幕間
時は少々遡る。
浩之が旅立った街の一角を占める、壮麗な豪邸。
日本で五本の指に入る大富豪、来栖川家の邸宅である。
その屋上に、一つの影があった。
その日の天気は悪かった。
蒼鉛色の空からは、雪が間断なく降ってきている。
彼女は太陽があるはずの方向に、背を向けて立っていた。
手には魔術の道具らしき、印(ルーン)のついたフーチがある。
その目は、遠い空を見つめている様であった。
「芹香お嬢様、ここに居られたのですか」
背後の入り口から、白髪の、体格のいい執事が現れた。
「こんなところにいては風邪を召されてしまいます、ささ、御戻り下さいませ」
薄く積もり出した雪に足跡をつけつつ執事は近づく。
しかし。
芹香は、動かなかった。
ただ黙って、重い空を見続けている。
「お嬢様が風邪を召されては、私どもが大旦那様に叱られてしまいます、お戻り下さいませ」
「………」
「お嬢様?」
「北が、荒れています…」
ぽつりと、芹香は漏らした。
「は?」
「セバスチャン」
「はっ!?」
執事セバスチャンは驚愕した。
芹香が、誰にでも聞こえる声で、喋ったのだ。
彼の長い記憶の中でも、それはいかほどぶりのことであっただろうか。
「今から、飛行機をチャーターできますか」
唐突な願いに、彼は2度目の衝撃を受けた。
しかし驚いてばかりはいられない。彼は執事なのだ。主人の要求は、いかなるものでも叶えるよう働かねばならない。
「は……ははっ、直ちに!」
「お願いします……」
言葉を残すと、セバスチャンは場から走り去る。
「姉さん…?」
入れ違いにやってきた綾香も、予想外の事態にあからさまに驚いていた。
姉の真意が、全く掴めていないようだった。
「一体、どうしたの…?」
そう言い出すのがやっとだった。
屋上を、凍てついた風が駆けた。
風は降り注ぐ雪の方向を、垂直から水平へと変える。
地に積もった湿り気の多い雪さえ、巻き上げた。
芹香の艶やかな黒髪が、舞う。
「……浩之さん…」