ゆうやけぞらになって、月が見えて、いちばんぼしが見えても、あそんでいたかった。
「わたしもうかえるよ、じゃあね」
そのことばがきらいだった。
うんととおまわりして、でもやっぱりうちについてしまう。
ドアをあけるのも、いや。
だって。
「………よっ!」
目が覚めました。覚めたけれど、眠いです。
不思議な夢を見ました。
外で遊び続けたいと願う夢。
そう思った時がわたしにもあったのでしょうか。一人で絵を書きたいと思ったことは何度もあるけれど。
もしかするとあったのかもしれません。
自分が知らない記憶に……。
……。
………。
「…わたしはもう、ご存知ですよね」
「あぁ、1年B組、姫川琴音ちゃんであってるだろ? ごめんな勝手に調べちまって」
「いいえ、わたし普通じゃないですから、藤田さんの目にとまるのもしかたないことなんです…」
「琴音ちゃんさ、よかったらオレにもう一度超能力を見せてくれないか」
「ダメです、このチカラは危険なんですよ」
「わたしの思い通りには出来ないんです。勝手にチカラが外に出てしまうんです」
「それってつまり、制御不能ってこと?」
「それでも100%思い通りにできないわけじゃないんです、人のいないほうへチカラを向けるのがせいぜいですけど…」
「少しでもコントロールできるんだろ? じゃ頑張って全部コントロールしちまおうぜ」
「今までもコントロールしようとやってみたんですが、ダメでした…」
「それは今までの話だろ、これから成功させんだよ。オレは決めたからな、琴音ちゃんが超能力をコントロールできるようになるまで、オレが応援してやるよ、な!」
「…ダメなのか?」
「いえ…」
「じゃ、やってみようぜ」
「…それに、自分からこんなチカラを使うなんて…」
「そんなことねえって、超能力だってうまく使えば便利なもんだって」
「…わたし、イヤなんです。こんなチカラがあるだけでみんなから仲間外れにあって…」
「…ゴメン」
「………」
「でもな、今より良くなるとしたら、やるしかねえだろ? 言ったろ? 琴音ちゃんを応援するって。もう一人じゃねえんだよ、な?」
………。
……。
『朝~、朝だよ~』
「…わかってるって」
学校が始まって数週間、いつにのまにかこの時間に目が覚める習慣になっていた。
そして琴音と出会った日から、夢で目を覚ますのもまた習慣になっていた。
「…我ながら規則正しいよな」
少しは名雪にも見習って欲しいと思う。
「…絶対に無理だな」
自問自答に2秒で結論を出し、着替えの服を取り出した。
1階では、毎日微妙に違う俺の起床時間を察知した秋子さんと、焼き立てのトーストが出迎えてくれる。
席に着くと、煎れたてのコーヒーがそれに加わる。
琴音が来る前からの、いつも通りの食卓風景だった。
「このジャム、おいしいですね。自家製なんですか」
(適度に)ジャムが塗られたパンをかじりながら、琴音が秋子さんに話し掛けた。
「琴音ちゃんはジャム好きなの?」
「いつもは朝、ご飯ですから」
「そうなの? じゃ、明日は和食にしましょうか」
「え、いいんです。どれもすごくおいしいですから」
「そう……じゃあ、他のも試してみませんか?」
秋子さんが冷蔵庫へと足を向けた。
(過度に)イチゴジャムを塗っていた名雪の動きがぴたりと止まる。
ずっと平和が続いていたから、危険察知の感覚も鈍っていたのかもしれない。さっき秋子さんが質問した時点で気付ねばならなかったのだ。
オレンジ色の死神。
日が経った今でさえ、思い出せば口の中があの味になるほど強烈な記憶を擦り込んだ、あの魔物。
それがまた現世に姿を現そうとしている。
逃げなければ。この場にいては確実に犠牲者になる。
けれども名雪を伺うと、身体を外に向けているものの、席に残っていた。
やはりこの純情可憐な少女を見捨てることに良心の呵責を感じるらしい。
無垢な琴音は俺達の様子に首をかしげている。
絶体絶命だ。
冷蔵庫の扉が閉められる。その音は、重く、希望という明かり窓が閉じられた音に感じられた。
その時だった。
「あっ!」
秋子さんの手から、例の大きなジャム瓶が転がり落ちた。
歓呼しそうなのを懸命にこらえつつ、俺は拳を固く握り締めた。
けれども。
ごとん。
「……」
「……」
特大ジャム瓶は鈍い音を立てたが、割れずに床に転がった。
「………」
「………」
希望から絶望へ叩きつけられたときのダメージは計り知れない。
全身の力が奪われていくのを感じた。
名雪に至っては『もうわたし、世の中に疲れちゃったんだよ』とでも口走りそうな様子で、薄笑いさえ浮かべていた。
ところが。
ビキッ!
