2020年08月07日

Schnee Traum ~第9話~ 1月23日(土曜日)<前編>




「ただいま」

 リビングのテーブルにぼーっと座っていたわたしは、がたんと対面の椅子を倒してしまいました。

 一瞬上の階へ逃げ出そうとしましたが、ふたりの声があまりにも明るかったので、居座ってしまいます。

 気まずい気配を、二人とも忘れてしまったのかと錯覚して。

 足音が近づいてきます。相沢さん、名雪さん、と……友達でしょうか? 足音が少し多いです。

 秋子さんが友達かしらと呟くのが耳に止まりました。

 ドアが、開きました。

「ただいま」

「ただいま~」

「おじゃまします…」

 そして、

 

 

「よぉ、琴音ちゃん。久しぶりだな」

 

 

 わたしが引きとめるのも間に合わず、意識が別世界へ逃げてしまいました。

 息も止まりました。

 自分だけが時から取り残されたふうにも見えました。

「ヒロくん、ねえ、あの子が琴音ちゃん?」

「あぁそうだ」 

 わたしを確認する会話だということはわかります。でも、一体何が起きているのでしょう。

 後ろから肩に手がぽんと置かれ、電気ショックを受けたように身体が震えました。

「琴音、たぶんだけど…知ってるよな、男の方は」

 ショックを受けてから1分後、ようやく第一声がでました。

「ふじた…さん…?」



























 よぉと言ったまではいいものの、次に何を言おうかオレは困った。

 声を荒げて、また逃げ出した事を怒ろうか。

 親戚? と軽いジョークから入ってみるか。

 ストレートに、探したぜ、と言ってしまおうか。

「あの…その子は?」

 間を持たせようと、戸惑った声で琴音ちゃんが先に話しかけてきた。

 その子と言った視線をトレースする。

 ……オレの隣。とゆーことは、琴音ちゃんも…

「やっぱり琴音もそう思うよな」

「うぐぅ………ひどすぎるよぉ…」

 あゆの膨れっ面が半泣きになっていた。

「月宮あゆって言うんだ。この街で知り合って、一応オレと同い年なんだけど…」

「えっ、あ、あ、つ、月宮さんすみませんでしたっ」

 自分のしていた(まぁ無理もない)誤解に、琴音ちゃんは火が付いたように真っ赤になった。

「わはははは」

「うぐぅ…」 

 あゆには悪いが、おかげで無駄な緊張をせずに話が出来そうだぜ。

「あら、お友達?」

 台所の方から大人の女性の声がした。

 偶然とは恐ろしい。

「どうもはじめまして。水瀬秋子です」

 その人は、昨日森で花を供えていたあの女性だった。

「あ、あの」

「はい?」

 …うっ。

 笑顔と優しい言葉尻と対照的に、強い制止の篭もった視線にオレは気圧された。

 間違いなく昨日の件が関係しているのだろうが、どうしてもオレとの関係を「はじめまして」にしたいらしい。

「あ、どうも、オレ、藤田浩之っていーます」

「藤田さんはわたしの学校の先輩なんですよ」

「そうなんですか」

 後で聞こう。あの人と二人きりになれれば、だけどな。











§











「んで、オレまで犯罪者の汚名を着ることになったわけだ」


「あの足の速さでよく捕まらなかったよな」


「だって、お金がなかったんだよぉ」

 本件はとりあえず置いておいて、あゆを話の種に、まずは琴音と藤田を話させることにした。


「話せば話すほどぼろが出てくるな」

「うぐぅ…後でちゃんとお金払ったもん…」

「でも、本当においしかったですよね、たい焼き。その気持ちわからなくもないですよ」


「えっ、琴音ちゃんが食い逃げするなんて、オレは考えたくねーぞ」

「あ…」

「うん、おいしかったよ。イチゴが入ってるともっといいんだけどね」

「それはちょっと合わないと思いますよ…」


「…名雪さん、ボクもそれはあわないと思うよ」


(……水瀬って、なんて言うか普通の感性とすこしずれてるよな)

(一応、俺の従兄妹だけどな……別にフォローは期待してない)

 うまくいっている。

 口にこそ出さないが、あゆの存在はありがたかった。

 あゆがいなかったら、まず藤田に気付けたかどうかも怪しいところだった。

「あら、大分時間がたっちゃってるわね」

 洗濯物を抱えた秋子さんが、俺達の前で足を止めた。


「今晩は人数も多いし、お鍋にしましょうか。えっと、6人分かしら」

 どうやら秋子さんは朝飯だけでなく、夕飯も赤の他人に振る舞う気のようだ。とことんまで賑やかな食卓を求める性(たち)らしい。

「あ、ボク、夕ご飯までには帰るから…」

 ところが、予想に反してあゆは、そうぽつりと漏らしたきり、だった。


「朝メシは平気で食いに来るくせに」

「あんまり遅くなると、お母さん、心配するから」 

「暗い中帰るのが怖いだけだろ」

「……違うよ」

 からかうセリフにも、まともに取り合おうとはしなかった。

「残念……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあね、ヒロくん」

 玄関まで見送ると言うオレたちを制して、あゆはここでオレとお別れを始めた。

「いつかは藤田に借金返せよ」

「うぐぅ、あれはおごってもらったんだもん」

 最後までうぐぅだな。これだけ繰り返されると、何年間も忘れそうにないぜ。


 そうだ、帰ってからあかりに使ってみっか。ぽかんとして、慌てふてめくさまが目に浮かぶな。

「一週間手伝ってくれてありがとな。楽しかったぜ」

 それでも、あゆ本人とは、ここでお別れ、か。


 ……。 

  心がざわつく。落ちつかねえ。

 ……。

 あゆ。

 琴音ちゃんを追ってこの街に来なきゃ、一生会うことなんかなかっただろうな。

 これから生涯、再会する確率なんかきっとゼロに等しい。


 偶然にも程がある知り合いなんだ。 

 ……寂しいな。

 そっか、オレは寂しがってるんだ。

 今の知り合いはずっと同じ場所で顔をつき合わせてるから、久しぶりに『別れ』ってのを感じてるんだ。

「……ボクといて、楽しかった、の?」

 ふと見ると、あゆは、出会ってから3度目のシリアスモードへと変わっていた。

 オレの『楽しかった』というセリフで戸惑ってるみたいだった。


 ……。

 迷惑かけてた、と思っていたのだろうか? 


 何にも手伝えなかったと気に病んでるんだろうか?


「あぁ」

 ヤバイ。 1語しゃべるだけでジンとくるぜ。


 じわじわ痛んでくる気持ちを隠したくて、でも、今の言葉は本心だと念を押すため、オレは続けた。


「辛い毎日になるはずだったのに、あゆにあえてすげー楽しかった。お前の探し物は見つけれなかったのが残念だけどな」


 するとあゆは、

「ううん、気にしないで。それより…」

 不自然に言葉を区切り、大げさに息をごくっと飲んで、


「ボクも、楽しかったよ、それじゃね!」

 ぱっと笑顔で、元気のいい言葉を残して、ドアの向こうへ消えた。 


「じゃあな!」

 その見えない背に、オレも景気のいい声をかける。


 そうしてまもなく、



 どがっ!



 廊下から転倒音と、うぐぅ痛いよぉ~と聞こえてきたが、感動を損ねるので、気付かないふりをしておく。


「慌てて帰る用事でもあったのかしら?」

 夕食に誘えなかったのがそんなに残念だったのか、怪訝な面持ちで水瀬秋子さんが誰にとなく問う。

「いえ、あいつは年中暇人です」

「そうかしら……ね」

 ……この声だ。

 昨日もそうだが、全てを知り尽くしてるような声。


 ……不思議だ。

「それじゃあ、5人分、作りましょうか」

 だがオレの探る視線に気付いたのか、ものすごく自然に、水瀬家の家主秋子さんは気配を変えてしまった。


「お母さん、手伝うよ」

「あ、わたしも手伝います」

 

 

§






「こんな時男は暇だよな」

「その言葉、なんか使用場所を間違っている気がするけど、いっか」

 相沢の言葉を軽く流しながら、オレは全然暇じゃなかった。

 台所に立ってる琴音ちゃんの後ろ姿に見とれてるような状態になっていた。

 楽しそうだな。

 完全に家族の一員になってるよ。まるでオレが琴音ちゃんにお呼ばれしたみたいだ。

 と、待てよ。

 今の状況って赤の他人の家で琴音ちゃんと一緒に晩ご飯……

 これって、実はメチャクチャレアな体験なんじゃないか? 発生率にして、交通事故に一日に2度遭うようなもんじゃないか?

 ぱっぱぱ~ん! おめでと~~~~~。

 ……なんてファンファーレならしてる場合じゃねーな。

 本来の目的を忘れちゃいけねえよ。さてはて、今からどう切り出そうか。

 ……。 

 台所に立ってる琴音ちゃんの後ろ姿。

 本当に楽しそうだ。

 ……。 

 オレの行動、本当に正しいのかよ…。

 

 

 

 

 

§












 なんのトラブルもなく準備は出来て、女性陣の作ったおいしい食事はつつがなく進んだ。

 いや…でもない。

 琴音も藤田も、お互い直接は話さず、必ず俺を通して会話している。

 二人とも、自分達の出会いが何を意味しているのか、十分分かっているのだろう。

 その関係を崩しにかかったのは、琴音のほうだった。

 食事を終え、食器を片付けながら、顔も見せずに藤田に呼びかけた。

「藤田さん。……少し、お話しませんか?」

 来るべき時が来た……。

 こうなるのは、もう分かりきっていた。

 藤田からか、琴音からか、問題などただそれだけだった。





 そして、二人が部屋を出てから、間もなく15分がたつ。





「名雪…どうだろうな」

 内容もあいまいな質問を俺は振った。

「…複雑だよ」

 背向けのまま、ついてないテレビに向かって、オウム返しに曖昧な答えが返ってきた。

「もう少しだけ、忘れてたかったな……」

 ソファに座りなおす音さえ耳に付く部屋で可能な時間つぶしは、こんな会話が手一杯だった。

「理屈じゃ片付かないことばっかりだね」

「……あぁ」

 針が文字盤を半分まわった頃、リビングに藤田が戻ってきた。

「……どうだった」

「今日までの話をもう一回して、聞かせてもらって、家出理由を問いただしたさ…」

 

 

 

 

 ――チカラが暴れないと、誰もわたしを見てくれないんですね。

 

 ――ただ、かまって欲しかっただけなのかもしれません…

 

 

 

 

「オレにも、原因の一端があったんだ…」

 それだけですべてを理解したらしい。

 琴音の本音。

 自分の居場所を見つけられなくて。それがあることを確かめたくて。それで、家出をしてみせて……。

「そして?」

「一つだけ質問されたよ」

 

 

 

 

 ――藤田さん。藤田さんはなぜこの街に来たんです?

 

 

 

 

 酷(ひど)いな、琴音も。

 こうなることを、こんな奇跡を、自分が一番望んでいただろうに。

 決して容易には答えられない問いだった。

 琴音が好きだから、などと言ったとしよう。

 すると藤田は春から今まで距離を取ってきた事について説明せざるを得ない。

 だが、好きでもなんでもない人間のために、学校を1週間もサボってこんな遠くまで来るということがあるだろうか。

 反対に、ただ連れ戻しにきたといえば、おそらく……。

 いや、藤田だってそんな言葉で戻したいとはさらさら思ってないだろう。

 どちらに答えても、追い詰められる非情な問いだった。

(いや……酷いのは藤田のほうか。)

 琴音だけじゃない、あゆにも。そして、きっと幼なじみにも。

 誰にもかれにも優しいことが、今は災いしている。

「どうしたんだ」 

「答えたさ」

 (藤田、お前は受け止めきれたのか?)

 (お前しか頼れない俺達が、言えた口じゃないけれど、)

 (今、すべてがかかったこの状況で、お前は琴音にどうしてあげたんだ?)

「……」

「……」

 重く粘り出した部屋の空気。 

 秋子さんからも名雪からも、それは再び言葉を奪っていた。

「……」

「……」

「……」

「……」  

 頂点に達した沈黙に耐えきれなくなったのか、玄関の呼び鈴が鳴った。

 一度。ニ度。

 ややあって、秋子さんが玄関側の扉を開けた。

「藤田さん、お呼びです…来栖川さんという方から」

「先輩?」

「来栖川?」

「来栖川芹香。オレの先輩だ」

「クルスガワエレクトロニクスとかの、あの来栖川か?」

「そう」

「…冗談だろ?」

「マジだ」



























「先輩?」 

 玄関でオレを待ってたのは、やはり正真証明、来栖川先輩だった。

「……」

「すみません、寒いでしょうが、外でお話しませんか……ちょっと待ってくれよ」

 一旦玄関に戻りかけてあったコートを引っ掴んで、ボタンも留めずに外に出た。

「なんでオレがここにいることがわかったんだよ?」

 オレは、まずその疑問をぶつけてみた。

 先輩は答える代わりに、両手に乗せたノートパソコンを開いた。

 ディスプレイに、カーナビのように地図が映っている。その上でピコピコと点滅する光の点。

「発信機かよ、いつの間に………携帯電話か!」

 いつか借りた、先輩の携帯電話。あれを逆探知してたんだ。

「来栖川エレトロニクスのサテライトサービスの一環、GPSだ小僧」

 執事のセバスじじいもちゃっかりいた。

 オレへの言葉使いが気に触ったのか、先輩は不満げな目でセバスチャンを(恐らく)睨んだ。

 視線に押されセバスチャンは一歩後退。ざまみろってんだ。

「んにしても先輩、なんでオレを追跡調査してたんだよ~。オレ、先輩になんか悪いことした?」 

「どうしても、言わなければならないことがありましたから…」

 先輩がオレを見据えた。

 瞬間、背中に鉄の棒を入れられたような気がした。

 先輩の目は、怖いくらい真剣だった。

「この前電話してきた時の、不幸の話?」

「それとも、関係があります…」



























 まるで間合いを計ったように、藤田と入れ代わりで琴音が階下に下りてきた。

 何か告げようと意を決して来たのだろうか、リビングを見渡したとたん、気抜けしたような雰囲気を漂わせた。

「相沢さん、藤田さんは…?」

「たった今、来栖川とかいう人に呼ばれて、外へ出ていったよ」

 名雪が眠そうな声でテレビ前の位置から教える。

 漏れた、え、という短い音。

 次に俺が耳にした音は、玄関へ向かう駆け足だった。

「琴音ちゃん、コートも着ないで外に行ったの?」

「祐一さん、何か防寒着をもっていってあげてください」

「分かってます」



























 身体が麻痺するような夜の空気が、思い出したようにオレを襲った。

 風が、吹く。

「浩之さん」

「藤田さ…」 

「姫川さんを置いて、帰ってください」











 雪に似つかわしくない黒塗りのリムジンの前に、先輩がいる。

 その対面に、オレがいる。

 そして、水瀬家の入り口に、琴音ちゃんが現れた。

「浩之さん、妖狐伝説というものを、知っていらっしゃいますか…?」

 先輩がここまでちゃんと声を出せる事を、オレははじめて知った。

「いや、知らない…」

「そうですか…では…」

 雪の静寂を増すような、先輩の声が語り出した。











 ………日本各地に――この街では、ものみの丘と呼ばれる場所――には、不思議な獣が住んでいるのだそうです。



 ………古くからそれは妖狐と呼ばれ、姿は狐のそれと同じ。多くの歳をえた狐が、そのような物の怪になるのだそうです。



 ………それが姿を現した村は尽く災禍に見舞われることになり、厄災の象徴として厭われてきた……











「そう伝えられてきました。しかし、この街では違ったのです」

「違った…?」

「この地に生きる人達は、妖狐達と共存する道を選んだのです。彼らを畏れ敬う代わりに、彼らの不思議な力を利用する道を。そのため、この街が大きな飢饉や天災に見舞われる事はなかったのです」











 ………しかし他の土地はそれを知らない。災害が起こるたび、それを妖狐の仕業とし、恨んで排除しようとしました。

 

 ………そのような迫害から彼らを守るため、この地の人々は余所からやってくる人間に極度に辛く当たるようになりました。

 

 ………この街を外と切り離し、妖狐と自分達との蜜月を壊さないように……











「そして、現代でもその魂は生き続けています。…浩之さん、この街に来たとき、何か違和感を覚えませんでしたか?」

 違和感。

 一週間前、寒さのせいにしてしまった、あの奇妙な感覚…。

「古い魂達は、いつしか余所からもたらされる変化をも拒み、妖狐たちと力を合わせ、街を閉じたのです」

 1週間の奇妙な出来事が、気にも止まらなかった小さな事が、パズルのように組みあげられていく。

 携帯電話が見当たらない雑踏。

 メイドロボがいない街角。

 不思議なキツネに付けられたこと。

 極端に古いままのゲーセン。

 そして、誰かの悲劇をオレに与えた夢…

「人の流れを極力止め、人々を束縛する力です。それにより、秘密を共有する…ここで産まれた人は、たとえ街を離れても、幾歳月を超えて、必ず戻ってくるのです」

 …いいや、そんなバカなことってあるかよ。

 オカルトもオカルト、いまどき妖怪が、人間の世界を束縛するなんて。

「先輩、世の中には確かに不思議な事はあるけどいくらなんでも……だいいち琴音ちゃんはこの街と縁もゆかりもないじゃないか」

「お嬢様は、嘘など言われません」

 セバスチャンが口を挟んできた。無理して敬語を使ってるせいか、唇が小刻みに震えている。

「これを……多少の越法行為ですが」

 片手で紙をもち、セバスチャンが指す。

 固い指の先にあったもの…

「姫川、琴音……そんな…」

 そこには、函館で生まれたはずの琴音ちゃんの名が載っていた。

 疑えっこなかった。その紙は出生届出と過去の住民票だった。

 その誕生日は、ピタリ、10月9日。

「嘘だろ、デタラメだ、同月同日生まれの同姓同名に決まってる!」

 それでもオレはとにかく否定したくて、ムチャクチャな叫びをあげた。

「いいえ藤田さん」

 その時、ずっと押し黙っていた琴音ちゃんが、言葉を割り込ませてきた。

「嘘じゃありません。わたしは…確かに、この街で生まれました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは…確かに、この街で生まれました」 

 突っ立ったままの身体が、衝撃でたじろぐのが感じられた。

「この1週間、毎日夢を見ました、自分が子供の頃の夢を。そのうち何度も、雪の積もった街並みを見ました」

 夢。

 (琴音も俺と同じように、夢を…。)

「今日、気付いたんです。夢で見た雪の景色はこの街の道だって」

 ただの偶然じゃなかったのか。

「どうして離れてしまったのか、なぜ忘れてしまっていたのかはまだ分かりません。けど、この街で暮らしていたのは嘘じゃありません」

 琴音は、この街で生まれたのか? 

