調は冗談ぽく、指をばらばら振りながら鋭い視線で辺りを見まわしました。

「琴音ちゃん、本当にうらやましいよ」

「あなたと違って、アレルギーのない猫好きだもんね…」

「うん、それもあるけれど。かわいくて、絵の才能もあって、それに超能力までおまけしてもらってさ」

「おまけ…ですか?」

 

 

 

 

 

 

「おい名雪」

 まずい。

 あれほど、超能力の話題は最後にこそっとやれと言ったのに。名雪は人に隠すべき話題かどうかの範疇がわかってない! 

 

 

 

 

 

 

「うん、おまけだよ。神さまが琴音ちゃんにおまけしてくれたんだよ」

「水瀬さん、今超能力って…」

「大騒ぎはしないでよ。TVとか来たら嫌だから」

 ぱちりと、名雪さんが目配せしました。

 ……。

 大丈夫。この人たちとは、もう会わないんだから。

 手もとのコップを、ふわりと浮かせました。

 ちょっとの静けさ。

 そして、

「おぉ、お…」

「え、え?」

「ねえ、ちょっと、私起きてるよね?」

 尊敬の視線でした。

「すごいもの見せてもらっちゃった…」

「おい水瀬、気軽にやらせちゃって大丈夫なのか? 負担とかかかったりしないよな」

「か、科学がこんなに簡単に敗れるなんて…」

「お前ら手を出すな。今日から俺は彼女に仕える騎士だ」

「アホかお前」

「少しは静かにしろお前らっ」 

 わたしよりも年上の人達が、小さい子供のように目を輝かせています。

 でも、その視線が、嫌ではありませんでした。

 嫌なはずの視線。

 自分が特別だと思われていること……。

 みんなは、チカラが収まったとたん、気軽に声を掛けてきた。

 わたしは、きっとチカラがもの珍しいから、それだけでくると思っていた。

 浩之さんのように真面目に見てはくれない、見世物のように見ている、そう思っていた。

 でも、そうじゃなくても、こんなに多くの人が集まってくる。

「誰も怖がらないでしょ。琴音ちゃんが超能力少女なだけだったら、この時点でみんな引いてるはずだよ」

 名雪さん…。

 そうか、相沢さんはこれを教えようとして…!

「…わたし、でもこのチカラで、ずっと一人で…」

「今は大丈夫なんでしょ?」

「はい」

「もったいないよ、もっと生かさなきゃ」

「……目立つのは、あまり好きじゃないんです…」

「ね、琴音ちゃん。例えば香里ってテストで学年一番だよ。でも全然とっつきにくくなんかないでしょ」

「そういうあなただって、陸上部の部長さんでしょ」

「え?」

 そうなんですか?

 わたしの学校の学年一位は、みんな近寄りがたい雰囲気を持つ人ばかりでした。

「本人しだいなんじゃないかな? 超能力なんかなくても、みんな、琴音ちゃんと友達になりたがってたと思うけどな、ね、北川君」 

「そうそ。せっかくかわいく生まれたんだから、利用しなきゃ損よ。こういう連中手玉に取れるのに。ねぇ北川君」

「普通の奴より、特別なほうがずっといいと思うけどな俺も。な、北川」

「お前ら初めから俺に視線を向けつつ語るなっ」

 もしかしたら、わたしは、みんなの心を疑っていただけなのかもしれない……。

「なんか深刻な顔しちゃったぞ…」

「ほらほら、美人が台無しだよ。(失敗したと思ったら、これからやればいいんだから、ね)」

 名雪さん…。

「ふぁいとっ、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、名雪を過小評価していたようだった。

 そう、下級生と上級生を結びつけたり、励まして士気をあげたりできない人間が、運動部の部長になんて選ばるわけがない。

 名雪には初めから計算があったんだ。

 俺よりもうまく、琴音に自信をつけさせる計算が。

 他人と違っても、気にしないでいればいいと言ってやれる自信が。

「ねえねえ、さっきのスケッチブック、見せてくれない? 私も絵が大好きなんだ」

「どんな猫飼ってるの? やっぱりアメリカンショートヘヤーだよね」

「なぁ、ウチの学校に転校する予定とかない?」

「その節は僕が手取り足取り…」

「はいはい、下心丸出しの連中は下がってね、怖いから」

 ……ありがとうな、名雪。

 