唐突にヒビが入り、
………バリンッ!
かなり遅かったが、瓶は原型を失うほどきれいに砕け散った!
「あ、秋子さん、残念でしたね、せっかくのジャム」
そそくさと席を立ち、ガラス瓶の破片をオレンジ色に混ぜ込む。
「お、落ちちゃったものは食べられないよおかあさん、それに、ほらガラス混じっちゃってるし…」
そそくさと名雪も立ちあがり、目にも止まらぬ速さでジャムを生ゴミ入れに捨てていく。
「でも、上の方はまだ大丈夫かも…」
なおも抵抗する秋子さん。この家に来てから、ここまで諦めの悪い秋子さんを初めて見た気がする。
「ご、ごちそうさまでした」
複雑な表情をして、琴音が食卓を立った。その流れに合わせ、魔物を葬った俺達も支度をする。
「じゃ、行ってきます」
「……」
俺達が家を出るときも、秋子さんは本当に残念そうな顔をしていた。
「すみません、あの瓶を割ったの、わたしなんです」
隠しきれずに、通学途中にわたしは切り出しました。
「わたしのチカラは、もう見せましたよね。…たまに、予知が出来ることがあるんです」
「予知?」
相沢さんが聞き返しました。
「漠然としたイメージだけなんですけど。あの瓶を見たとたん、すごく、危険だと感じました…」
これ以上ないというほど、怖いものがくるような感じでした。
「それに名雪さんも相沢さんも顔が引きつってましたし…そう思ったら、勝手にチカラが……」
わたしは俯きました。許されることではありません。また制御できずに物を…。
怒らないでください、許してくださいが出て来ません。
「琴音、本当に、本当によくやった」
「命の恩人だよ…」
ふたりが思いきりわたしを抱きしめてきたからです。ものすごい喜び方です。息が出来ないくらいです。
「あの…」
「琴音、俺達は正義だ。後ろめたく思う事はない」
あのジャム……きっと触れてはいけない過去があるんだと強引に納得しました。
「もうすぐで見えてくるはずだ」
「…ほんと?」
「ああ、もうすぐだ」
「人けのない場所…?」
「なんか、引っかかる言い方だけど…まぁそうだな」
「でっかい木だろ?」
「この木だけは、街中からでも見えるんだぞ」
「ちょっとだけ、後ろを向いていてもらえるかな?」
「…それはいいけど…どうしてだ?」
「どうしても」
「………っ!」
「母さんとこれとは関係ないだろ!」
「じゃ言うわ、耐えられないっ」
「わぁ。街が真っ赤だよ」
「何やってんだ!」
「ボク、木登り得意なんだよ」
「風が気持ちいいよ」
「本当に、綺麗な街……ボクも、この街に住みたかった…」
「喧嘩してるのを見せると子供に悪影響を…」
「だったら私の言い分も聞いてよっ!」
「街の風景はどうだった?」
「秘密」
「どうして秘密なんだよ…」
「あの風景は、言葉では説明できないよ。実際に見てみないと」
「だから、俺は高いところが苦手なんだって…」
「でも、秘密」
「……」
また、訳の分からない夢で目を覚ました。
途中、離婚騒動でもやってるように言い争う夢が混じって、まるで秩序がない。
「夢も混線ってするのかね」
さて、今日こそ琴音ちゃんを見つけないとな。
3…2…1……ゼロ。
「終わった…」
最後の宿泊施設から、オレはがっくりと肩を落として出てきた。
この街の全宿泊施設を当たってみたが、『姫川琴音』の名前はなかった。
琴音ちゃんがこの街にいるとすれば可能性は二つ。
偽名を使ったか、宿泊施設以外のところで寝泊りしているか。どっちにしろ健全な状況じゃない。
最悪の可能性、誰かの車で街を出た…が頭を掠める。そうなったらオレには完全にお手上げだ。
…そもそも元からこの街にいるかどうかだって疑わしいんだよな。
琴音ちゃんがここにいるという支えになりそうなのは、今のところ駅員の証言だけだ。
――この木だけは、街中からでも見えるんだぞ
ショックで疲れた頭に、朝の夢が映しだされた。
街中からでも、見える木…?