(じゃあ、俺が会ったのは、あの夢の女の子は誰だったんだ。)

 それより、

「生まれなかった人間は……他から入ってきた人間は?」

 タイミングも立場もわきまえず、夢中で聞いた。

 霞んで見えない7年前の記憶にそれは…。



























「相沢!?」

「無断で立ち聞きしたのは謝る」

「この街も、完全に滅びてしまわないよう、ある程度は人を引きつけます。しかし…」

 セバスチャンが、一枚の紙を投げてよこした。

「妖狐と人との関係を乱す者として、その殆どが冬が訪れた時、離れさせられるのです」

「……!…」

 渡されたのは、人口動向だった。

 …異常だ。

 その一言ですべて説明出来た。

 街の人口と動向の割合がどう考えても少な過ぎた。転入者も少なすぎるが、普段の年間転出者合計が1桁なんて、絶対ありえない。

 そして数年おきに、しかも冬に、ため込んだのを吐き出すように、急激に転出していくのだ。

「詳細を」

 セバスチャンは束を半分ほどめくった。

 その続きは、

「…私(わたくし)も、我が目で確かめた時には、戦慄いたしました」

 ………転出、死亡。 転入、転出。 転入、転出…

 ………転入、死亡。 転入、転出。 転入、転出…

 来た時期がバラバラの人間が、申し合わせたように、ある年に集中して街を去っていた。 

「身体にも、心にも、消えないくらいの深い傷を負わされ……たとえそれが、他の人間を傷つけても…」









 ――ボクも、この街に住みたかった…







 ――…そうね。



 ――この街は、悲しいことが多かったから…









「そして『冬の悲劇』を繰り返す……幾星霜にもわたって、永遠に…」

「先輩、もういいよ」

 もう言葉は要らなかった。これ以上は琴音ちゃんを返す障害にしかならない。

 だが、先輩は、言いきった。

「この街は、悲劇の街、なのです」



























 妖狐、魂、運命、冬の悲劇。

 どれもこれも、琴音の超能力を見ていなければ、鼻で笑ってしまうことの連発だった。

 だが信じる以外、俺には方法がなかった。

 些細な関係すら持たなかった少女の過去を夢で見た経験に、他になんと理屈をつければいいのか。

 琴音に渡すコートを握ったまま、身体の感覚を奪う風に吹かれて、時は経っていった。

「姫川さん、この街に来たとき超能力が一度大きく働き、」

 もう一度琴音がびくりと震えた。

「そして、日に日に勢いを落として、安定したのではないですか」

「はい……向こうにいたときよりチカラの動きが穏やかになって、弱った動物を元気にできるようになりました…」

「ヒーリングかよ?」

 藤田の声に小さく、琴音が頷いた。

「それが、何よりの証拠です」

 琴音が喋り終わったのを見計らって、芹香さんが続けた。

「大きな暴走は、外で溜まった余分なエネルギーの放出、本当はもっと穏やかに行われるはずでしたが…」

「ってことは、オレが見た商店街のあれは」

「あぁそれは俺が証言する。琴音の『チカラ』だよ。慣れない土地で、しかも風邪気味だっていう不可抗力の状態でだったけどな」

「……」

 俺の言葉は、藤田を完全に沈黙させた。

 ほぼ真正面にいる琴音の顔。

 今は、覗き込む気にもならなかった。

「そして力の安定は、街があなたを受け入れようとしているからです」

 琴音に向けた口を開いたまま、芹香さんは藤田に向き直った。

「もしこの街を離れれば、力の安定は崩れ、前のように暴走が頻発するでしょう。今は押さえ込めるようになったと聞いてますが、」

 そして、琴音を見ずに、痛いほどの間を開け、途切れ途切れに、

「おそらく、これから、ずっとあなたは…」

 あの喜びの顔。

 (あれが、逆に枷となるのか)



























 自覚していた事と合っているから理解は出来たけど、あまりにも非現実的過ぎで突拍子過ぎる。 

 とにかく、要約すると先輩はこう言いたいのか。

 琴音ちゃんは普通じゃねえから、オレたちの住む街ではなく、この街にいるべきなのだと…。

「先輩、一つだけ答えてくれ。なんで今ごろ伝えに来たんだ」

 先輩。悪いけど今だけはオレ、先輩に笑顔が向けられねえよ。

 感情を剥き出しにした面で、オレは聞いた。

「姫川さん自身の口から『帰らない』と聞かなければ、きっと浩之さんは納得されなかったでしょうから…」

 オレは琴音ちゃんを振りかえった。びくりと肩が震えるのが見えた。

「琴音ちゃん…」

「琴音さん」

「秋子さん、名雪」

「祐一が戻ってくるのが遅いから、心配になって」

 水瀬家の人たちも、外に出てきていた。

「………」

 琴音ちゃんは今、何を考えているんだろうか。

 この話に、やっぱり物思うところがあるんだろうか。

 ここまでの証拠を突きつけられ、うさん臭さはとうに消えている。

 ゲームや小説なら中盤戦。ここから街を支配する運命の謎を解き、解放するための新たな冒険が始まるんだろう。

 だが、オレたちには時間がない。

「なぁ琴音ちゃん、もう一度言うぜ」

 ギャラリーが集まってしまったが、オレはもう一度、あの問いの答えを言った。











 ………なんも関係ない女の子だったら、当然オレは追いかけないぜ。



 ………もし志保だったら、たぶん追いかけない。たとえ虹の根元を探しに行っても、あいつなら大丈夫だと思ってるから。

 

 ………あかりだったら……正直どうかわからない。まだなったことがないから、保証はできないけど、たぶん、追うと思う。 

 

 ………でも、琴音ちゃんがいなくなったと聞いたときは、オレ、すぐにいてもたってもいられなくなったんだ。

 

 ………オレってやっぱり頭わりぃからよ、とにかくすぐ追っかけようとしか思わなかったんだ。

 

 ………琴音ちゃんが、心配だったから。

 

 ………子供扱いして怒るかもしれないけど、それでもオレは、琴音ちゃんが心配だったから。











「だから、追って来たんだぜ」

「藤田さん…」

 結ばれていた琴音ちゃんの唇が、開いた。







 そして、琴音は。



 オレたちの、見ている前で。



 一歩、踏み出した。




ラベル:Schnee Traum
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Schnee Traum ~第8話~ 1月23日(土曜日)



 夢…





雪のない初夏の街の風景





友達とふざけ会うその視線の先に





僕はいつも一人の女の子を見ていた





そのこは自分とは違う存在に見えた





あまりにもその子はきれいだったから







僕は、その子が………























 ……。

 琴音と出会った日の夢を、再び見た。

 1週間前には、気にかかる程度だった夢。中身は全く思い出せなかった夢。

 今なら、分かる。

 それは、幼い日の些細な思い出。

 俺は、その子――姫川琴音という女の子――が、好きだった。

 学校帰りに偶然見かけて、大人の雰囲気に、心を奪われた。

 同学年の女の子など、彼女の不思議な雰囲気に比べたら、まるで相手にならなかった。

 でも、あまりに綺麗すぎたから。

 きっかけを持とうにも、どう話しかけたらいいのか当時の俺には分からなかった。

 だから毎日急いで帰って、毎日通る道に居座って、顔を覚えてもらって、

 向こうから話しかけてくるのを待っていたんだ。

 でも、そのうち琴音は俺の街から姿を消してしまって、俺の一方的な片思いは終わりを告げた。

 ずっと過去の海に沈めていたが、傷は癒えていなかったのだろう。

 家に連れてきてしまったことも、

 ことさらに優しく接したのも、

 きっと心のどこかで、あの日の失恋が澱んでいたから。

 だが、留まることなく時は流れていく。

 今の俺には、栞がいる。

 そして琴音には、俺ではなく…。

 ……。

 そうだ、あとで名雪に話したら散々バカにされたんだった。









 ――ダメだよ祐一、そんなことじゃ



 ――女の子と仲良くしたかったらね、はずかしがらずに毎日遊ぼうって誘って、お菓子をおごって、いっぱいプレゼントあげなくちゃ









「……」

 それが、7年前の冬頃。

 俺はそれを聞いて、誰かにそうしたはず。

 ……。

 やはり、そこだけアルバムのページが破られたように、思い出せなかった…。



























 どこでしょう?

