2006年09月24日

参考:『アウターゾーン』(光原伸)の「時空の奈落」

パートのおばちゃん、曲者だ……。
こんばんはあるごるです。クリーニングに出した時ついてくるハンガーがとんでもない量になっていたので、今日出すついでに、みんな持っていくことにしたんですよ。ところが利用自体は少々ご無沙汰だったもので、前使っていた店のハンガーだったのか、今の店のハンガーなのか、さっぱりわかんなくなっちゃってたんです。
で、結局全部持っていって、店で判断してもらうことにしたんですが。
てっきり「そっちはうちのじゃないね」といわれるかと思ったらおばちゃん「それ、○○○(前の店)のハンガーじゃない? 10本持ってけば半額券くれるんだったわよね、引き取ろうか?」
――聞けば、私が前使っていたお店でも働いているんだそうで。その後、染み抜きが上手な店とかいろいろ教えてもらいましたが、いや、こいつはしてやられた……。

さて、奇妙な日記タイトルがついておりますが、本編。
今夜、今更ですが映画「時をかける少女」を見てきました。
感想ですが……すごくどきどきしました。映画館出てもしばらく動悸が止まらなかったです。怖くて


……首傾げたでしょ?(苦笑)


続きにネタバレつきでその理由を書きます。「おかしいんじゃない?」と思われて結構。こんな風に感じた奴も世の中にはいるんだって思っていただければ…。まともな感想は後日箇条書きに…。
あ、あと真琴は最高に可愛くていいヤツですが、顔は美雪の方が好みです(笑)

まず、のっけから嫌な内容で恐縮ですが、電車に轢かれたらどんなに表現抑えても、五体バラバラ。さっきまでドジ踏んでた女の子さえ、次の瞬間からとても正視できない『モノ』になる。物語後半、坂を転がって擦り傷だらけになるシーンがありますが、あんなもんじゃ済まないわけですよ。
想像できない人はogrishに行って自動車事故の画像を一つ見てみればよろしい。ニュースで言うところの「全身を強く打って」は「原形をとどめないほどぐちゃぐちゃになって」と同義ですからね?

以上、ぞっとしていただいたところで本論です。
どうして怖かったのか。それは『タイムリープで、死亡した時間に戻る可能性がある』っていうのが、映画見ている間中ずーっと頭を離れなかったからです。
あんなに走って転がって頭打ち、食べたり笑ったり恋したり泣いたりして生き生きとしている真琴が死ぬかもって考えながら見てたわけで。そりゃ心臓にもよろしくないですわ。

最初の歴史上、真琴が電車に轢かれ死亡してしまうのが、7月13日午後4時。
そして真琴がタイムリープしても、真琴が干渉しない限りは歴史は同じように過ぎていく(例えば「小テストがある」「ジャイアントスイングされてた男子が飛ぶ」「果穂が告白する」ってのは変わってません)。
あたかも、大きな歴史の幹があって、そこから真琴の選択によって枝が伸びていっているようです。
だから『7月13日午後4時』にタイムリープしてしまった場合、枝別れした(例えば功介と果穂が真琴の自転車に乗っている)『7月13日午後4時』に飛ぶ可能性と、少なくとも同等に『真琴が死亡する7月13日午後4時』に飛ぶ可能性があるわけです。
ごく当たり前に真琴は任意の時間に跳躍してますけど(もしかしたら原作に細かい設定が書いてあるのかもしれませんが、未読なのでごめんなさい)、『7月13日午後4時』以降のタイムリープは、必ず『電車に轢かれて死亡する過去』に戻る可能性をはらんでいる、といいたいのです。

こんなことを考えてしまった原因は、見に行く前に、断片的に情報が入ってしまっていたせいだと思います。その情報は『最後に真琴が坂道を転がり落ちてボロボロになる。』(ちなみにSSMGの人の日記の感想で…他意は一切ないですよ恵さん!)
これに映画冒頭で『電車事故』が情報として入ってしまったせいで、私は勝手に、
タイムリープで過去に干渉しまくったせいで、本当は変わっている筈の「電車に轢かれて死亡した」という事実が、ねじれが元に戻るように真琴の身体に戻ってしまう。腕に浮き出た数字は電車の看板の一部で、その予兆。最後の坂道は言わずもがな。

ってストーリーを頭ででっちあげちゃったんですよ。ホント、自分の頭の加減にびっくりしますわ(笑)


ただ、この件については、みんなが良く知っている『ドラえもん』に興味深い話がありますのでご紹介します。
てんとう虫コミックス第22巻に『無事故でけがをした話』という話があります。
この話では、ジャイアンの親父さんがトラックにひき逃げされ病院行きになってしまいます。泣きすがるジャイアンに頼まれて、のび太は事故発生時間までタイムマシンで戻り、事件の瞬間をトラックのナンバーごとカメラに収めます。
しかし、現在に戻ってきたのび太は考えます。

『あの場で自分が止めていれば、おじさんは怪我をしなかったはずだ』

のび太は再度その時間に戻り、まさに善意でジャイアンの親父さんを突き飛ばし「事故を防ぐことができた」と晴れやかな気持ちになって帰宅します。
ところがそれを聞いたドラえもんは「ついにやってしまったか!」と驚き、のび太にこう説教します。

タイムマシンで過去を変えても、必ずどこかで埋め合わせがついちゃうんだ。例えば君が代わりに事故にあうとか

実際、時かけでも、功介と果穂が真琴の自転車で同じ目に遭ってしまいますし、高瀬の投げた消火器は、必ず誰かに怪我をさせます。
もちろん、みんなが『三ツ矢サイダーみたいな青春』『生き生きと動いててよかった』って褒めてるんだから、絶対バッドエンドなんかないって言うのはわかってますよ。でも、頭で分かっていてもその『死の可能性』が、千昭が時間を止めるシーンまでずっーと残っていて、映画館出た後もしばらく動悸が収まらなかったのは本当です。
ちょっと想像してください。
自分が一度死ぬ体験をして、知り合いに「私生きてるよね!?」と確認したその日に、どこに戻るか分からないタイムリープにチャレンジできますか?
私は、怖くて絶対できません。その日一番印象が強く、思い出してしまう歴史の分岐点は、「自分が死んだ事故の瞬間」に間違いないんですから。

一日置いてから書こうと思ったけれど、どうしても今日書かないとこれは伝わらない気がして書きました。
要はそれだけ、青春時代を思う存分楽しんで生きている真琴が(一時とは言え)理不尽に死んでしまうという描写が、自分にはショックが大きかったんだと思います。

posted by あるごる。 at 01:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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