気がつけば春一番も吹いて、家まで歩いて帰っても苦じゃない暖かさになりました。2月も逃げてしまって、暦はもう3月です。
その過ぎ去った2月のノルマresultは、見ての通り全滅です。情けない。言えばすむもんじゃないですけど……冒頭の非難がわが身に痛い^^;
そんな借金抱えた中、昨日日曜に映画「ミュンヘン」を見に行ったこの男はきっといつか罰せられます(笑)
で、その「ミュンヘン」感想ですが、堂々とネタばれします。そろそろ公開終了でしょうし。ミュンヘン事件は知識として知っていますのでかっちり書くことも出来ますが、今回は主観的に、思ったこと中心に書かせていただきます。
ユダヤ人であるスピルバーグが「よくこう描けたな」って思いました。世間の映画通や事情通がどう思うかわからないですけれど、個人的には6:4で描いてたんじゃないかと思います。
これから暗殺(しかも爆殺)する相手も、家族がいたり、世間話を振ってくれる。主人公はそれでも任務として彼らを手にかけていくんですけれども、台詞として口にしなくても、納得できない気持ちが降り積もっていくのがわかる。
その最高潮が、フランスの情報屋によって同じ場所で一夜を過ごすことになった主人公とパレスチナ人アリとの会話でしょう。「オリーブの枝が欲しいか?」(=イスラエルのある土地が欲しいか)という問いに即答するアリ。子や孫の代までかかったとしても、ドイツが出来るまで何年かかったと問い返し、「祖国こそ全てだ」と断言する。これはそっくりそのまま、イスラエルを建国するまでのユダヤ人だと思うんですよね。それをユダヤ人の監督が、あえて『言った』のが、すごいなと思いました。(このアリが語った祖国への思いを、結局主人公はイスラエルの誰にも伝えないんですが、そのことでさらに限界とか展開とかいろいろ考えさせられました。「彼らだって祖国を渇望してるんだ、同じなんだ」って語っていたらどんな評価になったかな…)
そしてもうひとつの印象は、完璧にこのご時世を狙ったんだなと思えますけど「憎悪と報復では、問題は解決しない」。
いくら敵を排除しても、すぐ次の敵が生まれ、より過激な報復が生み出されるというのはSeptember.12でも良くわかるんですが、自分の行いに疲れ果て、逆に仲間が消されるに至って、ついには満足に眠ることさえ出来なくなる主人公を見ると、まざまざと実感します。
確かにベタですが、「わかる」結論として出してくれたの、よかったと思います。「A.I」や「宇宙戦争」は娯楽映画とはいえ、「なんじゃこりゃあ…」でしたからね。
もっともこれは、イスラエルが核とアメリカの力をバックに「正面切って戦えばまず負けることはない」という勝者の優越に裏付けられたもんじゃないかと勘ぐる必要はあるでしょうが。
結局、自分が生まれる前から世の中の構図は半歩も動いてないんだなぁって思いました。だからこそ、スピルバーグはこういう映画を作る気になり、見て欲しいと願ったんでしょうけれどね。
ちなみにこの位の史実重視でも、ユダヤ社会からは非難轟々と言う話です。
どこかの半島ではないのですから、事実は事実として正視し、アメリカに渡って祖国と距離を置きながらも「遠くから来た民をもてなそうとする」ユダヤ教徒――おそらくはスピルバーグ自身の投影――の言いたいことを、見て欲しいなと思いました。
おまけ