 目の前に広がっているのは雪景色。

 雪、雪、雪。

 白い家々。見たこともない造り。見たことのない人々。


 見たこともない、街……





 いいえ、この街を、わたしは知っている……





















 もう遠い昔のような、家を出た日の夢でした。

 静かに開けたカーテンの向こう。

 晴れ上がった空。

 広がった雪の街の光景。

 霞が晴れるように、記憶が蘇ってきました。

 あの道は……ここを離れたときの、道。

 わけも分からず、ママに手を引かれて歩いた、あの日の光景。

 覚えてる道は、住んでいたときの道。

 そう、わたしは、

 この街に住んでいた…。



























「ちょっと待てよ、そんな格好でどこに出ていく気だ!?」


「わたしのせいなんです、わたしのっ…謝りに行かないと…」



「まさか琴音も…猫好きなのか?」

「はいっ!」

「ねこ~~ねこ~」



「でもわたしを案内してくれたのは、あの子なんです」


「彼はただ自分の住処に戻って来ただけです。これ以上は余計な事をしないで下さい」



「そうなんですか。……家の方、心配してますよ?」


「病気なのにベッドを抜け出してる女の子だって、家の方は心配してますよ?」

「あ…あの、わたしいつもあまり食べませんから、イチゴムースどうぞ」


「わ、ありがとう~~~」

「……屈したか」

「5分前からずっとそれだけ見つめてたもんね…」


「しあわせだよ~」

「ふふ、本当にイチゴが好きなんですね」

「いまのはちょっと科学的で、格好よかったですよね」


「もうっ…からかうと、教えてあげませんよ」






















 昨日とはちがい、普通の時間帯に目が覚めた。

 奇妙な夢だったが、もう驚かなかった。

 今日の夢は、ずっと見たいと思ってた琴音ちゃんの夢だった。

 泣いて暗く落ち込んでいたところから、幸せそうになっていく姿の連続写真。

 夢の終わり頃の琴音ちゃんの顔は、本当に幸せそうだった。

 …なんかオレ、悪役なのかなぁ…。

 この街にいたほうが、琴音ちゃんは幸せなのかもしれない…。

 だが脳の片方で、それを断固拒否するオレがいた。

 理屈じゃなく、肌で感じる感覚。

 一週間過ごしても、馴染むことがないこの街の空気。毎日見る、誰かの記憶らしき奇妙な夢もそうだ。

 何かを巧妙に隠しているような、肝心なところを隠されているような気分がする。

「なんかおかしいんだよな、この街…」

 自分で思いついたこの二つの考えは、頭が完全に覚めても、朝メシを食ったあとも、一向に消えようとはしなかった。











§












「大丈夫ですか」

 美坂さんが手を止め、額に手をやったので、たまらず声を掛けました。

 さっきから、何度も何度も少し描いては胸におでこに、手を置きます。

「はい、たぶん」

「病気を治すほうが優先ですよ」

 雲が動いて、昼の日差しがまた降ってきました。

 昨日までは、全く意識しませんでしたが、光に照らされた美坂さんの顔色は冴えていなくて、病人だということを嫌でも思い出させてきます。

「早くうまくなって、祐一さんに見せたいですから……まだ、全然うまくなった気がしないです」

「それはそうですよ、2日3日で急に上達しませんから。大丈夫です、ずっと続ければ、上達はしますよ」

「ずっと…」

 自分が外に出した言葉に、自分で傷ついてしまいました。

 そう、わたしは知っている。

 自分が『ずっと』美坂さんに絵を教える事なんてできないことを。

「ずっと、ですか…」

 わたしが暗い顔をしたせいでしょうか、美坂さんの表情も重くなりました。

「好きなら、絶対うまくなりますよ。わたしだって、最初から誉められるような絵が描けたわけじゃないんですから」

「そう、ですか」

「ぼーっとしている代わりにずっと手を動かし続けてたら、少しづつ周りの景色に似るようになったんですよ」

「わたしも、ベッドで結構描いてました。でもモデルさんがみんな逃げてしまって…」

 遠くから、相沢さん達の学校のベルが届きました。

 また、手が止まりました。

「本当に、大丈夫ですか?」

「ちょっと、まずそうですね。すみません、今日はこれで帰ります…」

「明日は日曜ですから、お休みにしましょう。病気を治すほうが先決ですよ」

「はい。では月曜日にまた、お願いします」

 顔色は悪いけど足取りは不思議にしっかりしたままで、美坂さんは並木道の方に消えていきました。

 少しだけ、祈りました。

 美坂さんの病気が治ってくれる事と、

 もうすぐ来るだろう現実が、消えてなくなればいいのに、と…。











§












「祐一、放課後だよ~」

「あ…あぁ」

 まともな意識を取り戻したのと、周りが起立しだした音が聞こえたのはほぼ同時だった。

 寝ていたわけでもなく、ただ意識だけが現実世界から欠落していた。

「祐一はまっすぐ帰るの?」

「……」

 帰りづらい。

 今日、琴音は朝食の時間を俺達と外した。

 正直言って、顔を合わせても何を話したらいいものか分からない。

「ねえ祐一?」

 しかしこれ以上、問題を先送りすることはできない。

 元から、早く終わらせなければいけなかったんだ。

 こんなに、別れたくなくなる前に。

 俺が、歯車を回してしまった。

 何らかの覚悟を決めねばならない時が来たのだ。

「名雪、今日一緒に帰るぞ」

「ごめん祐一、今日も私部活…」

「終わるまで、待ってるから」

「え?」

「昼飯は勝手に食うから気にしなくていいぞ。秋子さんに電話してくる」

「え、祐一、ちょっと待って」

 名雪の慌てた声を無視して、俺は公衆電話へ向かった。
























 ……帰りづらい。

 あの家も、わたしの居場所じゃないのだから。

 美坂さんと分かれたわたしは、ふわふわとこの街に来た時のようにさまよっていました。

「……また、この道…」

 おなかの減り具合も忘れて歩いていたのは、生徒手帳を忘れた時歩いていた道でした。

 雪の道。

 この街を離れるように離れるように進む夢。

 …じゃあ、あの夢の道を逆に辿ったら、そこには何があるんでしょう。

 決まってます。住んでいたのなら、その家があるはず。

「今までどうして思いつかなかったのかな」

 そう口に出した瞬間、周囲の風景が二重にぶれました。

 不吉な予感が血に混じって身体を巡りはじめました。

 ……わたしは、前もこの言葉を口にした。その時の思いつきは、自分の頭を打ちつけたくなるようなバカなこと。

 今度もまた、いけないことをしようとしているのでしょうか。

 でも、知りたい。

 夢が本当に夢でないのかどうか。そして、何がわたしを、

「ぁ…」

 膝が笑い出すほど恐れさせているのか…。





§






 歩いては振り返り、歩いては振り返り、日光で輝く雪の道を見て。

 だんだん、振りかえる回数が少なくなります。

 薄れていく夢の部分。

 反対に、強くなる記憶と、心臓の鼓動。

 鼓動だけが、二歩も三歩も先に進んで行きます。

 そのふたつがピークに達する余裕も与えられず、わたしは決定的な場所に着いていたのでした。





『姫川』





 目に飛び込んだのはそう書かれた、表札。

 押さえきれない震え。

 ママ「だけ」に手を引かれた夢と、眼前の事実を結びつけるのに、そう時間はかかりませんでした。

 ここに、もうひとつの家がある。

 わたしが帰ってもいい場所が…。









 願いさえすれば、わたしはこの街に居続けることが出来る…。









 視界が一瞬で黒赤青黄、白と目まぐるしく変わって、

 次にまともな意識を取り戻した時、わたしの目の前は自分の吐く荒い息で真っ白になっていて、表札は『水瀬』に変わっていました。

 身体中が湿って、手も足も赤くなっています。服にはところどころ、雪と泥が。

 弾んだ息はまだ収まらなくて、白く、白く、白く。

 湿って色が変わったところから、身体がひりひりと冷たくなってきます。

 わたしの、いる場所…。

 寒さに耐えられなくなったわたしは、黙ってその玄関をくぐりました。

























「くそっ」

 もう2時半を回ったのかよ。

 だるさ充満の身体にムチ打って、この町に来てから行ったところ全てにもう一度足を伸ばしたが、ぜんぜん収穫はなかった。

 そして今、オレは荷物を抱えて商店街を一周してため息をついたところだった。

 駅員も結局見てないって言うし、1週間無駄にして、結局ダメかよ。

 この広い街が恨めしい。

 温かみのある壁や路面の色も、現実まではあっためてくれないか。

 おいそこの掲示板、でかいだけじゃなくもっと役に立てよ。

 もう1週間経ったのか、お前を見てからよ。

 ほんとにあっという間だったよな、この1週間。これ見て歩きだしたとたん、後ろから――

「……ヒロ、くん?」

 ためらいがちな声が、オレを呼びとめた。

「あゆ、か」

 そう、オレはあゆと出会ったんだ。

「元気ないね」

「あぁ。探せるのも今日まで。あゆと会えるのも今日限りだからな」

「そうなんだ…」

 変に悲しげだった。

 ダッフルコートの後ろの羽だけが、オレたちと違って元気よく揺れていた。

「でも、あきらめちゃダメだよ」

「つったって、諦めるななんて言われたってなぁ」

 何だよ、見つからないからって他人に当たんのかよ。完全なダメ野郎だな、オレは。

「ヒロくんからあきらめちゃったら、それでおしまいだよ」

「!」

「ボクの探し物なんて、どこで落としたのかも、何を落としたのかも分からない。でも、落としたってことはわかってるから、きっといつか見つけられると思ってるんだよ」

「……」

「ボクはこんな変な応援しかできないけど……でも、あきらめちゃったら本当にダメになっちゃうと思うんだよ」

 …オレってほんと、バカだな。

 今のあゆの言葉は、超能力の特訓中、オレが琴音ちゃんに言い続けたそのまんまじゃねえか。

 オレから諦めたら、今日までやって来た時間、あゆに付き合ってもらった時間まで無駄になっちまう。

 琴音ちゃんは見つかってないけど、まだこの街から出たって確証だってねえんだ。

「そうだ、オレはまだ諦めないぜ。今日しかいられないんだったら、今日中に見つけてやるぜ」

「うん、その意気だよっ」

「おぉ、オレは燃えたぜ。勝負はツーアウトフルカウントからだからな。ついでに、あゆの探し物も見つけてやるぜっ」



























「……」

「……」

 会話がない。

 名雪といてここまで息苦しい思いをするのは、この街に来てすぐ、あゆに引き摺りまわされたあとの帰り道以来だ。

「百花屋に行こう」

 会話といえるのは学校を出るときのその一言と、いいよと言う返事だけだった。

「話ってのは、琴音のことなんだけどな」

「うん、きっとそうだと思ったよ」

 部活疲れだろうか、あまり顔の筋肉を使わないで名雪が答える。

「やっぱり帰さなきゃいけないんだよ、俺達は」

「私もそうしなきゃいけないってのは、わかってるよ…」















 そして、俺達4人は、交差した。















「おっあゆ、と……あぁっ! お、お前は、学校に侵入してきた…」

「矢島…」

「そうだ、やじまぁっ!」

「オレは藤田だっ!」

「まさかあゆ、たい焼き代欲しさにこんなやつに身体を売ったのか…」

「ボクはそんなに安くないもんっ」

「待てっ、誤解されるような言い方をするな!」

「誤解じゃなくて真実だろっ!」

「オレにだって買う女くらい選ばせろってんだ!」

「祐一、声が大きいよ…」

 名雪の声ではたと見まわすと、ギャラリーの視線をものの見事に集中させていた。

 俺達のいる場所が、賑わう週末の商店街ということをすっかりと忘れていた。

「……」

 向こうも状況を理解したのか、一旦口を閉じる。

「えっと…」

 そうか、名雪はあゆの事知らないんだよな。

 だが、とりあえず奴を問いただすほうが優先だ。

 ボリュームを落として再び俺は切り出した。

「んじゃ藤田とやら、人の学校にまで侵入して、お前はこの街で一体何をしてるんだ?」

「人を、探してるんだ…」

 打って変わって真剣な顔で、(自称)藤田はそう言った。

「人を?」

「心配するな、見つかるにしろ見つからないにしろ、今日帰る…」

 浮かんだ色が、沈み切っていた。

「たしか、むらさき色の髪をした女の子なんだよね」

 あゆの声に、俺と名雪の動きが止まる。

 紫色の髪の女の子?

 そういえばこいつの名前、『藤田』?

「……なぁ、もしかしてその子、超能力少女なんかじゃないよな?」

 藤田が目を開ききって、そのまま止まる。









「「姫川琴音」」









 声がピタリと重なった。

「なんでお前が、琴音ちゃんを知ってるんだ…」

「詳しく話します。長くなるので、とりあえずあそこへ」

 名雪が、百花屋を指差した。





§






 それぞれの自己紹介に加え、オレが名雪を、あゆが藤田を紹介した。

「えっと、よろしくねあゆちゃん」

「…あ…名雪さん、よろしくお願いします」

「そんな堅苦しくならないで。私もなゆちゃんでいいよ」

「ううん、やっぱり名雪さんって呼ぶよ」

「残念」

 名雪はそう呼んでほしかったらしい。

「なんならオレがそう呼んでもいーけど?」

「さすがに遠慮しておくよ…」

「残念」

 どうやら藤田には、お調子者の気があるらしい。

「お前に言われたくないな」

「俺がなにか言ったか?」

「いや、何かバカにしたよーな気がしたから」

 そして、栞並に鋭かった。

「それにしても、あゆは相沢の幼なじみだったのか、灯台下暗しってヤツだな」

「一向にその自覚はないんだけどな」

「ひどいよぉ祐一くん…一緒に何度も遊んだのに」

「そこだけは俺も悪いと思ってる。だが犯罪者の知り合いは欲しくない」

「犯罪者?」

「でも藤田くんって祐一に似てるよね」

 食い逃げの話をしようとしたのを遮って、名雪があさっての方向の話題を持ち出した。

「うんうん」

 なぜかあゆも同調する。

「は?」

「オレと? 具体的にどこらへんが?」

「雰囲気って言うか、性格って言うか。あ、髪形も少し似てるよ」

「たっく、そのせいでオレはえれー目にあったんだぜ」

「うぐぅ」

「まぁこいつのことだから、間違えて攻撃してきてだな…」

「鋭いな相沢。不意打ち食らって首をちょっとやられたぜ」

「…」

「…」

 二人同時に、あゆを見てため息をつく…。

「うぐぅ、二人ともいじわるだよっ!」

「ほら、初対面て思えないほど、祐一と息が合ってるよ」

「あゆに関わればな…」

「誰でもそうなるぜ」

「うぐぅ…」

「それにしても、うれしくても悲しくてもいっつもうぐぅだな、オレが聞いた限りでは」

「確かに、俺が聞いた限りでもそうだな」

「うぐぅ、もう、二人とも知らないもんっ」

「ほらやっぱり」

 何がおかしいのか、名雪は弾けんばかりににこにこしていた。

「ん、じゃ、オレがあゆとあった辺りから話そうか」













§














「…ということは、あの並木道で会ってた可能性もあったわけだな」

 相沢がコーヒーをせわしなくかきまわしていた。

 真冬だというのに、花盛りの植物の山。

 対して北国らしい、厚い壁とシックな内装。

 そして、予想してたけれど女子でほぼ満席。

 今日までのこの街の印象、奇妙さ、寒さ、普通っぽさを袋詰めにした場所。百花屋は、そんなトコだった。

 ちんたらとコーヒーを口にしながら、今日までの琴音ちゃんとオレの行動の報告会が続いていた。

 言ってみれば情報交換なんだが、ほとんどオレが聞き役だった。向こうがしてくる質問は本当にわずかだった。

 聞くまでもねー、といったら言い過ぎか? それほど少なかった。

 琴音ちゃんは、自分のことをそんなにぺらぺらと喋るタイプじゃなかったと思うけど……。

「あそこで会ってりゃこっちも1週間学校サボって、人の学校にも侵入しなくてすんだんだぜ」

「ヒロくんが捕まってたら、きっとおおごとになってたね」

 オレの方はボチボチといった感じだった。

 この街での琴音ちゃんの行動はつかめたけれど、肝心の原因は当然把握していない。

 相沢が話した範囲での、数少ない手がかりからオレが出した答えは、

(……家内不和、か)

 それじゃオレにも相談できねぇよな。あの様子じゃさもありなん、って感じだ。

 でもよ。本当にそれだけなのかよ琴音ちゃん。

 何でじゃあ、オレに手紙を…

「お前と違って足には自信があるからな。でも捕まってりゃ、逆に琴音ちゃんの耳にオレの名が入りやすかったかもしれないけど」

「うぐぅ。今日はなんだか知らないけど、ヒロくんがすごくいじわるだよ…」

 でも、今朝見た夢の通りなら、逆に早く見つけなくてよかったな。

 琴音ちゃん、あんなに楽しい思いをしたんだから。

「で、これからだけど……オレ、琴音ちゃんに会ってもいいか?」

「止める理由はないな。直接家に来いよ」

「ねえ祐一、もう一杯いい?」

 大きいイチゴサンデーのグラスを通路側に押し出して、水瀬が祐一を揺すった。

 さっきからなんだが……このノリにだけはついて行けねーな。あかりの天然ボケもかなわねーだろう。その時。



 ブブブブ、ブブブブ、ブブブブ!



「うぉっ!」

「わ」

「へ」

「ぶっ」

 オレが叫んだため3人までビビらせてしまった。

 原因はバイブレーションにしていた胸の携帯だ。たっくビビらせやがって。

「ったくどっちだよ…はいもしもし」

『ヒロ、私よ』

「志保か」

『頼まれたの見つかったわよ、ほんと苦労したんだから』

「あぁ今いーわ、後にしてくれ」

『なんですって? 人が苦労して苦労して得た情報教えようという時に、ずいぶんな物言いじゃないの!』

「わりーわりぃ、でも今な、琴音ちゃんを保護してくれてた家の人と偶然会って喫茶店にいるんだ」

『そうなの? と言うことは見つけたのね!?』

「どこからだ?」

 相沢が聞いてきた。

「向こうの悪友から」

「タメか?」

「中学時代からの腐れ縁。いちおー染色体上では女だ」

『ちょっとアンタ、人が場にいないと思って適当なこと吹き込んでんじゃないわよ!』

「…本当に悪いんだが、その電話ちょっと代わってくれないか?」

 相沢は妙なことを言い出した。

「少し、確かめたいことがあるんだ」

「こんなバカでよければ……、おい、向こうがお前になんか話があるそうだ。オレたちとタメだけど、無礼な話し方すんなよ」

 オレは志保のバカ騒ぎの続く携帯を手渡した。

「名雪、ちょっと席を外すからどいてくれ」

























 適当な位置がなかったので一旦外に出て、応答する。

「もしもし」

『あ、どうもはじめまして、長岡志保と申します』

「あぁ、長岡さんはじめまして、俺は相沢祐一といいますが」

『ダメな友人に代わって礼を言わせて下さい、今日まで姫川さんを保護して頂いてありがとうございました』

「いやいや別に。……それより、同い年だからタメ口にしてくれないか、なんか調子がでない」

『では、お言葉に甘えて。そうさせてもらうわ』

「一つだけ、聞きたいことがあるんだ。琴音…いや姫川さん、『幼馴染み』という言葉にやけに過敏に反応してたんだ。なにか心当たりは?」

『あるわ』

 きっぱりと長岡は言い切った。

『今あなた達と一緒にいる藤田浩之、あいつには幼なじみがいるのよ、親どうしも仲がいいから、生まれる前からっていうくらいの長さの』

「仲は…いいんだろうな」

『名前は神岸あかり。仲は、本人たち以外はみな恋人同士って断言するくらい。でも本人達はまったく自覚がないから困るのよ、ね』

「そうだったのか…。超能力のトレーニングの事もあったから、辛かったんだろうな、姫川さん」

『……ちょっと、なんでそれをあなたが…』

「おかしな夢を見たって言うしかないな」

『夢ぇ?』

 向こうの声が露骨に動揺していた。

 何の気なしに口にしてしまったが、冷静に考えればオレがそれを、しかも夢で知っているというのは異常極まりない。

「信じなくても構わない…やっぱり、本当にあったんだな」

『そう…。確かにあったわ、春頃。中庭で何度かやってるの私も見かけて…制御できるようになったような話してたんだけど…』

 この1週間続いていたのは、常識では絶対ありえないはずの現象だった。

 他人の口からの裏づけは、その異常さをさらに強く思い知らしめた。

『あいつ、女心わからないからね…』

「わかった、ありがとう」

『じゃ、これ他人の携帯らしいし、とりあえず切るから。ヒロ、いや藤田に、後で掛け直すって言って』

「あぁ」

『あ、そうだ、ちょっと聞いてもいい』

 向こう側、長岡は俺を呼びとめた。

『あなたにもいるの、幼なじみ?』

「あぁ、水瀬名雪って言うんだが。従兄弟でかつ同居人だ」

『…水瀬さん、大切にしてあげなさいよ』

 その言葉で、電話は切れた。





§






「ねえ祐一、ここにも寄っていい?」

 返事も聞かず、名雪はあゆを引っ張って小さな駄菓子屋に向かって行った。

 何が嬉しいのか、名雪はさっきからあゆを引っ張ってはそこかしこに寄っていっていた。

「よく食うな…水瀬」

「……」

 藤田浩之。

 現時点では、北川並のお調子のりな奴。普通の奴よりずっと付き合いやすい。

 だが。

(やっぱりお前には叶わないな)

 一人の女の子を捜すため、一度も来たことのない街を1週間も駆けずり回るなんて、とんでもない奴だよお前は。

 お前相手にだったら、あの異常な事も話せるかもしれない。

 お前の記憶を、俺に流し続けた夢を……。

「それとも、女子高生ってのはあんなもんなのか」

 店先のゴムボールを一つ手にとる。

「藤田」

 下手(したて)で、それを放物線を描くように投げる。

「? お、おい」

 藤田は軽く手でキャッチし、ぽいと店頭のかごに戻した。

「いきなり何すんだ」

「さすがにお前は無理か」

「何がだよ」

「空中に止めるかと思ったんだけどな」

「……!」

 藤田の顔に、隠し切れないほどの動揺が走った。

 だが、俺は続ける。

「……藤田、全くの他人の過去を夢で見るなんてこと、信じられるか?」

「信じるさ。今のは、オレと琴音ちゃんしか知らない特訓法だ」

「出会いから、ピンポン玉回すのを野球ボールまで動かせるまでにトレーニングさせて、絶望した琴音を殴って説得するまでみんな見た夢でもか?」



























「信じるさ。オレも、似たような経験してたからな…」

 自分の行動をみな見られたっていう恥ずかしさより、同士がいたっていう安心が上回った。

 異常な夢。

 異常さだけならオレと大差ねーぜ。

「説明の必要がなくて逆に助かったぜ。いきなりじゃ言いづらい事も、結構あったからな」

 どのくらい動揺を押さえられたのかはわからないが、笑い顔を作ってオレは返した。

「まぁ、琴音に関しては嘘はつかないほうがいい」

「まいったな」

「お前の夢の方は、どうなんだ」

「オレのは誰なのか、さっぱりわかんねえ…この街が舞台だってことだけはわかるんだが」

 そこまで話したとたん、まだ生々しい赤い空気がオレの目の前を包み込んだ。

 ほの赤く染まった空気が、路面に残る雪を血のように赤く、いやどす黒く変えていく。

 …ダメだ。

 これ以上口にしたら、この場で地獄に舞い戻されて、倒れる……。

「とても一言じゃ表せない…おまけに、結末は、最悪だ…」

「そうか」

 オレは、場を濁すしかなかった。

「あ、たい焼き屋さん」

 オレのコートがぐっと引っ張られた。

 力点には、ものほしそうな目でオレと屋台を交互に見比べるあゆがいた。

 ラッキー。

「そうだな、琴音ちゃんへのおみあげにでも買っていくか」

「こいつを甘やかすと癖になるぞ」

「うぐぅ…だって、お金ないんだもん…」

「いつもの食い逃げがあるだろ」

「だから、あれは違うんだよっ」

「「食い逃げ?」」

 オレと水瀬が声を会わせて聞いた。

「な、なんでもないよっ」

「まいっか。たっく、しょうがねえなぁ」

「よぉ、早くしろよ。こっちは準備出来てるぞ」

 会話を聞きつけ、すっかり上機嫌になっている屋台の親父に、オレはたっぷりと仕事してもらった。

ラベル:Schnee Traum
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Schnee Traum ~第7話~ 1月22日(金曜日)<後編>

