幕間・弐
とあるホテルの一室。
一目見れば誰もがこの施設で最も高級な部屋だと理解できる部屋である。
正確を期すために付け加えれば、この近郊で、最も上等で且つ高価な部屋である。
そこに、一人の女性が座っていた。
添え付けの机で、年代物のタロットを淀みない手付きで操っている。
この場に赤々と燃え盛る暖炉が在れば、中世にいるような錯覚を引き起こしそうな程、その姿は調和していた。
やがて、診断が出た。
『塔』と逆位の『運命の輪』。
『塔』は突然の不幸の暗示。『運命の輪』も同義。
明快な凶兆である。
女性は、めったにつかないため息をついた。
「芹香お嬢様」
その時部屋の扉を開け、白髪の老紳士が入ってきた。
その手には、この部屋に釣り合わないコピー紙の束がある。
「やはり、芹香お嬢様のおっしゃった通りでございました」
「……」
ありがとうございました、とだけ言って、芹香は再びカードに目を落とした。
「……動きはないようですな」
しばらく立ち尽くした老紳士は、部屋の片隅に置かれた物に目をやったあと、踵を返して部屋を出た。
それを見送ると芹香は立ちあがり、部屋の電灯を消した。
同時に、持っていた奇妙な色彩の蝋燭(ろうそく)を燭台に置き、灯す。
途端に、窓枠の外で、二つの獣の目が浮かび上がった。
芹香が気配を察し、立ち上がる。
それを見止めると、金色の冬毛を残し、獣は雪降る闇へと溶けていった。
「……」
獣の逃げ去った向こうの雪を、しばらく芹香は眺めていたが、場を整え、再び占いに没頭しはじめた。
手持ちの22枚に、脇に除けておいた56枚の小アルカナを加える。
部屋の装飾を照らすのは蝋燭の灯火と、
明滅を繰り返す点を映す、無言のラップトップパソコンが放つ光だけであった…。
「まいったなぁ」
「……藤田さん、こんにちは。誰かを…お待ちなんですか?」
「いやそうじゃなくて、雨、早く止まね―かなって思って」
「…傘、お持ちじゃないんですか?」
「いきなりだったからな」
「…あの、わたし傘持ってますから、よかったらお家までお送りしましょうか?」
「まあ、歩いて通える距離だし近いっていや近いけど…それでも、片道15分くらいあるぜ」
「それぐらいでしたら」
ワンワン!
「あっ、可愛い…いらっしゃい」
「………っ」
「琴音ちゃん!」
「ダメっ、来ないでっ!」
「早くッ!」
「くそっ」
ワンワン!
「!?」
「ダメっ、離れてぇっ!」
「バカやろうっ」
パア~~~~~~~~~~~~~~~~~~ンッ
キャイィィィン!
「ワンちゃん!」
「ごめんなさいっ!ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「琴音ちゃん…」
「せっかく練習したのに、うまく行ってると思ったのに…。やっと、みんなと同じになれると思ってたのに…」
「はじめから…無理だったんですよ、わたしはこうやって周りの人みんなを傷つけて、嫌われて、…やっぱりひとりぼっちなんです」
「…どうしてなんですか? わたしだけがこんなチカラを持って。わたしがいけないことしたんですか?」
「きっと、もう…手遅れなんですね」
「……」
雨の日の、夢だった。
あれだけの練習にもかかわらず、チカラが、暴走した。
動物好きの琴音に対し、罪のない子犬を巻きこんで。
もしこの世に神がいるのだとしたら、その神はなんと残酷な事を行うのだろう。
この事件のせいで、この傷を背負って、琴音がこの街に来ていたとしたら、オレの提案は、軽率としか言いようが無い。
俺は、手の平でその色が判るほど、青くなった。
「だったら…」
「ボクの…お願いは…」
「今日だけ、一緒の学校に通いたい…」
「この場所を、ふたりだけの学校にして…」
「祐一君と一緒に学校に行って………一緒にお勉強して………給食を食べて………掃除をして…」
「そして、祐一君と一緒に帰りたい…」
「こんなお願い…ダメ…かな…?」
「…約束しただろ…俺にできることだったら何でも叶えるって」
「俺達の、学校だからな…」
「また、この学校で会おうな」
「ここで…?」
「だから、今度俺がこの街に来た時は…」
「待ち合わせ場所は、学校」
「うんっ…約束、だよ」
オレは目を覚ました。
「午前3時…」
……。
からだが妙に興奮している。鼓動が聞こえるほど強く、そして、早い。
今見ていた夢のせいかもしれない…
オレが見ていたのは、このところ立て続けの、二人の夢だった。
夢の世界で『祐一』は、明日帰ってしまう。
夜のとばりが降りた中、ふたりは指切りをして、明日も会う約束をしていた。
『祐一』は、最後に、買ったカチューシャをプレゼントしようとしている。
明日の午前中、『祐一』は『学校』へ行くだろう。
物語は、『明日』最終話になるはずだ。
でも。
鼓動が、収まらない。
そう、予感…。
怪談話で、どんでん返しで驚かせる前のような…。
ホラー映画で、哀れな被害者が襲われる一瞬前のような…。
ドラマで、最終回間際、主人公やヒロインに不幸が起こる前のような…。
そんなときに似ていた。
オレは布団をかぶりなおした。
寝たくはなかった。
しかし、身体はそうすると逆に落ち着きを取り戻し、夢の世界へとオレを引きずっていった。
あの話の結末……。
……見たくない。