ガンガンガンガン!
あまりにも起きないので、部屋に入りベッド自体を叩いて起こしにかかる。
「……うにゅ…」
「睡眠時間二桁でまだ眠いのかお前は…」
冬の終わりが近づき、その2乗に比例して朝の名雪が手強くなって行く。
特に今朝のように温かい日はスリリングだ。
秋子さんは、今までどうやってこの時期の名雪を起こしてたんだろうか…。
「朝起きられるよう、お前も少し旅に出てこい」
「……とんび?…くー」
「だめだこりゃ…」
「それじゃ行って来ます」
「気をつけてくださいね」
秋子さんののんびりとした声に、ついつい安心してしまいそうになるが、すでに全力で走らないとまずい時間帯だ。
このままだと今日も「うぐぅ、遅いよ~」と「祐一さん、大遅刻ですっ」を聞く羽目になるだろう。
「あっ!」
その時、まだリビングにいた名雪から声が上がった。
「祐一、早く来てっ」
忙しい時間だとわかってないのか、すでに靴を履いた俺を呼ぶ。
居間にとって返すと、名雪は緑色の物体を突き出してきた。
「観葉植物がどうかしたのか?」
「違うよ、ここ」
あごでもっと下の部分を指し示しす。
その先にあったもの…。
黒い土から、強い緑色の、雑草とは明らかに違った芽が出ていた。
「私のかちっ、だよ」
琴音が冗談で埋めた種…。
そうか、あれが芽を出したのか。
「イチゴサンデー、さんばいっ!」
俺は顔を近づけて観察した。
左の葉がちょっと大きめな、葉脈もしっかりとした黄緑色の双葉。
「春か…」
琴音が去ってから、もう2ヶ月がたっていた。
「元気でやってるかな」
「やってるよ、きっと」
「……そうだな」
新たな生命の芽吹きの季節。
「わ、祐一、今日は一生懸命走らないと間に合わないよ」
「頼むからもう走らせないでくれ…」
「努力はするよ~」
琴音にも、きっとそれが訪れているはずだ。
緑が萌えはじめた丘に背中をつけ、小柄な一人の少女が、空を見上げていた。
「……」
その幸せそうな顔を、たった今やって来た少女が覗き込む。
「……はわっ」
寝ていた草の緑が移ったような髪の少女は、跳ねおきて頭を下げた。
「あ、あの、た、ただいま休憩中で、あの、その、道に迷ったというわけでは…」
しどろもどろになって答える彼女の姿は、誰しも笑みを浮かべにいられないものだった。
「構わないで下さい」
だがあくまで淡々と、後から来た少女は答えた。
そよ風が、丘をはしゃいで駆けて行った。
この陽気に誘われたのか、二人の来訪に気をよくしたのか、草むらの向こうで、2匹の狐が姿を現した。
「あ、きつねさんです~~~きてくださ~い」
目ざとく見つけ、先にいた少女が呼びかける。
「やめてください」
手を伸ばそうとした少女を、後から来た彼女は言葉で制した。
「どうしてです?」
「人が関わると、この子たちにとって大きな不幸になります」
「そうでしょうか?」
彼女は不思議そうに聞き返した。
「ひとりでいるより、みんなでいたほうが楽しいですよ。悲しいことなんてないじゃないですか」
「彼らは、自らの身に受けるまでその不幸を知らないから、気軽に近づいてくるんです」
「でもきつねさんだって、誰かが嫌な思いをしたらそれを知って、みんなで近づかないようにするんじゃないでしょうか?」
「……」
「きつねさんがわたしを嫌いなら、最初から寄ってこないですよ。わたしもきつねさんが大好きです」
「この子達は、自分のいるべき場所にいるのが一番いいのです。だから、手を伸ばすのはやめてください」
「いるべき場所ってどこですか?」
「それはこの丘の…」
「じゃあ、この丘なら、いっしょにいてもいいんですね」
「……」
「大丈夫です、いじめたりなんかしませんよ。だってやさしくされたらうれしくなって、きっとその人にもやさしくしたくなりますから。そうですよね?」
「……優しくされると、別れるときの痛みは、計り知れないものになるんです」
「……そうなんですか」
「だから、やめてください」
忠告を無視し、少女は近づいた狐を抱き上げる。
「別れるのって、きっと辛いんですよね。わたしはロボットですから、よくは分かりませんけど」
「ロボット…?」
緑髪の少女は、狐の背を撫でながら言葉を続ける。
「でも、別れを恐れていたら、誰とも出会うことは出来ないんじゃないですか」