「……」

 オレは体を持ちあげた。けれど上半身が起きたところで、再び沈み込む。

 もう一度、無理やり体を起こす。鉛の塊が入っているように重い頭が、さらに痛んだ。

 目を開けたくない…。

 だけど、目を閉じれば地獄だった。

 胃が重い…。食べ物を見ると、それだけで具合悪くなりそうだ…。

 頭の鉛が、流れ込んだのかもな。







「あ、あんた、大丈夫なのかい?」

 6日目に入り、すっかり俺の顔を覚えたおばさん従業員があんぐりとこちらを見た。

 言われなくても、顔色が悪いのは承知済みだ。

「病院、連れてこうか」

「いや、いいです」

「朝食…いらないね、どちみちもう終わっちゃってるけどさ」

 1階受けつけの時計を見ると、

「もう午後かよ…」

 見事に午前を過ぎんじゃねえか。

 夢遊病者のような足取りでオレは外へ踏み出した。今なら、誰にぶつかっても転がされる自信がある。







 ……原因は、悪夢だ。

 今まで見た中で、最悪の悪夢だった。

 男の子の前で、少女が決して果たせない約束をして、二度とさめない眠りに落ちていく。

 いや、美しすぎる、

 木から落ちた女の子が、非情な運命に殺されてゆくさまを見せつけられる悪夢。

 昔の映画の様に、音はない。

 時々視点が女の子に移るのか、少年が映り、なにかを必死に叫んでいるが、届かなくて…

 指きりしようとする指の片側は動かなくて…

 雪が流れる赤いもので溶かされる中、女の子はついに目を閉じ、

 ようやく戻った音は、少年のすすり泣く声を奏でるだけだった…。

 何も出来ず、声も出せず、喉をかきむしりたくような悲しみ、無力感が起きたはずの身体にまで付きまとう。

 そんな、夢だった。

 先輩の警告がこれだったとしたら、オレはなんてバカなマネをしたんだろうな。

 もう一生、あの光景が頭から離れる事はないだろう。

「うえっ」

 喉に吹きつける風が強くて、まるで首を締められてるように気持ちが悪い。食べ物の匂いが通るたび、胃にくる。

 本当はおとなしく宿で寝てるほうがいいんだろう。だけど、あえてオレは外へ出た。

「今日は、あゆと会いたくねーな」

 ただ、それだけは願った。この身体の調子で、お前の相手はムリそうだ。

 商店街を急ぎ足で通過する。

 さらに進む。

 先輩に会った並木道。そこから、鬱蒼とした森の方へと足を踏み入れた。

 そう、オレは、今からあの夢の舞台へ立とうとしているのだ。





§






 子供がようやっと通りぬけられるくらいの草のトンネルを、這って進む。

 ひざが汚れるが、そんなの構いやしない。

 藪を踏み分ける。落葉を足で押し付け、枝を踏みちぎって音をたてて、とにかく進む。

 ガキのあいつらにも遠かっただろうけど、今のオレの足でも遠いな、秘密の『学校』は。

 そして、道程は終わった。





 晴天なのに、曇天のように林床は暗い。

 だが、そこにぽっかりと穴が見えた、木々の天井に。





 あの日のまま、周りの時から切り取られたように、その場所は白く佇んでいた。

 けれど、オレの目の前にあったのは、大樹ではなく切り株だった。

 この森のいかなる木よりも、太い。

 空に開いた穴は、時の流れと、失われた時を埋める術がないことを、訴えてるように見えた。

 そして、その根元で、

「……」

 ひとりの女の人が、花束と共に手を合わせていた。

「どなたが亡くなられたのですか」

 失礼もいいとこだよな。

 赤の他人がするには失礼な質問だと、十分承知の上でオレは聞いた。もし怒鳴られたら、黙って立ち去ればいい。

「違います。私は、この樹を悼んで花を供えていたんですよ」

 え…?

「この木、を?」

「はい。あの時は感情に任せて切ってしまったけど、今考えればこの樹にも罪はありませんものね」

「あの時?」

 どうも話が見えてこない。

「…旅の、方ですか」

「そうです」

「7年前、事故があったんですよ。この樹に登っていた子が、落ちて怪我をしたんです」

「……」

 オレを向こうともせず、話だけが続く。

「そのあと、また子供が登って事故が起こらないようと、この樹は切られたんです」

 半分は嘘だな。

 オレは思った。

 切り株から推定した木の高さは、数階建てのビル。中ほどからでも、落ちたらただのケガでは済みそうにない高さだった。

 それに、

「…女の子ですね」

 オレの言葉に一瞬身体を震わせたが、その人は、

「そうです」

 と淀みなく、短く答えた。

 喉から、吐き気ではない何かがこみ上げる。

 オレと女性が立つ雪を、真っ赤に染めたあの悲劇。

 あれは、決して夢の中だけの出来事じゃなかったのだ。

「……その子の名前、覚えていらっしゃいますか」

 丁寧に首が横に振られた。

「何しろ、7年も前のことですから」





§






 オレは森を駆け下りた。

 あの夢は実在する。

 それがなんなのか、ただ、確かめたかった。

 だが、ない。

 記事を書いたであろう新聞社はここからは遠すぎるし、7年前の新聞など、図書館では取っては置かないそうだ。

「こうなったら、あいつに賭けてみるしかねぇな」

 手に持った携帯に番号を入力する。

『はいもしもし』

「志保か。いきなりで悪いんだが、お前を情報屋と見込んで頼みがある。今から言う新聞の7年前1月の記事に、木からの落下事故がないか調べてくれ」

『はぁ!? ちょっと、7年前って…ムチャ言わないでよ!』

「国会図書館でもインターネットでも方法は任せる。とにかく調べてくれ」

『あのねぇ、国会図書館ってのは18禁なのよ。しかも新聞のバックナンバーなんて』

「頼む、こっちにはもう残ってないんだ」

『頼むって言われても限界が…第一、何のために調べんのよ』

「その事故にあった人の名前を。子供だから。帰ってから3日お前のいうことなんでも聞くって条件をつける」

『……分かったわ。あんたがそこまで言うんだから、特別にタダで調べてあげる。でも、期待はしないでね』

「すまない」

 無理難題に等しい頼みを、志保は引きうけてくれた。

 再びオレは街に繰り出した。無駄でも、動かなきゃ気がおかしくなりそうだった。

 制服姿の何人かがオレを指差したような気がしたが、構ってる暇なんかない。

 もう時間がない。

 琴音ちゃん、どこにいるんだ。























 今日の夕飯は俺の提案でじゃがバターだった。

 もっとも、これも昼見た夢のおかげだ。ここまでプライバシーを覗いてもいいのだろうかという疑問は、この際隅にのけておく。

 そして、ものの見事に琴音は好反応した。

「好きなんだな」

「ええ…小さい頃、よく食べてましたから」

 その後、みかんをついばむ。

「わぁ、甘い…」

 冬の家には竹籠に入ったみかん。

 炬燵はなくとも、これは動かしようのない日本の定説だと思う。

 夕飯のあとだが、俺も2個目に手を伸ばした。

「祐一、種出さないの?」

 3個目をせっせと口に運んでいる名雪が聞いてきた。

 名雪の前には、几帳面に出された種と薄皮が、黄色い外皮に乗せられて集められていた。

「面倒だからな」

「…おなかから芽が出てくるよ」

 ぺしっ。

「お前本当は何歳だ?」

「祐一と同い年だよ…」

「薬品かけたみかんの種が、芽を出すわけないだろ」

「きっと出るよ…」

「出ない」

「出るよ」

「出ない」

「出るよ」

「出ない」

「出るよ」

「でな…」

「こうしたらどうです?」

 琴音が、口から出していた種を植木鉢の土に押し込んだ。

「実際にやってみたらいいんじゃないですか?」

「そうだね」

「負けた方が、一週間全教科ノート取りな」

「祐一こそ、芽が出たらイチゴサンデー3杯おごってもらうよ」

「もし芽が出てたら、引っこ抜いてやる」

「わ、祐一ずるいよ…」

「だいじょうぶですよ。そうならないよう、わたしが見張っててあげますから」

 笑みをこぼしながら提案する琴音の声。









 ふと、空気が灰色に変わった感触がした。

 その言葉に、呼び出されるある感覚。

 冷静な、理性の支配。時に無慈悲な、現実の真言。









「…琴音」

「?」

「この種が芽を出すまでなんて、一緒にはいられないだろ…」

「………」

 琴音がいる、四人の生活。

 いつのまにか慣れてしまって、忘れていた。

 それは、永遠じゃない。

 琴音は、あくまで家出をしてきた来訪者なのだ。

「……そうですね…」

 俯いた顔は、古傷をえぐられた辛さを写し取っていた。

 場は白けてしまった。

 誰も、お互いに口を利こうとはしない。やがて、誰からとなく、おのおのの部屋へと散っていった。











§












「どうして先生はこの街を家出先にしたんです?」

 昨日より構図の取れた絵を前に、美坂さんはそう聞いてきました。

「美坂さんは、夢ってよく見ます?」

 わたしは逆に聞き返してみました。

「夢ですか? 私はあまり見ないです」

 さらっと、画面に視線を移されました。

「だって、起きている時に叶って欲しいことがいっぱいありますから」

「絵が上手になりたいとか?」

 意地悪そうに笑ってみました。

「先生ひどいですっ。…そんなこという人、嫌いです」

「そうですか。わたしは…最近毎日のように見るんですよ」

「どんな物ですか?」

「自分が子供の頃みたいで…」

 わたしは、あの夢の話をしました。

 そしてそれが、家出した原因だとも。

「雪の夢……ファンタジーぽくて、なんかかっこいいですね」

「そうなんですか?」

「いつもベッドで暇なので、いっぱい本を読んでますから」

「そういう話だと、どうなるんです?」

「そうですね…」

 美坂さんは口に人差し指を当てて、少し考え込む仕草をしました。

「案外、昔のことを思い出しているのかも知れませんよ」

「え?」

「夢って、記憶を整理する時に見るらしいんです。何かのきっかけで、昔の記憶が蘇ってるのかもしれませんよ」

「わたしの…記憶…?」

「いまのはちょっと科学的で、格好よかったですよね」

「もうっ…からかうと、教えてあげませんよ」

「わ、先生すみませんっ」

 それにしても不思議…。

 会って二日目なのに、こんなに気軽におしゃべりできる…。友達って、こんなに簡単につくれるものだったのでしょうか。

 なんてきれいな場所。

 なんていい人たち。

 ずっと、こうしていたい…。

 画面を走る鉛筆の黒さえ、わたしの目には幸せな空色に見えました。











 そう、空色に、見えていたのに…。

 結局、わたしはどこにもいられないの?

 わたしが悪いことをしているのはわかってる。でも、でも。

 楽しい日々が、みんな幻なんて…。

 外は雪明かりで白く輝いてるはずなのに、真っ暗なこの部屋が、現実の壁を形にしているように見えました。

 もう、頭を働かせるのは止めよう。

 布ずれの音をひどく立てて、自分をすっぽりと布団の中に隠しました。

 また明日、美坂さんにあって、絵を教えていれば、きっとそんな事は忘れてしまえる。

 きっと、忘れて…しまえる。



























 いずれ、琴音は帰らなければいけない。

 だが、出てきたときから何も変わらない向こうへ、無理やり戻すことが果たして正しいのだろうか?

 誰かが、琴音を迎えに来てくれれば。

 ……。

 俺の脳裏を掠めたのは、藤田という名前だった。





 藤田。

 琴音の超能力に恐れず向き合い、制御できるまでにした男。

 二人が、その後どうなったのかは知らない。

 しかし、琴音の心に、今でも藤田は大きなウエイトを占めているはずだ。

 琴音をどう思っているかは関係ない。

 とにかく一度会って話をしてほしかった。

 可能性がほぼゼロである願いだと分かりつつも…。

 その考えが、眠りに落ちるまで離れることはなかった。







 藤田。

 きっとお前なんだ。

 琴音を帰せるのは、きっとお前なんだ。

ラベル:Schnee Traum
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2020年08月06日

Schnee Traum ~第7話~ 1月22日(金曜日)<前編>

「お待たせしました」

「あ、姫川さ…いえ先生、おはようございます。……どうしたんですかその制服?」

「あ、これですか…。今日お昼、学食で食べないかと誘われて、そのために相沢さん達がおもしろがって用意してくれたんです」

「ということは、ニセ学生として忍び込むんですね」

「そういう…ことになりますね」

「なんかドラマみたいでかっこいいですね」

「どうでしょう……普通の生徒に見えますか?」

「すっごく似合ってますよ。大丈夫ですね」 

「そうですか…来る時に人目を引いて、はずかしかったです…」

「本当はみんな学校があるんだからしょうがないですよ」

「それに、ちょっとわたしには大きすぎて…」

「そんなことないですよ。私よりよっぽど着こなしてますよ。…実は私もそこの生徒なんです」

「そうなんですか? じゃ、一緒に行きませんか? 一人だと、やっぱり不安で…」

「ダメです。祐一さんをあっと言わせる腕前になるまでは」

「そうですか。じゃ、せっかくこれを着てきましたし、今日は服の描きかたを練習しましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「琴音、こっちだ」

「あ、はい」

 授業終了直後、俺はダッシュで裏門へ向かった。

 裏門とはいえ昼には校外に出ていく連中もいるため、表門と変わらない利用者数がある。おかげで目立ちはしない。

「やっぱり緊張します…」

「そうだろうな」

 あくまで普通の生徒二人を装って、俺達のクラスの下駄箱へ向かう。

 1月22日、昼。

 予定通り、俺は琴音を学食に呼んだ。

 あの痛ましい『想い出』の続きは、こうだった。

 

 

 

 

 

「あっ…!」

「こ、琴音ちゃん!」

 

 日付は五月となり、12日、琴音は学校から姿を消した。

 藤田は、早退して琴音の家まで向かう。だが収穫はまったくなし。

 失意の帰り道、とある公園で二人は、ぱったり出会った。

 

「……嫌になってしまいました」

 

 自信を失い壊れかけた琴音。唇にのぼったのは、敗北宣言だった。

 

「わたしのチカラは、もう止められないんです」

 

 逃げようと思ったが、どこにも行けなかったと、自分を嘲って言う琴音。

 

「…せめて、学校に行かないで、ここで時間がたつのを待つことしかできませんでした…」

「…逃げんのかよ? なんで逃げんだよ琴音ちゃん」

「もうたえられません! わたしなんかのために、誰かが傷つくのは…」

「違うだろ! 傷つけないよう頑張るのが琴音ちゃんのやることじゃねえか!」

「もう…一生懸命頑張りました。わたしもう、頑張れません…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は北川達だな…」

 これで席がとれなかったら最悪だ。

「琴音、万が一学食で食えなかったら、北川をふっ飛ばしていいぞ」

「そんなことしませんよ。わたし、暴力嫌いですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世の全てに裏切られたと言いたげに、哀しく自分を嘲笑し続ける琴音。  

 

「本当はもう藤田さんとお会いすることもないだろうって思っていたんです…だけど、こうなってしまったのは、何かの縁ですね」

「冗談だろ?」

「本気…です」

 

 琴音の瞳は、生気を失っていた。

 

「なんでだよ、そんなことして誰か喜ぶのかよ?」

「今までわたしを迷惑に思ってきた人たちは、安心できますよ」

「そんなことのために死んだりするのかよ」

「一番いい方法だと思いますから…」

「いいわけないだろ」

 

 目に映る意志は、一つ。

 

「…どうしてですか、わたし爆弾と同じなんですよ? …いなくなったほうがいいじゃないですか」

 

 自殺。

 

「なに言ってんだよっ」

「さよなら…」

「馬鹿野郎ッ!」

 

 その瞬間、鳴り響く、と形容されるような音で、琴音の片頬が鳴った。

 

「誰にも迷惑かからないだって? ふざけんなよ。…家族はどうするんだよ? そんな目にあわせるために父さんや母さんは琴音ちゃんを生んだのかよ? オレはどうするんだよ!? …琴音ちゃんを目の前で死なせたオレが、傷つかねえと思ってんのかよ!?」

「藤田…さん……」

「自分のことしか考えてねえだろっ!?」

 

 必死の説き伏せが、功を奏した。いまだ問題は残ったままだが、藤田は琴音に自殺を思いとどまらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達を見つけて、名雪が手を振った。

 用意された、わりあい端の方の席。周りには同じクラスの奴がいて、俺達が全く知らない生徒には見られにくい、いい位置取りだった。

「はじめまして、姫川琴音です」

「いらっしゃい琴音ちゃん。えっと、こっちが香里でね」

「この辺が北川だ」

「俺は空気かっ!」

「冗談だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんな、痛かったろ?」

 

 そして藤田は琴音を家に送る。だが、神はなんと非道なのか。

 