 

§






「おなかいっぱい…」

「今度からAランチ頼んだ回数数えてあげようか」

「香里、もしかしてひどいこと言ってる?」

 琴音を先頭に、香里と名雪、俺と北川の順で俺達は学食から戻りつつあった。

 あとは無事に学校から送り出せば、俺の任務は完了だ。

「おい、あの子、なかなかいい線いってるよな」

 企みが思った以上にうまくいって上機嫌の俺に、北川が話しかけてきた。

「一つ屋根の下に二人も年頃の…、俺、お前の良心を信じていいか?」

「少し頭を冷やせ」

「でも、惜しいよな。ほんとのウチの1年だったら俺が…、…でも、できれば、もう少しな、こう発育してれば…

 会話が小声の独演に変わった矢先、

 ガコンッ!

「ぎゃはぁっ!」

 後頭部を押さえ、北川がうずくまる。

 直後、ガラガラと音を立て、足元に凹んだバケツが転がってきた。

「用具箱から落ちたんだね」

 名雪が振りかえった先に、俺も視線を移す。

 廊下に添え付けの掃除用具箱が、かすかに揺れていた。だがあの位置からの自由落下では、到底北川の頭には当たらない。

 (…まさか、な)

「きっと天罰だよ…」

「自業自得ね…」

 名雪と香里が、冷え切った視線と言葉を投げかけた。

「待てっ。俺が何をした?」

 (…いや、きっと。間違いなく)

「俺はただ自分の願望を…」

 察した俺は何も応えず、素早く北川と距離をとり、背を向ける。

 刹那。

 掃除用具箱が勢いよく倒れる音と、北川の断末魔が聞こえたような、気がした。

「こと…」

滅殺、です…

「!!」

「あ、相沢さん、何でしょうか…」

「い、いや、最後まで気が抜けないなと思っただけだ」

「そうですね。あ、また緊張してきました…」

 背後の残骸に一瞥を加え、歩き出した琴音の背中に、目の錯覚かの一字が見えた気がした…。

 

 

§






――あ…あの、名雪さん、わたしいつもあまり食べませんから、イチゴムースどうぞ

 

――わ、ありがとう~~~

 

――……屈したか

 

――5分前からずっとそれだけ見つめてたもんね…

 

――しあわせだよ~

 

――ふふ、名雪さんは本当にイチゴが好きなんですね

 

 

 

 