ついつい首を巡らしてしまうが、一見してそんなものはない。
だよな、やっぱりあの夢は妄想だよな。
青い色画用紙に包まれたように、どこまでも青い空が続きます。
相沢さんから教えてもらった公園で、わたしは絵を書きます。
平日なのでわたしの他は誰もいません。貸し切りです。
るる…
何かが、こつんと足首に当たりました。
…るる…
ハトのくちばしでした。
ハトは、いつもいっぱいいるので、あまり好きになれない鳥です。でも、今日は1羽きりでした。
わたしに食べ物をもらいに来たのでしょうか。足取りがふらふらして、大分弱っているみたいです。
……本当に、出来るのでしょうか。
ハトに、わたしは昨日のヒーリングをもう一度、試してみました。
治したいと言う気持ちだけをいっぱいにして、手をかざして……。
「……っ!」
チカラを使った痛みが、走ります。
くるる、くるる……。
「……ぁ…」
元気になりました。思わず自分の手を見つめてしまいます。
――超能力だって、うまく使えば便利なもんだって
チカラを特訓していたときに言われた言葉。今なら笑って、そうですねと返せそう。
でも、藤田さんはもういない。今、わたしの側にはいない。
物思いを振りきるように、わたしは鉛筆を取りました。
「えっと。それで今日はどうするの?」
授業が終わって、名雪がいつものように昼食の話題を振ってきた。
「あたしはいいわ…今日は食欲ないから」
香里だけが、普段とは違った反応を見せた。
「ダイエットか?」
「…そうね」
どうでもいいというように、気のない返事をする。
「…相沢君はどうするの…?」
「俺は行くところがあるから」
「祐一は、1年生の女の子と食べるんだよね」
「…なんで知ってるんだ」
「前に、祐一が言ったんだよ…風邪で休んでる1年生の女の子…って」
そういえばそんなことを言ったような気もする。しかし、名雪にそんな事を言われるとは意外だった。
「あ…私学食だからそろそろ行くね」
「ああ、気をつけてAランチ食ってこい」
「私、いつもAランチじゃないよ」
「少なくとも俺が知ってる限り同じもん食ってるだろ」
「偶然だよ、偶然」
「…そういやオレが見たときもAランチばっかりだな」
「それも偶然だよ…」
「…あたしが見たときもそうね」
「偶然…」
「えらくたくさん目撃されている偶然だな」
「それじゃ私いってくるね」
それ以上の追求を逃れるように、名雪が財布を持って慌ただしく離れていく。
「じゃ、オレも学食にするか」
名雪に続き、北川も教室から消えた。
「……」
「……」
……。
結果的に、俺と香里だけが取り残される形となった。
「じゃあ、俺も行ってくるから」
俺も、中庭に行くべく支度する。
「相沢君…」
香里が抑揚のない声で呼び止める。
「…ひとつだけ答えて…その子のこと…好きなの?」
「たぶん、好きなんだと思う」
寂しげに雪の中で佇んでいた女の子。
今、香里がそうしてるように、悲しげに窓の外を見つめていた白い肌の少女…。
初めて出会ったときから不思議さも手伝って、心を揺すられた。
たぶん、今は、好きなんだと思う。
そうじゃなければ、昼間とはいえあんなに寒い場所に、今日も出ていったりはしない。