「…げて…さい」

「え?」

「逃げて、逃げてくださいっ!」

 

 その道で、また暴走が起こった。

 俺が商店街で受けたのとは、規模がまるで違う。

 夢の中なのに、弾ける大気やエネルギーの散らす火花さえ感じられた、凄まじい暴走だった。

 

「藤田さん!?」

「言ったろ。オレに使えばいいって」

「そんなっ…わたし、できませんっ」

 

 だが、藤田は暴発寸前の琴音に近づき、しっかりと抱きしめた。

 頂点に達しようとする震え。

 そして、炸裂音。

 

「藤田…さん…?」

「オレはなんともないぞ、琴音ちゃん、何かしたのか?」

「いいえ、わたし、藤田さんに使いたくなかったから、我慢して…あっ…!」

「できたんだな…コントロール」

「…藤田さんっ!わたし、藤田さんを守りたくて、できましたっ」

 

 半泣きで飛び込んでくる琴音。

 そして、夢は終わった。

 

 

 

 

 

 もし俺が藤田だったら、作り話ではないあの場面で、命をかけられただろうか。

 こいつには敵わない。

 目を覚まし、いの一番に思ったのは、そんな事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「席が取れてよかったね」

「命拾いしたな、北川」

「どういう意味だっ!」

「あれに巻き込まれずにすんだものね」

 香里が指差したパン売り場は、いつもながらの混雑ぶりだった。

「…平和ですね、パン売り場」

「はぁ!?」

 テーブルについていた全員が、素っ頓狂な声を上げる。

「あの混み様が平和だって?」

 再び北川が叫ぶ。

「はい、列になってるだけいいですよ。わたしの学校はもっとひどいですよ…みんな、並びませんから。ほとんど奪い合いです」

 

 

 

 

「琴音、オレがいく、どけぇっ!」

「は、はいっ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ、邪魔だっ、消えろっ!」

「させるかっ!」

「ぐおっ」

「大丈夫ですか!」

「うう…」

「ひどい…。わたしが代わりに行きます」

「無理だ、琴音ちゃんっ」

「わたしだって足手まといなんかじゃありませんっ、行きますっ」

 

 

 

 

「あっ、わたしは学食でしたから。食券売り場は、きちんと並んでましたよ」

 あらぬ妄想に気付いたように、琴音があわてて付け加えた。

「ここも食券制をやればいいのにね…」

 この人数が、できた順に取り合いをしているので、すこぶる効率が悪い。

「琴音ちゃんは何にする? Aランチでいいかな?」

「はい、それでお願いします」

「じゃ私がとってきてあげるね」

 軽やかな足取りで、名雪はAランチに向かっていった。

「…考えたわね」

「おととい散々俺達に責められたからな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…というわけで、香里にあらぬ誤解を掛けられそうになったというわけだ」

「猫好きも節度を持たないとね」

「うー」

 今日までの出来事を話し、スケッチブックを見せたりして昼食は続きます。

 自分がニセ学生として無断で侵入しているということを、忘れてしまいそうです。 

「ここのほうがおいしい…」

 Aランチを食べて、わたしは自然にそう漏らしていました。お世辞じゃなく、学食にしてはおいしいです。

「だよな。俺も前の学校よりうまいと思った」

 それにしても、ここの学食はびっくりすることだらけでした。

 講堂のように広く、パイプ椅子ではなく、しっかりとした椅子にテーブルが備えられていました。

 メニューも、購買の品数も豊富でした。

 手巻き寿司があるのもびっくりしましたが、冬なのにアイスクリームまで売っていたんですから。

「俺と名雪は他にもいろいろ聞かせてもらったけどな。そんなに動物好きになったきっかけって、何かあるのか?」

「それかどうかはわからないですけど、わたしが勝手に思い込んでいるのならありますよ」

「聞かせてくれよ」

 北川さんも促したので わたしは、あのイルカとの思い出を話しました。

 家族で旅行し、水族館へ行った時の話。

 風で飛んでしまったお気に入りの麦わら帽子を、濡らさずにイルカが拾ってくれた思い出。

 今でもうれしくて、そして今は胸がちくりと痛むその話を。

「だから猫だけでなく、イルカも好きです。グッズもたくさんあるんですよ」

「ここだと寒いから水族館の水槽で見るだけだもんな」

「わたしが好きなラッセルさんも、イルカをよく描くんです。元から好きな方でしたけど、それを知ってからもっと好きになりました」

ラッセルって?

海の絵で、青が綺麗な絵を描く奴…有名だろ

新入生かな…

水瀬に匹敵する猫好きって…

あのスケッチブックの絵、メチャクチャうまいんだけど

 後ろの方で、わたしを話題にした会話が聞こえました。

「…やっぱり、わたしが珍しいからでしょうか…」

 後ろを気にする素振りをしながら、続けます。

「珍しいだけじゃ、趣味にまで聞き耳をたてたりしないと思うけどな」

 マンガのように咳ばらいはなかったですけど、椅子を引く音が急に増えました。

「…同席させてやってもいいか? そうしたがってるみたいだし」

「構いませんよ」

 北川さんの一言を合図にしたように、どっと周りの人達が集まってきました。

「趣味が悪いわね、あんた達」

 香里さんが口調は冗談ぽく、指をばらばら振りながら鋭い視線で辺りを見まわしました。

「琴音ちゃん、本当にうらやましいよ」

「あなたと違って、アレルギーのない猫好きだもんね…」

「うん、それもあるけれど。かわいくて、絵の才能もあって、それに超能力までおまけしてもらってさ」

「おまけ…ですか?」

 

 

 

 

 

 

「おい名雪」

 まずい。

 あれほど、超能力の話題は最後にこそっとやれと言ったのに。名雪は人に隠すべき話題かどうかの範疇がわかってない! 

 

 

 

 

 

 

「うん、おまけだよ。神さまが琴音ちゃんにおまけしてくれたんだよ」

「水瀬さん、今超能力って…」

「大騒ぎはしないでよ。TVとか来たら嫌だから」

 ぱちりと、名雪さんが目配せしました。

 ……。

 大丈夫。この人たちとは、もう会わないんだから。

 手もとのコップを、ふわりと浮かせました。

 ちょっとの静けさ。

 そして、

「おぉ、お…」

「え、え?」

「ねえ、ちょっと、私起きてるよね?」

 尊敬の視線でした。

「すごいもの見せてもらっちゃった…」

「おい水瀬、気軽にやらせちゃって大丈夫なのか? 負担とかかかったりしないよな」

「か、科学がこんなに簡単に敗れるなんて…」

「お前ら手を出すな。今日から俺は彼女に仕える騎士だ」

「アホかお前」

「少しは静かにしろお前らっ」 

 わたしよりも年上の人達が、小さい子供のように目を輝かせています。

 でも、その視線が、嫌ではありませんでした。

 嫌なはずの視線。

 自分が特別だと思われていること……。

 みんなは、チカラが収まったとたん、気軽に声を掛けてきた。

 わたしは、きっとチカラがもの珍しいから、それだけでくると思っていた。

 浩之さんのように真面目に見てはくれない、見世物のように見ている、そう思っていた。

 でも、そうじゃなくても、こんなに多くの人が集まってくる。

「誰も怖がらないでしょ。琴音ちゃんが超能力少女なだけだったら、この時点でみんな引いてるはずだよ」

 名雪さん…。

 そうか、相沢さんはこれを教えようとして…!

「…わたし、でもこのチカラで、ずっと一人で…」

「今は大丈夫なんでしょ?」

「はい」

「もったいないよ、もっと生かさなきゃ」

「……目立つのは、あまり好きじゃないんです…」

「ね、琴音ちゃん。例えば香里ってテストで学年一番だよ。でも全然とっつきにくくなんかないでしょ」

「そういうあなただって、陸上部の部長さんでしょ」

「え?」

 そうなんですか?

 わたしの学校の学年一位は、みんな近寄りがたい雰囲気を持つ人ばかりでした。

「本人しだいなんじゃないかな? 超能力なんかなくても、みんな、琴音ちゃんと友達になりたがってたと思うけどな、ね、北川君」 

「そうそ。せっかくかわいく生まれたんだから、利用しなきゃ損よ。こういう連中手玉に取れるのに。ねぇ北川君」

「普通の奴より、特別なほうがずっといいと思うけどな俺も。な、北川」

「お前ら初めから俺に視線を向けつつ語るなっ」

 もしかしたら、わたしは、みんなの心を疑っていただけなのかもしれない……。

「なんか深刻な顔しちゃったぞ…」

「ほらほら、美人が台無しだよ。(失敗したと思ったら、これからやればいいんだから、ね)」

 名雪さん…。

「ふぁいとっ、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、名雪を過小評価していたようだった。

 そう、下級生と上級生を結びつけたり、励まして士気をあげたりできない人間が、運動部の部長になんて選ばるわけがない。

 名雪には初めから計算があったんだ。

 俺よりもうまく、琴音に自信をつけさせる計算が。

 他人と違っても、気にしないでいればいいと言ってやれる自信が。

「ねえねえ、さっきのスケッチブック、見せてくれない? 私も絵が大好きなんだ」

「どんな猫飼ってるの? やっぱりアメリカンショートヘヤーだよね」

「なぁ、ウチの学校に転校する予定とかない?」

「その節は僕が手取り足取り…」

「はいはい、下心丸出しの連中は下がってね、怖いから」

 ……ありがとうな、名雪。

 

 

§






「おなかいっぱい…」

「今度からAランチ頼んだ回数数えてあげようか」

「香里、もしかしてひどいこと言ってる?」

 琴音を先頭に、香里と名雪、俺と北川の順で俺達は学食から戻りつつあった。

 あとは無事に学校から送り出せば、俺の任務は完了だ。

「おい、あの子、なかなかいい線いってるよな」

 企みが思った以上にうまくいって上機嫌の俺に、北川が話しかけてきた。

「一つ屋根の下に二人も年頃の…、俺、お前の良心を信じていいか?」

「少し頭を冷やせ」

「でも、惜しいよな。ほんとのウチの1年だったら俺が…、…でも、できれば、もう少しな、こう発育してれば…

 会話が小声の独演に変わった矢先、

 ガコンッ!

「ぎゃはぁっ!」

 後頭部を押さえ、北川がうずくまる。

 直後、ガラガラと音を立て、足元に凹んだバケツが転がってきた。

「用具箱から落ちたんだね」

 名雪が振りかえった先に、俺も視線を移す。

 廊下に添え付けの掃除用具箱が、かすかに揺れていた。だがあの位置からの自由落下では、到底北川の頭には当たらない。

 (…まさか、な)

「きっと天罰だよ…」

「自業自得ね…」

 名雪と香里が、冷え切った視線と言葉を投げかけた。

「待てっ。俺が何をした?」

 (…いや、きっと。間違いなく)

「俺はただ自分の願望を…」

 察した俺は何も応えず、素早く北川と距離をとり、背を向ける。

 刹那。

 掃除用具箱が勢いよく倒れる音と、北川の断末魔が聞こえたような、気がした。

「こと…」

滅殺、です…

「!!」

「あ、相沢さん、何でしょうか…」

「い、いや、最後まで気が抜けないなと思っただけだ」

「そうですね。あ、また緊張してきました…」

 背後の残骸に一瞥を加え、歩き出した琴音の背中に、目の錯覚かの一字が見えた気がした…。

 

 

§






――あ…あの、名雪さん、わたしいつもあまり食べませんから、イチゴムースどうぞ

 

――わ、ありがとう~~~

 

――……屈したか

 

――5分前からずっとそれだけ見つめてたもんね…

 

――しあわせだよ~

 

――ふふ、名雪さんは本当にイチゴが好きなんですね

 

 

 

 



 ……。

 さっきまでの学食でのやりとりが、何気なく思い出される。

 呆れたような、けれどそれを面白がっているような、いい笑顔だった。

 琴音が笑顔を見せてくれて本当によかった。

 栞。お前が言ったとおり、思い出に時間は関係ない。

 自分の心が舞いあがってるのに気付き、ふと思う。どうして俺は、こんなに琴音を気にかけるのだろうかと。

 奇妙な夢の主人公。それで気にかけているのは事実だ。

『今までの人生』が辛すぎた、という同情も理由の一つかも知れない。

 だが栞にも、最初はこんなに積極的にしなかったはずだ。そして関係が深まった今、栞にはもっとからかうような態度をとっている。

 どうして俺は、こんなにも優しく……

「…祐一、香里知らない?」

 物思いにふける俺の元へ、珍しく困った顔で、名雪が寄ってきた。

「戻ってないのか?」

「うん…ちょっと部室に寄ってから戻るって言ったんだけど…」

 その言葉通り、主のいない後方の机と椅子は、ぴったりとくっついていた。

「ちょっとトイレに行ってくる」

 くぐったドアをまた通りぬけ、来た道を戻る。

 探す気はなかった。だがそれは、ある種の予感のようなものだったのかもしれない。

 1階廊下。 

 その突き当たりの鉄の扉を押し、誰もいないはずの中庭へと足を進めた。











 画用紙を広げたような雪。

 その上に寒さに固まった木々が置かれた風景にぽつんと、美坂香里が立っていた。

「何やってんだ、こんなところで」

「…寒いわね、ここ」

 俺の問いかけに、質問を無視して答える。

 短い言葉が、即座に真っ白な息に変わっていた。

「食後にこんな場所にいると、胃に悪いぞ」

「ほんと、そうよね…」

 俺の背後には重い鉄扉。一面の雪が、昼の高く登った太陽の光を乱反射していた。

「琴音を見て、栞のことでも思いだしたのか? いくら待っても、今日は来ないぞ」

「……」

「そんな訳ないか。家で毎日顔を合わせているもんな」

「…栞って誰……」

 静けさにさえかき消されそうな声が、香里から漏れる。

「あたしに妹なんていないわ」

「一言も妹だなんて言ってないけどな」

 俺の言葉がこの場になかったように、香里に変化は、なかった。

「……相沢君…」

「……」 

「…相沢君は知らないと思うけど…」

「……」

「…この場所って、今はこんなに寂れてるけど…雪が溶けて、そして暖かくなったら…もっと多くの生徒で賑わうのよ」

 瞼の向こうになら春が見えるのだろうか、目を伏せて呟く。

「休み時間にお弁当を広げるには最高の場所…」

 俺の目を見ないようにして、呟く。

「今そんなこと言っても、まったく説得力ないけどね」

 疲れきった笑顔を見せるため、ようやく香里は顔を上げた。

「…それは、暖かくなるのが楽しみだな」

「その頃、あたしたち3年生ね」

「もう1回2年生って可能性もあるけどな」

「あたしはないわよ。こう見えても品行方正で通ってるから」

「だったら揃って3年だな」

「あたしがその時この学校に居たら、ね」

「転校でもするのか?」

「…そうね」

 あいまいに頷く。

「この街は、悲しいことが多かったから…」

 俺も、もう敢えて言葉にはしなかった。

 好きなだけ、香里に続けさせる。

「暖かくなったら、この場所で一緒にお弁当を食べるって約束したこと…」

「……」

「そして、そんな些細な約束をあの子が楽しみにしていたこと…」

 白い息を一つ余計に吐き出して、

「全部、悲しい思い出」

 香里は、そう結んだ。

「……何で今日は学食に来たんだ」

 昨日学食に行くのを拒んだはずなのに、今日はどうして。

「なんとなく、よ」

「……」

「少しは気が紛れると思ったから…」

 何の気を紛らわせようとしていたのか。

 隠されてるがために、変に見通せる気がする。

 いつか出会った1年生の言葉が、やけに耳につきはじめた。

「名雪が……私を心配して気を使ってるの分かるから、付き合いで、ね」

 その言葉で、はたと気付く。

 名雪が琴音のことを漏らしたのは、香里のためもあったのかと。

「あたし、そろそろ教室へ戻るわ…」

 それ以上の会話を拒むように、香里が腰をあげ、新たに雪に跡を付け帰る。

「ここは、寒いから…」

「……寒いんだったら、来るな」

 同時に、寂れた中庭に5時間目の予鈴が鳴り響いた。





 いろいろ考える事はあるような気がした…。

 だが俺は思考を中断して、午後の退屈な授業に参加する事にした。

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Schnee Traum ~幕間弐~ 1月21日(木曜日)




幕間・弐





 とあるホテルの一室。

 一目見れば誰もがこの施設で最も高級な部屋だと理解できる部屋である。

 正確を期すために付け加えれば、この近郊で、最も上等で且つ高価な部屋である。

 そこに、一人の女性が座っていた。

 添え付けの机で、年代物のタロットを淀みない手付きで操っている。

 この場に赤々と燃え盛る暖炉が在れば、中世にいるような錯覚を引き起こしそうな程、その姿は調和していた。

 やがて、診断が出た。

 『塔』と逆位の『運命の輪』。

 『塔』は突然の不幸の暗示。『運命の輪』も同義。

 明快な凶兆である。

 女性は、めったにつかないため息をついた。

「芹香お嬢様」

 その時部屋の扉を開け、白髪の老紳士が入ってきた。

 その手には、この部屋に釣り合わないコピー紙の束がある。

「やはり、芹香お嬢様のおっしゃった通りでございました」

「……」

 ありがとうございました、とだけ言って、芹香は再びカードに目を落とした。

「……動きはないようですな」

 しばらく立ち尽くした老紳士は、部屋の片隅に置かれた物に目をやったあと、踵を返して部屋を出た。

 それを見送ると芹香は立ちあがり、部屋の電灯を消した。

 同時に、持っていた奇妙な色彩の蝋燭(ろうそく)を燭台に置き、灯す。

 途端に、窓枠の外で、二つの獣の目が浮かび上がった。

 芹香が気配を察し、立ち上がる。

 それを見止めると、金色の冬毛を残し、獣は雪降る闇へと溶けていった。 

「……」

 獣の逃げ去った向こうの雪を、しばらく芹香は眺めていたが、場を整え、再び占いに没頭しはじめた。

 手持ちの22枚に、脇に除けておいた56枚の小アルカナを加える。

 部屋の装飾を照らすのは蝋燭の灯火と、

 明滅を繰り返す点を映す、無言のラップトップパソコンが放つ光だけであった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まいったなぁ」

「……藤田さん、こんにちは。誰かを…お待ちなんですか?」

「いやそうじゃなくて、雨、早く止まね―かなって思って」

「…傘、お持ちじゃないんですか?」

「いきなりだったからな」

「…あの、わたし傘持ってますから、よかったらお家までお送りしましょうか?」

「まあ、歩いて通える距離だし近いっていや近いけど…それでも、片道15分くらいあるぜ」

「それぐらいでしたら」

 

 

 ワンワン!