 ……。

 さっきまでの学食でのやりとりが、何気なく思い出される。

 呆れたような、けれどそれを面白がっているような、いい笑顔だった。

 琴音が笑顔を見せてくれて本当によかった。

 栞。お前が言ったとおり、思い出に時間は関係ない。

 自分の心が舞いあがってるのに気付き、ふと思う。どうして俺は、こんなに琴音を気にかけるのだろうかと。

 奇妙な夢の主人公。それで気にかけているのは事実だ。

『今までの人生』が辛すぎた、という同情も理由の一つかも知れない。

 だが栞にも、最初はこんなに積極的にしなかったはずだ。そして関係が深まった今、栞にはもっとからかうような態度をとっている。

 どうして俺は、こんなにも優しく……

「…祐一、香里知らない?」

 物思いにふける俺の元へ、珍しく困った顔で、名雪が寄ってきた。

「戻ってないのか?」

「うん…ちょっと部室に寄ってから戻るって言ったんだけど…」

 その言葉通り、主のいない後方の机と椅子は、ぴったりとくっついていた。

「ちょっとトイレに行ってくる」

 くぐったドアをまた通りぬけ、来た道を戻る。

 探す気はなかった。だがそれは、ある種の予感のようなものだったのかもしれない。

 1階廊下。 

 その突き当たりの鉄の扉を押し、誰もいないはずの中庭へと足を進めた。











 画用紙を広げたような雪。

 その上に寒さに固まった木々が置かれた風景にぽつんと、美坂香里が立っていた。

「何やってんだ、こんなところで」

「…寒いわね、ここ」

 俺の問いかけに、質問を無視して答える。

 短い言葉が、即座に真っ白な息に変わっていた。

「食後にこんな場所にいると、胃に悪いぞ」

「ほんと、そうよね…」

 俺の背後には重い鉄扉。一面の雪が、昼の高く登った太陽の光を乱反射していた。

「琴音を見て、栞のことでも思いだしたのか? いくら待っても、今日は来ないぞ」

「……」

「そんな訳ないか。家で毎日顔を合わせているもんな」

「…栞って誰……」

 静けさにさえかき消されそうな声が、香里から漏れる。

「あたしに妹なんていないわ」

「一言も妹だなんて言ってないけどな」

 俺の言葉がこの場になかったように、香里に変化は、なかった。

「……相沢君…」

「……」 

「…相沢君は知らないと思うけど…」

「……」

「…この場所って、今はこんなに寂れてるけど…雪が溶けて、そして暖かくなったら…もっと多くの生徒で賑わうのよ」

 瞼の向こうになら春が見えるのだろうか、目を伏せて呟く。

「休み時間にお弁当を広げるには最高の場所…」

 俺の目を見ないようにして、呟く。

「今そんなこと言っても、まったく説得力ないけどね」

 疲れきった笑顔を見せるため、ようやく香里は顔を上げた。

「…それは、暖かくなるのが楽しみだな」

「その頃、あたしたち3年生ね」

「もう1回2年生って可能性もあるけどな」

「あたしはないわよ。こう見えても品行方正で通ってるから」

「だったら揃って3年だな」

「あたしがその時この学校に居たら、ね」

「転校でもするのか?」

「…そうね」

 あいまいに頷く。

「この街は、悲しいことが多かったから…」

 俺も、もう敢えて言葉にはしなかった。

 好きなだけ、香里に続けさせる。

「暖かくなったら、この場所で一緒にお弁当を食べるって約束したこと…」

「……」

「そして、そんな些細な約束をあの子が楽しみにしていたこと…」

 白い息を一つ余計に吐き出して、

「全部、悲しい思い出」

 香里は、そう結んだ。

「……何で今日は学食に来たんだ」

 昨日学食に行くのを拒んだはずなのに、今日はどうして。

「なんとなく、よ」

「……」

「少しは気が紛れると思ったから…」

 何の気を紛らわせようとしていたのか。

 隠されてるがために、変に見通せる気がする。

 いつか出会った1年生の言葉が、やけに耳につきはじめた。

「名雪が……私を心配して気を使ってるの分かるから、付き合いで、ね」

 その言葉で、はたと気付く。

 名雪が琴音のことを漏らしたのは、香里のためもあったのかと。

「あたし、そろそろ教室へ戻るわ…」

 それ以上の会話を拒むように、香里が腰をあげ、新たに雪に跡を付け帰る。

「ここは、寒いから…」

「……寒いんだったら、来るな」

 同時に、寂れた中庭に5時間目の予鈴が鳴り響いた。





 いろいろ考える事はあるような気がした…。

 だが俺は思考を中断して、午後の退屈な授業に参加する事にした。

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Schnee Traum ~幕間弐~ 1月21日(木曜日)




幕間・弐





 とあるホテルの一室。

 一目見れば誰もがこの施設で最も高級な部屋だと理解できる部屋である。

 正確を期すために付け加えれば、この近郊で、最も上等で且つ高価な部屋である。

 そこに、一人の女性が座っていた。

 添え付けの机で、年代物のタロットを淀みない手付きで操っている。

 この場に赤々と燃え盛る暖炉が在れば、中世にいるような錯覚を引き起こしそうな程、その姿は調和していた。

 やがて、診断が出た。

 『塔』と逆位の『運命の輪』。

 『塔』は突然の不幸の暗示。『運命の輪』も同義。

 明快な凶兆である。

 女性は、めったにつかないため息をついた。

「芹香お嬢様」

 その時部屋の扉を開け、白髪の老紳士が入ってきた。

 その手には、この部屋に釣り合わないコピー紙の束がある。

「やはり、芹香お嬢様のおっしゃった通りでございました」

「……」

 ありがとうございました、とだけ言って、芹香は再びカードに目を落とした。

「……動きはないようですな」

 しばらく立ち尽くした老紳士は、部屋の片隅に置かれた物に目をやったあと、踵を返して部屋を出た。

 それを見送ると芹香は立ちあがり、部屋の電灯を消した。

 同時に、持っていた奇妙な色彩の蝋燭(ろうそく)を燭台に置き、灯す。

 途端に、窓枠の外で、二つの獣の目が浮かび上がった。

 芹香が気配を察し、立ち上がる。

 それを見止めると、金色の冬毛を残し、獣は雪降る闇へと溶けていった。 

「……」

 獣の逃げ去った向こうの雪を、しばらく芹香は眺めていたが、場を整え、再び占いに没頭しはじめた。

 手持ちの22枚に、脇に除けておいた56枚の小アルカナを加える。

 部屋の装飾を照らすのは蝋燭の灯火と、

 明滅を繰り返す点を映す、無言のラップトップパソコンが放つ光だけであった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まいったなぁ」