彼女の行動を止めていた少女は、はっと息を飲んだ。
「あ、なんかお説教くさくなっちゃいましたね、これ、わたしの3代前のお姉さんのデータの受け売りなんですけどね」
そういうと自分を『ロボット』と言った彼女は立ちあがり、ぺこりと一礼した。
「自己紹介が遅れました。このたびこちらの都市で1年間お世話になります、HMX―12型、マルチです、どうぞよろしくお願いしますっ」
「天野、美汐です」
彼女は、少し戸惑いながらも、笑みを見せた。
その笑顔に、安心したようにマルチが切り出す。
「あの、お知り合いになったばかりで大変申し訳ないのですが…」
「何でしょうか?」
「新学期から通う高校への道を忘れてしまって…。すみません、案内してもらえませんかっ」
「ねえ琴音、みんなでカラオケ行かない?」
琴音という響きを聞くと、まだ、あの街のことを思いだします。
あの日の約束。
誓ったあの子指には、ばんそうこうを張り続けています。
「え、今日は俺達のほうに来てくれよ」
約束を守り続けているせい? それともあの時に使いきってしまったから?
どちらかは分かりませんけど、あの日から、わたしの『チカラ』はずっと安定したままです。
「ううん、ごめん、私……」
「あ、そっか。今日もアタックするのね」
「頑張ってね、応援してるから。幼なじみなんかに取らせちゃダメよ」
「うんっ、じゃみんな、休み明けに」
「ふぁ~あ」
オレはひとつ伸びをした。花を運ぶ風の香りが、オレの肺を満たす。
見上げた桜の枝には、膨らんだ蕾が見える。
新学期になれば、いつもの様に満開に咲き乱れ、新入生達を花吹雪で迎えてくれるだろう。
街の風は、もう春の、生まれたての風になっていた。
あの凍てついた北の街にも、この心地よい風が吹き出しただろうか…。
あの日から、琴音ちゃんは変わった。
それは決して劇的なものではなかったけど、他人の瞳を伺うような眼は溶けて流れ去った。
そして学校も、家も、この街も、一連の騒動によって、少しづつ琴音ちゃんが住みやすい場所に変わってきていた。
もちろん、あの一件で琴音ちゃんからさらに引いた人間がいるのは確かだ。超能力に引き続き、失踪事件を起こしたトラブルメイカーだと。
でも、もう暗い顔はない。
それを上回るくらい友達ができたからか。そんなのに負けないくらい、琴音ちゃんが強くなったからか。
「浩之さんっ!一緒に帰りましょうっ」
訂正。
一つだけ劇的に変わったことがある。
オレへのアプローチが超積極的になったことだ。
「明日から春休みですし、どこか遊びにつれてってくださいっ」
無理をしてるんじゃないかと疑いたくなるくらい、積極的になった。
現に今も身体をオレの腕にくっつけてくる。人の目なんか気にしちゃいない。呼び方も(あの犬と交代だけど)名前呼びに格上げだ。
「どこがいい?」
「どこでもいいですよ」
さらに腕を絡めてきた。
うっ、背後から無数の殺意の視線を感じるぜ。
琴音ちゃんは知っているのだろうか…
そんな、一本芯の通った快活な美少女を好きになった奴らが、日夜オレの命を狙ってるってことを。
「やあ浩之!」
「ぐぼっ」
いいボディブロー決めやがって……。
かつては期待のホ―プ、今ではサッカー部のエースの代名詞となった、雅史もその一人だ。
「捜したよ。志保が、いつものように遊びに行こうって」
「浩之さん、佐藤さん、わたしも加わってもいいですか?」
「えっ? ええ、あ、ああ、あはははははははははは、まいったなぁ…」
見ろ、この慌てぶり。
まったく、どいつもこいつも。
「あしもとにかぜ~、ひかりが~まったぁ~っ♪」
わけの分からない曲を引っさげて、唐突に志保が現れた。
「なんだ、現れて早々鼻歌なんか歌って。この陽気でネジが数本飛んだんじゃねーか?」
「はぁ? 今興行成績No.1映画のエンディングテーマでしょうが。アンタ流行に疎いのもいーかげんになさいよ」
「知ってるか、雅史?」
「最近あちこちでよくかかってるよね」
……裏切り者め。
なおも首を傾げるオレに、琴音ちゃんの表情が曇る。
「浩之さん、この前この映画、一緒に見に行ったじゃないですか!」
ああ、もしかして…
「あの時、やっぱり寝てたんですか!?」
ぎくっ!