「あっ、可愛い…いらっしゃい」

 

 

「………っ」

「琴音ちゃん!」

「ダメっ、来ないでっ!」

「早くッ!」

「くそっ」

 ワンワン!

「!?」

「ダメっ、離れてぇっ!」

「バカやろうっ」

 

 

 パア~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンッ

 キャイィィィン!

 

 

「ワンちゃん!」

 

 

「ごめんなさいっ!ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」

「琴音ちゃん…」

「せっかく練習したのに、うまく行ってると思ったのに…。やっと、みんなと同じになれると思ってたのに…」

「はじめから…無理だったんですよ、わたしはこうやって周りの人みんなを傷つけて、嫌われて、…やっぱりひとりぼっちなんです」

「…どうしてなんですか? わたしだけがこんなチカラを持って。わたしがいけないことしたんですか?」

 

 

「きっと、もう…手遅れなんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 雨の日の、夢だった。

 あれだけの練習にもかかわらず、チカラが、暴走した。

 動物好きの琴音に対し、罪のない子犬を巻きこんで。

 もしこの世に神がいるのだとしたら、その神はなんと残酷な事を行うのだろう。

 この事件のせいで、この傷を背負って、琴音がこの街に来ていたとしたら、オレの提案は、軽率としか言いようが無い。

 俺は、手の平でその色が判るほど、青くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だったら…」

「ボクの…お願いは…」

「今日だけ、一緒の学校に通いたい…」

「この場所を、ふたりだけの学校にして…」

「祐一君と一緒に学校に行って………一緒にお勉強して………給食を食べて………掃除をして…」

「そして、祐一君と一緒に帰りたい…」

「こんなお願い…ダメ…かな…?」

「…約束しただろ…俺にできることだったら何でも叶えるって」

 

 

「俺達の、学校だからな…」

 

 

「また、この学校で会おうな」

「ここで…?」

 

 

「だから、今度俺がこの街に来た時は…」

「待ち合わせ場所は、学校」

 

 

「うんっ…約束、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレは目を覚ました。

「午前3時…」

 ……。

 からだが妙に興奮している。鼓動が聞こえるほど強く、そして、早い。

 今見ていた夢のせいかもしれない…

 オレが見ていたのは、このところ立て続けの、二人の夢だった。

 

 

 

 夢の世界で『祐一』は、明日帰ってしまう。

 夜のとばりが降りた中、ふたりは指切りをして、明日も会う約束をしていた。

 『祐一』は、最後に、買ったカチューシャをプレゼントしようとしている。

 明日の午前中、『祐一』は『学校』へ行くだろう。

 物語は、『明日』最終話になるはずだ。

 でも。

 鼓動が、収まらない。

 そう、予感…。

 怪談話で、どんでん返しで驚かせる前のような…。

 ホラー映画で、哀れな被害者が襲われる一瞬前のような…。

 

 

 ドラマで、最終回間際、主人公やヒロインに不幸が起こる前のような…。

 

 

 そんなときに似ていた。

 オレは布団をかぶりなおした。

 寝たくはなかった。

 しかし、身体はそうすると逆に落ち着きを取り戻し、夢の世界へとオレを引きずっていった。

 

 

 

 

 

 あの話の結末……。

 ……見たくない。






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Schnee Traum ~第6話~ 1月21日(木曜日)




 いつものように、道にいた男の子に頭を下げる。

 嬉しそうなその子の顔を、降りかえることもない。

 おばあさんにも、道行くおじさんにも頭を下げる。

 大騒ぎしたり、外で走り回ったりなんかしない。

 それで大人はみんなにこにこしてくれる。

 出来た子だ、って。

 わたしは『いいこ』でした…。






















 今日のは、嫌な夢でした。

 でも紛れもなく、自分でした。この夢は何度も見てますし、小学校のときはわたし、そんな子でしたから。

 どうして、小さい頃からそんな可愛げのない子だったんでしょうか。

『お母さんに心配をかけたくないから。悲しい顔を見たくないから』

 即座に返ってくる理由。さっきも言いましたが、今日がはじめてじゃありません。理由だって、知ってます。

 そう、それはわかってる。

 でも、なぜそんな気遣いをしていたのか、誰も教えてはくれませんでした…。



























「藤田さん、こっちです」

「うん」

「ここで、やってみます」



「今のが超能力?」

「風か何かのせいだと思いますか?」



「琴音ちゃん!」

「…すみません、少し、頑張り過ぎました…」






















『朝~、朝だよ~ 朝ご飯食べて学校行くよ~』

「……」

 カーテンの端から漏れる日光に目を細める。

 街が雪とあいまって、白く浮かび上がっていた。

 今日の目覚めも、夢だった。

 昨日の続き。

 ……超能力の練習風景だった、と思う。

 ピンポン玉を、膝に乗せたスケッチブックの上でくるくると回すこと。

 たったそれだけのことで、琴音は額に汗をにじませ顔を真っ赤にし、めまいまで起こして倒れてしまったのだ。

 家に来たときに見せた段階まで扱うのに、最初はこんな苦労をしていたのか。

 あの恐るべき破壊力を留めるために、必死だったんだな…。

 胸を詰まらせるものに身体が囚われ、しばしベットの上で、動けずにいた。



























「…三日目」

 今日もまた例の夢を見た。ここまで来ると先輩に夢診断を仰ぎたくなるぜ。

 まず、ちょっと夢を整理してみよう。





 登場人物は基本的に二人。景色を見ている『オレ』。どうやら男の子。

 もう一人は、白いリボンをした女の子。

 おとといの夢の出会いが発端だろう。そこから仲良くなったようで、一緒に遊んでいるようだ。

 真新しい駅ビルの前で、女の子がベンチに座って待ち合わせ、どこかに遊びに行くというパターン。

 ある時は森の一角。

 まわりを草むらと溶けない雪に囲まれたその場所は、赤い光を浴びて、神秘的な佇まいを見せていた。

 女の子は子供目にすごく高い(ガキの頃のオレでもためらうような)木に登る。

 ある時は夕焼けの商店街。

 『オレ』はクレーンゲームで人形を取ってやるとカッコつけて金を使い果たす。

 散々失敗したあげく、借金してようやく天使の人形を取って、プレゼントする。

 そして今日の夢。

 どうやら『オレ』はこの街の人間じゃなくて、外部から遊びに来ているようなのだ。

 クレーンゲームで取った天使の人形に誓って、また来年も遊びにくると約束する。

 もう一度あの樹の場所へ行き、絶対に来年もくると約束する。





「…う~む」

 なんか想い出のアルバムを見せられている気分だ。『わたしの初恋』ってサブタイトルでも付いてそうな。

 でもそうすると、月曜に見た夢だけ浮くんだよな。一つだけすげー視線も低かったし、琴音ちゃんの名前も出てるし。 

 もう少し詳しいと見てる方も分かりやすいんだが……ってオレは志保かよ。

 にしても、なんで立て続けにこんな夢を見るんだろうな。

 こんなに琴音ちゃんが心配なのに、琴音ちゃんが出てくる夢は全然見ないなんて…。

 いろんな想い出があったはずなのに…。











§












 わたしは、今日も外でスケッチブックに向かいます。

 一段低くなった中央に噴水が設置された、劇場を思わせるような公園。

 ベンチに座って、コンテ代わりの、鉛筆を走らせます。

 紙の擦れる音が響いてしまいそうなくらい、静かな公園。あの時と同じように、わたしは公園にたった一人。でも、全然嫌じゃありません。

 見上げると、空色の由来を思わせるような、綺麗な青。いい天気です。

 でもおかげでキャンバスに日が当たり、描きづらくなって来ました。雪の反射も手伝って、雪やけしてしまいそうです。


 太陽さん、少し雲に隠れてくれないでしょうか。


 すると望んだとおり、急に画面がかげって描き易くなりました。


 え!?

 よく見ると、影は画面全体にかかってるのではなく、人の形をしていました。








「すごいです…」

 背後の人影から、声がしました。

 振りかえると、

「綺麗、です…」

 そこには短いストールを寒そうに巻いた、女の子がいました。

 彼女が日除けになっていたみたいです。

「あ、気にせず続けてください」

 彼女を見詰めたまま固まってしまったせいで、半分お約束な台詞を言われてしまいました。


「いいえ、ちょうど休憩しようと思ってたところですから」


 じっと見つめられながら描き続けられるほどの度胸はありません。わたしもお決まりな台詞を言って、手を止めました。







「すごいです、こんなにうまい絵、私はじめて見ました」


 隣に座った彼女は、スケッチブックを見せてくれと頼んできました。ページをめくるたび、描いた絵を誉めてくれます。


 見た所、わたしと同い年くらいでしょうか…。


「あの…失礼ですけど、たぶん学生さんですよね、学校はいいんですか?」


「あ、私病気でお休みしてるんです。でも、お昼は外に出て、太陽に当たる事にしてるんです」


「病気なのに、出歩いてもいいんですか?」

「ちょっとくらいならお医者さんも怒りませんよ」

 そういう問題じゃないと思いますが…。

 やや、言葉が途切れました。

 そして、

「あなたしかいません、私に、絵を教えてください!」


「えっ!?」

 あまりの唐突なお願いに、わたしはベンチから転げ落ちそうになりました。


「お願いです」

 両手を付かれて、わたしはお願いされています。


「あ、あの、絵っていうのは人が教えられるものじゃないし、それに、わたし、教えられるほどうまくありませんから…」


「本当に基本だけでいいんです」

「でも…」

「…私、好きな人がいるんです。でも昨日似顔絵を描いたら『向いてない』って言われて…悔しいんです、どうしてもうまくなって、祐一さんをあっと言わせたいんです」


「祐一さん…相沢祐一さんですか?」

「知って、るんですか…?」

 口から出てからしまったと思いました。女の子の顔が、さっと曇りました。

「べ、別にわたしはなんの関係もないんです」

 わたしは弁解をはじめました。何をやってるんでしょう。

「家出少女なんです、わたし。この街の商店街で倒れてしまって、それから家においてもらってるんですけど」

「そうなんですか。家の方、心配してますよ?」

「病気なのにベッドを抜け出してる女の子だって、家の方は心配してますよ?」

「……」

「……」

 顔を見合わせて、わたしたちはくすくすと、そして声を上げて笑い合いました。お互い、悪い子です。

「いいですよ。風景の方が得意なんですけど、出来る範囲なら…」


「ありがとうございます」

 彼女の大きな目が、本当にぱっと輝きました。


「では先生、お名前、教えていただけますか」


「姫川、琴音です、あ、そんなに仰々しくしないで下さい」


「わたしは美坂栞です。先生、よろしくお願いします」


 ちょうどその時、遠くで学校のチャイムが鳴りました。

「あ……、昼休みです」

「何かあるんですか?」

「祐一さんと会う約束をしてるんです。でも、今日はいいです。お願いします」

「いいんですか? …怒られたり、しませんか?」

「一日くらいならだいじょうぶですよ」

 この根拠のない自信はどこからくるのでしょうか。

 ほんとに病気ならば家に戻るよう勧めた方がいいんでしょうけど、わたしも強くは言えません。お付き合いしましょう。

 でも、頼られるのって……何かわくわくします。

 話をしている間に、本当に空も曇って、描きやすくなっていました。











§












 見た夢の量が多かったせいか、かなり寝過ごしちまった。そのせいで、今日はあゆにも会わなかった。

 街中を調べても無駄そうなので、とにかく行っていない場所をしらみつぶしに探す作戦を取ることにした。

 そんなオレの行く手に、

「……なっ、なんだぁありゃ?」

 メチャクチャ巨大な、謎の施設が姿を現した。

 琴音ちゃんはホテルにはいない。すると、まともな手段で寝泊りしてるわけじゃない。

「……」

 ドーム状の建造物も見える。

 体育館? にしては、付属設備がでかすぎる。

 ……。

 …例えばだ、例えばだぞ、もしこれが、なんかの宗教施設、あるいは実験施設だったら……

 

 

 

 

 

 何するんですか、や、やめてくださいっ

 心配しなくても、危害を加えたりはしないよ、ゲヘヘ…

 は、はなれてくださいっ、…えいっ!

 ぐはっ!

 ほ、ほぉ…こりゃ驚きだ、超能力が使えるのか。珍しい。よし、すぐに実験室へまわせっ!

 い、い、いやあぁぁぁっ! 藤田さんっ助けてっ、助けてくださいっ!!


 

 

 

 

「………!」

 どうする、どうする藤田浩之!

「行くか…」

 なんの考えもなしに中に入ったら、生命の危険があるかもしねーよな。

「アホらし…」

 だがもし琴音ちゃんがいたら、見捨てる事になるじゃねーか! 男として、人間として、んなこと許されると思うのか?

「……ぅう……えぇい、ままよ!!」

 こういうときは直感で行動したほうがいい。オレは塀を乗り越えると、謎の巨大施設への潜入を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっそく見せてくれよ」

「はいっ、あの…今動かしますから、見てください」

「こないだみたく無理すんなよ」

 

「やっぱしんどいのか?」

「はい…でも昨日よりはずっとチカラが強くなってます」



「進みぐあいはどーだ?」

「あっ、はい、いいと思いますよ。前に藤田さんに見てもらったときから、ふたつも増えたんです」

「すっげー進歩じゃんか」

「はいっ、あんなに嫌いだったチカラだったのに、今ではうまくなるとすごく嬉しいんです」

「ははっ、おーけーおーけー、いつでも見てやるよ。じゃ、さっそく成果を見せてもらおうか」

「あっ、はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「祐一、昼休みだよ~」

「…は?」

「昼休み」

「いつの間に…」

 名雪の時報に起こされた。

「祐一、4時間目ずっと寝てたんだよ」

 黒板を白く染めるかのような世界史の授業で寝てしまうとは…。

「名雪、あとでノートコピーな」

「わ、ずるいよ。……イチゴサンデー1杯でなら手を打つけど」

「く…」

 不覚だ。

 自分の不注意を死ぬほど呪って、俺は首を縦に振るしかなかった。

「だめだよ授業中寝たら。夜ちゃんと寝ないからだよ」

「あなたが言える台詞じゃないと思うけどね…」

「うー」

 香里の強ツッコミが入り、名雪はうなり声を上げて沈黙した。

「……」

 かなり深い眠りに落ちてしまっていたらしい。

 しかも朝の夢の続きと言うおまけ付きで。

 琴音の超能力の練習風景。時期は、去年の春だろうか?

 特訓の成果で、日に日に宙に浮かぶボールは増え、5つになった。そして、琴音の笑顔の数もつられるように増えていった。

 気になるのはそれに付き合う男、藤田だ。

 夢の視点は藤田だから、その顔を知る事はできない。だが、琴音の家出に間して、もしかしたら手がかりになるかもしれない。

 もっと、知りたい。

 

 

 ――今ではうまくなるとすごく嬉しいんです

 

 

 ……。

 夢の琴音の笑顔に、隠している秘密を覗こうとする自分の姿が、醜く感じられた。

「で、今日は昼どうするの?」

 名雪が言った通り、教室の空気も昼休みのに変わっていて、他愛もない話題についての声で溢れている。

 宿題の話、昨日のTV番組の話、

「おい、なんか学校に侵入して来た奴がいるらしいぞ」


 侵入者の情報…って、おい?

 耳珍しい情報に、クラスがにわかに色めきだつ。


「今外で生徒指導が尋問してるぜ」

 まさか、栞が見つかって侵入者と勘違いされたのか?