「……藤田さん、こんにちは。誰かを…お待ちなんですか?」

「いやそうじゃなくて、雨、早く止まね―かなって思って」

「…傘、お持ちじゃないんですか?」

「いきなりだったからな」

「…あの、わたし傘持ってますから、よかったらお家までお送りしましょうか?」

「まあ、歩いて通える距離だし近いっていや近いけど…それでも、片道15分くらいあるぜ」

「それぐらいでしたら」

 

 

 ワンワン!

「あっ、可愛い…いらっしゃい」

 

 

「………っ」

「琴音ちゃん!」

「ダメっ、来ないでっ!」

「早くッ!」

「くそっ」

 ワンワン!

「!?」

「ダメっ、離れてぇっ!」

「バカやろうっ」

 

 

 パア~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンッ

 キャイィィィン!

 

 

「ワンちゃん!」

 

 

「ごめんなさいっ!ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」

「琴音ちゃん…」

「せっかく練習したのに、うまく行ってると思ったのに…。やっと、みんなと同じになれると思ってたのに…」

「はじめから…無理だったんですよ、わたしはこうやって周りの人みんなを傷つけて、嫌われて、…やっぱりひとりぼっちなんです」

「…どうしてなんですか? わたしだけがこんなチカラを持って。わたしがいけないことしたんですか?」

 

 

「きっと、もう…手遅れなんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 雨の日の、夢だった。

 あれだけの練習にもかかわらず、チカラが、暴走した。

 動物好きの琴音に対し、罪のない子犬を巻きこんで。

 もしこの世に神がいるのだとしたら、その神はなんと残酷な事を行うのだろう。

 この事件のせいで、この傷を背負って、琴音がこの街に来ていたとしたら、オレの提案は、軽率としか言いようが無い。

 俺は、手の平でその色が判るほど、青くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だったら…」

「ボクの…お願いは…」

「今日だけ、一緒の学校に通いたい…」

「この場所を、ふたりだけの学校にして…」

「祐一君と一緒に学校に行って………一緒にお勉強して………給食を食べて………掃除をして…」

「そして、祐一君と一緒に帰りたい…」

「こんなお願い…ダメ…かな…?」

「…約束しただろ…俺にできることだったら何でも叶えるって」

 

 

「俺達の、学校だからな…」

 

 

「また、この学校で会おうな」

「ここで…?」

 

 

「だから、今度俺がこの街に来た時は…」

「待ち合わせ場所は、学校」

 

 

「うんっ…約束、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレは目を覚ました。

「午前3時…」

 ……。

 からだが妙に興奮している。鼓動が聞こえるほど強く、そして、早い。

 今見ていた夢のせいかもしれない…

 オレが見ていたのは、このところ立て続けの、二人の夢だった。

 

 

 

 夢の世界で『祐一』は、明日帰ってしまう。

 夜のとばりが降りた中、ふたりは指切りをして、明日も会う約束をしていた。

 『祐一』は、最後に、買ったカチューシャをプレゼントしようとしている。

 明日の午前中、『祐一』は『学校』へ行くだろう。

 物語は、『明日』最終話になるはずだ。

 でも。

 鼓動が、収まらない。

 そう、予感…。

 怪談話で、どんでん返しで驚かせる前のような…。

 ホラー映画で、哀れな被害者が襲われる一瞬前のような…。

 

 

 ドラマで、最終回間際、主人公やヒロインに不幸が起こる前のような…。

 

 

 そんなときに似ていた。

 オレは布団をかぶりなおした。

 寝たくはなかった。

 しかし、身体はそうすると逆に落ち着きを取り戻し、夢の世界へとオレを引きずっていった。

 

 

 

 

 

 あの話の結末……。

 ……見たくない。






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