あ、あの日は深夜番組見過ぎで…どうも最後まで…
「浩之ちゃん?」
あ、あかりっ。なんつータイミングで出てきやがるんだよ。
ちょっと、怒っちゃいました。
「あ、あれは、あの、その」
チカラを使って、
「……あ、オ、オレのかばんッ!」
鞄を、取っちゃいました。
「お仕置きですっ」
「琴音ちゃん、返せってっ!」
「欲しかったら、捕まえてくださいっ!」
そして、思いきり走り出しました。
――そう、思いきり走り出すんです。
転ぶことなんか、恐くありません。
超能力のトレーナーをした、気弱な女の子への同情ではなく、異性として浩之さんに好きになってもらうんです。
王子様を待っているお姫様の役は、もうこりごりです。
神岸さんからだって、もう逃げません。
無理して背伸びするんじゃありません。わたしが思うとおりやってみよう。そう決めただけなんです。
もしかしたらそれが裏目に出るかもしれないけど、もうだいじょうぶです。
さっきも言いましたよね、転ぶことなんか、恐くありません。
だって、わたしには、
「待て~!」
「あぁ、まってよ浩之ちゃ~ん」
勇気をくれた人たち。
そして、この胸に、
「こっちですよ、浩之さんっ!」
いつでも元気をくれる、場所があるからっ!
姫川琴音
相沢祐一 藤田浩之
月宮あゆ 美坂栞
長岡志保 水瀬名雪
来栖川芹香
天野美汐 神岸あかり 北川潤 来栖川綾香 琴音の母
佐藤雅史 セバスチャン マルチ 美坂香里 水瀬秋子 森本美紀
沢渡真琴
イメージソング 『あなたの一番になりたい』
作詞:有森聡美
作曲:三留研介
編曲:添田啓二
歌:南央美
オープニングテーマ『Last regrets』
作詞:KEY
作曲:KEY
編曲:I’ve
歌:彩菜
エンディングテーマ 『風の辿りつく場所』
作詞:KEY
作曲:折戸伸治
編曲:I’ve
歌:彩菜
原案
『To Heart』(1999 株式会社アクアプラス)
『Kanon』(1999 Key:株式会社ビジュアルアーツ)
デバック
なべなべ
and......You
2001 Prodused by “あるごる”
To All Readers……
Thank You For Reading!
以上で、完結です。
掲載にあたり、もし今自分がこの話を書くとしたらどうするか、考えてみました。
おそらくいきなりSFな「冬の悲劇」を使うことはないでしょうね(笑)
夜が来て宿に戻ろうとする浩之が、何らかのアクションを起こす気がします。
でもそれ以外は、たぶん同じストーリーを書いていると思います。
キリ版リクエストを受け、この話の三次創作「Liebe Schokolade」を作ったときにも思いました。
お恥ずかしながら、いまの自分も、読んでてワクワクしました。
本当に長い付き合いです、この話とは。
改めて、LeafさんとKeyさん、二次創作をする皆さんに、感謝を込めて。