 制服登校のこの学校で、私服姿の栞は侵入者と見られても何ら不思議はない。


 一応ここの生徒だから警察沙汰にはならないだろうが、病欠してるのに外をうろついてることについては、こってりと油を絞られるに違いない。


「ちょっとそれ見てくる」

「あ、待って祐一」

 付いてこようとする名雪を待たず、俺は昇降口まで駆け出した。

 

 

§






「一体どこの学校だお前」

「……」

 予想に反して、生徒指導の教師に捕まっていたのは男だった。

 見た感じ俺達と同年代。人畜無害そうな奴だった。


「名前は」

「……矢島」

 校舎までの道程に敷かれたタイルに座らされたまま、そいつは答えた。


「矢島、一体何の目的でこの学校に侵入……」


 竹刀を持ったまま、生徒指導の体育教師が腕組みをする。

 その瞬間、

 だっ!!

 侵入者は、一瞬の隙を突いて走り出していた。


「な…こらっ、待て、待たんか!」

 だが侵入者は脱兎の勢いで駆けていき、

 ざっ。

 と踏み切ると校舎の壁を軽々飛び越え、向こう側に消えた。


「いっちゃった…」

「名雪、惜しかったな」

「え?」

「陸上部部長として、高跳び選手の逸材を逃がしたな」


「……」

「あきれた奴ね」

 香里がそう感想を述べた。

「にしても名雪、なんで昼寝の時間を犠牲にしてまで出てきてるんだ?」


「わたしがいつも寝てばっかりいるように誤解されるよ…」


 ちなみに、名雪の学校生活の半分は睡眠だ。

「私はね、琴音ちゃんが来たのかと思ったんだよ」


(……確かに、考えられない話じゃないな)


 もしこの街の思い出が、ここにあるのだとしたら。

「なぁ、その琴音ちゃんてのは誰だ」

 突然北川が俺達の会話に割り込んできた

「北川、なんでお前がいるんだ」

「こんな見せ物めったにないからな、当たり前だろ?」


「名雪、その子って、もしかしてこの前一緒にいた紫髪の女の子?」


「そうだよ」

「馬鹿がっ」

 名雪に秘密を守らせるのは、チンパンジーにジャズダンスを教えるより難しいと悟った。


「さ、教室に戻りましょうか、残りの昼休み、いい話題が出来たわ」


 香里の笑みに暗澹たる気持ちにされて、俺は教室へと歩き出した。


「名雪、お前…」

「そう言えば祐一、今日は中庭でお昼食べないの?」

 文句を言い掛けたところで、逆に突っ込みが返ってきた。

 そうだ、すっかり忘れてた。

 名雪への説教を止め、俺は中庭へ駆けて行った。

 

 

§






 だが、栞はいなかった。

 足跡のない中庭。

 いるべきストールを羽織った病気の少女の、いない場所。

 そこは、寂れた、凍土荒原だった。

「……」

 手に持ったアイスを、仕方なく自分で処分した。

 口に運ぶたび胃が痛くなり、口から冷気が立ち昇る。冷泉に入ってすぐのように、内臓が凍てついてきた。

 だが、アイスは二人分ある。

 俺が食べなければ、減ることはない。

 ――栞が、来なければ。

「栞、なんでお前は、こんなマネが出来るんだ?」

 俺にはその心理を一厘も理解できなかった。

 

 

 その後も中庭で待ったが、この昼休み、栞が姿を現すことはなかった。























 このスピードでジャンプしたら世界が狙えるんじゃねーか?

 という勢いで、オレは学校が見えなくなるまで走った。


「はぁっ……はっ……」

 朝、学校への遅刻ダッシュで鍛えた肺も、この冬の街ではオーバーワークだぜ。凍てつく大気が、肺を芯から冷やす。


「こ、ここまでくりゃだいじょーぶだろ」

 切りのいいところで足をとめ、近くの街路樹にもたれかかる。

 目がちかちかする。つ、疲れたぁ~。

「ヒロくんっ」

 そうして息を整えていると、声がした。

「今日ははかどってる?」

 見上げれば羽付きのダッフルコート。あゆだ。


「……最悪だ…」

「どうしたの?」

「学校に忍び込んで生徒指導に捕まった…」


「何でそんなことしたの?」

 『不思議だよ』を顔いっぱいに現わしてあゆが言う。


「オレだってしたくてしたんじゃねーぞ」

 あんなバカでかい施設、誰が学校だなんて思うんだよ。


 とっさに偽名を名乗ったのは正しい判断だった。すまん矢島、お前はもうここには来れない。


「そーいえばあゆ、お前の学校ってどこだ?」

「え?」

 ふと思いついたことを、オレは口にした。

「学校だよ学校。今日はそっちに行こうぜ。お互いの探し物のために」

「…ダ、ダメだよ。すっごく遠いんだよ」

「わけない、いい運動だ」

「それに…」

「なんだよ……あ、そーいや私立って言ってたな、全寮制か何かなのか?」

「あ、そうっ、そうなんだよ」

「じゃ学校名だけでも」

「うん、えっとね、……………あ、あれ? やだなぁ、ずっと行ってないから、名前、忘れちゃったよ」

 忘れた?

「ねぇ、それよりたいやき食べたくない?」

「またおごらせる気かよ?」

「いや、ただボクは食べたいかなって聞いただけで、それならまたたい焼き屋さん教えようかなって…」

 ゴマかすような作り笑いが、はっきり見て取れた。

 おかしい。

 どんなバカな奴だって、自分の通ってる高校名は忘れたりしないもんだ。あゆには、それが可能だってのか?

 …違う。何か、隠してる。

「ま、いーけどな。せっかくだ、今日も探しものに付き合ってやるぞ。行こうぜ」

「うんっ」

 中浪してるとか。意表をついて、実は停学の身の上とかな。











§












「なぁ、あゆ」 

「なぁに?」

「さっきから、みょーなのに付けられてないか?」

 午後の捜索を始めて商店街を歩き、早や2時間ほど。

 どうしても我慢できずに、オレは話題をあゆに振った。

「みょーなの?」

 オレは堂々と振りかえって、指をさして教える。

 キツネ。

 一匹のキツネがオレらの後を付かず離れずで、ついてきてるのだ。

 商店街を歩くほかの人間にも変に見えているようで、時々視線を浴びる。

「来栖川先輩の使い魔じゃねーよな…」 

 黒猫だよな、確か。

「うぐぅ、ボクあの時悪気があったんじゃないもん」

「大丈夫、違うってば」

 にしても、なんだろーな。

 キツネといえば、昨日丘であったっけな。謎の女の子と一緒に。

 でもあの時オレは好かれるような事も嫌われるようなこともしてない。

「なああゆ、あそこにいるの、間違いなく野生のキツネだよな」 

「うん」

 童話でもなければ、まずキツネを飼う人間なんかいない。

 ここまで人に物怖じしないのとなると、全国単位で数えたほうがいいような気がしてくる。

 そんなのが何故ついて来るんだか。う~ん、どうも引っかかるな。

 ……案外、あの無表情な女の子の正体だったりして。

 とその時、

「危ねぇ!」 

 前方不注意なチャリが、オレたちに向かって全速力で突っ込んでくる!

「ま、マジか!」

 避けるも避けないも、あゆを構ってる暇もない、ぶつかる!

 ところが、



 ズダンッ!



 途端にチャリは転倒し、なぜか通りを横滑りしてゆく。

 一方背後のキツネは、それを分かっていたかのように、身じろぎ一つしなかった。

「あゆ、だいじょうぶか」

「うぐぅ。こわかったけど、無事?」

「ああ、直前で向こうがコケてくれたらしい」

 …コケる?

 自分で言った言葉に違和感を感じて、俺はスっ転んだチャリを見た。

 アレだけ勢いつけておいて、どうしてあのチャリは、真横に滑っていったんだ? 普通は慣性でチャリそのものがオレたちに飛んできておかしくないのに。

 不審な動き……。

 ……まさか、『チカラ』か! だとすると、このすぐ近くに琴音ちゃんが!

「あゆ、走るぞっ!」

「え、ええ、あ、待ってよぉ~」

 

 

§






「すっかり暗くなっちまったな…」

 さっきは結局、走ったぶんだけ無駄だった。

 広い商店街を歩き回り続けて、お互い目的を果たせないまま、いつのまにか昨日の時間さえオーバーしてしまっていた。

「うぐぅ、夜だよぅ」

 怯えたように腕にしがみついてるあゆ。

「もしかして、怖いのか?」

「うぐぅ、暗いよぉ」

 図星かよ。

 暗いとはいえまだ時計では早い時間なので、たくさん人が歩いてる。当然、視線も集まる。

 …マジ恥ずかしいぜ。

 万が一琴音ちゃんが見てたら、あらぬ誤解を招きそうだ。

 でも泣きそうな顔をしているあゆを見ていると、引っぺがす気も失せてしまう。とても同じ高2だとは思えない。

 …周りにもそう思われてるよな、うん。カップルじゃなく、歳の離れた妹をあやしてるだけって。

「家までついてってやろうか?」

「いいよ、ひとりで帰れるもんっ」

「別に下心なんてないぞ」

「うぐぅ、そんなこと考えてないもんっ!」

「オレのいう下心の意味分かってんのか」

「ボクそんなに子供じゃないもんっ」

「悪ぃ悪ぃ。いや、ただホントにいっつも付き合わせてばっかりで、少しはなんかしねーと、って思ったから…」

「…じゃ、駅までなら」

 ときおりする物音に「うぐぅ~」と悲鳴が上がったりしたが、特に会話も弾むことなく、駅が近づいた。

「じゃ、ボクこっちだから」

 駅前で、しがみついてた腕がすっとほどける。

「じゃあな」

「うんっ、また明日」

 雑踏、とは呼べないくらい少なくなった人通りの中に消えていくあゆ。

 なぜだろうか。オレは急に切なくなった。











§












「栞…」

 机の前で、頭を抱えてオレはうめいていた。

 原因は、今日の昼休みだ。

 やはり、昨日言い過ぎたのが原因だったのか。

 好きだと意識し始めていた。だから気の緩みがあったのかもしれない。

 いや、栞は病気持ちだった。日中とはいえ外に出すぎて、悪化させたのかもしれない。

 たった一日姿が見えないだけ。なのに、自分を安心させる事は出来そうもなかった。

 栞がいつも来てるから、何も考えなかった。

 急に連絡を絶たれたら、俺には追う手段が何も無いのだ、という現実を。

「相沢さん」

 あの声、もしかしてもう聞けないのか? いや、香里の口を無理やりこじ開ければ…。

「あの…相沢、さん?」

「…ぁ」

 声の主は琴音だった。

 琴音が、俺の部屋を訪ねていたのだった。

「今日ですね、公園で絵を描いていたら、美坂栞さんって女の子に会ったんです」

「なんだってっ」

「お、お知り合い……ですか?」

「あぁ、知りあいだ。かなりのな。どうしたんだ」

「…絵を教えてくださいって、頼まれました」

 絵を? やっぱり、昨日の事を根に持って…。

「2、3日なら祐一さんも怒らないだろうから秘密にして下さいって頼まれたんですけど……昼会う約束をしていたと言っていたので、もしかしたらと思って」

 なんだ、今日はそれで来なかったのか。

「なんか余計な気遣いさせたみたいだな、悪かった」

 栞はとても人騒がせな奴だった。

「明日も、10時に教える約束をしました」

「どうだ、見込みは」

「……先は、長いです」

「そうか。大変だろうが、向こうが満足するまで頼む」

「はい…」

 ぎこちない笑いを浮かべたまま、琴音は部屋を出ていった。

 栞のあの絵が、一流画家の手ほどきを受けてどこまで改善されるか、非常に楽しみだ。

 さっきとは一転、ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて俺は笑いまくった。

 

 

§


 

 

「琴音ちゃん」

 夕食のテーブルで申し訳なさそうに秋子さんが切り出した。


「わたし明日早いから、お弁当作れそうにないの。お金渡すから、お昼はそれでお願いね」


「はい、わかりました」

「なら琴音、俺達の学食に来ないか?」

 すかさず俺は提案した。

 夢の通りなら、琴音は集団からはずっと離れたままだ。休暇でもないのに集団、そして学校から長く離れていては、本当に戻れなくなってしまう。

 今日栞に会ったとはいえ、俺達以外の人間と触れ合う時間も必要なはずだ。

 そして今日『侵入』を見て思いついた。リハビリに、俺達の学校に来てもらおうと。

 琴音なら、カレーライス8杯や、てりやきバーガー(ないけど)20個などという無茶な要求はしないだろう。

 そして、たとえ失敗しても家に帰る気にはなるだろう。一種のショック療法だ。

「昼休みだけ。それなら約束も問題ないだろ」

 さすがに授業にまで参加させられるほどの策も度胸も無いので、昼休み限定だが。

「でも…」

 名雪が俺の顔を窺った。

 言いたいことはわかる。今日無謀にも侵入して来たバカがいるのだ、学校だって私服人間の取り締まりは強化するだろう。


「名雪、代えの制服あるだろ、それを貸せ」


 だが逆に、制服を着てれば問題なしと言うことだ。ただでさえ人数が多いあの学校、教師が生徒一人一人の顔なんか覚えてるわけがない。


「制服は普通一張羅だよ…」

「ぐぁ」

 しかしながら、野望は反論により秒速で潰えた。


「お前が原因の一端なんだぞ。何とかしろ」

 香里の話術もあるが、うっかり喋った名雪も悪い。

 教室に帰ってから、香里は言葉巧みに琴音ちゃんの情報を引き出した。

 意地悪くあの二人は、挙句超能力を見たいから学校に連れてこいと俺達に約束させたのだ。

「そう言えば、名雪が1年のとき着ていたのがありますよ、小さめだけどちょうどいいんじゃないかしら」


 思わぬ助け舟が出た。どうやら、秋子さんも乗り気らしい。


「どうする、ちょっと無謀な計画だけど、やってみないか?」

「はいっ!見つかっても、どうせもう会うことのない人ですし」


 あっという間に賛成してくれた。

 出会ったときとは打って変わった大胆さだ。

 やっぱり、この少女も儚さとは無縁だったんだ。

 夢のラベンダー色の少女と係わり合いがあるのかどうか、そんなのは、俺の中でもうどうでも良くなってしまっていた。

「じゃあ早速、私の部屋で着替えてみようよ」

「はいっ!」

「祐一、覗いちゃ駄目だよ」

「琴音相手なら死ぬほど覗きたいが、我慢するよ」

「……祐一、台詞に裏がみえみえだよ」

「全然そんなことないぞ」

「う~、本当にひどい」





§






「それでも、大きいですね…」

 鏡の前でくるりと一回転する琴音。袖が長くて、手はちょこっと出てるくらいだ。


 ちなみに胸囲も足りないので、必要以上に裾が長く見える。

「うーん、やはり身長と胸とが足りなかったか…」


 俺が雑感を述べた刹那、

 びしっ!

 俺の後方にある机のノートが音を立ててはじけ飛んだ。


「なにか言いました、相沢さん?」

 目の前の琴音は笑顔だ。声も明るい。

 …不自然なくらいに。

「え、えぇ、いや」

 ガランッ!

 今度は棚の目覚し時計が揺らいで、床に落ちた。


「さっきのよく聞こえなかったんで、もう一度お願いします」


 落ちた目覚し時計はふわふわと浮いて、俺の頭の高さでピタリと止まった。

「……すまん、俺が悪かった、勘弁してくれ」


「…女の子の敵」

「全くです。失礼ですよ」

 名雪、加えて秋子さんにまで怒られてしまった。

 土下座して詫びる。次は我が身が消し飛びかねない。


 でも、チカラを嫌悪していた琴音が、冗談でチカラを使える事は、いい傾向だ。

 今までの苦労を『知って』いる分、余計にそう思われた。























「ふぅ…」

 今日で5日を経過した。が、発見の手がかりは一つもない。

 そろそろ残金が心配になってきた。学校だって、1週間も欠席すれば騒ぎ出すだろーしな。

 許された時間は、そう多くない。

 ピリリリリ、ピリリリリ…。

 出し抜けに電話音が鳴りはじめた。部屋に添え付けられた電話のとは音が違う。

「携帯か!」

 さっと取って通話ボタンをぴっ!

『………』

「先輩か。どうしたんだよこんな時間に、えっ、この街を離れてくださいって? なに言ってるんだよ、オレは琴音ちゃんを探しに…」

『……大きな、災いの予感がします』

「なんだって!?」

 これまた不意打ち気味な、先輩の言葉だった。

『……このままだと、浩之さんに、災いが降りかかります』

 いつものような声で、けれどはっきりと先輩は告げた。

 真剣さが聞き取れた。そりゃそーだ、大した不幸じゃなければそもそも電話なんか掛けてこない。

「でも、命に関わる事じゃねえんだろ?」

『………』

「先輩、電話口じゃ首振られてもわかんないって、イエス? ノー? どっち?」

『………イエス、です』

「…そっか。ごめん、せっかく教えてもらって悪いんだけど、琴音ちゃんを見つけるまで、オレ、離れないから」

『………』

 それで電話は切れた。

 最後に先輩は、

『気を、しっかり保っててくださいね』

 と言い残した。

 普通なら『気を付けて下さいね』だろうに。

「すっかり脅されちまったな…」

 オレは布団にもぐり込んだ。

 明日、本当に何もありませんように。



ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 21:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

Schnee Traum ~第5話~ 1月20日(水曜日)<後編>



 覚えの無い記憶。秩序の無い断片的な夢。絶対に、妄想だ。


 なのに。

「なんでこんな山道に入ってるんだオレはよ……」

 さっきからオレは急勾配の獣道をひたすら登っていた。足がとりあえず見晴らしのいいとこを求めていた。


 にしても、わざわざ登山する必要があったのか?

 あの木を探そうなんて思ったから、こうなったんだよな。


 自分のバカさかげんに後悔するが、乗りかかった船だと泣く泣く納得させる。


 ここまで登って、見晴らしが悪かったらグレるぞ。


 そう思った頃、山の中腹ぐらいだろうか、わざわざ作ったんじゃないかと思うような大野原の丘にオレは辿りついた。


 

 

 

「おぉ…」

 天と地の狭間なんて言葉がしっくりきそうだ。春だったらきっと楽園みたいな光景なんだろう。


 ひとつ深呼吸し、今いる白い都市を見下ろす。


 広い。

 改めて見た雪の街は広大で、一人の人間なんか音もなく飲み込んでしまいそうだった。


 徒労感が身体中に行き渡る。 オレはばったりと丘に転がりかけた。


「お…」

 あの丘の向こうにおわすは、キツネじゃねーか。この時期には普通冬眠してるはず、だよな。


「ちょっとツラ貸せ、な~んてな」

 くいくいと右手を動かし、珍しいキツネを手招きする。


「止めてください」

 すると途端に、オレは背後から静止の声を受けた。








 後ろにいたのは、えんじ色の、緑色のリボンを正面にまとめたやや古風な制服を来た女の子。


 高校生…かな?

 近くに学校があるのかもしれない。時間的には昼休みだからな、だとしたら外に出てきたんだろう。


「人が関わると、この子たちにとって不幸な事になります。この子たちは、自分のいるべき場所にいるのが一番いいんです」


「あぁ、ゴメン」

 やたらと野生動物にちょっかいを出して欲しくねーんだろう。エサとかやったりすると野生が鈍るからな。


 それだけ言うと女の子はオレを通りすぎ、丘の端の方まで歩み出した。


 体側(たいそく)が見え、それが後ろ姿に変わっていき、


「ねぇキミ、ちょっといーかな?」

 その後ろ髪を見たとたん、無意識の内にオレは彼女を呼びとめてしまっていた。


「なんでしょうか」

 うっ。

 一瞬引いちまうような無表情アンド声。先輩と違って冷たさがばりばり伝わってくるぜ。

 まぁ見ず知らずの男にいきなり呼びとめられたんだ、当たり前か。


「紫色の髪をした女の子、最近見なかったかな?」


 出会ったついで。

 もしかしたらさらにオレの絶望が深まるかもしれないが、ダメもとでオレは聞いてみた。


「…お探しの方かは分かりませんが、そのような女性を昨日この丘で見ましたよ」


「本当か!」

「はい。小柄で、癖のある長い髪をした方でした」


「本当に、見たんだな?」

「はい」

 彼女はあくまで淡々と言葉を紡ぐ。だが間違いない。

 この街も4日目で、紫色の髪は本当に珍しいのが分かってる。彼女が見たのは琴音ちゃんだ。

 ヒョウタンからコマとはまさにこのことだ。琴音ちゃんは、間違いなくこの街にいる。

「悪いな、いきなり質問浴びせちまって、じゃあ」


 自分の行動が急にこっぱずかしくなったので、オレはそれだけ言って、去ることにした。


「……」

 期待はしなかったけど、やっぱり向こうからは何もリアクションが無かった。

 と思ったら、

「お気を付けて、旅の方」

 オレに向けてるのか空に向けてるのか分からないような話し方で、女の子が呟いた。


「この街は………妖狐たちの街ですから」

 ……そうか、この子も似てるんだ。

 心を氷のように閉ざしていた、初めのころの琴音ちゃんに。


 

 

 

 

 

 

「今日はスケッチブックを持ってきました」


 今日も冷える中庭で昼食を取っていると、栞の口からこんな台詞が出てきた。

 どこからともなく空色のスケッチブックが取り出されている。


「唐突になんだ?」

「昨日祐一さんが頼んだんじゃないですか『だったら、似顔絵を見たい』って」


 ……。

 確かに昨日、そう約束させた覚えがあるような気がする。


「ホントに、あんまり上手くないですけど…」


「そうなのか」

「私、まだ修行中ですから、あ、祐一さんそのまま動かないでくださいっ」


「いきなり止まれって…似顔絵だろ?だったら多少動いたって…」


「ダメですっ」

 いつに無く厳しい声で命令された。よって、しばらく動かないでおく。


 ……。

 ……。

 ………。

 表紙をめくって、栞が真剣な表情でコンテを走らせる。


 休み時間の喧騒も届かない校舎裏に、紙の擦れる音だけが響いている。


 でも、不思議とその時間が退屈ではなかった。


「…もう少しで出来ますよ」

「そういえば、普段は誰を書いてるんだ?」


「そうですね……家族、です…」

 声が少し沈んだ気がしたが、スケッチブックに隠れて表情は分からない。


「でも、私がスケッチブック持っていくと、みんな逃げるんですよ」


「どうして逃げるんだ?」

「モデルになるのが嫌みたいです…」

「確かに、長時間じっとしていないとダメだからなぁ」


 ややあって、

「…出来ました」

 栞はパタンとスケッチブックを『閉じ』た。


「…見ます?」

「もちろん見るぞ」

「…見ても、怒らないでくださいね」

「大丈夫だって」

 ここまでやってくれたんだ、絵の素人の俺よりずっと上手いに違いない。とにかく誉めてやろう。


 俺はスケッチブックを受け取ると、画面に目を落とした。


「……」

「どうですか…?」

 緊張の面もちで、俺の反応をじっと窺う栞。


「…栞」

「はい…」

 俺は迷うことなく言い切った。

「…正直、向いてないと思う」

「…やっぱり、そうなんですか?」

 本人にも自覚くらいはあったらしく、驚いた素振りは見せなかった。


「ほとんど子供の落書きだ」

「…普通、本当にそう思っても、そこまではっきりとは言いませんよ」

 本当に寂しげな目で、自分のつま先を見つめ出されてしまったが。


 中庭に吹く風が、マンガのように『ひゅぉぉぉ…』と効果音を立てる。


 さっきまで綺麗な青空だったのに、太陽までが流されてきた雲に隠れてしまった。

 校舎裏が、ぐんと暗くなる。

「いや、正直に言った方が本人のためかな、と…」


「それでもひどいですー。もう少し言い方があるじゃないですか」


 さすがに今の発言は腹に据えかねたらしく、逆に怒り出してしまった。


「そうだな…だったら、味があるとか」

「…あんまり嬉しくないです」

 俯いた顔が悲しそうだった。

 ……もしかすると、家族がモデルになるのを嫌がった理由って、


「祐一さん、もしかして失礼なこと考えてませんか?」


「い、いや、全然」

 栞はとっても鋭かった。

「でも、折角だからこの似顔絵貰ってもいいか?」


「いいんですか、こんな絵で?」

「栞が俺のために描いてくれたものだからな、どんなのでも嬉しいよ」


「どんなのでも?」

「あ、いや…。そう、それに好きなんだったら、いつか上手くなるって」


「じゃあ祐一さん、毎日モデルになってくれますか?」


「絶対に嫌だ」

 きっぱりと俺は断った。

「ひどいです、練習しないと上手くならないじゃないですか」


 あの絵が、練習したってどこまで上手くなるものか。


「そういえばもぐらたたきも練習してるんだよな。どうなった?」


「もうっ、祐一さん、だいっ嫌いですっ」

 ちょうど鳴り渡った予鈴の音と共に、怒った栞は帰ってしまった。


「……ちょっと言い過ぎたか」

 今度商店街のアイスクリームショップでアイスを買うってことで、許してもらおう。














§














 下山し、コンビニで昼メシを安く上げて、商店街へ。


「あっ、ヒロくんっ」

 顔見知りのいないはずの街通りで、一人の人間がぱっとオレに近づく。

 今日も寒いこの街を、元気よく駆けるあゆだった。


「えへへ、うれしいよぉ」

「いつでも元気だな」

 背中の羽が、子犬の尻尾のように元気よく揺れている。毎日、なんでそんなに楽しーんだか。


「ヒロくんは元気じゃないの?」

「…まぁな」

 実際ここんとこ、琴音ちゃんを探す以外の事はしてないから、気が滅入ってきてんだよな。


「そうだ、あゆも探し物してるんだっけな」


「そうだ…よ」

 とたんに、さっきまでの元気が風船のようにしぼんでしまう。


 昨日先輩に聞いたときもそうだった。落ち込むことを知らなそうな表情が、この話題になると気の毒なくらい曇っちまう。


「んじゃ、今日はそれに付き合うぜ」

 オレは言った。

「えっ?」

「最初に約束したろ、一緒に探してやるからって。迷惑か?」


「ううん、全然っ、うれしいよっ」

 満面の笑顔で首をぶんぶん振る。

「いこっ、ヒロくんっ」

「お、おい、手を引っ張んなよっ」

「気にしたらダメだよっ」

 昼下がりの商店街を、最近知り合ったばかりの女の子に引きずられながら、オレの午後の捜索は始まった。

 

 

§





「クレープ屋にケーキ屋。行くところは甘味処ばっかじゃねーか」

「うぐぅ…」

 もっとも何を落としたのかすら分からないのに、オレ一人が加わったところで見つかるわけがなかった。

 そうやってうろつくオレの視界に、

「おっ」

 ゲーセンのネオンサインが入ってきた。

「ゲームセンターに、行くの?」

「ほんのちょっとだけ、息抜きな」







 中に入り、ざっと人口密度と筐体を確認。

 ……なんかやたら古いゲームしか置いてねーな。どれもこれもやり飽きたもんばっかりだぜ。


 おかげさまで中はほぼ閑古鳥だ。

「あれ? おいあゆ?」

 ふと気付くと、隣にあゆの姿が無い。

 慌ててとってかえすと、クレーンゲームのケースの板にべったりと顔をくっつけているあゆを発見した。


「欲しい人形でもあんのか?」

「ちがうよ」

「言っとくが、オレはそれ苦手だからな」

 ここだけの話、2000円3000円じゃすまねー『買い物』をしたことがある。


 まだくっついてるあゆを放って、オレは再び台の間を回った。


 すこしでもマシなのは…と、

「おっ…懐かしいもんがあるじゃねーか」

 オレらのところではもうとっくに廃盤になった台。中学のころは雅史や志保とこいつで熱く戦ったもんだった。


「久しぶりに100円だけやってみっか」

 Newとかいうシールが気になったが、オレはコインをいれゲームをスタートさせた。


 

 

 

 

 

 

§


 

 

 

 

 

 

 おいしいお弁当を食べて、続きを描きます。


 秋子さんのいった通り、日中は結構あったかいです。


 画面が眩しい… 

 画用紙の白、雪の白で、目がいっぱいに…

 

 

 

 

 

 

  

「祐一君…ひとつだけ、聞いていい…?」

「ひとつと言わず、いくらでも構わないぞ」


「…うん。でも、今日はひとつだけ…」

「…祐一君、お母さんのこと、好き?」

「好きだよ」

「ボクも、好きだよ」

「…それが、どうしたんだ?」

「…それだけ…」

 

 

「…あのね」

「…お母さんが、いなくなっちゃったんだ」


「…」

「…ボクひとり置いて、いなくなっちゃったんだ」


「…」

「…それだけ…」

 

 

 

 

 

 

 かくんっ。

 スケッチブックから腕がずれて、わたしは我に返りました。


 昼の陽気でうとうとしてしまったみたいです。いつもいる街よりもずっと寒いのに。結構のんきなのかもしれません。


「…お母さんのこと、好き?」

 そっと口に出して、自分に聞いてみました。


 …嫌いじゃありません。ママがある日突然いなくなってしまったらわたしは悲しむし、きっと恨むでしょう。


「けど…」

 うん、と強く首を振れるほど、今、わたしはママが好きじゃありません…。


 この雪も、空もきれいなのに、

 どうして心はきれいにならないのでしょう…。

「…!」 

 瞬き一つの間だけ、ママの姿が、公園の雪の上に立ったのが見えました。












§












「あ、あっ、あぁ~っ!」

「だ~~~~~~~~~~~~~~~ぁ、あと、あとすこしでっ!」


 裏面(と言うか2周目)の本当にラストのところで、オレが操るキャラは力尽きてしまった。


 くそ、もう100円…

 取り出そうと財布を捜すため、筐体から目を離してふと気付く。


「!」

「ヒロくん?」

 ばっ!

「うぐぅ、待ってよぉ」

 オレは外に飛び出した。

 

 かぁ~~~、かぁ~~~~~。



「……」

 辺りは街灯が付き、紅色の世界。要するに、もう夕方だった。


 だぁっ、なんてバカなことを。

 情けなすぎて、本気で自分を殴りたくなった。

 この大バカ野郎が、ひとでなしッ、アホッ、なんのためにここまで来て…


「……ねぇ、ヒロくん」

「?」

「ヒロくんは夕焼け、好き?」

 唐突にあゆが聞いてきた。

「…正直、この街に来てから嫌いになった」


「どうして?」

「今日も1日、琴音ちゃんを見つけれなくて無駄にしたって気分になるからな」


「そうだね…」

 夕日が、あゆの横顔を赤く染め抜いていく。


「それに…」

「それに…?」

 あゆに聞き返され、オレは慌てて緩んだ口を閉めなおした。


「なんでもねーよ」

 さっきのセリフは嘘じゃない。だがそれ以上に、あの夕日は人をそう思わせるような姿をしていた。


 赤い、赤い、不気味なくらい赤い色。

 その色がまるで…

「うぐぅ、無視しないで~」

「悪ぃ悪ぃ、小さいから目に入らなかった」


「ひどいよっ、すっごく気にしてるんだよっ」


「あゆは、どうなんだ?」

 返事代わりに、オレはそっくりあゆに返してみた。


「ボクも…あんまり好きじゃないよ」

 オレから眼をそらすように、前方に伸びた影法師を見つめて、続ける。


「夕日を見てるとね、淋しくなるんだ…今日も、終わっちゃうって」


 煌煌とした夕焼けは、オレたちを、らしくない姿に変えて沈んでいった。













§












 帰って、部屋で時間を潰し、いつも通りの時間に夕食を取る。


 そのまま習慣づいたソファへ直行し…

「…何か忘れてる気がする」

 そうだ。

 琴音も今日絵を描くという話だった…。

 本当ならすぐ見せてくれと言い出すところだが、昼に栞の絵を見ているため、怖くて口が開かない。


 幸いにしての誰一人話題にするものはない。このまま何事もなく終わらせて…。


「あ、そうだ琴音ちゃん。絵描いたんでしょ、見せてよ」


 名雪が、あっさりと俺の望みを打ち砕いた。


「あ、はい…いま持ってきます」

 琴音がとことこ2階に上がっていく。

 あの清楚なイメージが破壊される恐怖がじわじわと俺に襲いかかる。


 (なんだって今日はこんなに心臓に悪いことばかりなんだ。)


 ほどなくして、スケッチブックを抱えた琴音が戻って来る。


「あまり、うまくないですよ…」

 何故か差し出されたスケッチブックを、俺は不安一杯に順々に開いていった。


「……」

「あ、あの、あまりじろじろ見ないで下さい…」


「……」

「下手ですよね、やっぱり」

「…上手い」

 素人目にも分かる技法で、しかも上手い。上手いなどというレベルを超えている。


 写真のようでいて、絵にしかない温かみがある。これぞ風景画。


「あら上手………本当に、美しいですね…」


「すごい…………琴音ちゃん、絵の才能あるんだね」


 多少の出来事では反応しないこの二人ですら、息を呑んで驚いている。

 その辺の展覧会に出しても、まず賞を逃すことはないであろう腕前だ。


「どこぞの病弱画家に、爪の垢でも煎じてやりたい」


 確かに努力は大切だし、それで上手くはなると思う。だがここまで圧倒的な差を見せつけられると、能力とか才能の存在を感じずにはいられなかった。


「そんなことありませんよ」

 だがいたって本人は謙虚だった。















 何度も絵を書いてるけれど、パパにもママにもこんなに誉められた事はありません。


 もともと、ひとりぼっちを紛らわすために始めた絵。何度、見てくれたことでしょうか。


 それなのに見ず知らずのわたしの描いた絵を、こんなにも見てくれる。気にかけてくれる。誉めてくれる。


 わたしが絵を書きにいったことを、覚えていてくれていた。


 嬉しい。

 ふんわりと暖かい空気。

 わたしが欲しい空気が、その時はわからなかったけど、それがありました。


 他人のうちのジャム瓶を割り、学校をさぼって絵を描く。


 悪いことをしていたはずの時間は、とても幸せな時間でした…。
ラベル:Schnee Traum
posted by あるごる。 at 22:00| 東京 ☀| Comment(0) | SS | 更新情報をチェックする